満員電車
中学生の夏。当時の俺は、コンビニもスーパーも無い小さな田舎町に住んでいた。近所に住む仲のいい友達2人と一緒に、ローカル線を使って登校することが、朝の何気ない日常だった。
「おはよう、コウイチの家に行こうか」
隣の家に住んでいるマコトと一緒に、駅前のアパートに住んでいるコウイチを迎えにいく。コウイチは荒っぽい性格の不良生徒で、学校をサボることも珍しくなかった。
「今日は俺の家に来い!みんなでゲームするぞ!」
授業が終わった後、コウイチが俺とマコトを家に誘った。
「いいよ、一緒に帰ろう」
期末テストが近かったこともあり、授業は午前中で終わってしまった。今日は久しぶりに3人で下校できる。
「今日は30分待ちか…」
俺たちが通学に利用している駅は、小さな無人駅だ。朝と夕方は、たくさんの学生やサラリーマンで駅の中が埋め尽くされているので、寂しい思いをすることはない。しかし、1日の本数が極端に少ない。乗り遅れてしまうと、1時間近く電車が来ない時もある。
「近くの駄菓子屋で時間でも潰そうか?」
マコトの提案で、俺たちは近くの駄菓子屋で時間を潰すことにした。しかし、俺たちが無人駅を出ようとした瞬間、無人駅に設置されているボロボロのスピーカーから、聞き慣れたメロディーと一緒にアナウンスの声が聞こえてきた。
『ま…も…く…番…に…電車…が…参り…ます…白線の…に起っ…お待ち…さ…い…』
俺たちは思わず顔を見合わせた。次の電車が到着するまで、まだ時間があるはずだ。
「おい、電車来るみたいだぞ!」
コウイチが小走りで駅の中へ戻っていった。俺とマコトは、すぐにコウイチを追いかけた。
「見ろよ!電車来てるじゃんか!」
線路の奥に見慣れた電車が見えた。大きな音を立てながら、この無人駅に向かって走ってくる。
「コウイチ、マコト…今日は祝日だったっけ?」
「いや…」
俺とマコトは、急いで時刻表を確認してみたが、それらしき電車を見つけることはできなかった。
「きっと鉄道会社が間違えてんだよ!クソ田舎だからって適当に仕事してるんじゃねーか?」
俺たちは再び顔を見合わせながら、電車が駅に到着するのを待った。数分後、俺たちしかいない小さな無人駅に、正体不明の電車が到着した。
「おい!見ろよ!」
コウイチが到着した電車を見ながら、驚きの声をあげた。電車は三両編成だったが、すべての車両がぎゅうぎゅう詰めの状態になっていたのだ。朝や夕方ならともかく、この時間帯の電車が満員になることは、とても珍しいことだった。
「ラッキーだったな!暑いから早く乗ろうぜ!」
コウイチが満員電車の中に乗り込もうとした。しかし…
「俺…やめとくわ…」
マコトが満員電車に乗ることを拒んだ。マコトは満員電車が苦手だったが、それ以外にも何か嫌なモノも感じ取っていたのかもしれない。
「どうしてだよ!早く帰れるんだから、ちょっとだけ我慢して乗ろうぜ!」
コウイチが電車の中に乗り込んだ。電車の中は、3人がギリギリ乗り込めるだけのスペースがまだ残っていた。
「マコトが乗らないから俺もやめとく…次の電車を待つよ…」
俺とマコトは不気味な満員電車には乗らず、次の電車を待つことにした。しかし…
「それじゃあ、俺は先に行って準備しとくわ。服着替えてから来いよ!」
俺たちの目の前で、電車の自動ドアが音を立ててゆっくりと閉まった。笑顔で手を振るコウイチを、俺たちは静かに見送った。
しばらくすると、時刻表に記載されている電車が、俺たちが待つ無人駅の中に入ってきた。俺たちは電車に乗って駅へ向かい、自分たちの家に帰った。服を着替えた俺たちは、そのままコウイチの家に向かった。ところが…
「コウイチはまだ帰ってないわよ」
コウイチの母親から、コウイチがまだ家に帰っていないことを聞かされた。そんなはずはない、コウイチは俺たちより早く電車で家に帰っているはずだ。どこかで寄り道でもしているのだろうか。俺たちはコウイチの帰りを待ち続けたが、夜になってもコウイチは家に帰ってこなかった。
「あいつ、携帯電話持ってたよな。電話してみようぜ」
マコトが家にある電話を使って、コウイチの携帯電話に連絡を入れてみた。しかし…
「おい、コウイチか!今どこに…えっ…なんだこれ…」
青ざめた顔のマコトが、俺に電話の受話器を渡してきた。俺は受話器を受け取ると、それを自分の耳にゆっくりと近づけた。
「ズッ…ザザザザザザザザザザザザッ…あぁ…ザザザ…ズッ…ザザザザザザザザっ…あ゛ぁああああああああっ…ザザザザザッ…」
受話器から聞こえてくるのは、耳が痛くなるような雑音と、叫び声のような音だった。怖くなった俺たちは、慌てて通話を切ってしまった。それ以降、コウイチが電話に出ることはなかった。
あの日を境に、コウイチは行方不明になってしまった。警察に捜索願を出したり、地元の消防団による大捜索も行われたが、コウイチを見つけることはできなかった。
コウイチが行方不明になってから1ヶ月後、俺たちが通う学校に、コウイチの姿を見たという女子生徒が現れた。
彼女は隣のクラスの生徒で、その日は体調不良で学校を早退したらしい。あの小さな無人駅で電車を待っていると、時刻表には載っていない奇妙な電車に遭遇した。電車は三両編成で、乗客がぎゅうぎゅう詰めの状態になっていた。その車両の中に、悲しそうな顔をしたコウイチが、何も言わずにひっそりと立っていた。女子生徒はコウイチに声をかけようとしたが、乗客の異様な雰囲気に恐怖を感じてしまい、電車に乗ることも声をかけることもできなかったそうだ。
あれからもう20年近くの月日が流れたが、コウイチはまだ家に帰ってきていない。俺たちが無理にでもコウイチを止めていれば、こんな悲劇は起きなかったのかもしれない。
あの満員電車の正体は、未だ謎のままである。コウイチは今でもあの電車に乗って、線路の上を走り続けているのだろうか。その答えは、誰にもわからない。