第七話 貧乏領主フリードの邂逅
【領主着任:57日目。王都】
「言っておいてなんですけれどぉ。もうちょっと熟考したほうがいいですよぉ」
ヒルトが再三にわたって念を押す。
「一本化したところで、借金はチャラになるわけではないですし、商売である以上、公私のケジメはつけていただきますよぉ?」
「まあ当然だろうな。幸い十年間は免税期間があるので、うちの領の税収はそっくり返済に充てられる。もっともその前に色々片付けなきゃならない問題もあるけど」
「はあ、まあそのあたりはおいおい詰めるとして、ハッキリ言いますけど、マルガリータ商会が本拠を持っていないのは、教皇庁……というか、聖太陽神教に敵視されているからなんです。詳しい事情はお話しできませんが、つまりイラディエル辺境伯様も同類に見られるということですぅ」
と、言われてもなぁ。俺は厄介者扱いだったから教会や神殿へ連れて行かれたこともないし、知人の冒険者が怪我したときに、べらぼうなお布施を取られて治癒をされた、程度の関わり合いしかない。
ああ、そういえば叙爵式のときに国教である聖太陽神殿の大司教がセレモニーに参加していたので、ダメ元で、
「小さくても構いませんので、ぜひ、うちの領地に教会を……」
と言ったら「――ハッ」と、鼻で嗤われたな。
「いや、全然困らんが。そりゃ確かに領内に治癒術が使える神官がひとりでもいれば助かるけど、うちみたいな極貧の、浄財や篤志が見込めない貧乏領に来る神官なんて、太陽神以外の地母神や鍛冶神、月神、星神殿……どこにもいないだろう」
なにしろ神官ときたら、日常で神を拝むよりも金を拝んでいる時間の方が長いと、相場が決まっている。
冒険者でも神官をひとり雇うと、一日金貨百枚に加えて、稼ぎの半分を渡さなきゃ絶対に同行しない業突く張りばかりである。
仮にどこそこかの神官を誘致できたとしても、連中には独自の租税権(結婚税だ初夜税だ出生税だ離婚税だ埋葬税だと、枚挙にいとまがない)があるので、うちの領民が逆に苦しめられることになるのは確実だ。
「そういうのを考えるとなぁ……。純粋に信仰に生きて、必要以上に領内のことに口出ししない、困った時には助けてもらえるようなら、ぶっちゃけ貧乏神以外ならなにを拝んでも構わないんだけどなぁ」
そんな奇特な、絵にかいたような聖職者がいるわけがない。いるかも知れないが、砂浜で砂金を探すようなものだぞ。
そうしみじみ嘆息したところ、壁際の席でひとり黙々と食事をしていた、室内だというのにフードを目深に被った外套姿の人物が、不意に食事の手を休めたかと思うと、
「ひ……ひひ……ひひひひひ……!」
なにやら引き攣ったような笑い声を発し――声を聞いた限りではまだ若い女のものである――フードの下の視線を俺の方へ向けてきた。
((((あ、これ、やばいヤツ))))
思わず目を見合わせた俺たちは、同じ感想を抱いたことを悟る。
どうしたもんか。無視するか。
そう思ったところで、フードの女がゆらりと立ち上がって身構える俺たちの席へ、ペタペタと絶対に訓練されていない素人の……というか、生きる死者のような足取りでやってきて、「来るな来るな!」という俺の内心の祈りもむなしく、俺のすぐ傍で立ち止まった。
とりあえず武器になりそうなものは……と、周囲をさりげなくチェックしながら、しぶしぶ視線をそちらへ向ける。
言うまでもなく王都内で武器の所持は違法である。冒険者であっても、普段武器は持ち歩けず、冒険者ギルドの保管庫へ預けておいて、必要に応じて取り出す(なおかつ魔術符が施されていて、町中で下手に破ると厳罰が処される)というような決まりがあった。
騎士以上の身分の者は帯剣が許されているが、通常は儀礼用のミスリルなどを使ったサーベルの類で、無論のことそんなものを買う金はないので(かといって冒険者の剣は物々しく、官憲に説明するのも億劫なため)、現在の俺は手ぶらである。
「――なにか?」
いつでも、どの方向へでも動けるように、ほぼ無意識に全身の力を抜いて俺がそう尋ねると、『ニヤァ』という形容詞が非常によく似合う、三日月のような笑みが唯一フードから覗く口元に生まれた。
「し、し、し……」
笑い声かと思ったら続きがあった。
「神官を……お、お探しです……ですか……?」
暫時、なにを言われたのか理解できないでいたが、どうやら俺たちの話が耳に届いて、そのことで会話に混じりにきたのではないか、と遅ればせながら気が付いた。
「……ええ、まあ」
「ど、ど、ど……どん……どんな、神を崇める宗教で、で、でも、なん、なん、なんでも……いいって、本当……?」
「そうですね。世界の破滅を実行するとか、生贄を要求するとかの実害のある宗教以外なら」
言葉少なに肯定すると、
「けふっ……けるけふけふけふ……っ」
これはどうやら含み笑いだったらしい。
すっかり食欲がなくなった俺たちが見守る中、フードの女性はずいっと俺の方へ顔を寄せてきた。
「――!!」
エリアスが椅子から立ち上がりかけたのを手で制する。
殺気はない。
子供の頃、親父の正妻や側室に事故に見せかけて階段から突き落とされたり、毒蜘蛛を寝ているところへ放たれたり、別室へ用意された食事へ無色無臭の毒を盛られたりしたお陰で、俺は身に迫る危機に対しては、ほぼ無意識のうちに対処できるようになった――お陰で冒険者として非常に役に立った――その勘が無害だと告げている。
間近に接したお陰で、フードの下のぼさぼさの黒髪と病的なまでに白い肌、微妙に瞳孔が開いた赤い目を確認することができた。
「だ、だ、だったら、私を……私たちを雇いません……か?」
「雇う?」
もしかしてと思ったら、この女性は聖職者か? 言われてみれば着ているフード付き外套は、巡礼者がよく着るタイプの旅装にも思える。
それにしても、金勘定ばかりの豚みたいな神官連中とは、また別なベクトルで、らしくない聖職者もいたものである。
つまり神官の売り込みか。珍しいが皆無というわけでもない。若い神官などが、小遣い稼ぎに冒険者ギルドにきて、金のありそうな冒険者パーティに声をかけるのだ。
さきほどからヒルトは俺のことを「イラディエル辺境伯」と連呼していたことだし、断片的に聞いた話で貴族に売り込めると思ったのだろうが……。
「申し訳ないですが、うちの領地ではとても神官様を雇えるような浄財の捻出は……」
やんわりと断りかけた俺の台詞を遮って、
「お、お、お、お金は必要な……い。ただ、布教ができれば、そ、そ、それで問題……ない。も、もちろん、頼まれれば、治癒術もする。あ、あ、あと、可能なら、仲間を呼んで、きょ、教会を建てる……あ、こ、こっちで勝手に建てるから、負担しろとか、い、い、言わない」
そう一気呵成に言い切った。
「「「「…………」」」」
聞けば聞くほど夢のような条件で、だからこそ胡散臭い。普通に考えればありっこない。
俺たちの沈黙と当惑に満ちた視線をどう思ったのか、彼女は再び三日月のような笑みを浮かべて、
「ひひ……ひひひひ……ひひひ……そ、そういえば、じこ、自己紹介が、が、が、まだだったね。わ、わ、わ、私はヘルミ……ヘルミ・パ、パ、パ……パーヴォライネン」
そして最後にひと際声を潜めて、挨拶に付け加えた。
「……ヴェリタス教の司祭だよ」
「「「「ヴェ……!」」」」
咄嗟に素っ頓狂な声を張り上げかけ、慌てて四人そろって声を押さえ、周囲を見回し、いまの話を聞いた人間がいないか注意してみる。
幸い、六分入りの店内では、各々が食事と雑談に没頭しているようで、こちらに注目している人間はいないようだった。
そのことに安堵のため息を吐きながら、ふらふらと風にそよぐ葦のように突っ立ている彼女――あらゆる宗教において邪教と認定されている『ヴェリタス教』の司祭を名乗る――ヘルミ・パーヴォライネンに視線を戻した。
「……なるほど、そういうわけか……」
「ひひひひ……そ、そーいうわけ……なんだよ」
平仄がいって頷く俺の態度に、ヘルミのほうも納得したかと言いたげな口調で、肩を震わせるのだった。