第四話 貧乏領主フリードの奔走
【領主着任:57日目。王都】
エリアスとともに冒険者ギルド本部に足を踏み入れると、俺の顔を知っているその場の冒険者たちがピタリ雑談をやめ、好奇心と同時に異物を見る目で俺たちをジロジロと値踏みするような目で見据えながら、何やら仲間内で囁き始めた。
(……やれやれ。ちょっと前まではB級冒険者ってことで、それなりに一目置かれていたんだが)
いまの注目のされ方は、珍獣枠、場違い感、反感……そして、おもねるような媚びた視線である。
反面、まだ若手の――十代半ばほどの――新人は、
「すげえ、あれが冒険者から貴族になった『銀翼の不死鳥』のリーダーか!」
「俺もいつか……!」
「ご利益に預かるために、握手してもらえないかな」
そう素直に称賛してくれるのだが、大多数の冒険者は、「ケッ、いまさらお貴族様が道楽で来やがったのか?!」というオラついた態度を隠そうとしてしない。
まあ、大多数の貴族というのは、冒険者を雑兵以下の使い捨ての道具としか見ていないのが普通であり、その依頼における待遇の悪さや金払いの悪さは、冒険者時代(いまでも現役のつもりだが)の俺も、骨身に染みて理解しているから気持ちはわかる。
本当なら貴族の依頼なんぞ受けたくはないのが冒険者の総意なのだが、冒険者ギルドが国の下部組織でもある関係上、断るのはほぼ無理であり、俺も何度、煮え湯を飲まされ、砂を噛んだことか……まあ、そこへ元同じ釜の飯を食った同僚が、のうのうと貴族へ鞍替えしてやってきたのだ。
裏切者とまでは言わないものの、心中穏やかではないだろうし、恨みつらみの矛先が向かってくるのも理解している。
というか、俺もこうなることを予想していたので、領主になると同時に冒険者を引退するつもりでいたんだがなぁ……世の中、儘ならんものだ。
顔も知っているし、馬鹿話をしたこともある冒険者仲間に白い目で見られ、露骨に目を逸らされる、針の筵状態に内心かなり辟易しながら、俺とエリアスは五人ほど並んでいる受け付けカウンターへ向かった。
途端にカウンターの前に数人いた冒険者たちが蜘蛛の子を散らすように、用件を切り上げてその場から立ち去る。
悪いことしたなぁ、と思いながら、さてどの受付嬢へ用件を告げようかと順に顔を見回すと、海千山千の冒険者を相手にしても動じることのない受付嬢たちが、一斉に視線を逸らせた。
若干挫けそうになりながらも、とりあえず顔見知りの受付嬢へ話しかけようとしたところで、カウンターの裏にあるドアが開いて、そこから三十代半ばほどのいかにも〝デキる女”然とした女性が現れ、そのまま真っ直ぐに俺の方へやってきて、その場で軽くスカートを抓んで一礼をした。
「ようこそいらっしゃいました、イラディエル辺境伯閣下。私、当冒険者ギルド本部付け筆頭秘書官兼顧問弁護士のアルセリア・リオスと申します」
なんでいきなりそんな大物が? と思いつつも、五人の受付嬢たちが明らかにホッと安堵の吐息を吐き、成り行きを傍観していた冒険者たちが、
「辺境伯閣下だって!?!」
「伯爵じゃなかったのか?!」
「なんだ辺境伯って? ……偉いのか?」
どうやら俺の辺境伯陞爵についてはまだ耳に届いていなかったらしい。一斉に沸き立ったのを背中で聞きながら、これは余計な口は挟まずにアルセリアさんを相手するしかないな、と見切りをつけた。
ちなみにこの国の貴族(貴族院議員)は、国王陛下を筆頭に五人の公爵、十一人の侯爵、(俺を含めて)二人の辺境伯、五十三人の伯爵までを上院として、八十五人の子爵と百五十四人の男爵とでなる下院までを指してのもので、数えきれないほどいる准男爵や騎士爵は、一応国の貴族名鑑には載るが、厳密な意味では貴族とは認められないのが現状だ。
あと、上級貴族になると複数の爵位を持てる特権もあり、俺の場合は伯爵位もなくなったわけではないので、例えば俺に子供が生まれた場合、その子供に伯爵位を禅譲することも可能となるし、自治領主でもあるので、俺の独断で部下に爵位(さすがに子爵以下だが)を授けることも自由となる。
(権限は凄いんだけどな……)
『辺境伯』と聞いて、一部目端の利く冒険者が目の色を変えるのを横目に、
「お見えになりましたら、ぜひご挨拶したいとギルド長がお待ちしております。御足労をおかけしますが、どうぞこちらへ」
アルセリアさんの案内で、半ば強引にカウンターを廻ったギルド室内へと案内される俺たち。
そんな俺たちをギラギラと野心に燃えた――まあ、冒険者なんてやっている連中は大抵がそうだが――眼で注視する連中の顔をざっと一瞥する、
例えば大手冒険者パーティのリーダーに、爵位をちらつかせて協力させる……という手もあるが。
(――ダメだな)
どいつもこいつも自分の事しか考えていない顔つきだ。
到底、うちの大事な領民のことを任せられる人材ではない。
「――わかった。案内を頼む、アルセリアさん」
「私の事はどうぞアルセリアとお呼びください、閣下」
嘆息しながらアルセリアさん――いや、アルセリアに誘われて、やっとうざったい視線と陰口から解放され、長い廊下を通り、階段を上る俺たち。
それにしてもまあ、十四年間、ここで冒険者をしていたけれど、本部の内側に入るのは、なにげに初めてだな……と、貴族のご威光に苦笑しつつ、黙ってついて行く。
「――あの、半妖精族の私も中に入っていいのでしょうか?」
慣れた足取りで先導をするアルセリアに、エリアスがおずおずと尋ねる。
冒険者ギルドも半分は国の機関である以上、亜人の立ち入り規制はあるのでは? という意味の質問だろうが、アルセリアは振り向きもせずにあっけらかんと、
「ここは『来る者を拒まず、去る者を追わず』がモットーの冒険者ギルドですから」
暗に国の意向なんぞ関係ないと断言するのだった。
「それに第一、うちのギルド長は……」
「――ああ、そういえば噂に聞いたことがあるな。ここのギルド長は亜人だって」
「……さすがはベテランのB級冒険者ですね」
俺の何げない一言に振り返ったアルセリアが、ニヤリと氷のような笑みを浮かべた。
(あー、こりゃ、下手に吹聴するなという脅しだな……)
苦笑して、お互いに腹芸で了承し合いながら、歩みを進めた三階の奥まった部屋の、見た目は何の変哲もないドアをノックするアルセリア。
『入れ』
中からくぐもったまだ若い女性の声が聞こえた。
思わず顔を見合わせる俺とエリアス。
王都の冒険者ギルド長をしているのだから、間違っても子供を御輿に担ぎ上げているだけというはずはない。だいたい俺が冒険者ギルドに入る前から、ギルド長が代わったという話は聞いたことがない。となれば成長しても若い種族ということになるが、代表格の妖精族にしては、この場にいるエリアスが怪訝な表情を浮かべていることから、可能性は低いだろう。
少なくとも妖精族特有の精霊力は感じていないということだから。
ならば――?
「失礼します」
疑問の答えが出ないまま、あっさりとアルセリアがドアを開け、ギルド長室へ手招きで足を踏み入れた俺の目に入ってきたのは、大きなソファに埋まるように座っていた、見た目十二、十三歳ほどの青いドレスを着た、水色の髪をした息を呑むほどの美貌と威圧感を持った少女だった。
「――よく来られた、イラディエル辺境伯閣下」
ニッと、その美貌には不釣り合いな肉食獣のような笑みを浮かべて、ソファから立ち上がる少女。
「お初にお目もじかないます。当冒険者ギルドを預かるシュゼット・メリュジーヌ・ルフェーヴルでございます」
そう言って完璧な所作で一礼をする彼女の頭に角が、スカートの裾からはトカゲのような尻尾が生えていることに、俺はようやく気付いた。
「……メリュジーヌ……水と鋼と豊穣を司るドラゴン……!」
同時に、エリアスがあえぐようにそう口にした言葉の内容に、顔を上げたシュゼット嬢(?)が、再度、剣呑な笑みを浮かべた。