第十話 貧乏領主フリードの出立
【領主着任:65日目。王都(貧民街・ドブ板通り)】
王都から領地に戻るのは、結局のところ八日後のことになった。
エルメンヒルトの都合さえつけば、明日にでも帰れるのかと思っていたのだが、意外と借金の一本化に時間がかかったことと(この機会に出し渋ろうとした商家や、俺が辺境伯になったことで万一に備えて貸しとして残そうとした貴族などがあったらしい)、貴族院議員としての報酬が支払われるということで(なんと、半年分で金五百枚だった。年ごとに報酬は上がるというので、下手をすれば黙っていても10年で借金を清算することができるかも知れない)、その間、A級とB級冒険者として仕事を請け負い、なんだかんだあって遅れたわけだが、必要な手続きだと思えばなんということはない。
予想外だったのは、思ったよりも荷物が多くなったので、うちの駄馬一頭では持ち切れず、エリアスの提案で、冒険者として稼いだ金で若い牡牛と牝牛を一頭ずつ購入して、これに分けて荷物を持たせたせることになったこと。
「牛が一頭いるのといないのでは大違いですから」
ご満悦のエリアスだったが、牛を購入したのはぶっちゃけ金がないからである。
本当なら馬が欲しいところだが、よほどの年寄り馬でなければ馬は高くて手が出ない。
おまけに馬というのは飼葉が必要なのだが、牛に比べて十倍は食べる。
半分農耕馬のうちの駄馬と違って、貴族が乗るような馬には専用の厩務員も必要である。
ということで、断念して牛二頭を買うほうがお得だという結論に達して、牛を選択した訳だ。上手くいけば、子牛が生まれてミルクにもありつくことができるだろう(ちなみにうちの領内では牛は飼ってない。山羊を数頭放牧している程度である)。
「ひ、ひひ……ひひひひひ、ほ、ほほほ、本日はお日柄も良く……ひひひ……」
愛想よく笑っているのだが、どうにも葬式の挨拶をしているようなヘルミが、中型のナップザックを背負い、巡礼者がよく持つ杖を突いて、いつものフード付き外套を羽織って同行するために集合場所に現れた。
「ああ、よろしく頼む」
「時間がかかると思いますが、よろしくお願いします」
俺とエリアスが挨拶を返すと、「よ、よ、よろしく。旅は……慣れてる」と、どーにも覚束ない、風に揺れる木の枝みたいなフラフラとした姿勢で、そう答えるヘルミ。
「どぅも、皆さん、準備は万端ですねぇ」
旅装のエルメンヒルトが苦笑しながら一同を見回す。その背後には、馴染の半人半馬族であるケイローンのほか、男女五人の半人半馬族が、背中に荷物を括り付けて従っていた。
「こっちは輸送部隊の隊員の一部だ」
ぶっきら棒なケイローンの紹介に、五人とも警戒もあらわに無言で軽く黙礼をする。
「あ~、すみません、イラディエル辺境伯。皆さんシャイなものでぇ」
引っ込み思案というよりも、どうみても貴族や普人族に敵意や隔意がある態度だが、まあここまではいい。
俺はヘルミの隣にいる、頭に幅広の帽子をかぶり、顔全体を黒死病除けのマスクで隠した見覚えのない人物へ視線を向けた。
線の細さや着ているものからして女性のようだが、一切、説明を受けていないのだが?
「……あ~、そちらは……?」
聞きたくないけど、聞かないわけにはいかないので尋ねる。
「し、し、し、し、知りたい……?」
待ってましたとばかり身を乗り出すヘルミ。
いや、できれば知りたくないのだが……。
「あ、あっちは、わ、わ、私の知り合いの、の、の、錬金術師のコ、コ、コ、コーバ……コーバ・バンニンク。い、一緒にいくからよろ、よろしく……」
いや、当然のように言われたけど、いま初めて聞いたんだが?
ちなみに錬金術師というのは魔術師と薬師の中間のような存在で、魔術師ほど魔力はない代わりに薬師には作れないような、ポーションやヤヴィ薬を作れる商売をしている連中である。
紹介されたコーバ・バンニンクという錬金術師は、俺の視線に応えるかのように、
「けけけけ、けけけけけけけっけけけけけけけけけけっ、けーっけけけけけけけけけけ!」
狂ったように笑い出した。
「『初めまして辺境伯閣下、お会いできて光栄です。どうぞよろしくお願いします』と、い、い、言ってる」
ドン引きする周囲をよそに、ヘルミが通常運転という感じで通訳する。
「……いつも、こんな感じなのか?」
「そ、そ、そ、そ。彼女、シ、シ、シャイだから。そ、そ、そっちの半人半馬族たちと、お、同じ」
ヘルミの紹介に、思いっきり嫌な顔をする半人半馬族たち。
「み、み、見た目はちょっとアレだけど、う、腕はいい。薬飲んでいる間は……」
「……それは、薬中というものでは?」
呻くエリアス。
「フリード、お前の知り合いには、変わったのが多いなぁ」
そんなありさまを見て、しみじみと語る『啄木鳥の巣穴亭』のオヤジさん。
こちらも冒険者時代の旅装に身を固めて、ついでに足代わりの驢馬を引いて立っていた。
どう見ても見送りに来た格好ではない。
「つーか、オヤジさんもなんですか、その格好は?」
「ああん? お前が言ったんだろう? お前んところの領地に店を持つから、『目抜き通りに場所を提供しますので、ぜひお願いします』って。それとも、あれゃ、出鱈目だったのか?!」
そう言って凄まれたが、
「いや、言いましたけど。まさか帰りの足で、一緒に来るとは思いませんよ!」
「相変わらず固えなぁ。冒険者なんて、フットワークの軽さが信条だろうに」
当然の反論を軽くいなすオヤジさん。
「ははははっ、この人はなんでも即決だからね。フリード、あんたもそれはよく知っているだろう?」
もう一匹の驢馬に荷物を積んだ中年女性が、カラカラと笑いながらオヤジさんの肩を持つ。
「フランカ姐さんも、それでいいんですか?」
オヤジさんの奥さんで、冒険者パーティ時代はサブリーダーだったフランカ姐さんにもそう確認するも、「もちろん」という打てば響くような答えが返ってきた。
「店の方は娘夫婦で十分に回るからね。かといって楽隠居する年でもないので、ここらでもう一花咲かせたいと思っていたのさ」
現役時代と変わらぬ、はっきりした物言いに俺は説得の言葉を諦めた。
「……大工もなにもいないので、さすがに着いてすぐに店は作れませんよ?」
「ふん。お前の屋敷の厨房が開いているんだろう? だったらしばらくは間借りさせてもらうさ」
最後の抵抗でそうオヤジさんに注意するも、当然、予想していたという口調で即答された。
「貴族のお抱えシェフなんぞ、そうそうなれるもんじゃないからな」
「出世したもんだね」
夫婦揃ってお気軽に笑う。
「――で、お前らは?」
そして最後に、顔なじみの冒険者たち鬼人のカルロを筆頭とした、十五人ほどの冒険者たちを見回す。
「いや、フリードのところで手つかずのダンジョンができたんだろう? だったら俺たちもそっちに移住しようかと思ってな」
代表してカルロが答えた。
「いや、俺のところの領地には冒険者ギルドも何もないんだが……」
「だからいいんじゃねえか。王都周辺のギルドだと、俺らみたいな半端者は獲物が取り尽くされた朝や夕方、下手すりゃ危険な夜にダンジョンに潜らなきゃならないだろう?」
頷く冒険者たちのほとんどが、一般的に白い目を向けられる亜人や魔族で構成されたパーティである。
「だけど、そこでは大手を振って昼間っから、獲り、潜り放題なんだろう?」
「……その代わり、ギルドの貢献度は増えないし、獲ってきた素材や魔石も売れないが」
「あら、それならマルガリータ商会で買い取りますよ」
そこへ口を挟んできたのは、エルメンヒルトである。
「今後、街道が整備されれば当然、支店も出店しますし、当面は半月から一月を目安に、近隣の町から行商をだしますのでぇ、まあ、お値段は勉強させていただきますが、それなりにぃ、足代を含めての金額での買取ですが」
その言葉に沸き立つ冒険者たち。
「いやそんな安請け合いをして大丈夫なのか!? 街道の整備だってかなりの費用がかかるはずだぞ」
少なくとも金貨五千枚は必要だろう。
「いや~、馬が通れるくらいの道なら、多分、すぐにできると思うんですよねぇ」
そういって思わせぶりに半人半馬族たちのほうを見るエルメンヒルト。
「ふん、現地を確認しないことには、いくらお嬢が見込んでも、何とも言えませんね」
それを受けてケイローンが鼻を鳴らす。
ふむ、移民がどうこう言っていたが、もしかして半人半馬族なのか? 確かに半人半馬族たちが行き来するなら、自然と道も踏み固められて労せずに街道っぽくはなるだろう。
ともかくもすでに外堀は埋められているわけだ、この際、全員でボロ船に乗ってもらおう。
「わかったわかった。思いがけずに大所帯になったが、うちの屋敷は空き部屋が山ほどあるので、このくらいの人数なら宿屋代わりに使えるだろう。しばらくは不自由をかけると思うが、頼めるか?」
俺の言葉に喝采が起きた。
ともあれ、王都に来たときはエリアスと駄馬一頭だったのが、帰りはそれにプラスして牛二頭に、邪教の女司祭、怪しげな錬金術師、魔族の商人に護衛の半人半馬族が六人、元冒険者の料理人と女将さん、知り合いの冒険者が十五人という大所帯での帰路となった……と、思ったらあにはからんや。
王都の門を出たところで、小汚い格好をした十代前半と見える少年が、縋りつくようにすり寄ってきた。
「お、おじさん! おじさんはA級冒険者で、貴族様なんだろう!?」
「誰がおじさんだ! おれはまだ二十代だぞ!!」
二、三歳の子供に言われるならともかく、十代の小僧におじさん扱いされるいわれはない!
「お、おれ、イネス姉貴の弟分でエド、エドガルドっていうんだ」
聞いちゃいねーし……つーか、汚い麻の貫頭衣の首から覗く木製のペンダントみたいなのは、確か――。
「……F級冒険者か」
よくよく見れば背中に石でできた剣を背負っている。
「そ、そうだよ! なあ、おじさん、俺らもイネス姉貴みたいに雇ってくれよ!」
だからおじさん言うな!
「断る。イネスは目端が利いて頭の回転も良かったから仲間にしたが、実力もわからない、口の利き方も知らない子供を雇うほど酔狂でも、余裕もない」
そう言い切る俺の言葉に続けて、仲間の冒険者たちの、
「そうだぞ、無茶を言うな餓鬼が!」「俺らでもAランク冒険者と肩を並べて戦えるなんて、そうそうできないんだからな!」「お前らみたいな餓鬼は、小銭を貯めてさっさと別な仕事につけ」「Fランクなら、Fランクらしく、気楽に薬草取りでもやってろ!」
叱責の声があがる。
もっとも厳しい口調とは裏腹に、さっさと冒険者なんてヤクザな仕事はやめて、真っ当に働けという示唆を多分に含んだ思いやりだったが。
と、さすがにひるんで涙目になりかけたエドだが、最後の『Fランクらしく、薬草取りでもやってろ!』の声に、キッと反抗的な目を見据えた。
「それで生きていけるんだったら、俺たちだって頑張れるさ! だけど新しいボスになった『赤狗ウーゴ』の奴は、俺たちの稼ぎを根こそぎ取って、年頃の女の子を手籠めにして売り払うような下種なんだ!」
その血を吐くような怒号に、さしもの荒くれ揃いの冒険者たちも、毒気を抜かれた表情で顔を見合わせる。
「赤狗ウーゴ? ドブ板通りの縄張りは、前は『頬傷ゴンサロ』が仕切ってたんじゃないのか?」
前にイネスを貧民街から引き抜く際に、口利きをした相手を思い出して俺は首を捻った。
ゴンサロは悪党だったが、損得勘定ができる奴だった。
「ゴンサロは半月前に他の縄張りの連中といざこざを起こして殺されたよ。いまは赤狗の奴がボス気取りだ」
「ふーん、殺しても死ななそうな奴だったが、呆気ないもんだな」
とはいえ、聞く限り今度貧民街を仕切る赤狗ウーゴとやらは、悪党というよりも小悪人という感じだな。
「頼みます。何でもしますから、俺らのことを雇ってください! Aランク冒険者で貴族様に雇われたとなれば、小心者のウーゴならビビッてなにもできないはずなので」
そういって地面に這いつくばって懇願するエド。
「フリード、いいんじゃねえか。どうせ人手は必要なんだろう?」
オヤジさんの一言に、俺も「まあそうですね」と同意した。
途端、エドが期待を込めて顔を上げた。
「もともとFランクの冒険者希望を何人か鍛えて、領地の戦力にできないかと思っていたところですし」
「なら、ちょうどいい。俺と女房とで暇つぶしに鍛えてやらぁ!」
豪放磊落なオヤジさんの安請け合いに、フランカ姐さんも頷いて応じる。
こうなれば反対できる者はいない。
「わかった、まずは荷物持ちとして、俺の領地までついてきてもらうぞ。飯は食わせてやる」
俺の言葉に破顔して立ち上がるエド。
「さすがイネス姉貴が見込んだ兄さんだ! 俺たち、骨惜しみしないで働くぜ!」
途端に『兄さん』になるんだから、現金なものだ。と、思ったところで、
「――ん? 『俺たち』……?」
そういえばさっきから、『俺ら』とか複数形だったな、と今更気が付いた時には後の祭り。
エドの合図に従って、そこかしこから薄汚れた浮浪者の下は七歳くらいから上はエドと同年代程度の少年少女が、ゾロゾロとネズミみたいに現れた。
その数、およそ三十名。
「……おいおい、託児所かよ」
誰かが漏らした声が、全員の総意だった。
「こいつら皆、仲間なんだ。頼むよ兄貴! 俺たち命懸けで頑張るから、面倒をみてくれよ!」
必死に懇願するエドを前に、顔を見合わせた俺とエリアスとオヤジさんたち。
「……ま、ひとりも三十人も変わらん」
いや、それは無理があるだろう、というツッコミが浮かんだが、さりとてここで約束を反故にするわけにはいかない。
「しかたない、その代わり、しっかり働けよ」
半ば自棄で同意したその途端、子供たちが一斉に歓喜の声を上げた。
その間、エルメンヒルトは見送りに来た商店の人間に、なにやら囁いていたが、特に文句を言うことなく俺の決定をうけいれたのだった。
こうして、やたら人数が増えた俺たちは、エルメンヒルトの手配で改めて食料品などを買い足してから、ぞろぞろと連れ立って、遥か俺の貧乏領目指して歩き始めた。
なお、俺たちが出立した直後、貧民街のボスだった赤狗ウーゴとやらは、何者かに暗殺され、その後釜には、まあそれなりにマトモな顔役が就いたという噂である。