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S.O.S!  作者: 如月 望深
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ワンモアチャンス 5

 凪は急ぎ足で英知の祖父の家に向かった。先に英知のところに行くと言っていた玖珂が、いなくなってしまっていたらどうしようとも思ったし、何より早く英知の顔を見たかった。

 英知のいる中庭にたどりついた凪に気付いて、英知は微笑んだ。

「おかえり、佐原さん」

「た、ただいま…」

 自分の家でもないのだが、英知につられてそう返してしまった。そして、英知の隣にいる玖珂を見てほっとする。良かった、まだいなくなっていなかったと安堵する凪の心を読んだかのように、玖珂は凪が帰ってくるのを待っていたのだと言った。

「恩人に礼も言わずに去って行くほど、俺が薄情な男だと思ってるのか?」

 という玖珂の言いぐさに思わず笑ってしまう。

「本当に最後まで世話になって、感謝してる」

「玖珂くん…」

「凪、お前と会えて、マジで良かった」

「玖珂くん、私も会えて良かったと思ってるよ」

「ありがとう、凪…」

 最期に玖珂は笑って、それから英知に目を向けた。

「……こんなこと言うのは、本当は悔しいけど。凪を、頼む」

「うん」

 英知は頷いて、凪の隣に立って玖珂を見送った。

 青い空に消えて行く玖珂の姿は眩しくて、空を見上げる凪の目には涙が滲んできた。それが零れ落ちないように凪は奥歯を噛みしめて空を睨み続けた。

 不意に、英知の手が肩を抱くように置かれて、凪はその温もりに緩みそうになる涙腺を必死に叱咤する。

「…大丈夫、玖珂くん、もう行っちゃったよ。もう我慢しなくて、いいから」

 思わずうつむけば、ぽたりと涙が落ちた。それを英知に気付かれたくなくて、凪は手の甲で乱暴に頬をこする。

「俺の前で、我慢しなくてもいい」

 肩を抱くのとは反対の手が凪の手を拘束して、英知は凪が涙を拭くのを阻んだ。

「泣いていいよ。見るなって言うなら、見ない」

 そのまま英知は凪を引き寄せて抱き込んだ。

 遮られた視界と、与えられる温もりと。

「よく頑張ったね、佐原さん」

 耳元で囁かれる優しい声と。

 すべてが凪の涙腺を決壊させた。堰を切ったように凪は泣き出して、優しく髪を撫で、背中をさする英知にすがった。

 自分に抱きついて泣く凪は、英知にとって愛しいばかりの存在に思えた。


「あんた、凪のこと好きだろ?」

 ふと、脳裏に玖珂の声が蘇る。


 ───そうかもね。


 認めてしまえば、案外と楽なものだった。



 ひとしきり泣いて、泣き疲れた凪を英知は縁側に座らせ、温かいお茶を淹れて来てくれた。お礼を言ってそれを受け取り、温かなお茶に凪は息を吐き出す。

「…ごめんなさい、醜態さらして、迷惑掛けて」

 凪は年甲斐もなく声を上げて泣いてしまった自分を恥じた。

「いいんだよ。俺なんか、もっとずっと佐原さんに迷惑掛けてる」

 何のことかと凪が首を傾げると、気付いてないなら、まあ、いいんだけど、と英知は曖昧に微笑む。

「少しは落ち着いた?」

「うん、泣いたら、少しスッキリした気がする」

 温かい湯呑みをもてあそびながら凪は頷いた。

「そう、良かった」

 隣に座る英知が優しい笑みを見せる。

「───俺は、泣けなかったから」

 意外な言葉に、凪は湯呑みに落としていた視線を上げた。思わず見やった英知の横顔に、それほど悲しみや痛みは見えずに少し安堵する。

「……それ、は…、直緒さんの時……?」

 訊いてもいいものかと迷ったが、訊いてはいけない時は、英知は自分からは言い出さないだろうから、今は訊くべき時だと凪は判断した。

「…そう。泣くタイミングを逃して、ちゃんとお別れできなかったから、今でも引きずってるんだろうなって、思う」

 意外だった。英知がこんな風に直緒のことを話すなんて。今までは、直緒の話題を極力避けているように思えたのに。

「あの時、俺が直緒を花火大会に誘ったんだ」

 直緒は、もともと心臓を患っていて、中学三年の初めは学校に出席していたが、夏前に体調を崩して入院した。英知が花火大会に誘ったその頃は、直緒の体調は一進一退を繰り返していて、その日は体調がいいと直緒が言っていた。前から直緒が花火大会を楽しみにしていたから、直緒の両親と、主治医に頼んで、花火大会が始まる夜7時から8時までの一時間だけ外出を許可してもらった。

 直緒は花火大会に嬉しそうにはしゃいで、楽しい時間を過ごした。

 けれど、その三日後、彼女は息を引き取った。

「……あんなこと、言い出さなければよかったと後悔した」

 花火大会の日に無理をしたから直緒の容体は悪化したのだと英知は考えた。だが、直緒の両親は英知を責めなかった。今思えば、おそらく直緒はもう長くはなかったのだろう。だから、直緒の両親も主治医も、直緒の我儘を止めなかったのだろう。

 英知の謝罪の言葉は、直緒の両親には受け入れられなかった。「いいのよ、英知くん。あの子は幸せだったと思うわ。ありがとうね、英知くん」と逆にお礼を言われてしまった。

「だからせめて、直緒には謝りたくて」

 彼女が息を引き取った直後も、通夜も葬儀の間も、ずっと彼女の姿を探した。

「だけど、彼女は俺の前に現れることはなかった」

 直緒は英知の力を知っていたわけではないが、きっとどこかにいると思った。

「俺は、直緒は当然俺に会いに来てくれるものだと思っていた」

 死んだ人間の魂がこの世に残るのは、未練だ。本当は未練など残さずに潔く逝くほうがいいのかもしれない。けれど、心のどこかで、直緒は自分に未練を残してくれるものだと思っていた。

 そうして、彼女が自分の前に現れてくれれば、謝ることができる。感謝の言葉も伝えられる。ずっと一緒にはいられなくても、最期のお別れは出来る。

「結局、彼女が俺の前に姿を見せることはなくて、そのままずっと、踏ん切りがつかない」

 自分の力を当たり前に受け入れていた英知にとって、死の瞬間は永遠の別れではなかった。だから、直緒ともまた会えるからという甘い考えがあったのだろう。

 本当は、彼女が亡くなった時に、きちんとお別れをしておくべきだった。死者の魂に期待などせずに。

 そうすれば、感じる気配に、聞こえる声に、彼女を探し続ける必要などなかった。

 もうとっくに別れの時は来ていたはずなのに、そのタイミングを自ら失って、泣くことも出来なくて、行き場のない想いが心にくすぶっている。蓋をして、海の底に沈めるように、深く深く封印してきた。大丈夫、大丈夫、まだ笑える、と自分に言い聞かせて、笑顔の裏に押し隠してきた。

「……桜沢さん……」

 凪の手が、そっと英知の手に触れる。

 その手を握り返して、やっぱり自分は凪に甘えているのだと自覚する。隠してきたものを、残酷なまでにあっさりと見破り、こうして無条件な優しさをくれる。こんな話をしたのも、きっと凪に聞いて欲しかったからだ。不甲斐ない自分を、許して欲しかったのかもしれない。

 だからこそ、もう一度会いたいと願う。


 ───直緒、君は、俺がこの子を好きになることを、許してくれるだろうか?

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