ラスト・サマー 1
夏休みの校庭では陸上部とソフトボール部が汗を流していた。体育館にはバレーボール部とバスケットボール部とハンドボール部のボールの音が聞こえる。体育館の脇の道場では柔道部と剣道部が、その隣の講堂では新体操部と卓球部が練習に取り組んでいた。道場の裏手には弓道部の練習場、その隣にはアーチェリー部の練習場。音楽室では吹奏楽部が演奏し、部室棟の一角では演劇部が発声練習をしていた。
夏休みだというのに、学校のいたるところに生徒の姿がある。
そして、グランドの脇にあるテニス場にも生徒の姿が見える。
「集合!」
キャプテンの掛け声に、姫乃木女子大学付属高校テニス部の生徒たちが集まってくる。インターハイ予選のあと引退した3年生に代わり、今は2年生が中心となって部活動をしている。
「夏休みの間、コーチをつけることにしたよ」
キャプテンの言葉に、皆顔を見合わせた。キャプテンはコートの外に向かって手を振った。すると、テニス場の入り口から3人の若い男が入ってきた。
「私の従兄。W大のテニスサークルなの」
男の一人を紹介した。残りの男たちも同じサークルなのだという。男子大学生たちにコーチしてもらえるとあって、女子高生たちのテンションは上がる。
「あれ、一人足りなくない?」
聞いていた人数と違うのでキャプテンは首を傾げた。
「あれ、さっきまで一緒にいたのに、どこに行ったんだ?」
見回すと、テニス場の手前で若い男が教師らしき女性と親しげに話していた。
「英知!」
名前を呼ぶと、男は顔を上げた。
「じゃ、広瀬先生、またね」
一緒にいた女性に手を振って男はテニスコートに入ってきた。
「ごめん、ごめん」
その顔を見て、何人かの生徒が声をあげる。
「広瀬先生のカレシ!」
「違います」
即答。
「え、じゃあ、フラれたの?」
「フラれてません。てゆーか、フラれるようなことしてません」
え?なになに、どーゆーこと?と興味津々な女子高生たちに英知は微笑して答えた。
「俺はただの伝言係だから」
「えー、そうなの。なんだ」
期待外れな答えに心なしか不満そうな女子高生たちだった。
キャプテンが自己紹介を促して大学生たちが自己紹介した。テニス部キャプテン牧野 千早の従兄、W大1年牧野 大樹、同じく1年林 健吾、相葉 雄太、そして桜沢 英知。
「さ、練習始めるよ」
キャプテンの声でテニス部員たちはコートに散らばりストローク練習を始めた。テニスコートにボールの音が響く。
「あの子、上手いね」
練習を見ながら英知が一人を指差した。彼女は俊敏な動きでボールを追っていた。
「ああ、凪。佐原 凪です。あの子、うちの部で一番上手いんですよ」
キャプテンが教えてくれた。
「ふうん」
彼女の相手を務めていた子がミスショットをして、ボールが英知の足もとに転がってきた。そのボールを英知はラケットで拾い上げ、軽く凪に向けて打った。バウンドしたそのボールをそのまま凪は打ち返し、ストローク練習を再開した。
部活中は真面目に大学生たちの指導を受けていた女子高生たちも、部活が終わると若さ溢れる女子になる。大学生たちに興味津々に質問を繰り出す。
「みなさん、彼女はいるんですか?」
一人が訊くと便乗して他の子も大学生たちに好奇の目を向ける。残念ながら全員が「いない」と答えた。
「じゃあ、どんな子が好みですか?」
私なんかどうですか?といくつか手が挙がる。他の男子は「料理上手」「優しい子」「気遣いの出来る子」などと答えを返した。
英知の答えは、「健康で、強い子がいいな」だった。
「強いの、重要か?」
サークル仲間が首を傾げた。女の子の好みを訊かれてこういう答え方をする男は少ないだろう。
「うん。俺、怖がりだから」
「ウソつけ。お前が怖がりなわけあるかよ。ホラー映画だって全然平気だし」
いつも飄々としている英知に怖いものなどないように思えた。サークル仲間でホラー映画の鑑賞会を開いたことがあったが、皆が怖がる中、英知は平然としていた。
「ああいうのは平気。好きでもないけど」
英知が怖いのは、そういった作られた恐怖ではなかった。本当に恐ろしいことは、現実の中にある。本当に恐ろしいことは、心の中にあるのだと知っていた。
「先生、さよーならー」
生徒達が部室の前を通り過ぎる女性に声をかけた。
「さようなら。気を付けて帰るのよ」
広瀬が生徒たちに手を振って応えていた。
「あ、俺、帰るわ」
「え、この後どっか寄って行こうかって話してたんだけど」
「今日はいいや。じゃ、また明日」
英知はそう言って皆の輪を抜けた。そして広瀬のもとに駆け寄って行く。
「広瀬先生、うち寄ってくよね? 一緒に帰ろう」
頷いた広瀬と英知は肩を並べて歩き出した。二人の後ろ姿を女子高生たちは興味津々に見ていた。
そんなことは知らない二人は揃って正門を出て行った。
「いいの? 一人だけ帰ってきちゃって」
気を遣う広瀬に英知は頷く。もう練習は終わったから、と答えた。
「それに、俺も一色先生のお墓参りしたかったし」
実は英知がテニス部の練習前に広瀬と話していたのは、一色のお墓参りに行くという話だったのだ。練習が終わったら一緒に行こうと約束していた。
「先生、一色先生のお墓参りするの初めて?」
「うん、何かね、決心つかなくて。でも、そろそろ現実を受け止めないとね」
悲しそうに微笑む広瀬に英知は頷いた。
「でも、まさか一色先生のお墓がうちにあるなんてね。知ってたらもっと早くお参りしてたのに」
英知は知らなかったのだが、一色の家は永祥寺の檀家だったのだ。藤瀬高校の恩師に頼まれて、生物室から成仏できずにいた一色優作を見送った後、英知はそのことを頼まれた当の本人である住職の父に話した。それを聞いた父から一色家が檀家であり、優作もその墓に葬られていることを教えられたのだった。
父から場所を聞いていた英知の案内で広瀬は一色の墓の前に立った。持参した花を手向け、線香をあげる。二人は手を合わせて一色の冥福を祈った。
2009年初稿、2019年改稿。
過去作品を、ほぼそのまま載せているので、今思えば不自然な記述や未熟な展開もありますが、それでも、その時書きたかった内容ということで、そのままにしています。