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S.O.S!  作者: 如月 望深
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黄昏のミラージュ 5

 それから、どれくらいの時間が流れただろう。生物室に差し込む西日は次第に傾きを増し、教室内を淡いオレンジ色に照らし出していた。

 やがて、広瀬は涙を拭ってまっすぐ前を向いた。

 それを見計らったように、彼女の背を誰かが軽く叩いた。見ると、広瀬たちから離れて教室の入り口にいた英知が傍らに立って優しく微笑んでいた。

「気が済んだ、先生?」

 広瀬は頷いた。

「充分泣いたわ。もう大丈夫よ」

 人に泣き顔を見られるなんて、大人になってからはなかったので広瀬は少し恥ずかしいような気もしたが、しかしこの青年はどこか自然と心を和ませてくれた。

「強いね、先生は」

「だって私は生きているから」

 広瀬の言葉に英知は沈黙した。英知は少しうつむいて目を伏せた。彼女の強さが英知に自分のことを考えさせた。後ろ向きな想いを、いつまでも抱き続けている自分…。

 そこへ、ドアを開けて小林が入ってきた。

「どうだ、英知?」

 英知は顔を上げて答えた。

「あ、うん。広瀬先生が一色先生の願いを叶えてくれたから」

 英知は、まだ涙の痕が残る広瀬を見やった。そして小林に向き直った。

「一色先生は成仏したと思うけど、一応気休めにお経でもあげとく?」

「え? ああ、そうだな」

 お寺の住職の息子にお経を気休めと言われて、小林は何だか意外な感じを受けた。それが伝わったのか、英知は微笑する。

「お経は、生きている人のためにあげるものだから」

 英知は一色が立っていた場所に向かって手を合わせ、目を閉じた。そして、静かに経を唱え始めた。彼の口から流れ出す朗々とした経の響きに、広瀬も小林も手を合わせて目をつぶり、一色の冥福を祈った。



 小林に別れを告げて、広瀬と英知は藤瀬高校をあとにした。正門を出て広瀬が振り向くと、自分が通っていた頃と変わらぬ校舎が静かに佇んでいた。西の空に沈んで行く夏の太陽が、白い校舎を朱とオレンジを混ぜたような色に染め上げていた。窓ガラスに反射する黄金の光が、一色の最期の輝きを思わせた。

 高校の正門のある通りを歩いて行く英知の背中を追うように広瀬は歩き出した。広瀬はこのあと自分の学校に戻る予定だ。

 英知に追いついた広瀬は、しばらくは無言でいた。お互いに最近まで知らなかったのだし、一色だけが二人の共通の話題のように思えたが、まだ一色のことを思い出話にはできなかった。並んで歩いているのも英知の家がたまたま広瀬の学校と途中まで同じ方向だからだ。

 ふと思い出して、広瀬は隣を歩く英知に疑問を投げ掛けた。

「そういえば、私、今まで霊なんて見たことなかったんだけど、どうして一色先生は見えたのかしら」

 その疑問に英知は簡単に答えを与えた。

「あ、それは俺のせい」

 自分を指差す英知に広瀬はどういうこと?と首を傾げた。英知は広瀬に「なんて言ったらいいかなぁ」と頭を掻いて説明の言葉を探した。

「霊感のお裾分けって感じかな」

 まだ疑問顔の広瀬に英知は説明を付け加えた。

「霊の姿が見えるとか声が聴こえるとかっていうのは、視覚や聴覚が見たり聴いたりしてる訳じゃない。霊が見える感覚をよく第六感て言うでしょ。上手く言えないけど、その存在を気配で見るって言うか、普通の感覚器官とは違うところで感じてるんだよね」

 視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、そのどれでもない感覚。その姿は目に見えるもののように視界にあるけれど、しかし光がなくてもその姿は感じ取ることができる。その声は耳に届くけれど、しかし空気の振動を伝えられてはいない。触れることはできても、そこには存在しないはずのもの。それらを感じ取る感覚。

 自分の持つ不思議な感覚を言葉にするのは難しかった。何とかその感覚を伝えようと英知は言葉を考えつつ話した。

「その感覚には、たぶん個人差があって、その感じる量が広瀬先生は少なくて、俺は多い」

 その感覚が多いことを、霊感が強いというのだろうと英知は考えている。

「俺はその感覚を、一時的にだけど、人に分け与えることが出来る。普段、霊を感じない先生に一色先生が見えたのは、俺の感覚を一時的に広瀬先生に分けたからだよ」

「そんなことが出来るのね」

 驚いたように広瀬は言った。

「まあね」

 英知は頷いてから大きなあくびをした。それから大きく伸びをした。英知の左手首にはめられた淡いブルーの石で出来た数珠が、斜めに射し込む西陽を反射した。

 学校に戻る広瀬と別れて、英知は帰路に着いた。



「ただいま」

 家に帰った英知に、寺の住職である父親が声を掛けた。

「学校の幽霊はどうなった?」

 彼が依頼を受けた張本人であった。

「うん、解決したよ」

 それだけ答えると英知はまっすぐ自室へ向かった。

 部屋に入ると英知はベッドの脇に荷物を捨て、そのままベッドに倒れ込んだ。瞼が自分の意志では支えられないほど重たくなってきた。

「疲れたぁ…」

 それだけ呟くと、英知は眠りの淵に急速に落ちていった…。

2007年初稿、2019年改稿

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