ラブ・ファントム 1
本堂の前に立ちつくしたまま、英知は門まで続く石畳の先に視線を送っていた。その背中が門を出て行くのを見計らったかのように、父親が声を掛けた。
「なあ、英知、お前は、どう思う?」
「―――もし、あの話が本当だとしたら、早くやめさせたほうがいい」
父親に向けられていた視線はすぐに足元へと落とされて、くるりと父親に背を向けた英知は歩き出した。
自分の部屋で全身鏡をチェックして、出かけようと玄関へ向かっていた凪は、水を飲みにキッチンへ降りてきた姉に見咎められた。
「…凪ちゃん、なに、その格好…?」
「え? 何か変?」
思いがけない姉の反応に凪は首を傾げた。スキニーのデニムパンツにチェックのシャツワンピ、そしてムートンのベストといういでたちは、別にそれほど変だとは思わない。
「何でそんな女の子と遊びに行くような格好してるのよ?」
「は?」
信じられないっ!と今にも言い出しそうな表情で姉は凪を見つめる。
「だって、今日デートでしょ!? 昨日の夜、あれでもないこれでもないって、普段の潔いほど判断力のある凪ちゃんからは想像もできないほど真剣に服決めるのに悩んでたクセに! なのに、何で選んだ服がそれなのよ?」
「…デートじゃないわよ」
凪の否定の言葉を無視して姉は続ける。
「何で可愛い花柄ワンピとかミニスカとか、もっと女の子らしい格好して行かないのよ!?」
「だから、デートじゃないってば」
そう言って凪は姉を振り切って家を出た。スタスタと足早に駅へ向かって、心の中でひとりごちる。
昨日の夜、さんざん迷ったのは、うっかり花柄ワンピやミニスカでなんか行けないからよ。そんなの着て行ったら、まるで気合い入れてるみたいじゃない。向こうに全然そんな気ないんだから、勘違いしてるとか思われたくないのよ。
デートじゃないからむしろ迷ったんじゃない。
そうよ、全然デートなんかじゃないわ。あの人があんなこと言うから、成り行きで一緒に行くことになっただけよ。
「映画のチケット?」
テニス部の練習のあと、合唱部のステージに協力したお礼としてもらった映画のチケットを凪が渡すと、英知はチケットに目を落として尋ねた。
「一枚だけ?」
そこで、凪はハッと気付いた。
そうだ、確かに私と桜沢さんにって二枚チケットをもらったけど、何も一枚ずつにすることないんだ。なんか、てっきり自分が一枚もらうつもりでいたけど、映画に一人で行くことなんてないし、この人に二枚渡しちゃえば、この人が誰か誘って行くだろうし…。
「あっ、もう一枚…」
英知に渡すつもりで凪は持っていた一枚を出した。
「良かった、佐原さんの分もあるんだね」
凪の手にあるチケットを受け取る気配もなく、英知は微笑んだ。
「じゃあ、一緒に行こうよ」
「…え?」
チケットを手にしたまま戸惑ったように凪が見上げると、英知は「せっかく二枚もらったんだし、別々に行くこともないでしょ」と話しを続ける。
「それにこれ、タイトルからして恋愛映画だよね。男一人で見に行ってもね」
言われて凪はチケットを見た。映画のタイトルは『ラブ・ファントム~still love you~』とあり、男女のハリウッド俳優が正面を向いて目を閉じた写真が印刷されている。このデザインでこのタイトルなら、まず間違いなく恋愛映画だろう。
「今度の日曜、部活休みだったよね。何か予定ある?」
「え? 別に、ないけど…」
「じゃ、その日にしよう」
にっこり笑ってそう決定されてしまっては、凪としては断ることもできなかった。一緒に行けない理由があるわけでもなく、一緒に行きたくない理由があるわけでもない。断る理由がないのだ。
…と、そんなわけで半ば強引に決められてしまったのよ。待ち合わせ場所も待ち合わせ時間も、決めたのはあの人なのよ。デートじゃないとはいえ、それで自分で決めといて、何で遅れてくるわけ?
凪は再び自分の腕時計を見て時間を確認した。待ち合わせの時間から5分は経っている。
そりゃ、5分なんて大した遅刻じゃないけど、…待ち合わせの5分前に来たのは私の勝手だけど。だから、計10分待っていることになったって、そんなの勝手に5分前に来た私が悪いんだけど。…だって、相手は年上で、部活のコーチよ、私が遅れたりしたら悪いじゃない。
時計を見つめたままブツブツと心の中で文句を言っていたら、不意に人影が現れた。
男の顔が突然目の前に現れて、驚いた凪は危うく相手を殴りつけるところだった。留まったのは、それが待ち合わせの相手だと気付いたからだ。
「…ビックリした。何で急に現れるのよ?」
「え? 俺、普通に来たし、ちゃんと佐原さんの名前も呼んだよ」
佐原さん考え事してたみたいで全然気づいてなかったみたいだけど。と英知は首を傾げて凪の顔を覗き込む。
「ごめんね、佐原さん、遅刻して」
ちょっと出がけに父親に捕まっちゃって、と英知は手を合わせて謝った。
「別に、いいわよ、5分くらい」
と凪は視線を外した。
って、これじゃあまるで、スネてるみたいじゃない、と慌てる凪を気にする様子もなく、英知は凪を促して歩き出した。
暗いスクリーンに、夜の教会が映し出される。カメラが教会のステンドグラスに寄って行く。青を基調としたステンドグラスに、タイトルの『Love Phantom』が現れ、甲高い音とともにガラスが割れて散っていく。
再び暗転したスクリーンには、夜明けの街が写される。明かりの少ない暗い街に、次第に朝陽が差してくる。明るくなった街にカメラが降りて行くと、街にはいくつもの喧騒が存在していた。その声が拾い上げられ耳に届く。
「また戦だってさ」
「バーンドルフ様のとこの御子息も出兵するらしいよ」
「お気の毒に。先だってご婚約されたばかりだっていうのに」
喧騒と人込みを女性の息遣いが駆け抜ける。足元はドレスをたくしあげて一生懸命に走る。彼女の長い髪がなびき、美しい横顔が映し出される。ヒロイン、アデレイドだ。
「クリス!」
彼女の声に、馬に乗ろうとしていた男──アデレイドの婚約者、クリストフ・バーンドルフが振り返る。
「アディラ、見送りに来てくれたのかい?」
「当たり前じゃない、見送りに来ない婚約者がどこにいるっていうの?」
走ってきたアデレイドをクリストフは抱きとめる。アデレイドは自分の首からロザリオを外すとクリストフの首に掛けた。
「あなたの無事を祈っているわ。必ず帰って来てね」
「約束する。必ず帰ってくる。君を一人にしないと誓うよ」
二人は見つめあい、口づけを交わす。
そして、馬上の人となったクリストフは、アデレイドにしばしの別れを告げて戦場へと向かった。
戦は困難を極め、クリストフの所属する部隊は苦戦を強いられる。数人の味方とともに追いつめられたクリストフは、必死で敵に抵抗するが、敵の剣に倒れてしまう。とどめを刺そうとする敵から逃れようと後ずさったクリストフは、崖に飲み込まれる。
ふと、冷たい地面に横たわったクリストフが目を開けると、誰かの気配があった。目の前に足が見える。動かない体を少しだけずらして見上げると、そこには、銀髪に金色の瞳の黒いマントの男が立っていた。
クリストフの視線と、男の視線がぶつかった。
2009年初出




