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S.O.S!  作者: 如月 望深
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セイレーンが聴こえる 3

 ステージから降りてきた女子生徒と男に、部員たちは一斉に目を向けた。女子生徒が茶色がかった長いウェービーヘアーに手を掛け、それを引っ張ると、黒い真っ直ぐな髪が現れた。彼女の顔に、部員たちはざわつく。声の主である愛音だと思っていた少女は、まったく別の少女──佐原 凪だったのだ。

「…どういう…こと…?」

 困惑し、混乱する他の部員たちに理子は頭を下げる。

「すみません、驚かせて。実は、今のには仕掛けがあるんです」

「…仕掛け?」

「はい。先日、偶然愛音先輩の歌声が入った音源を見つけたんです。でも、あんまり音が良くなくて、音響の勉強をしている桜沢さんに相談したんです」

 理子の視線が英知に向けられる。

「藁科さんから愛音さんと今度のステージの話を聞いて、この音源を使って愛音さんをステージに立たせることを提案したんだ」

 英知が理子の話を引き継いだ。

「歌声は、少し操作すれば、みんなに聞いてもらったみたいに本当に歌っているように聞こえる」

 先ほどの歌声を思い出して、部員たちはこくりと頷いた。

「愛音さんの役は、背格好が似ているという佐原さんにお願いしたんだ」

 英知が部員たちを見回して、にこりと微笑む。

「みんな、愛音さんが歌っているように思ったでしょ?」

 確かに、今ここで見る凪は、愛音とは全くの別人だが、ステージ上で栗色の長い髪の少女が高らかに歌っている様子は、いないはずの愛音が本当に帰って来たのかと思ったほどだった。

 部員たちは顔を見合わせ、互いに頷きあった。

「確かに、この方法なら、愛音をステージに立たせてあげられるけど…」

 前部長の奏恵が理子を見やる。

「本番も佐原さんに愛音の役を頼むの?」

 部員の中から愛音役を出してはどうかと奏恵は提案したが、理子は首を横に振った。

「愛音先輩役は口パクですから。先輩方には最後の舞台でちゃんと歌って欲しいし、私たち後輩も、先輩たちと一緒に歌いたいので…凪にお願いしようと思ってます」

 理子は凪に向き直り、やってもらえるかな?と問いかけた。

「私でいいなら」

 笑顔で答える凪に、合唱部のメンバーたちは安堵の笑みをこぼした。



 部員たちが帰った講堂には、英知と凪に理子、そして愛音が残っていた。

「名演技だったね、藁科さん」

「いえ、桜沢さんほどでは」

 英知に言われた通りに愛音をステージに立たせる方法を部員たちに無事説明し、了承を得られた理子は笑顔で答えた。


「お願い、私の最後のわがまま。あのステージに立ちたいの」

 そう愛音に哀願されて、理子は考え込んだ。愛音を姫音祭のステージに立たせることは、自分たち合唱部みんなの夢でもある。でも、すでにこの世にはいない愛音を、どうやってステージに立たせたら良いのか…。そこで、ふと理子は気がついた。

「桜沢さん、もしかして、桜沢さんが触れば、みんな私と同じように愛音先輩の歌が聞こえるようになるんですか?」

 理子には愛音の歌声はかすかにしか聞こえなかったのだ。姿など見えてもいなかった。けれど、友人の凪が連れてきたこの男に肩を軽く叩かれた瞬間から、愛音の歌声がはっきりと聞こえ、姿もしっかり見えるようになった。

 その問いに英知は薄く微笑み、「まあ、そんなとこ」と答えた。

「じゃあ、姫音祭も、みんなに愛音先輩の歌を聞いてもらえるかも…!」

 自分の思いついたことに理子は自分で興奮してきた。この人の協力があれば、無理だと諦めていたことが実現できるかもしれない。

「藁科さん、姫音祭のステージって何人が観るの?」

 だが、理子の盛り上がりとは対照的に英知の声は冷めている。

「え…と、全校生徒です」

「俺に女子高生全員を触って歩けと?」

「あ……!」

 自分の発想に無理があったことに理子は気づいた。英知が触れた者が愛音の声を聞けるというなら、姫音祭で全員に愛音の歌声を聞かせるには全校生徒を英知が触らなければならない。

「女子高に男がいるのだって不自然なのに、触って歩いたら変態でしょ」

「う…、そっか。そうですよね」

 英知の現実的な意見はもっともで、理子にはそれに反論する余地はなかった。となると、やはり愛音をステージに立たせるのは無理なのだろうか。

「でも、桜沢さんが触らないと、みんな愛音先輩の声は聞こえないんですよね…」

「……──いや、そうでもないかも…」

 口元に手を当てて英知は目を伏せた。講堂のパイプ椅子に座って足を組んでいるから、まるで「考える人」のポーズだと凪は思った。

 ふと英知が顔を上げ、隣に座っていた凪を見つめた。

「佐原さん、ちょっと実験に協力して」

 言うや否や、英知は凪の手を取った。何?何するの?と問おうにも、ぎゅうと手を握られて真剣な瞳で見つめられたのでは声も出ない。

 英知の視線が凪から外され、凪の後ろに立っていた愛音に向けられた。

「愛音さん、何か話してみて」

「え? 何かって、何をお話しすれば?」

「今の、藁科さん聞こえた?」

 理子は首を横に振り、聞こえなかったと答えた。今の理子には愛音の姿ももう見えないのだ。それを英知に伝えると、英知は口の端を上げ、都合がいいと呟いた。

 凪の手を離すと、英知は愛音に話しかける。

「愛音さん、歌ってみて。佐原さんの体を借りるつもりで」

「え?」

 戸惑う愛音を無視して今度は凪に言う。

「佐原さんは、愛音さんに体を貸すつもりで歌ってね」

「え? 歌う?」

「声は出さなくていいから、喉だけ震わせる感じで」

 英知の言うことを理解できないまま、愛音と凪は顔を見合わせた。それから、すうと息を吸った凪に合わせて愛音が歌い出す。


   たとえ 触れられなくても

   わたしは側におりましょう


   あなたを襲い 牙を剥く

   冷たいボレアスに凍えぬよう


   あなたの手をそっと包んで

   震える体を温めましょう


「聞こえた?」

 英知の問いに理子は何度も頷いた。驚いたことに、凪の口から愛音の歌声が聞こえてくる。愛音の姿は見えないが、その歌声だけは鮮明に耳に届く。

「仕掛けは簡単。佐原さんを媒体にして、愛音さんが歌ってるってわけ」

 驚いて互いに顔を見合わせていた凪と愛音にも英知は説明した。この方法なら、英知が触れなくても人に愛音の歌を聞かせることができる。

 この方法を利用して合唱部の部員たちで実験してみようと英知が持ちかけたのだ。うまくいけば、全校生徒にも応用できる。


「合唱部のみんながあの説明に納得してくれてよかったよ」

 実を言うと英知には音響の知識などない。それを突っ込まれたら困るところだった。だが、部員たちは素直にも、愛音の歌声の入った音源が見つかり、それを英知が再生し、凪が愛音のふりをしていたという説明を疑わなかった。

 あの状況では部員たちに愛音の姿は見えないし、英知は自分の力のことをあまり人に話すのは都合がよくなかったので、そういうことにしたのだ。

「でも、大丈夫なの? 本番はあの20倍の人間に聞かせなきゃならないのよ? 今だって、結構しんどいんでしょ?」

 人に感覚を分けたあとは疲れるのだと英知は言っていた。あれだって、凪の体を媒体にしているとはいえ、相当な力を使っているはずだ。

「鋭いね、佐原さん。実は今、持久走のあとみたいな気分だよ」

「…ハーフマラソンより長くなるけど、走れるの?」

 男子の持久走は1500m。その20倍となれば30kmだ。そんなに体力がもつだろうか? いくらテニスで走り回っているとはいえ…。

「やるしかないでしょ。大丈夫、体力には自信があるから」

 二コリと微笑んだ英知に、まったくお人好しな男だと凪は苦笑を返した。

2009年初出

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