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S.O.S!  作者: 如月 望深
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セイレーンが聴こえる 1

 暗い講堂に聞こえる声に、藁科わらしな 理子りこは足を止めた。か細く聞こえるその声は、切なく哀しい調べのようだ。けれども、理子の心を震わせるのは、そこには誰もいないはずなのに、という現実だ。

 みんなが帰ったあとの誰もいない真っ暗な講堂に響く声。恐怖を掻き立てるには十分なシチュエーションだった。

 理子は、部室に忘れ物を取りに行くのを諦めて、一目散に講堂を出て行った。


 翌日、理子は合唱部の仲間たちに昨日の出来事を話したが、姫音祭きいんさいと呼ばれる校内合唱コンクールを控えた部員たちには取り合ってもらえなかった。クラスごとに競う合唱コンクールでは、それとは別に合唱部がステージを行うことになっていた。吹奏楽部に比べて学校内での活躍の場が少ない合唱部にとっては大事なステージだ。

 このステージには6月の文化祭で引退した三年生が参加する。実質、最後の三年生の舞台であり、後輩にとっては三年生と一緒に歌える最後のステージとなる。

 合唱部の伝統として、姫音祭のステージでは三年生の中から一人、ソロパートを歌うことができる。ソロを歌う一人を決めるのは、全員の投票だ。姫音祭のソロは、三年生にとって憧れだ。

 必然的に、部員たちの練習には熱が入る。

 部長である理子は昨日の出来事は気のせいだと言い聞かせて、部員たちと一緒に練習に取り組んでいた。今日から三年生も練習に参加している。

 休憩時間に入ると、三年生たちはソロを誰が歌うのかと小声で話し始めた。

「誰になると思う?」

 前部長ではないか、いやソロパートを任されることが多かったあの子じゃないか、などと囁かれる。

「本当は、愛音あいねに歌って欲しかったけど…」

「ねえ…」

 小さな声はそのまま消えて、彼女たちは口をつぐんだ。

 その時、理子の耳に、またあの声が聞こえた。物悲しく紡がれる旋律。わずかに聞こえるその歌に理子は耳を澄ました。

「ねえ、なんか歌が聞こえない?」

 周りの人に同意を求めるが、みんなは首を傾げるだけだ。

 けれど、確かに聞こえる。メロディも途切れ途切れで歌詞も聞き取れないが、理子の耳には確かに歌が届く。

 音の元をたどれば、ステージの上方に設けられたバルコニー型のステージだ。ソロなどを歌う場合によく使う場所だ。しかし、その場所に人の姿はない。誰もいない場所から聞こえるあの歌は、確かに昨日聞いたものだ。

「やっぱり聞こえるよ」

 理子はそう主張するが、周りは顔を見合わせるだけだ。

「理子、ちょっと疲れてるんじゃない? 練習大変だったし、ちょっと外の空気でも吸ってきたら?」

 前部長の三年生に言われて、理子は仕方なく頷いた。自分以外の人には聞こえないのだ。聞こえないものを聞こえると主張し続けても意味がない。

 素直にアドバイスに従って講堂の外へ出た。

「理子、お疲れ。まだ部活?」

 ちょうど、グランドのほうからクラスメイトの佐原さはら なぎが歩いてきた。

「姫音祭が近いから」

「ああ、合唱部のステージ力入ってるもんね」

 生徒たちにとっても合唱部のステージは楽しみなイベントなのだ。

「…ねえ、凪。霊感とか、強いほう?」

「え?」

 突然尋ねられて凪は身構えた。霊感が強いなどと下手に言えば変人扱いされかねない。だから、凪は人にそんなことを言ったことはない。

「ちょっと来て」

 理子に引っ張られて、凪は講堂へ入って行った。

「なんかね、私にだけ歌が聞こえるみたいなの。疲れてるんじゃないの、って言われるんだけど」

 自分ばかりが聞こえるのは、自分がどこかおかしいのではないかと不安になった理子は、たまたま通りかかった凪に聞こえるか試したいだけのようだった。

「…あ、ほら、また聞こえる」

 理子は耳を澄ますように目を閉じた。だが、凪の耳には何も響かない。

「…どこから?」

 凪に訊かれて、目を開けた理子はステージの上を指さした。そこのバルコニーだと。指に従って視線を上げた凪は、そこに目を固定した。

 そこに、確かに見える。

 自分と同じくらいの年齢の女性が目を閉じて歌っている。彼女が自分とは異なる存在だと、凪は本能で感じ取れる。彼女がもうこの世に生を宿していないことは、友人には姿が見えないことでもわかる。そして、自分に声が聞こえないことでも。

 理子が言うのは、きっと彼女の歌なのだろう。その様子で、彼女が歌っているのはわかった。

 けれど、凪には聞こえない。

 目を開いた女性と凪は目が合った。それに相手も気づいたらしく、歌うのをやめて何か凪に話しかけている。その瞳からこぼれるのは、涙。

 けれど、凪には彼女の声が届かない。

「ねえ、凪、聞こえない?」

 何と答えていいのかわからずに凪は困ってしまった。自分には聞こえないが、見える。だが、理子には彼女の姿は見えない。彼女の必死の訴えも、自分には聞き取れない。

「何て言ってるか、わかる?」

 理子はかぶりを振った。

「なんか歌ってるのはわかるんだけど、歌詞までは聞き取れなくて」

「何か話してない?」

「うーん…聞こえないけど…」

 凪はまたしても考え込んだ。理子に聞こえているのは、きっと彼女の歌だけだ。彼女の言葉は、誰にも届かない。

 その時、凪の脳裏に浮かんだのは、ある人物だった。

 あの人なら、彼女の姿も声も確かに感じて、彼女を天に還すことができるだろう。

「…ごめん、理子、私には聞こえないけど、でも、今度、ちゃんと聞こえる人を連れてくるよ」

 一瞬驚いた顔をした友人に、だからもうちょっと待って、と言って凪は微笑んだ。



 翌日、テニス部の練習が終わったあと、コーチに来ていたその人を「ちょっとお願いがあるんだけど」と凪は捕まえた。

「どうしたの、佐原さん?」

 にこりと微笑むその人を凪は講堂へと連れて行った。

 講堂は静かで、合唱部のメンバーはいなかった。練習が終わって既に帰ったのだろう。一人残っていた理子が駆け寄って凪に声を掛けた。

「ねえ、もしかして、この人が…」

「そう。桜沢おうさわ 英知えいちさん」

 突然凪に紹介されて、英知はどうも、と理子に頭を下げた。理子も自己紹介をする。英知に視線を向けられた凪が事情を説明する。

「実は、この講堂で理子が歌声を聞いたんだって。みんなには聞こえないみたいなんだけど。私も聞こえないけど、あそこに見えるから」

 凪はステージを指さした。英知は凪の指さしたほうへ視線を向ける。誰もいないように見えたバルコニー状のステージに次第に人の姿が現れる。

 そして、そこから流れる歌に神経を集中させた。

2009年初出

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