花火が終わるまで 4
稲妻よりも鮮やかに、花火は夜空を覆い照らす。雷鳴よりも大きく、花火は体ごと響かせて音を伝える。
嵐の前の静けさのような小休止を経て、花火大会は佳境へと移っていた。最後のフィナーレではいくつもの尺玉が空で競演し、目が離せない。いくつもの大きな音が重なり合って、耳鳴りがしそうなほどに辺りは花火の音に包まれる。
「これで良かったのかって、本当は、少し迷ってるんだ」
先ほど英知が言った言葉を思い出して、凪は隣の英知をちらりと見遣った。英知は黙って空の花火を見上げていた。
花火が止んだ時、英知はこう言ったのだ。
「エリカさんの最後の望みを叶えることは、夏樹さんに二度悲しみを与えることになるかもしれない」
彼は、二度エリカを失うことになる。
今、ここでエリカとお別れをして、そして彼はこの後、彼女の体がこの世を去る時に再び彼女を失う。
「それでも、何も知らずにいるよりは、少し救われるかもしれないよ」
凪の言葉に、英知は少し笑って「そうだね」と答えた。
花火大会の前に、凪が英知の後を追いかけていったのは、彼が人ごみの中に何か見たのだと、そしてそれを放っておけずに自ら巻き込まれにいったのだと悟ったからだ。
案の定、凪が英知を見つけると、英知はこの世の人ではない浴衣姿の女性と一緒にいた。
「どうしたらいいと思う、佐原さん?」
凪に気づいて振り向いた英知の問いに凪は眉をしかめた。
「いやいや、話見えないから」
そう言いつつも、英知のことだ、と諦めてはいる。
「あんた、また何か訳わかんない頼みごと聞いたんでしょ」
そう訊けば、図星だったようで、英知は困ったように笑って頭を掻いた。
「いや、だって、放っておけなくて」
「それで、何頼まれたのよ?」
凪が詰め寄ると、英知は相変わらず困ったように答えた。
「待ち合わせしてる彼と最後に会いたいって」
「最後?」
凪は女性に理由を問うように視線を向けた。
「ここに来る途中に事故に遭っちゃって、もう、彼には会えないから」
エリカと名乗った浴衣の女性は、彼と約束していた花火大会に向かう途中、交通事故に巻き込まれて病院へ担ぎ込まれたという。けれど、彼女の命は尽き、それを知った彼女は、何とか最後に彼との約束を果たしたいとここまで霊となってきたらしいのだ。
そして、彼女に気づいた英知に彼に会わせてほしいと頼んだという。
なんてお人好しなんだと凪は呆れて英知を見た。
「あんた、いちいちそんな我儘聞いてたら、寝る暇なくなるわよ」
エリカのことは気の毒だとは思うが、英知はただの霊感の強いお人好しな通りすがりだ。英知には、エリカの頼みを聞く義務も義理もない。
まあ、この間のことを思えば、そんなことをこの男がいちいち考えているとは思えないが。
「あんたも、通りすがりの人にそんなこと頼むなんて、図々しいと思わない?」
最期に会いたいだなんて、勝手に彼の顔でも見てくればいいのだ。
「ごめんなさい。でも、あの、どうしても彼に伝えたいことがあって」
エリカは謝ったが、彼女には彼女なりの主張があるらしい。
「彼、このままじゃ、私が約束をすっぽかしたって思うかも。それに、私の事故を後で知った時、自分が知らなかったことを悔やんでしまうかも。だから、ちゃんとお別れが言いたいの。私の口から、お別れを言って、それから、」
必死にエリカは訴える。
「彼に、ありがとうって、ちゃんと伝えたい。私の最期の言葉は、ありがとうだって、ちゃんと言いたいの」
そんな話を聞いてしまっては、凪だって無視はできない。もとより英知は引き受けるつもりだったらしいので、協力を申し出た。
「あの人です、彼が夏樹くん」
エリカが一の鳥居に立つ若い男を指さした。英知がどの人が彼なのか教えてほしいとエリカに問い、三人は一の鳥居近くまでやってきたのだ。
夏樹に霊感はないとエリカに確認した英知は少し思案した。
「彼にエリカさんを見えるようにすることはできるけど」
英知の声にエリカの顔が明るくなる。
「でも、長くは無理。せいぜい長くて30分」
英知は釘を刺し、少し思案する。
「ここの花火大会って、30分くらいだよね。彼と会わせてあげられるのは、花火大会の間だけ。いいね?」
前半は凪への問いかけだ。凪の肯定の返事を受けると、英知はエリカに念を押した。英知が人に霊が見える感覚を分け与えられるのは、わずかな時間だけだ。
「じゃあ、こうしよう。彼と落ち合うのは、花火を見るポイントに着いてから」
エリカさんと一緒にこの人ごみを歩いたら、俺たち、何もない空間に向かって話すことになっちゃうからね。と英知は苦笑する。
「悪いけど、佐原さん、彼を連れてきてくれるかな」
そこで英知は凪に、エリカが自分たちの協力を得て夏樹をサプライズする予定だったが、手違いですれ違ってしまい、上手くいかずにエリカと夏樹が会えない状況にあるという設定にしようと知恵を授けた。
そして凪は言われた通りに夏樹を迎えに行き、英知は一足早くエリカとともに花火を見るポイントに向かった。それは、英知が人に邪魔されずに彼らが花火を楽しめる場所を知っていると言ったからだった。
凪が夏樹を連れて英知に言われた通りに階段まで来ると、英知から携帯電話に連絡があった。
「佐原さん? 今どこ?」
「階段上りはじめたとこ」
階段の踊り場まで来たら連絡して、と英知には言われていたのだが、その前に英知から電話がきた。
「じゃあ、途中の踊り場のところで待ってて」
英知はそこを待ち合わせの場所にするつもりだったらしく、迎えにいくから、と電話を切った。凪は夏樹を促して踊り場まで行き、そこで英知を待った。
「佐原さん」
階段の脇の林に出来た土がむき出しの道から英知が現れた。英知は夏樹に挨拶をして、二人を促して脇道に入る。そのあとを付いていくと、林を抜けた先に小さな広場が現れた。
「ここにエリカが?」
不安げに尋ねる夏樹に英知が頷く。
「うん。ここにいるよ、エリカさんは」
微笑んで英知は夏樹の肩を掴んで彼の体をエリカの待つ木の柵のほうへ向けた。
「さ、花火が始まるよ」
英知に両肩を押されて夏樹は数歩エリカに近づく。英知に霊感を分け与えられた夏樹の目の前に、花火が上がるのと同時にエリカが現れた。
もうすぐ花火が終わる。エリカは、きちんと夏樹にお別れを言えただろうか。ちゃんと彼に想いを伝えられただろうか。
凪は、絶え間なく上がる花火を見つめながら、そんなことを考えた。きっと、自分の隣も、彼女の想いが彼を救うことを願いながら空を見つめているのだろう。
最後に大きなしだれ柳が上がると、流れ星のような火の粉が降り、それが消えた後も花火の残響が耳を支配した。
2009年初稿、2019年改稿。