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S.O.S!  作者: 如月 望深
13/75

花火が終わるまで 3

 エリカは夏樹の手を取り、夜空を見上げる。その瞳には花火が反射してキラキラと輝き、頬も明るく照らし出される。エリカの確かな温もりを握り返して、夏樹も空へと目を向けた。いくつもの大きな光の花が夜空に咲いては消える。

 二人の様子を少し離れたところで見ていた英知は、踵を返して歩き出した。慌てて凪も後を追う。

「いいの?」

 二人を置いてきていいのかという問いに、英知は頷いた。

「あんまり遠くに離れるわけにはいかないけど、せっかくだから、二人きりにしてあげたほうがいいでしょ」

 英知は林に入り、小道を抜ける。すると、今度は四畳ほどの空き地に出た。こちらも木の柵に囲われており、中心に丸太型のベンチが設置されている。さほど歩いてはいないから、エリカたちがいる空き地から遠くはないのだろう。

 ベンチの表面をパッパと手で払って、英知は凪に勧めた。凪が腰かけると、その隣に英知も座る。ベンチから空を見上げれば、丁度よく花火が見えた。打ち上げの軌道が木に隠れてしまうが、なかなかの絶景ポイントだ。

 どうしてこんな場所を知っているのだろうと凪は思ったが、黙って花火を見上げている英知に倣って花火に集中することにした。

 打ち上げられた小さな光の種が、一瞬で花開き、大輪の花を咲かせる。それから、腹の底まで震わせるようなドォンという音が、散りゆく花を惜しむように追いかけてくる。

 辺りに反響する音が消える前に次の花火が上がり、幾重にも重なる光の花と、空を震わす音が重なって、花火大会独特の華やかで、それでいて消えゆくものを愛でながらも惜しみ、どことなく物悲しい気が凪はしてならない。


「ごめんね、夏樹くん」

 花火を見つめたまま、エリカが言った。

「もういいよ、そんなに謝らなくても」

 何度目かになる謝罪の言葉に、夏樹は苦笑した。花火の音が止むたびに、エリカは謝ってばかりだ。待ち合わせにきちんと来られなかったのは、自分をサプライズさせるためで、計画が上手くいかずなかなか会えなかったのは、協力してくれたエリカの友達カップルの手違いだと聞いている。

 こうして会えて、約束していた花火大会に間に合ったのだから、もう謝らなくてもいいと、夏樹はさっきからそう答えている。

 エリカは微笑んで、夏樹の手を強く握った。やはり今日のエリカはいつもと様子が違う。浴衣で雰囲気が違って見えるからだろうか。

 花火は、時折長めに間が空くことはあったが、一定の間隔を保って次から次へと打ち上げられていた。

 それが、にわかに止み、空には花火の煙が残って白く暗くなり、辺りには花火の音の余韻だけがわずかに残っていた。

「ごめんね、夏樹くん」

 再び、エリカが謝った。

 少し花火が止むたびにこの調子だ。

「だから、気にしなくていいって」

 苦笑してエリカを見やった夏樹は、その表情があまりに悲しげで、どうしたらよいのかと固まった。

「ごめんね、夏樹くん」

 もう一度、静かにエリカが言う。

「今日は、夏樹くんにお別れを言いに来たの」

 エリカの声は静かな空間にはっきりと聞こえて、けれどもその意味は夏樹の頭にはすんなりとは入ってこない。

「…どうして。俺のこと、嫌いになった? 他に好きな人が出来た?」

 エリカは首を横に振る。

「違うの、そうじゃないの。これが、永遠のお別れになるから、ちゃんと、お別れを言いに来たの」

 エリカは夏樹の手から手を引き抜き、夏樹に向き直る。

「…どういう…こと?」

 夏樹の心臓はドキドキと脈打つのに、体は冷え切って口がうまく動かない。

「今、ここにいる私は、もう生きてない」

 言っていい冗談と悪い冗談があるぞ、と夏樹は茶化そうとするが、こわばった喉と口が声を出すのを邪魔する。

「ここに来る途中に事故に遭って、私の体はここに来られなかったの。だけど、どうしても一緒に花火を見るって約束を守りたくて、それで、彼らに頼んで夏樹くんに会えるようにしてもらったの」

 言っている意味がわからないよ、と何とか夏樹はかすれた声で答えた。

「今、夏樹くんの目の前にいる私は、実体を持たない。わかりやすく言うと、幽霊ってこと」

「…な、に、言ってんだよ。だって、ちゃんと触れたじゃないか。ほら、こうやって」

 さっきまで確かにエリカと手をつないでいたのだ。夏樹はエリカの肩を掴もうと手を伸ばした。両手はエリカの両肩をすり抜けて、空しく中を掴む。夏樹の手に突き刺されたエリカの体は、わずかに透けている。

「…そんな…」

 自分の手を見つめ、それからエリカに目を遣って、夏樹は呆然と呟いた。

 こんなに近くにいるのに、確かに存在を感じるのに。温もりだって、さっきまでちゃんと感じていたのに。彼女は、こうして目の前で微笑んでいるのに。

 どうして、もう、彼女に触れることが許されないんだろう。

「ごめんね、夏樹くん」

 またエリカが謝った。

「本当は、来年も一緒に花火を見ようって、約束したかったけど。もう無理みたい。ごめんね、悲しい思いをさせて。ごめんね、幸せにしてあげられなくて」

「エリカ…」

 悲しげに、けれども美しく微笑むエリカが、もうこの世に生を持っていないなんて、夏樹には信じられなかった。

 しゅるしゅると、打ち上げ花火が再び上がる。小さな花火がいくつも連続して上がり、そこを通り越して、空の高いところで大きな花火が開く。小さな花火と大きな花火とが絶え間なく上がり、再び空は彩りを取り戻す。

 色とりどりの花火が空を染めるたび、それに合わせてエリカの頬も色とりどりに照らされる。

 耳にこだまする花火の音は、この世から他の音を奪ってしまいそうに大きいけれど、エリカの声だけは夏樹に確かに聞こえた。

「これは、私のワガママ。夏樹くんを悲しませるだけなら、何も言わずに行こうかと思ったけど、どうしても一緒に花火が見たかった。私、すごく楽しみにしてたんだ」

 花火が上がる。いくつもいくつも、立て続けに。これでもかというくらいに大きな花火が夜空と辺りを照らし、大きな音が反響する。花火を見なくても、もうすぐ終わりに近づく花火大会のフィナーレを飾る連発花火だとわかる。

「それに、夏樹くんに、私が花火大会の約束をすっぽかしたって思われたくなかったんだ。これ以上、夏樹くんに悲しい思いをさせたくなかった」

 せめて最後に約束を果たして、悲しいこの夜に楽しい思い出を少しの時間だけでも残したかった。この日を夏樹が思い出した時に、ほんの少しだけでも救われる時間があるのなら、彼に与える悲しみに、ほんの少しでも救いがあるなら。

「エリカ…」

 続く言葉もなく、夏樹が呟く。

 もうこの声を聞けなくなるのかと思うと、涙が零れそうになる。もうこの声で名前を呼ばれて、彼の名を呼び返すこともないのかと思うと。自分は幽霊になったはずなのに、それなのに、なぜ涙が溢れるのだろう。

 けれど、泣いてしまえば、夏樹の顔を見られなくなってしまう。最期の花火も。

「夏樹くん、お願いよ、覚えておいて、私の最期の言葉は、」

 夜空に一段と大きな光の花が咲く。じりじりと空を焦がす音を立てて、大きなしだれ柳が落ちる。

 お願いだ、この光が消えるまでは、彼女の姿を消さないで。

「ありがとう」

 花火の最後の輝きのように、エリカは輝かんばかりの笑顔を残してふわりと消えた。



 お願いだ、この残響が消えるまでは、彼女の声を消さないで。

2009年初稿、2019年改稿。

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