銀竜はすこし大きくなる
パンがある=麦、あるいは麦っぽいナニカがある理論
12/17六話目より。一人称だった文章を三人称に変更しました。
いつも一人称ばかりを書いている身としてはかなり厳しいですが、頑張ります。
町役場のお姉さんから図らずも竜魔国「エレシュリド」への行き方を教えてもらうことのできた琴子は、一夜明けた今日。パン屋の亭主から朝食を与えられたのち、イモリサイズと化している銀竜と共に町と太陽に背を向け、麦畑に挟まれた水路の脇を歩いていた。
優しい風が吹く度に、収穫の時を待つ緑の麦穂が揺れる。そんな麦畑の様子を、人間だった頃よりはるかに低くなった視線から琴子が眺めていれば、傍らの銀竜が「ギァウ! ギァウ!」と鳴き声を上げた。
どうやらイモリサイズにまで小さくなっているせいで、銀竜を餌と勘違いし狙っている烏たちが気に入らないのだろう。炎こそ吐きはしないが、それでも琴子と銀竜の頭上をぐるぐると旋回している数羽の烏を、銀竜は忌々しげに睨み上げている。
そんな銀竜の姿を横目で見た琴子は、困ったように小さく「ニゥ、」と鳴いた。
琴子としては、銀竜を討伐せしめんと勇んでいた討伐隊や町の人たちから銀竜を隠すためだけに銀竜の身体を小さくしていただけなので、銀竜のサイズをある程度にまで大きくすることに異存はない。だがそれでも、町を出てさほど歩いていないこの現状で銀竜を大きくするべきではないと判断していた。
少なくとも三日、いや、一日。しっかりと歩き、討伐隊が未だ行き交う町から十分に離れてから銀竜のサイズを大きくする。それが琴子の予定であり、安全策でもあったのだが――今、傍らで「ギァウウ!」と空の烏へ威嚇し、イラついている銀竜の状態を鑑みれば、此処は少しでも大きくしてやるべきだろうと琴子は容易に判断できた。
その理由として第一に、銀竜の威嚇声があまりにもうるさいから。
一応、イモリサイズであることにより銀竜は人間には見つかりづらくはなっているが、それでもこれほどまでに大きな威嚇声を上げていれば流石に人間の耳にも入ってしまう。であるならば、少しでも銀竜を大きくし烏に狙われることのないようにすればこの大きな威嚇声もなくなり、安全に旅が出来ることだろう
そして第二の理由として、猫である琴子とイモリサイズの銀竜とではあまりにも歩幅と歩くスピードに差がありすぎるから。
琴子としても、逐一銀竜の事を気に掛け歩いてはいるが、それでもずっとその動きを見続けているというわけではない。
さらに第三の理由として、このままの大きさでは烏のみならず他の動物にも目をつけらてしまいかねないから。
例え銀竜がその動物に対してある程度抵抗できたとしても、この小ささではかなり手間がかかってしまうことは目に見えている。
となれば、銀竜の大きさを、犬とまではいかないがせめて猫程度の大きさにまでそのサイズを戻してやるべきだろう。
少なくとも猫程度の大きさであれば、人の気配を感じた瞬間に小さくする魔法をかけはじめれば隠すサイズにまで小さくするのは可能だろうし、なにより烏などの動物にも狙われることも少なくなるだろう。
「ニー、ニウゥ(うん、そうしよう)」
そう一匹ごちた琴子は、未だ空に居る烏へ威嚇声を上げている銀竜から僅かに距離を取る。そして「ギァウ!」と頭上を旋回する烏たちを威嚇する銀竜の後姿を狙って、軽くジャンプし、銀竜の背に跳びかかった。
「ギャウ!?」
流石に自分を助け、此処まで連れてきた本人である琴子に襲われるとは、露ほどにも思っていなかったのだろう。
驚くように声を上げた銀竜は、琴子から逃れようとその身を捩る。だがそれでも、先日烏に対して行った威嚇のように炎を出してきたりはしない。
そんな銀竜の小さな顔を目の前に、琴子はその鼻さきと自身の鼻さきをくっつける。
「ニーニニ、ニーニ!(おおきく、なあれ!)」
銀竜を小さくした時のように琴子が強く念じ魔法を発動すれば、黒い猫の姿を下彼女の身体から銀竜の身体へと力が流れ込み、琴子の鼻さきに居る銀竜のサイズが僅かに大きくなった。
「!」
そしてそれと同時に、銀竜の方も琴子が何をしようとしているのかが伝わったのだろう。琴子から逃れようとしていた銀竜がその動きを止めた。
そんな銀竜の身体を押さえつけていた琴子もまたその身体の上から退き、改めて銀竜と向かい合う形で互いの鼻さきをくっつける。
一度、二度、三度、四度……十、二十、三十。
何度も何度も銀竜と鼻さきをくっつけ、魔法を発動しつづけた琴子。だが彼女の微々たる魔法ではさほど効果は無いらしく、銀竜がイモリサイズから子猫サイズになるまでかなりの時間と体力を要してしまった。
「……ニゥ」
……むぅ、大きくするのは大変だというのは分かっていたけれど、これほど大変だったとは。
琴子の予定では、銀竜を自身と大差ない成猫サイズにするつもりだった。だがあまりにも琴子自身の魔法が貧弱すぎるため、乳離れした子猫サイズにするのが精いっぱいなのだ。
「ニニウ……」
(私としては、私の都合で小さくした銀竜を私自身で元に戻してやるつもりだったのだけれど……これは、途方もない時間がかかりそう……)
家一軒分ほどの大きさだった銀竜をイモリサイズにまで小さくした時にはまだまだ余裕と余力のあった琴子。だが今は、銀竜をイモリサイズから子猫サイズにまで大きくしただけ精神的にも体力的にもかなり疲弊してしまったらしい。彼女は一旦休憩、と言わんばかりに水路の脇に生える草の茂みに身体を伏せた。
一方、琴子の微弱な魔法によって身体の大きさをイモリサイズから子猫サイズにまで大きくされた銀竜は元気に満ち溢れているらしい。草むらに伏せている琴子を脇目に、水路を流れる水へ飛び込んだり、草の茂みに隠れている昆虫など追いかけまわしたり。――それこそ好奇心旺盛な子猫の如く元気よく動いている。
「ニーゥ」
ガサガサと草音を立て駆けまわったり、時には背の翼を広げてみたりしている銀竜に、「あんまり離れないでね」という意図を込めた鳴き声を発した琴子。だが互いに言葉が通じていないなかでは、その言葉はあまり意味を成さないだろう。
だがそれでも銀竜のサイズを少し戻した琴子は、そう簡単に動物に襲われるようなこともないだろう。と、判断し、伏せっている草むらの中、空から降り注ぐ太陽の温かな日差しに誘われるように、ゆっくりと瞼をおろした。
ぱちり、と琴子が目を開いた先に並んでいたのはこと切れた状態の小魚やネズミ、そして昆虫と思しきナニカだった。
「ニッ(うわっ)」
流石に目覚めと共にそれらを見るとは思っても居なかった琴子が驚きの声を上げれば、彼女の目覚めに気付いたらしい銀竜が「ギゥウ!」と声を上げ、琴子の鼻さきに並べられていた小魚やネズミの方へと躍り出てくる。
「ギゥウ! ギゥウウ!」
銀竜が何を言っているか、琴子には分からない。だがそれでも、銀竜がこの小魚やネズミを私の食事として取って来てくれたのだということは判断が着いた。
「早く食べて!」と言わんばかりに「ギゥウ!」と鳴く銀竜に急かされた琴子が魚の匂いを嗅ぎ、口に含んでみせれば、銀竜は満足したらしい。「ギウ!」と嬉しそうに鳴いて、琴子の身体に自分の身を摺り寄せてくる。
だが銀竜に身を摺り寄せられている琴子としては、どうしたものか……と現状に少し頭を悩ませていた。
何しろ今、彼女の前にはこと切れた小魚が一尾とネズミが二匹、そして昆虫と思しきモノが数体あるのだから。
外側こそ猫とはいえ、少なくとも中身の感性は人間で、そもそもネズミを食べるのにも若干抵抗がある琴子。だというのに、目の前に在るのは昆虫のようなナニカ。流石にそんなものを食すのは精神的にかなりきつい。というか、無理である琴子は、「食べない」という選択肢を即決した。
「ンニゥ……」
(昆虫のようなナニカを取って来た銀竜にも、私の為に死んだ昆虫のようなナニカにも悪いが、此処は残させてもらおう。)
並べられている小魚とネズミを食した後、昆虫のようなナニカから顔を背け、おもむろに歩きはじめた琴子。
そんな黒猫の姿を見た銀竜は食べ残されたソレと黒猫の後姿をチラチラと見くらべ、そして琴子がそれらを食べないということを察したらしい。「ギゥ」と少し残念そうな鳴き声を発し、先を歩いてしまっている黒猫を追いかけるように走りはじめた。
収穫の時を待つ緑の麦穂が風に揺られるのを眺めながら、水路の脇を歩く黒猫姿の琴子と、子猫サイズの銀竜。
その上に広がる水色の空には白い雲が走り、イモリサイズの銀竜を狙っていた烏の代わりに小さな鳥たちが空を飛んでいる。
ゆっくりとした足取りで歩く琴子は、人間だったころとはまったく違う視点の中、心中で平凡だなぁと、今を噛みしめていた。
歩く歩幅も見える視界も、人間だったころとは比べ物にならない程違う。だがそれでも、目にする物体自体は、此処へ召喚される前までの風景と何も変わらないのだ。人も烏も、魚も、麦も。元居た世界とほとんど変わらない。それこそ傍らに銀竜の存在が無ければ、此処が元居た世界と同じ世界なのではないかと、誤認してしまいかねない程に。
「ギゥ?」
ぼんやりと考え事をしていたせいで歩調が遅くなった琴子を気遣ったのだろう。黒猫の琴子を先導するように駆けていた銀竜が「ギゥ……?」という鳴き声と共に琴子の元へ駆け寄り、その様子を窺ってくる。
そんな銀竜に返事をするように「ニーニ(なんでもないよ)」と答えた琴子は、ぺろり、と銀竜の顔を優しく舐めた。