黒猫は情報収集をかねて町役場へ行く
銀竜をパン屋の裏に連れ込んでから一晩経った今日。私は昨日考えた通りのことを実行するべく、情報収集も兼ねて町役場の前へとやってきていた。
ちなみに銀竜の方は人間に見つかると良くないため、今はパン屋の裏にある私の居住スペースに残ってもらっている。
一応銀竜の方も、自分の力だけで町の外へと逃げ出せないことや、例え運良く町の外へ逃げだせたとしてもその小さな姿では野良生活もままならないことは理解しているらしい。パン屋の店主からもらった朝ごはんを銀竜に分けた後、「私は少し、外に出るからね」という意思を見せるため一旦外に出るフリをしてから銀竜の身体に毛布をかけたら、不服げな目を向けこそすれ、大人しくそれに従ってくれたのだから……多分、理解しているはずだ。
がりがりと、引き戸になっているせいで開けれない役場の扉に爪を立てれば、受付け係らしきお姉さんが中からその扉を開けてくれた。
「いらっしゃいパン屋の猫ちゃん。何か此処に用があるの?」
「ニァ!(はい!)」
「あら良いお返事。そのお返事に免じて、好きに見ていっていいわよ。どうせ今日も討伐隊の方々のせいで住民の皆さんもあまり来ないから、暇なのよね」
「入って入って、」と誘われるまま町役場へと初めて入ったそこは、パン屋の店先と大差ないほどの狭い場所だった。
たたん、と小気味良い音を立てテーブルの上に乗った私はそんな狭い役場の壁を見る。そうすれば出入り口側の壁に貼られてあった一枚の絵が真っ先に目に入った。
「あら、猫ちゃん。この絵が気になるの?」
「ニッ」
「これはね、私たちが住んでいる国を表した絵なの」
うん……? それは地図というものなのでは……? というか、この絵に描かれているのは中学生だった頃に習った記憶のある「二乗に比例するグラフ」を思わせる一本の放物線と、丸印。あとは中央付近にある一つの点ぐらいなのだが……これが、国を表した、絵?
もしかして、今更だけどこの国の。ひいてはこの世界の文明って、私がいた世界よりはるかに遅れてる?
私が初めてこの異世界へ召喚されてきた時に見た人たちは明らかに豪奢なものを着ていたし、パン屋や他の店も店として経営が成り立っているように見えたから気にかけもしなかったのだけれど……。
わずかに抱いたこの異世界の文明に対する疑念。しかし今はそんなことを気にかけている場合ではないだろう。
何故なら、放物線にしか見えない地図の下方。幅の最も狭い原点部分に記された丸印を指したお姉さんが「ここが『メベリア』を治める王様たちが暮らす王都で、真ん中の点がこの町よ」と、教えてくれたのだから。
「そしてこの絵には描かれていない向こう側が、竜魔国『エレシュリド』。とは言っても猫ちゃんには分からないわよね……。えっと、日が昇りはじめるところがメベリアの王都がある場所で、日が沈む場所がエレシュリドって覚えれば良いわ。だからもしこの町を出た時、道に迷ったら、出来るだけ日が登ってきた方を目指すの。そうしたら、間違っても魔物が多いエレシュリドの方へは行かないから」
要は、朝方は太陽を背にして歩き、昼過ぎからは太陽や夕陽を目指して歩けば自ずとエレシュリドの方へ行くことになるのか。
「ニゥニゥ」と自分なりになるほどなるほど、と頷いていれば、放物線と点と丸が描かれただけの地図が貼られている壁とは違う方の壁に目が惹きつけられた。
「ニッ、ニッ!?!!?」
流石に猫語を理解し得ないお姉さんでも、私が何に驚かされたのかは分かったのだろう。
私の目が釘付けになって離れない掲示物を指差したお姉さんは笑った。
「ふふっ。びっくりさせちゃったわね。……実はね、これも絵なの。それも国王陛下が呼び出した光の巫女、雪乃様が直々に探している人の絵よ」
「すごいわよねぇ……こんな風に絵が描けるなんて」とその絵を指さしたまま感嘆の声を漏らすお姉さん。
だが、私としては目の前にある物の意味が、分からなかった。
――なんで、人間姿の私の顔が描かれた紙が、役場に貼りだされてるの!?
いやそれに国王陛下が呼び出した「光の巫女、雪乃様」って、私と一緒にこの世界へ召還されたあの雪乃!? そして彼女が、体裁上は死んでいるはずの私を探しているってどういうこと!?
いやまあ、改めて考えてみれば私が雪乃の立場であったとしても、血染めされた衣服を出されただけでは「本当に雪乃が死んだの?」と疑問視するだろう。だから、白の巫女様とやらに祀り上げられた雪乃が私と同じことを考え、そして私のことを探そうとしてくれていても何らおかしいことはない。
それに私と雪乃がこの異世界へ召還された時、私たちは互いに仕事帰りで、持っていた荷物の中には旅行や記念日などで撮った写真が保存されているスマートフォンもあったから、ソレを絵師に見せ模写でもさせた――、と考えればこの張り紙についても理解できる。
だがしかし。この現状において、雪乃が私のことを探してくれていると分かっても、私にはどうすることもできない。
なにしろ今の私は雪乃の知る人の姿ではなく、猫の姿なのだから。
それに私を猫に変えた魔術師も、自分の首が飛ぶのをおそれ、私を猫化させたことをバラしはしないだろう。
一応、この町へ飛ばされる前に魔術師から「もし、もう一度ぼくに出会うことがあったら、君を元の姿に戻してあげるよ~!」とは言われているが、会える確率は限りなく低いだろう。そもそも私は彼と会ったその場所が何処なのかも知らないのだから。
となれば雪乃には悪いが、私は今目指している目的通り、銀竜をエレシュリドの方へ連れて行くのを優先しよう。
そんなふうに、ある程度私の中で考えがまとまった頃合いで、おもむろにお姉さんが掲示されている私の人物画に指を這わした。
「流石にどうしてこの人を巫女様が探しているのかとか詳しいことまでは読めないけれど、それでも一応、『この人 見たら 報告』って書かれてあることぐらいは読めるわ」
ん? なんか今、このお姉さん「読めないけれど」って言ってなかった? それに「読めるわ」と言って読み上げた文字も片言じゃなかった? ねぇ、本当にそう書かれてある? この人指名手配中! とかじゃなくて!?
「これでも私、町長であるおじいちゃんの教えで少しは字が読めるし、書けるのよ?」
すごいでしょ? と言わんばかりの笑みを見せてきたお姉さん。
おおう。もしかして、この異世界。経済とか衣服の発展度合いに対して、測量技能や識字率がものすごく低い……? いや、むしろ低いどころじゃなくて、ほとんど無いに等しい……?
まあ、文字を書いたり読んだりする人が徐々に減り、無に等しい数にまで落ち込めば、識字率は低下するかもしれない。だが、少なくとも町役場という場所が存在していながら、本当にそんなことが起こり得るのだろうか?
むしろ、この世界ではない別の世界から勝手に召喚された挙句殺されかけるという、理不尽極まりない行為をされた身である私としては、「国側が故意的に」そうしているのではないだろうか? と考え至ってしまう。
「国側が故意的に」民間人の教養レベルを下げ、民衆に余計な知識を与えないよう――それこそ、王政らしいこの国内で反乱を起こさせないよう、取り計らっているのではないか。
そして民衆から「反乱する」という発想を潰した王たちは、民衆の怒りや憤りの矛先を竜魔国「エレシュリド」へ向くようにしているのではないか。
さらに、もし仮に。怒りや憤りの矛先がエレシュリドではなく自分たちの方へ向かってきた場合に備え、その反乱の最たる手段になる魔法も極力使えないように、魔法の十全な行使に必要な物資の管制を行っているのではないか。
確固たる確証こそないが、そう考えられる要素を幾つか見てしまっている私はそう考えてしまうし、考えれば考えるほど、人間国「メベリア」を収める王側の人間たちに対する不審ばかりが募ってゆく。
しかも王側連中にとって、民衆から知識を奪ってしまえば民衆の支配が楽だから「そう」しているのだろうが――それらの弊害として、彼らは自分たちの首を絞めていることを知らない。
王側連中の首を絞めていることの、筆頭。それは討伐隊のお粗末具合だ。
銀竜討伐に際し、彼らは町の住人を武器で脅し、盗賊まがいの事をしていたらしいし、野営の準備も万全に整っていないのに先行して洞窟内の探索をしてしまっていたし、銀竜討伐の際も自分たちの気配を消すどころか会話を止めることなく探索をし続けていた。
そんな討伐隊が王側連中を守る役割を与えられた際、果たしてお粗末な状態たる彼らは王側連中を守り切られるのか? はなはだ疑問である。……まあ、少なくとも王側連中も、自分の身を守る隊ぐらいにはまともな教養を与えられた人間を据えているとは思うから、討伐隊の連中が王側連中の護衛に回ることは無いと思うが。
なんにせよ。討伐隊の様子もそうだが、町の識字率などを鑑みた限り、このままだと、次世代に至る頃には竜魔国がこちらを襲わずとも勝手に人間国が自滅していきそうな感じがする。
――と、此処まで考えておいてアレなのだが。実際問題、猫たる私にはそんなこと関係ないのである。
王が崩御しようが、竜魔国に人間国が滅ぼされようが、人間が自滅しようがどうでもいい。とりあえずここへ無理やり召喚された雪乃が悲惨な目にあい際しなければ、それで構わない。
とりあえず今の、私は銀竜の住処であるはずの竜魔国「エレシュリド」への行き方さえ分ればいいのだから。
王都の場所と、エレシェリドの場所を図らずも私に教えてくれたお姉さんも、人間だったころの私の顔を見飽きたのだろう。貼られていた紙に滑らせていた手を、おもむろに私の方へと伸ばしてきた。
「ニァ?」
「ねえ、猫ちゃん。ちょっとだけ……ちょっとだけで良いから、触らせてもらってもいいかしら……?」
「ニゥ」
まあ、エレシュリドの場所などを教えてくれたお姉さんには恩があるし、触らせるぐらいなら問題はないだろう。そう軽い気持ちでゴロン、とお姉さんの前に腹部を晒した私。
すると途端にお姉さんは顔を真っ赤にさせ、私へと伸ばしてきていた手で私の腹部を撫でまくってきた。
「んはぁーっ!!! もふもふね! もふもふ! 噂に違わず、本当に良い毛並みっ!! パン屋の店番をしている貴女を見た時からものすっごく触りたかったんだけど、触るのはダメかなって思って我慢してたの!! なのに、貴女と一緒に町を探索していた子供たちったら、私が貴女に触るのを我慢してるのも知らないで、貴女の毛並みが良いってこととか、パン屋の香ばしい匂いがするってこととか、自慢してくるの! 本当にもう、羨ましくて羨ましくて!! でも!! 今私、もふもふしてる!!! パン屋の猫ちゃんのふわっふわな毛並みを、堪能してる!!! 嬉しい!!! 最高!!!!」
今にも私の腹部に顔を埋めてきそうになっているほど興奮しきっているお姉さん。だが、流石にそこまでする勇気はなかったのだろう。一通り私の腹を撫で回した後、荒れた腹部の毛並みを整えるように手を滑らせたお姉さんは私から手を離す。
「ふぅ……満足した。また触らせてね、猫ちゃん」
「ニ、ニゥ……」
―――――
私にいろいろなことを教えてくれた町役場のお姉さんと別れ、パン屋の裏にある私のスペースへと戻った私を出迎えたのは、衣類の中から顔を出す銀竜だった。
「ンギィ……?」
しかしおもむろに銀竜は戻って来たばかりの私の身体の匂いを嗅ぐと、何やら不機嫌そうな顔をして、私の身体へ自身の身体を擦り付けてきた。
「ギィ……」
もしかして、こんな場所に一匹で残され不安だったのだろうか? それとも、人間の匂いが着いていることが嫌なのだろうか? 一体何の目的で、そして何の理由で私に身体を擦り付けてきているのかはとんとわからないが、とりあえず私は銀竜の気の済むまで私の身体を好きにさせてやることにした。
次回から多分旅に出ます。
あと平日なので更新もゆっくりになります。