猫は銀竜とまるくなる
馴染みのパン屋へと戻ってきた私は、店主から与えられている店の裏のスペースに咥えていた銀竜を降ろす。
私としては一応、此処が私と銀竜にとって最も安全な場所であると判断しているのだが、銀竜としては人の気配がするこの場所はいささか不満らしい。私に対してやや不審げな目を向けてきている。
そんな銀竜を安心させるためにも抱き込むように――かつ、もし店主がやってきた場合に見つからないように隠すような形で――丸くなれば、少しは落ち着いたのだろう。
表のパン屋に人が出入りするたびにピクリと尻尾を跳ねさせこそしはするが、無理に此処から逃げ出したり、暴れたりはしてこない。
そんな風にしばらく銀竜を温めていれば、今日も無事店じまいと相成ったのだろう。バタバタと表のパン屋から音がする。いつもの通りであれば、ある程度の店じまいをした店主が私にご飯を与えてくれる頃合いだ。
丸くなっていた身体を起き上がらせれば、安心しきっていたらしい銀竜がころりと私の腹部から転がり落ちた。
「ギァ?」
一体どうしたんだ? というように小さく声を上げる銀竜。そんな銀竜を私は鼻さきで居住スペースの奥へ追いやり、ついでに店主から与えられていたクッションがわりの衣類を被せる。
一応、店主から提供されているこの場所は覗き込まれさえしなければ死角となり見えはしないのだが、念のため銀竜を隠しておくのだ。
そして、さらなる保険として店と店の裏とを繋ぐ扉の前に移動すればタイミングよく店と裏を繋げる扉が開いた。
「お、お前さん。昼前から姿が見えなかったから、洞窟まで竜を見に行ったんじゃねぇかって心配したんだぞ?」
扉の前でスタンバイしていた私の頭を撫でた店主が、私の前に今日の食事であるパンが乗った皿とミルクが入った器を置く。
「ニァ」
本物の猫の身体であれば、お腹を下したり、塩分過多になったりする原因となるパン。だが、もともと人間である私にとっては相性が良かったのだろう。今のところ下手にお腹を下すようなことにはなっていない。まあ、塩分についてはやや不安ではあるけれど。
「でもまあ、猫の足であの洞窟まで行って、帰って来たならこんな早くは帰ってこれねぇだろうし、そもそもお前さんが俺の言葉を理解してるとは思えねぇけどな!」
小さくカットされたパンをムシャムシャと食べる私の邪魔をしないよう、触りこそしてこない店主は短くそう言うと、おもむろに立ち上がる。
「よし、じゃあ俺は明日の仕込みしてくるな。終わるまで食い終わっておけよ」
「ニァウ」
小さく返事をした私の背を軽くポンポンと撫でた店主はガチャリ、と開いていた扉を閉め裏から出ていく。
扉の近くから店主が離れたのを聞き取った私は、小さくカットされたパンを少しミルクに浸し、自分の居住スペースへ持っていく。そして銀竜にかぶせていたクッションがわりの衣類を手で動かし、銀竜の姿をあらわにさせた。
「ギッ?」
一体何をしてきたんだ? と言うように小さく鳴いた銀竜。その前にポトリと濡れたパンを落とせば、クンクンと鼻先で匂いを嗅ぎ、私の目を見た。
「ギァ?」
「ニゥ」
食べればいいのか?
うん。
互いに会話はできてないし、本当にそう言っているのかも定かでない。だがおそらく大きな間違いはそこにはないだろう。何しろ私が返事をしたあと銀竜はパクリとそのパンにかじりついたのだから。
ムシャムシャとパンを食べる銀竜。その前に何度かミルクで濡れたパンを運んでやれば、とうや満腹になったらしい。少し腹部を膨らませた銀竜は満足げに目を細め、うっつらうっつらと船を漕いでいた。
そんな銀竜の口元についていたパンクズを舐めとり、私は再び銀竜を抱き込むように、そして隠すように丸くなる。
しばらくの間、二匹で互いを温めあっていればついに銀竜は眠ってしまったらしい。猫であり、なおかつ近くにいる私にしか聞こえないほどの小ささで、ぷぅぷぅと寝息を立てはじめた。
どんな理由で傷つき、あの洞窟に逃げ込んで来たのかはわからない。だが、それでも今日はこの銀竜にとって、心身が疲れた一日であっただろう。
満身創痍の状態でありながら人間を迎えようとしていたところを、突如現れた猫に勝手に体を小さくされた挙句人間のいるこの町へ連れてこられたのだから。しかも、小さくなる前であればきっと気にかけもしていなかったであろう烏にさえ勝てないことまで図らずも知らしめさせられてしまったのだ。
ぷぅぷぅと寝入っている銀竜を起こさないよう、私は身動ぎ一つせず息を吐く。
さて、今後の目的として、この銀竜を私はどうするべきか。
第一に、物であれ生物であれ、物を大きくする際は小さくするよりはるかに時間もかかるため、銀竜を元のサイズに戻すには膨大な時間がかかるだろう。それにこの町は勿論、人間が多くいるこの国内で銀竜を元のサイズに戻したとしてもすぐに見つかり襲われてしまうことは明らかだ。
そしてこの小さなままの銀竜一匹だけを町の外へ送り出したとしても、途中で人間に捕まれば即殺されてしまうだろうし、人間に見つからなくともこの大きさでは烏や野生動物に襲われたら即終了なのも目に見えている。
パン屋へ連れて来る前に起きた光景を思い出しながら、私は一つの結論へと思い至る。
――この国の中で銀竜のサイズを戻すのもダメ、そしてこの銀竜を一匹だけで旅立たせるのもダメ。となれば、私が。この銀竜を勝手に助け、勝手に小さくしたこの私が、銀竜を住処であろう竜魔国「エレシュリド」まで送り、その辺りで銀竜のサイズを元に戻してやるべきだろう。
ううん、むしろそれが勝手に銀竜を助けた私の責任だ。
ただ、此処で暮らして間もない私は、竜魔国たるエレシュリドの場所はおろか、その道のりも把握していない。
うーん。そしたら明日にでも地図が貼り出されていそうな町役場に行って現在地と、エレシュリドの場所を調べてこようかな……。
銀竜を起こさない程度に体勢をわずかに改め、私はゆっくりと瞼を降ろした。