ジェイソンの親戚のアイアンクロー。
ひっくり返ってしまったらとんでもないタイムロスになってしまうので、慎重を期して我が肉体を運搬する。
水嶋は俺の横にふわふわと付いてきたけど、気になった店や建物を見掛けるとそちらに消えていき、戻ってきてしょうもない報告をするという行動を繰り返していた。
「自転車屋のおっちゃんが鼻ほじってた」
「幽体の女子高生に見られてるなんて夢にも思ってないだろうな」
「でもさぁ、どうして幽体離脱の法則が狂ってしまったんだろねぇ。 本当に祥雲寺エリアだけなのかな」
俺は二人の刑事との会話、水嶋が最後に語った『BANされにくい幽体の在り方』を踏まえて、一つの仮説を立てていた。
「深夜の幽体離脱は楽しかっただろ」
「え? うん……。 これまでの人生で一番楽しかったかもしれませんねぇ。 ステキな夜になりましたよ」
「水嶋の言ってた『楽しさを感じてない幽体がBANされやすい』ってのが気になってたんだけどさ……」
レムは人間の負の感情が大好物だ。
不安、恐怖、苦しみや悲しみ、怨み。
人から取り込んだそれらの感情を凝縮させたのが黒。
幽体離脱者達は、レムの体内に蓄積された黒を取り除くことで駆除をする。
取り出した黒のデカさが個体の強さとほぼ比例している事から察するに、負の感情が奴らの力の源だと考えていいだろう。
——じゃあ、レムに唯一対抗できる幽体離脱者の力の源は?
水嶋の言葉を借りるなら『楽しさ』。
レムが原動力にしているものとは正反対の感情。 ……しっくりくる。 確証はないけど、正解にぐっと近付いている気がする。
「水嶋さん……。 真犯人は、あなたです」
「えっ? なにが? 」
「幽体離脱の法則を乱しているのはあなたです。 水嶋優羽凛さん」
「急に名探偵の風格出してくるじゃん」
「レムに対抗できるエネルギー、紫苑さんが『浮力』って言ってたあれ」
「あぁー、言ってた言ってた。 えと……公園でレムちゃん捌いてた時だっけ? 言ってたね」
「浮力の強さが幽体離脱者の『楽しさ』に比例するとしたら、水嶋が感じていた『楽しさ』がデカすぎて周囲に影響を及ぼしたんだよ。 つまり俺たちは水嶋に電波妨害されたってわけだ。 幽体の世界から『はしゃぎ過ぎだ小娘』って言われたようなもんだな」
……沈黙。 数メートル先でふわふわと浮いていた水嶋がぐっと近づいてきて、俺の顔から数センチの所まで迫ってきた。
「全部私のせいにするのかぁ!? 」
「しょうがないだろ、水嶋のせいなんだから」
「この男……! し、信じられない……! 」
「法則を乱した責任とれよな」
「……じゃあなに? 幽体でめちゃんこ強い慶ちゃんは、誰よりも幽体離脱を楽しんでいた事になりますよ? 浮力が大きいから強いんでしょ? 」
「まぁな。 俺はレムの駆除を雑念抜きで、誰よりも夢中で楽しんでいたからこそ……誰よりも強かったんだろう」
「それなら、慶ちゃんの楽しさが振り切ったから法則が乱れたんじゃないの。 どう見てもはしゃいでたでしょう」
「…………そうだな、そうかもしれない。 じゃあ田中くんのあれが大ごとになったのも、誘拐された子供が犯人をメッタ刺しにしたのも、間を取って二人の責任という事で。 罪を分け合おうよユリエル」
「やかましいよ。 罪を背負いきれない事に気付いただけじゃないか」
水嶋の小さな握りこぶしが俺の顔面を通過した。
謎の生物レム。 水嶋が幽体離脱するまで、俺は彼らの存在に疑問すら抱かなかった。 今考えてみるとマインドコントロールされていたようにすら思える。
「ヘイヘイヘイッ」 と煽りながら俺に三発のパンチと二発の蹴りを繰り出した水嶋は、少しだけ浮上してまたくるくると回り始めた。
「うまく……回ってるんだよな」
「そうかなぁ。 嬉しい」
幽体離脱の世界はうまく回っている。
多くのレムは感情を人間から吸い取る事で、社会において文字通り「ガス抜き」のような役割を果たしている。
ただし成長しきって羽が生えた個体が、溜め込んだドス黒い感情だけを特定の人間に取り込ませる為に、それが凶悪犯罪の引き金となってしまう事がある。 犯罪が増えれば不安が増える、というのがレムという生物のサイクルだ。
幽体離脱者達はレムの「害」だけを削ぎ落として、レムという存在を人間に都合よく利用できている。
その駆除作業も各々が現実を忘れて、『楽しさ』を見い出しながら夢中になっているのだから、結果的には救われている人間が圧倒的に多い。 眠っている人間はレムにヌいてもらい、幽体離脱者はレムでヌいている形なのだ。
「相原家に滅私奉公してる慶ちゃんは幽体で存分に憂さ晴らしをしてたんだねぇ。 おまけに私が来たんだから、そりゃ法則も乱れてしまうよ」
やかましいが、ぐうの音も出ないほどのご正論を胸に刻むしかしなさそうだ。
思い返すと正にその通りで、俺はレムの駆除でべらぼうにストレスを発散していた。
幽体時の立ち回りや駆除数でヨイショしてくれる周囲の反応は心地よかったし、救援信号が上がってフォローに入った後なんてエンドルフィンがだばだば分泌されている心地を何度味わったことか。 それらの感情は、俺の実生活では決して味わえなかったものだ。
「ぼーっとしながらカートに乗った男を運ぶ女子。 シュールですなぁ」
「やっぱり、幽体離脱者にとってゲームと似た機能なんだよな。 現実からほんの少し離れて没頭して……達成感とか、満足感を得る」
「私が絵本を描いたり読んだりするのも変わらないね」
「なぁ、レムの事を神様と崇めている奴らもいた……って話してたの誰だっけ」
「えー、それどっかで聞いたな……。あっそうだ、シゲオさんだよシゲオさん」
思い出した。 水嶋の方が記憶が鮮明である。
「神様だと思う気持ちもわかる気がしてきた」
「レムちゃんが悪魔になるのを食い止めてるユータイリダツァー達は、レムの天敵であり……。 友でもあるってところだね」
「ユータイリダツァーってなんだよ」
水嶋はすっとぼけた態度ながらも、きっちりと話の流れを掴んでいる。
「私ね、一つ思うところがあるんだけど」
「なんだ? 申せ」
「モーセだなんて照れるなぁ。 さすがのユリエルも海を割ったりなんかは……」
「そういうのいいから」
「羽の生えたレムちゃんってさぁ、人間に仇なすみたいな風潮だけども……実はお礼をしているだけなんじゃない? 」
「全く意味がわからない」
「レムは人間の感情が命の源な訳でしょう? レムにとって一番栄養がある負の感情ていうのは、人間の生きる糧になる『楽しさ』とか『喜び』と同じものなのでは」
「ほーう、なるほど。 なんとなくわかった。 レムは負の感情が『良質なエネルギー源』だと思ってるってことか」
「そうそう。 人間さん、こんなに良い感情をたくさん食べちゃってごめんよぉ。 でもみんなのお陰でこんなに大きくなれました! 恩返しをしたいので、僕が厳選した負の感情をあなたに……つって」
レムは負の感情が人間にとっても一番大切な感情だと勘違いしてるってことか。
レム視点からの考察、俺には絶対に出てこない発想だ。
「……水嶋は本当に優しいよな。 考え方が」
「急に真顔で褒めるじゃん」
「心の中ではいつも褒めてるよ」
川を跨ぐ短い橋が見えてきた。 川の両サイドには桜の木が遠くまで並んでいて、ウォーキングをしている人が買い物カートで不審物を運搬する小娘を不思議そうな目で見てくる。 視線を右往左往させている人は、自分だけに見えている妖なのではないかと心配しているのだろう。
「この先が祥雲寺エリアの外? ……ねぇ賭けようか。 身体に戻るかそのままか」
「よし。俺は戻るに一票」
「私は戻らないに十三億票」
「インドか中国の国民を味方につけたか……。 望むところだよっ! 」
お婆さんが俺たちの脇を通過すると、橋の上には誰も居なくなった。 周囲を観察。 車がくる気配もない。 走り出した心を止めることが出来ず、俺はアスファルトを蹴って猛烈な勢いで駆け出した。
「慶ちゃん、行っけぇ〜っ! 」
「よろしくっ! お願いしまぁ〜っす! 」
水嶋・インド連合軍か、孤高の美少女JK・相原慶子か。 運命の女神はどちらに微笑む? カートは音を立てながらぐんぐんスピードを上げていき、あっという間に橋を渡りきった。 さぁどうなる……ってか、あれ? 止まらな……まさか、暴走?
「や……やべっ、ぜんぜん止まんな……うわァッ」
ガッシャァン。 ズザーッゴッ!
「おっ、俺ーーーっ! 」
盛大にやらかした。 ひっくり返ったカートのタイヤが空転して虚しい音を立てている。 レジャーシートを被った俺の肉体は車道の端っこで、力なく「く」の字形に倒れ込んでいた。 縁石に頭部付近を強打していたので最悪死んだかもしれない。 はしゃぎ過ぎたらしっぺ返しを喰う……人生の鉄則をおざなりにした俺の責任だ。
「あっ! 水嶋は……」
360度を見回したが何処にもいない。
「う、うぅ……痛いよぉ」
俺の肉体が動いた。 喋った。
「水嶋ァーーーっ! 」
戻った! 賭けは俺の勝ちだけど、完全にやらかした。 水嶋に痛い思いをさせてしまった。 全力で駆け寄って、頭から被せてあるレジャーシートに手をかける。
「ご、ごめん水嶋っ。 本当にごめん、大丈夫か? 痛いか? 今拘束を解いてやるからなっ」
「外さないでっ……。 今、痛くて泣いているから……」
「ごめぇーん! えっと……どうするか、えっと。 そうだ、痛いの痛いのー、どんだけぇー! 痛いの痛いのー、どんだけぇぇぇー! 」
「ふざけてんのかこのブス……」
「えっ」
水嶋のアイアンクローが俺の前頭葉を襲う。 俺の握力はこんなに強かったのか……?
締め付ける力が徐々に増して……!
「あ……あ……カハッ! み、みずし……ごめ……もう……」
危ない、意識を持っていかれる所だった。
それにしても、頭からレジャーシートを被った化け物にアイアンクローを食らっている美少女を見て、周囲の人間が何食わぬ顔で素通りしていった事実にこの国の終末を垣間見た気がした。
「慶ちゃん、さっき走り出した時に茶封筒落としてたよ」
「諭吉ぃーーーっ! 」
橋の中間辺りに俺の諭吉達が遺棄されていた。 危なかった、こんな世紀末みたいな街で諭吉達を放っておいたら確実に攫われてしまう。 ごめんな、俺の諭吉達……。
改めてポッケに突っ込む。 いや、待てよ。 もう絶対に落とさないようにパンツの中に入れるか? 生理用ナプキンみたいに……。 それやったら人として終わりか。
あ、そうか待てよ。 今の俺は股に余計な突起がないんだ。 本来、未使用の突起物がある位置に茶封筒を滑り込ませ、パンツのゴムで抑えれば……。 名案だ、それでいこう。
「よいしょっ、と。 これでよし」
「何がよし、だ」
レジャーシートのバケモノに頭を叩かれた。
「おい水嶋、お前もう泣いてないだろ? 職務質問される前にレジャーシートを取れ」
「ちょっとペン貸して」
喋るたびにレジャーシートに開けた呼吸穴付近がパタパタ動く。 気持ち悪ぃなと思いつつも水嶋にペンを渡すと、何故か目の部分を黒く塗り始めた。
「フハハ……。 ちょっとあれみたいじゃない? ジェイソン」
「ジェイソンの遠い親戚くらいには見えるな。 遊んでないで早く脱げ」
「ちょっとチェーンソー買ってきてくれない? 」
「今日がハロウィンでも捕まるわバカ」
水嶋のレジャーシートを強引に剥がし、二人で仲良く畳んで、元の袋に戻した。
本当にエリア内では幽体離脱してしまうのか検証する為に水嶋に来た道を戻ってもらったが、やはり三歩で幽体離脱してしまった。 俺はすぐさまぶっ倒れた自分の身体を転がしてエリア外に出す。
「祥雲寺エリアに入れない制約は結構キツイな……」
水嶋は何事もなかったかのように立ち上がり、澄ました顔でスマホをいじり始める。
意外にも幽体離脱したがらないな、と思っていると、「昼の幽体離脱は楽しいけど、物に触れないのは結構なストレスになる」などと、当事者にしかわからない感覚を伝えてくれた。
「あ、DQNからDM入ってる! 」
「……なんて」
「えっとぉ……。 テメェら、マヂ、調子こいてんなよ……慰謝料、払って、もらうからな、覚悟しとけ、カス。 だってさ。 茶封筒の諭吉を十人引き渡せば引き下がるかもね」
「渡してたまるか。 戦争だ、水嶋」




