水嶋優羽凛の〝怒り〟
「水嶋、ちょっとスマホ見せて」
「ほいよ。 こんな感じでいいだろうよぉ、ケイタくん」
目尻を下げ、頬を緩ませながらスマホを差し出してくる。 ……本当に朗らかで弛緩した表情だ。これからDQNに宣戦布告をする人間の顔とは到底思えない。 まるで恋人に「偶然撮れた綺麗なお空の写真」を見せる乙女のようだった。
俺は手渡されたスマホで、水嶋が作ったアカウントの紹介文を読んでみる。
◇
ウザいんじゃDQNども! この歩く公害がっ。 我々『ケータ&ユリエル』が月に代わって成敗してくれるっ! 出て来いやっo(`ω´ )o
◇
……シンプルに出来が悪い!
それにしても、水嶋は何故こんなにDQNを敵対視するのだろうか? とにかくこのまま公開されるのはまずい。 文面はもちろんのこと、アイコンはペアルックのTシャツを着て、中村家の庭でアホみたいなポーズを取っているやつだ。
DQNへの煽りとしては優秀かもしれないが、客観的に見れば完全にバカップル。
これは高校にいる隠れ水嶋ファンや、ネットで追い風を吹かせてくれている方々からのヘイトを集める可能性がクソほど高い。 多少は仕方ないけど、学校内部に敵を作ったら情報はダダ漏れになるだろうし、ネットの方々を敵に回すのも避けたいところ。
「なぁ、これ……紹介文だけ変えていいか? 」
「え? いいけど……。 それじゃだめ? 」
水嶋の文章を全部消して、書き換える。
彼女の真似をして両手でフリック入力してみたが、うまくいかなかった。
「これでよし……と。 ありがとう水嶋」
……少し時間はかかってしまったけれど、文面は完璧と言えるだろう。
◇
現役高校生アコースティックデュオ『祥雲寺レムバスターズ』の公式アカウントです。
メンバーは作詞作曲/ギター担当のケータと、ボーカル/タンバリン担当のユリエル。 楽曲の公開時期はまだ未定です。
※DQN討伐、はじめました。
◇
これなら間違いなく安心だ。 俺と水嶋は恋愛関係ではなく、同じ夢に向かって手を組んだだけのビジネスライクな関係として認識されるはず。
少なくとも申し訳程度の防波堤としては機能してくれる。
「なんで唐突に音楽でメシ食おうとしてるの? 」
「もうアカウントを開設していいぞ? これなら大丈夫だ。 既にプチ炎上してるし、高校の状況からして……恋人同士という設定はリスクが高過ぎる」
「どういう意味? というか設定が飛びすぎじゃない? しかも本題であるDQN討伐が『冷やし中華、はじめました』のノリだよね」
「『冷やし中華、はじめました』は本題みたいなところあるだろ」
「寂れた中華料理店ならね。 私たちはアコースティック・デュオだよ? 」
「水嶋ぁ……。 本当に話をややこしくするのが好きだな? さては俺の『状態異常・こんらん』を意図的に作り出そうとしてるだろ? 」
「そんなつもりないよ。 勝手にバグった時が一番面白いし」
俺がバグったのは10人の福沢諭吉氏が目の前でスクラムを組んだ時だけだ。 金さえ掛かってなきゃ俺はいつだってクールビューティだからな……。 こいつは何か勘違いしているんだろう。
「……なぜ俺が水嶋とアコースティックデュオを結成したか。 その意味がわからないんだな? 」
正直、アコースティックデュオという名称が正しいのか、正しいとしたら用法は合っているのか、それすらもわからない。 なんとなく知った言葉を雰囲気で使ってみているだけだ。
「いや、意味がわからないというより……なんかボケてんのかと」
「ふん、妙なプライドを盾にするなよ。 わからないんだろ? それなら黙っててもらえるか? ちゃんと俺には考えがあるんだからさ」
「じゃあちゃんと聞くよぉ、わからないから教えてください。 はい、先生! 」
水嶋が威勢良く右手を挙げた。
「はい、水嶋さんどうぞ」
「慶ちゃんは……。 なぜ私とアコースティックデュオを? そして、アコースティックデュオって具体的にどんな音楽を奏でれば……」
「えっ? アコースティック・デュオの音楽性からか? そこからわからないか? ……あのなぁ。『バカに解説をする』ってのが一番時間と労力を消費するんだよ。 今は無駄な時間を作りたくない。 わかったら廊下に立ってバケツに張った水でもすすってなさい」
「……そろそろ殺すぞ」
「おう、よしよし。 わかったら大人しくしててな。 相手が相手だからここからは……あれ……? 今とんでもない暴言吐かなかった? 」
「……いや何も? 吐いてみたい暴言はいくつかあるけど、そんなタイミングじゃなかったし」
「なんかボソッと言っただろ? そろそろ、なんとかって」
「ソロモン躱すぞ」
「は? 」
「ソロモン、躱すぞ。 って言った」
「そのセリフ吐くに至った背景を教えてくれよ」
そこからはしばらく、険悪で緊迫したムードに包まれながら並んで歩いた。
でもこんな空気になるのも仕方のないことだ。 何故なら水嶋のリュックには10名もの福沢氏が監禁されていて、彼らは本来の主人である俺の救出劇を今か今かと待ち望んでいる。
きっと今ごろ茶封筒の中でブルブルと震えながら涙を流し、身を寄せ合っているに違いない。 それを察して水嶋も守り固めに入っているから、かなり俺の動きを警戒している。 やれやれ……空気はピリつく一方だ。
「ねぇ慶ちゃぁん、クラストークにアカウントのスクショ貼ったらねぇ、フォロワーがザクザク増えてきたよ」
俺の考えとは裏腹に、水嶋がウキウキのニッコニコで肩を寄せてきた。
「……あ。 というかさ、水嶋ってどうしてそんなにDQNを目の敵にしてるんだ? 」
「DQNを目の敵にしてるわけじゃないよ。 目の敵になったのがDQNだっただけ。 あの時の状況、覚えてないの? 」
入れ替わった日の放課後。 俺は水嶋に幽体離脱の話をするために、夜の公園に足を踏み入れた。
そこにはサッカーボールを持ったDQN達がたむろっていて、高校生カップルと勘違いされた俺たちは何故か冷やかしの対象になり、帰ろうと踵を返した後頭部に奴らの見事なミドルシュートがヒットした。
「あの人たちって初犯じゃないよね? たとえ初犯だとしても、自分たちより弱い人をからかい慣れてる感じだった」
「あー、うん、それはそうだな。 たしかに」
「あれが私たちじゃなくて、他のカップルでもやったはず。 私たちが泣き寝入りしてすごすごと帰ったら味を占めて……犠牲者はこれからも増え続ける一方だよ」
「うん、まぁ……。 やばそうな空気だったし、すぐ立ち去ればよかったな。 というか他のカップルだったら、あいつら見た時点で場所変えるだろうし」
俺の言葉を受けて足を止めると、腕を組んで「ふすぅん」と鼻から息を抜いた。
「そんなんだからねぇ、ああいう人たちが増長していくんだよ? たまには痛い目を見せてやらないとっ。 大人しそうな奴も反撃してくるって学習したら、いくらDQNでも慎重になるでしょう? 」
……なるほど、水嶋は義憤に駆られていたのか。 DQNの行いは俺たちだけに留まらず、善良なカップルやその他の大人しい人間達までに被害が及ぶと。
「うーん、すごいな。 世直し的なあれか。 俺は完全に『触らぬDQNに祟りなし』のスタイルで人生をお送りしてるからなぁ」
「まぁ……。 今のはちょっと後付けなんだけどね。 あの時はもっとシンプルに、バカにされて悔しかった。 すごく舐められてる事に腹が立った。 相原慶太ナメんなよって……完全に感情で動いてましたね 」
「そんなに感情移入してくれてたんだな、俺の身体に」
ちょっと嬉しかったので、照れ臭さを誤魔化すみたいにさり気なくリュックのファスナーに手をかけたが、片手で華麗に払われた。
「……でもよく生卵爆撃の発想に至ったなぁ。 俺なら思いついても水風船とか、その辺のあっさりしたアイディアしか出てこないよ」
「まぁ……いかにネチっこいダメージを与えるかだけを考えたからね。 倫理観を無視して」
今考えると、時間をかけて作戦を練ってから反撃に出ても面白かったかもしれない。 本当に今となっては、だ。 あの時水嶋が突っ走って即行動に移さなかったら、彼女の怒りを全力で宥めにかかっただろう。
実際のところ、あの生卵爆撃は俺にも大きな責任がある。 彼女が『何かやる』事がわかっていて、その『何か』を見たくて泳がしていた部分もあるからだ。
「ふむ、もしかしたら私は……。 夜の方もネチっこいかもしれんね、ガハハ」
「おっさんみたいなこと言ってんなよ、処女風情が」
「……ん〜? 冷めた言葉の割には顔が赤いじゃないか! 火照っちゃったかな? 何か想像しちゃったのかな〜? ねぇ何を想像しているのかな、教えてほしいなぁーっ! 」
「そろそろ殺すぞ……」
「え? 今なんて言ったの? 」
「そろそろコロラド、って言った」
「ふぅん。 まだ太平洋上空ってことね」
五秒前からポケットの中でスマホが振動していた。 電話をしてくるのは殆どが家族なので、おそらくアキだろうなと軽い気持ちで取り出してみると、ホモだった。
「な、なんだ……? 小早川だ」
コバとメッセージはやり取りしたことがあったが、電話が来るのは初めてだ。 動揺か防衛本能かはわからないが、反射的に身を震わせてしまった。
「どしたの? 」と尋ねながら、水嶋が振動を続けるスマホを覗き込んでくる。
「あ、コバだ? ……ふふっ! いや何その脅えた表情、構えすぎでしょう! 普通に考えて、クラスメッセ見て心配してくれたんじゃない? それか……」
「……それか? 」
「日曜の昼下がりを狙った愛の告白か」
「縁起でもない事を言うな」
「それ全国のゲイに失礼じゃない? とりあえず私が出ようか……? そのほうが自然だしさ 」
——俺は考える事をやめた。
言われた通りにスマホを差し出す。 さながら水嶋のマリオネットである。 彼女はひとつ咳払いをして、通話の表示をタップした。
「あっ、もし〜? おはぁ。 コバぁ? 急にどしたん? 」
ノリが羽毛布団より軽い。
「うん、うん……。 そうそう。 え? 声が眠そう? 」
スマホを耳に当てながら、俺の表情を確認してくる。
「いやぁ、昨日は全然眠れなくてさ。 ……え? 違うよ。 お前のことを考えていたら……どうにも眠れなくなっちまってさ。 へへ」
アウトォー! こいつおふざけのボーダーラインを華麗なベリーロールで越えてきたな。
即座に脇腹へ水平チョップを叩き込み、怯んだ水嶋からスマホを取り返して通話を切る。
「……おうコラぁ! それは絶対にやっちゃいけないノリだったな? お前自身が一番分かってるよなぁ? 」
水嶋は片手で口を抑えて目を丸くしている。
「ご、ごめん。 うっかりというか……口が勝手に……! 」
「入れ替わってからジェンダー問題には過敏になってるんだからな。 神に与えられた試練の如く畳み掛けてきてんだぞ」
「あ、や……すみません、軽率でした……。 慶ちゃんのツッコミが欲しいばかりに、コバの気持ちを弄ぶ結果になってしまいました……」
悪ノリというやつだ。 しかし本気で後悔しているようで、目を瞑って「この口がっ! 」と呟いては何度も自分の頬を平手打ちしている。 悪ノリに秒で気付いて悔い改めることが出来る人間は少ない気がするので、更生の余地はあるだろう。 よってここは無罪とする。 それに、裁くのはコバだ。 そして裁かれるのは俺の身体だ。
「もしもし、ごめん切れちゃったみたい。 コバ? 」
「おう、なんか切れ……あれ? もしかしてゆーりか? ……慶太とずっと一緒なの? 」
「朝から一緒にいるんだ。 今ちょっと相原くんはパニックでおかしくなってる」
「だろうな。 大丈夫か? クラストークで盛り上がってるツイって……おととい駅でゆーりに絡んでたヤンキーだろ? 」
小早川には生卵爆撃の直後、俺が駅でDQNに捕まったところを救ってもらっているので、ある程度の経緯は知っているのだ。
コバはトークルームにスクショを貼った女子の名前を挙げ、その子にDQNからのDMが届いている事を教えてくれた。
「プロフィールに高校名載せて投稿してる奴らに片っ端からDM送ってるらしいぞ。 もう名前が知られてるって考えた方がいいかもな」
「……え、そんな簡単に情報漏らすかな? 」
「俺は誰かしらが絶対に漏らすと思ってる。 自分が楽しめればいいって奴ばっかりだからな」
「やめろ。 その言葉は俺達に刺さる」
「俺? 」
「あたいに刺さる」
短い笑い声のあと、「まぁとにかく」と続けた。
「クラスの奴らはもちろん、学年全体でもお前らの噂は広まってるからな。 慶太の写真は載ってないけど、水嶋優羽凛の彼氏=相原慶太で紐付ける奴らも絶対にいる」
「そんな認識されてるのか」
「そうだろ? 気付いてねーの慶太だけだ」
また電話越しに笑い声が聞こえてきた。
「慶太に、状況を逐一報告してくれって伝えといてくれ。 まぁ別にゆーりでもいいんだけど……よろしく頼むわ」
「状況報告? 」
「おう。 一昨日の駅でさ、俺が一緒にいたメンバーにビビってたろあいつら。 なんかあったら助太刀するから。 あ、あと一応警察に相談しとけよ、まぁ……動いてくれないとは思うけど」
コバと一緒に居たあの方々がどういった経緯で集まったのか興味が湧いていたが、よく考えると返ってくる言葉が怖いので聞かないでおくことにした。
「コバ……。 本当にありがとう。 ちょっと一つだけ聞いていい? 」
「なんだよ」
「どうしてアタイらにそこまでしてくれるの? 友情……? それとも……。 愛? 」
ここまでで最も長い間が空いた。 どうしても耐えられずに聞いてしまったけど、悪手だったかもしれない。 あと三秒返事がなかったら質問は無効にしてもらおう。
「両方」
通話が切れた。




