『刑事の勘だ』とかいう言葉ほど、実際はアテにならなそうなセリフはない。
水嶋は、完全に飽きていると思う。
先ほど「せっかくだから頼んだドリンクバーを消費しよう」 と言って、「私がやります」と進言してきた柏木を制し、全員から注文を取ってドリンクバーコーナーに小走りで向かった。
今は刑事二人の前にホットコーヒー、水嶋の前には野菜ジュース、俺の前には何を混ぜたか見当もつかない不気味な色彩の液体が置かれている。
「あの、ちょっと聞いていいですか? 」
俺としては気になったことが何点かあったので、退屈そうな水嶋には悪いけど、聞いてみることにした。
「どうした? 水嶋クン 」
「どうして俺たちを尾行たんですか」
「……ウン、気分のいいものじゃないよな。 正直に言おう、私は相原くんが田中の家に向かうと思っていた」
……なるほど。 犯人は必ず現場に戻ってくるとかいう、刑事ドラマでよく聞くやつだろう。 確かに俺が心配するかどうかして、真っ先に田中くんの家に向かおうものなら、ポルターガイストに関与している事は確実だ。 まぁ実際ガッツリ関与してるんだけど。
むしろ全く心配してなくてごめんな、田中くん。
「慶太が田中事件の犯人だという疑いは晴れましたか? 」
「直接話してみて、60%から3%までに下がったよ」
「もし、彼が犯人ならどうします? 」
「彼をこの社会からBANさせるだろうね」
俺と西上は睨み合う。 水嶋は素知らぬ顔で俺のコップの液体を啜り、「おぇ、こんな物よく飲めるな」 と言った。 まだ口もつけてないけどな。
一呼吸おいて、西上が再び口を開く。
「いや……でも本当に、もう疑っていない。 3%と言ったのは、私が守っている『刑事』としての姿勢だね。 そのくらいの微かな疑いは常に持っていなきゃいけない、という意味だ」
「そうですか。 それともう二つ質問があるんですけど……いいですか? 」
「ウン。 どうぞ」
西上は前屈みになって手のひらを上に向ける。 前屈みになったのは恐らく、俺のあまりの可愛さに下半身が反応してしまったのだろう。
「まずは、どうして今まで一度も、慶太に接触しなかったんですか? 」
「それは簡単だ。 まず、祥雲寺のメンバー達が非常に優等生だった事。 マークする必要がなかった」
「悪さをしそうな雰囲気ではなかったと」
「その通り。 ……もう一つは、年齢だ」
「年齢? 」
「一番多感な時期で、レムの駆除や幽体離脱に無我夢中になっている子がほとんどでね。 それから、国家権力だとか、そういったものに反発心を抱いているパターンも非常に多く見られる。 ヘタに突けば、一生敵対視されてしまう」
おぉ……なるほど……。
思春期の幽体に接触して失敗した例がたくさんあるのだろうか? たしかに、俺がもっと前に警察から接触されてたら警戒しまくって何も話さなかったような気がする。
西上のこの風貌で気が抜けた部分もあるが、彼ではなくもう少し高圧的な刑事ならかなり適当に対応してただろう。
「私たちが〝もぐら〟と呼んでいる警察の内通者はね、その多くが40代以上だ。 汚い言い方になるが、私たちは生活貧窮者を狙って〝もぐら〟 を金で買う。 当然BANされる幽体も後を絶たない。 幽体離脱者を特定しても、その接触には慎重になっているのが現状だ」
「え……? 若い人だって、お金を出されたら従うんじゃ……」
「いや、それが違う。 『幽体離脱』という経験を、若い子ほど金で売らない。 金では決して買えないもの、という認識が年長者よりもずっと強い」
「せ、先輩……。 お言葉ですが、少し内情を明かし過ぎるのでは……? 」
「黙ってろ柏木」
「でも……」
「レコーダーを止めろ」
「えっ……!? あの、何を言っているんですか……? 今日の先輩はおかしいです、水嶋さんはただの素人ですよ! 」
「いいから止めろ、これは命令だ。 責任は俺が取る」
柏木がスーツの胸ポケットからボイスレコーダーらしき端末を取り出して操作し、少し乱暴にテーブルの上に置いた。
……はぁ〜、なんかかっこいいやり取りしてんな。 今まで全部録音してたのか。 というか西上さんって俺のこと好き過ぎるだろ、美少女って本当に有利だな。 やれやれだぜ。
「水嶋クン、他に聞きたい事は? 」
「あ、はい。 リストを見ても、隊長格に狙いを絞っているみたいですけど……それはなぜですか? 隊長格なんて、まさにBANされたくない幽体の集まりのように思えますけど」
「……その辺りの事情は、相原クンがよく知っているだろう」
野菜ジュースを啜っていた水嶋が間抜けな顔を上げた。 俺を見つめてくる。
「慶太、知ってる? 」
水嶋さんが退屈そうだったので振ってみた。 でも知っているわけがない。 俺が知らないんだから。
「し、知ってるに決まってるだろっ。 でもいいかゆーり、これはな……女子供が首を突っ込んでいい話じゃないんだよっ。 ……そろそろ帰るぞ? なぁ、そろそろ早めに帰るぞ? 」
うわぁ。 やっぱこの子、露骨に飽きてるわ。
「……では私が話そう。 その理由はね、全ての幽体が幽体離脱時の記憶を現実に持ち帰れるわけではないんだ」
「……えっ! そうなんですか? 」
「ウン、ごく一部だ。 隊長格になれるくらいのポテンシャルを持った幽体や、ベテラン……つまり熟練の幽体にだけ、稀に備わる『機能』と言ってもいいだろうね」
「へぇ〜!! 」
……全然知らなかった。 俺は紫苑さん以外の幽体と現実で絡んだことはない。
俺と紫苑さん……あ、それからシラスもその機能を備えているということか。
幽体離脱時に目と耳で捉えた情報を、現実に持ち帰れる機能。
「中には幽体での記憶が全くない人もいる。 記憶が断片的で、夢を見ていたような感覚で戻ってくる人が大半を占める。 つまり……」
「あ。 そうか、幽体で『悪さ』 を出来るのは、限られた幽体だけなんですね? 」
「その通り。 だから私たちは、隊長格に絞って特定を進めている」
「へぇ〜! なるほどなぁ」
「一番怖いのはね、支部単位で悪事を働く事だ。 隊長格たちが結託して現実で関係を持ち、計画を練って悪事を働くパターンが時々ある。 と言うより、私たちが警戒しているのはほぼそれだ」
「ほぉ、ふむふむ。 つまり、慶太が紫苑さんやシラス……中村さんと現実で絡んでいるのも気になる点だと 」
「あぁ。 ただもう、さほど気にしてない」
水嶋が外を見ながら大欠伸をしている。 柏木が若干微笑みつつ、それを眺めていた。
「彼は多分……有部咲もそうだが、悪さをするタイプじゃない。 『刑事の勘』というやつだ。 これがね、結構当たる」
「ふ〜ん……。 なんか知らないことばっかりだなぁ。 慶太からはレムを殺した話ばっかり聞いてたし……。 あ、色々聞いてすみません、ご丁寧にありがとうございました」
西上はうんうん、と頷いた。 隣の柏木がそれを睨みつけているのが面白い。
「……先輩、水嶋さんに甘すぎませんか」
「私は誰に対しても甘い」
ジェンダー問題を軽視する後輩には激辛の癖してよく言うわ。
西上はじっと俺を見据えたままだが、柏木は三ヶ月放置したゴキブリホイホイを確認する表情で西上を見据えている。 水嶋がまた大きなあくびをした。
「……先輩って、もしかして……」
柏木ぃ! 続く言葉は「ロリコンですか? 」だろ? 言っていいぞ、言え! 言うべきだ。 水嶋の退屈を撃ち抜いてやれ。
……いや柏木ちゃん、よく考えたらあんたも人のこと言える立場じゃないな。
「もしかして、なんだ? 」
「……いえ、なんでもありません。 失礼しました」
うっわつまんねぇな。 大人って大変だな本当に。
「これは相原クンに聞きたいんだが……最後に、私からもいいかな? 」
「んぁ? ……あ、最後にしてくださいね。 もう飽きました。 つまらない話は無視します 」
この終盤に来てとんでもないスピードのド直球を放ったなこいつ。
「どうしてこんなに話してくれたんだい? それに、水嶋クンに幽体離脱の全てを話すのは何故かな。 君は、BANが怖くないのか? 」
「あぁ……。 私はもう、いつBANされてもいいの。 慶ちゃ、ゆーりが楽しそうに聞いてくれるから話すし、BANされるか京都旅行するかの二択になったら絶対に旅行を取るし」
うん、あながち間違いではない。
その発言は「95点」だ水嶋。残りの5点は基本がバカだから減点だ。
「……そうか。 今日は本当にありがとう、時間をとらせて済まなかったね。 おい、柏木」
「はい……」
柏木にキレが一切なくなった。
オイルを差さなきゃ動かなくなりそうな動作で、鞄から茶封筒を取り出すと、水嶋の前にそれを置く。
「今回の謝礼だ。 契約金と捉えてくれても構わない……。 是非受け取ってくれ。 今後とも、よろしく頼む」
……賄賂キタっ! めちゃくちゃあからさまに出してきたな。 警察ってこんなもんなのだろうか? さすがにこれを受け取るのは……。
しかし、さっき西上が言っていた『生活貧窮者を金で買う』というセリフがボディーブローのように効いてきたな。 確かに俺は生活貧窮者だけど、それなりのプライドというものがある。 舐め腐りやがって。
水嶋が俺の顔を確認してくる。 割と真顔だったので、朗らかな表情を返してあげた。 どちらにも取れる表情をしてしまったかもしれないが、水嶋なら察してくれるだろう。
「あざっす。 領収書は? 」
「必要ないよ」
迅速に茶封筒をケツポケットにねじ込んだ。 いいぞ水嶋、それは「100点」だ。
おう国家の犬ども、茶封筒の中身が商品券だのペアチケットだの、ケツ拭く紙にもならねぇゴミだったら二度と口聞かねぇからな?
俺たちがファミレスを出ようとすると、「待ち」のお客さんが数組座っていて、外に立っていた私服の男……例のロリコンがその人達に頭を下げていた。 なんらかの事情をこじつけて入店を待たせていたのかもしれない。
現代の印籠を見せ付ければそんな事も容易いのだろう。
「水嶋クン」
「あっ、はい」
水嶋のケツポケットを凝視していると、死神が肩を叩いてきた。
「車で送ろうか」
「いや、結構です。 行き先も特に決まってないので……今日は一日、ノープランでぶらぶらします」
「そうか。 ……唐突だけど、君は『刑事』という仕事にどんな印象を持っている? 」
「……え? そうですね、まぁ、かっこいいなと思います。 大変そうですけど」
「学校の成績はどう? 優秀かい? 」
「刑事ならすぐに調べられるんじゃ? 」
初めて死神が笑った。 案外かわいい笑顔で、笑っている時だけ死神感がかなり薄まる。
「私は小さい頃、刑事ドラマが大好きでね。 後はホラ、警視庁24時とか、あぁいったドキュメントを釘付けになって見ていた」
「へぇ」
「男らしくてカッコいいと思ったんだ。 戦隊モノを見ている時と同じ感覚でね、正義を貫き、悪と戦うっていう」
「はぁ。 まぁ、たしかに。 戦隊モノも、刑事さんも、女性がいますけどね」
「……君の進路に、刑事という選択肢を加えてみるのはどうだろう? 」
なんだその提案。 いや、刑事か……。そもそも確実になれないと思うけど、生活は安定しそうだし家も買えそうだ。 でも、それ以外に何も出来なくなりそうな雰囲気は俺に最もあってないポイントだと思った。
「あ、まぁ……考えておきます」
「考えておいてくれ」
「えっと、はい」
「色々とサポート出来ると思うよ。 じゃあ、また。 何かあったら」
親指と小指を立てて作った「受話器」を耳に当てて、死神はふらふらしながら角ばった車へ戻っていった。 全ての動作から寝不足オーラを噴き出しているようだ。
「水嶋さん。 最初は悪かったわね、失礼な事を言って」
今度は柏木だ。
「あ、いいですよ全然。 私もちょっと生意気でした。 あんなに泣かれたら……。 刑事さんも泣くんですね」
「西上さんがあんな大声で怒鳴るのを初めて聞いたから、ビックリして涙が出ただけよ。 じゃあ、また機会があれば。 あ、それと……貴女、もう少しお淑やかにしていた方が、きっと得をするわよ」
「了解です。 ちゃんと相手の目を見て謝るように心掛けてくださいね。 お疲れ様です〜」
「チッ! 」
柏木は運転席に乗り込み、乱暴に扉を閉めた。
四角い車が駐車場から出て行くと、それに続くように黒いワンボックスも走っていった。
死神の一味……。 興味深い話をありがとな、さようなら。
——さて、もうどうでもいい。 最優先は茶封筒だ。 おや? 水嶋が店の入り口に突っ立って、スマホを弄っている。
「おぅい水嶋ぁ。 どうだ? 一万くらい入ってたか? 」
「え? まだ見てないけど……厚さ的に10万円以上は入ってると思うよ」
「なっ! ……なんだとォッ!? 」
「声でかいなぁ、どうせ商品券かなんかでしょ」
「今っすぐに確認しろォーっ! ミズシマァーッ! 」
「声がデカイってばぁ! 」
「わ、悪い……取り乱した。 いやしかし、け、刑事の話面白かったな? 」
「はぁーあ、慶ちゃんに都合のいい話ばかりでつまんなかったっ! ……チヤホヤされたからって浮かれないでよね」
「……たまにはいいだろ。 人生初チヤホヤだぞ? 浮かれない男がいるもんか」




