滋賀県に初見のケンを派遣してきた件。
「なるほど、これは驚いたな」
「そ……そんな事あります!? 同じクラスに二人なんて……! 」
柏木は水をこぼしたテーブルを拭いているが、ずっと水嶋と俺を交互に見たままだったし、上司に謝りもせず店員に床を拭かせている辺りに狼狽ぶりと無神経さが伺える。
「お前はどうしてそんなに食ってかかる? 全然あり得ない話じゃないだろう。 学年に二人いて、たまたま同じクラスになったってだけの話だ。 それに……」
「嘘です先輩。 この子たちは大人をおちょくっているだけです、私には分かります! この子たちは性同一性障……」
「もう黙れ柏木。 座れ」
柏木は悔しそうだったが、言われた通りに着席する。 依然、俺を睨んだままだ。 こっちとしては頭を回転させる時間が増えて助かるぜ柏木さんよ。
「私たち、学校では隠しているんです。 心と身体のギャップを」
「……ほう」
「今日はプライベートで慶太に会うのが本当に久し振りだったので、つい……」
「そりゃ、あれだけずっと楽しそうな訳だな。 本当の自分でいられる友達だ」
「そう! それです! にしがみん」
『にしがみん』! 水嶋さんは友好路線爆進中のようだ。
「なんだか騒いじゃって、すみませんでした」
「水嶋クン、なぜ君が謝る? 何一つ謝ることはない。 後ろめたいことなんて何もないよ。 むしろ君たちの貴重な時間に横槍を入れてしまったのは私たちだ、本当にすまなかった。 君が公園で不機嫌になった理由も今は良くわかる。邪魔をされた気分だったよな…… 謝るよ」
……なんだコイツ! 怒涛の擁護からの謝罪を畳み掛けてきた。 これまでで一番ハキハキと喋り終えて頭を下げた死神は「柏木、お前も謝れ」と隣の女狐を一瞥する。
それを受けた柏木は全身の力が抜けたみたいに、突然ぐにゃりと姿勢を崩した。 はぁ〜、と長い溜め息に「ごぉめぇんなさい〜」という言葉を乗せて下を向く。
……次の瞬間。
「二人の目を見て謝るんだよッ! 」
ファミレス中に響き渡る怒声。
テーブルに拳を打ち付ける音。
身体を跳ね上げる柏木。
波打つコップの水。
驚きのあまり抱きついてきた水嶋。
ファミレス店内、瞬間冷却の様相!
「すっ、すみませんでしたっ。 すみませんでしたっ」
柏木がビシッと立ち上がり、俺たちに向かって頭を下げてくる。
「ちょっと、ちょ、大袈裟では……」
「えぇ……? あぁん、やっちゃったよぉ……」
ここで俺が考えたこと。
どこでキレるか分からない大人ほど怖いものはない。 そして、おそらくこの挙動からして……水嶋が20ccくらい漏らした。
「先輩、申し訳ありませんでした……」
「お前は悪くない。 相手の目を見て謝る事を躾できなかった親の責任だ」
死神の執拗な精神攻撃。 その言葉がよっぽど効いたのか、柏木は身体を小さくして下を向いてしまった。 肩を震わせている。 多分泣いている。
……急に襲い来る、罪悪感!
俺のついた嘘が結果的に、気丈で勝気な柏木を子供のように泣かせてしまった。 ……大人の感情が急激に変化する様は、どんな状況でも複雑な気持ちにさせられる。 柏木に一発カマしてやりたかった気持ちが、死神の怒声でどっかに吹き飛んでしまったようだ。
「あの、私ちょっとトイレ行ってもいいですか? 」
股間を抑えている。 ズボンに染みているとすれば、20ccという予測はあながち間違ってはなさそうだ。
「驚かせてすまないね。 どうぞ」
「け、慶太! 」
「ん? 」
「なるべく早く帰ってきてくれ」
「ハンドドライヤーがあるから早いよ」
「……ふっ」
凍りついた空気にかなり動揺していたが、下半身丸出しの自分がトイレのハンドドライヤーでパンツを乾かしている姿を想像して、吹き出してしまった。
……しかし、この状況で即座にハンドドライヤーで乾かす発想が出るって事は……さてはお漏らし初心者じゃないなこいつ。
「あの、柏木さんも行きません? トイレ……」
水嶋が提案すると、柏木はずびっと鼻をすすり上げ、「職務中ですので」というクールな言葉に、余計な濁点をたくさん付けてなんとか答えた。
「柏木、行ってこい」
「でも……」
「少し言い過ぎた。 トイレ休憩だ」
「ありがどうございまず……」
二人を視線で追う。 トボトボと歩いていく柏木の肩を、水嶋が優しく叩いていた。
……再び俺の肩を叩くのは罪悪感。 でも、よく考えれば嘘はついていない。 俺の心は男の子で、あいつの心は女の子なんだから。 悪いのは目の前のパワハラ死神野郎である。
「水嶋クン。 ずっと隠して生きているのか? ご両親には? ……イヤすまない、嫌なら答えなくていい」
「えっと……はい、隠しています」
「女性らしい振る舞いを、いつも演じているのか?」
「まぁ……はい。 そうですね」
死神、グイグイ来るな……。 もうやめてくれ、ボロが出てしまう! おや……なんだろう? 死神が卓上に置いてあったナフキンに何か書いている。
差し出されたそれには、「西嶋零次」という名前と電話番号が書かれていた。
「私の本名だ、その事でなにか困ったことがあったら掛けなさい。 きっと役に立てるはずだ」
「はい? どうしてそこまで……」
死神はさりげなく周囲を見回して、グッと顔を近づけて来る。
「私の妹も、君と同じだった」
「……へ? 」
「君のようにそれを隠して生きてきたんだよ。 でも高校を出てから隠すのをやめて、テストステロン……君なら分かると思うが、所謂男性ホルモンを投与する治療を本格的に始めたんだ。 今ではもう、立派な弟になった」
「おぅ……マ、マジですか……」
運命の歯車がガッ、と絡み合ったところに潤滑油を流し込んできたな。
「ウン。 弟の葛藤と苦しみを一番近くで見てきた。 最初は私も、男装する妹を周りと一緒になって軽蔑していたんだ。 ……その時の自分を殴り殺してやりたい程、今は後悔している」
これ当時の妹と今の俺が重なって、味方に堕ちるパターンだ。 そもそも敵なのかもまだ不明だけど。
それにしても合点がいった。 柏木にあれだけブチギレした理由には、そういう背景があったのか。
「君は、自分の心にとって最も負荷が掛からない生き方を選択する権利がある。 そして、それを否定する権利は誰にもない。 親にさえもだ」
あらやだ……何この人。 私、こんなお兄ちゃんが欲しかった……。
「世間は寛容になってきている。 今は、私たちの時代とは風向きが全く違う。 ……あ、柏木が帰ってくる前に番号をしまって。 バレたら懲戒免職だ」
なんだろう。 なんか死神が急にカッコよく見えてきた……? いかんぞ、戻ってこい俺の中の相原慶太。 こいつは国家の犬だ、惑わされるな。
番号の書かれたナフキンを折り畳んでポケットにしまっていると、水嶋のチョコレートパフェが届いた。 どうにも禍々しいオーラを放っていたので、一口いただいておく。
「ただいまぁ」
二人が戻ってきて席に着く。 柏木は目を赤くしていたが、鋭い眼光とシャキッとした背筋を取り戻している。
「あれ? 一口食べた? 」
「いや? 店員さんが運びながら味見してたぞ」
「五歳児も騙せない嘘つくじゃん」
死神が「柏木、説明から」と低い声で言うと、「はいっ! 」とキレよく返事をして、柏木が話を始めた。
「まずは、我々について。 改めまして、警視庁刑事部捜査一課、特捜係第八課、警部補の柏木久美と申します」
「相原慶太ちゃんでぇす」
「水嶋優羽凛くんです」
互いにフルネームを口にして頭を下げた。 それを見た柏木が口角を引きつらせて小さく頷く。
「世の中には科学的に解明できない怪奇現象や、不可解な事件が多数存在します。 それらの捜査を行うのが我々の職務です。 もちろん、公にはされてません」
自分たちが扱う事件は箝口令が敷かれ、徹底的に隠匿されて決して表沙汰になる事はない、と続けた。
柏木は仕事モードに移行したようだ。 喋りが事務的で、無駄がない。
「とはいえ、そんな事件が起こるのはごく稀で、半年に一度あるかないかです。 我々が担当するのは主に……」
柏木が鞄から書類を出して、テーブルに置く。
「幽体離脱者の特定・監視と、その取り締まりです」
「おぉ……! なんだこれ」
その書類に書かれた地図には、各支部ごとの管轄エリアとその範囲、支部名、代表者の本名らしき名前が記されている。
祥雲寺エリアは太枠で囲まれ、その中心部で『祥雲寺・有部咲紫苑』の記載にアンダーラインが引かれていた。
もう一枚の書類には支部別の、隊長格の名前がリストに纏められている。 祥雲寺エリアだけが赤い枠だ。
・祥雲寺エリア
親方・有部咲 紫苑 (25)
若頭・相原慶太 (17)
・部隊長
柊木藍華(18)
ロバート・コーフィ(43)
国吉智治 (61) ※もぐら
驚くべき事に、それぞれの住所までが詳細に書かれていた。祥雲寺の隊長格であるアイカ、ボブ、くーさん。
アイカに関しては直近でいうと『ヒイラギアイカが通るわよ。 道を開けなさい』とか言ってて本名を隠す気がないからあれだが、くーさんの本名は全然知らなかった。
……そして、その実体は※もぐら、らしい。
「もぐらっていうのは? 」
「もぐらとは、警察組織の内通者を指します。 つまり、我々とのパイプを持ち、情報提供をしてくれる幽体の隠語です」
再びリストを覗いてみる。 ※もぐらの表記がない支部の方が多い。
「もちろん、もぐらは全ての支部に存在するわけではありません。 基本的に幽体離脱者は情報の開示を拒みますから……我々の存在を知って、敵対視する方も多い」
「ねぇねぇ、どうして幽体をマークしてるんですか? 悪さをするから? 」
水嶋がテーブルに身を乗り出して聞いた。 チョコレートパフェはすでに空になっている。 おそらく胃袋に直接転移させたのだろう。
「仰る通り、幽体で悪さをする人がいます。 基本的に幽体で現実に干渉することは出来ませんが、二点だけ」
「目と耳ですよね? 」
途中で横槍を入れた俺に、柏木の視線が刺さる。
「そうです。 幽体時に視覚と聴覚で捉えた情報は、記憶に刻んで現実に持って帰る事ができる。 それを悪用しようとする幽体が稀に存在します」
「ウン、分かりやすい例で言うと、幽体で人の秘密を握って脅したり揺すりをかけたりね。 これは対個人にはもちろん、対組織……大企業なんかにも絶大な影響を及ぼす」
柏木、死神のリレー。
一体なんの話しされてんだこれ。 ただのバイト、むしろ遊びみたいな感覚でレムの駆除に精を出してたけど……。幽体離脱に対する認識のギャップがすごい。
「うわ! そのリストといい、割とガチじゃん 」
水嶋が叫んだが、ほぼほぼ俺の心中をそのまま言葉にしてくれた。
「本人たちはあんなに緩〜く楽しそうにやってるのにねぇ。 現実から見ると犯罪組織予備軍みたいな扱いなんだなぁ」
全くその通りだ。 簡単に悪さが出来ることは勿論知っていたが、みんな最低限のマナーを守ってレムの駆除に集中しているように見えたし……それは祥雲寺が優等生ばかりだからなのか。
……しかし、各支部の実体をここまで調べ上げられるって事は。
「お二人はどこの支部なんです? 」
俺の言葉に、何故か柏木が身を乗り出す。
「そう、警察内部にも幽体離脱者はいる。 柏木久美、こいつがまさにそれだ」
隣の西上がそう言って、親指で彼女を示した。
「えぇっ! そうなの!? 」
「あ、相原さんっ! 私、マイパ支部でカシクミと名乗ってます。 覚えておられませんか!?」
全く覚えてないし、シンプルに『マイパってなんだろう』という疑問しか出てこない。
「丸岡駅東口公園支部です。 以前、相原さんがヘルプに来てくださいました。 ウチで完全体が大量発生していた時に、助けていただいたんです。 部隊が私以外全滅して……二体のレムにボコボコにされている所を、相原さんが一瞬で! 」
柏木がかつてない早口で語気を強める。
——ふむ、なるほどなぁ。
ついさっきシラスが『レムを殺す慶太さんのファンだった』とカミングアウトしたばかりだが……彼女もそのクチだったか。
……やれやれ、モテようとしている訳じゃないんだがなぁ。
「そういうことか……」
水嶋が俺を睨んでいた。やれやれだぜ。
「思い出していただけましたか、相原さん! 」
「う〜ん、全く覚えてないわねぇ。 ほら私ってぇ、女性の顔を覚えるの苦手じゃなぁい? 何故ならぁ、興味がないから。 アハハ、やだ。 ごめんなさいね」
この野郎……! このタイミングで露骨なオネェ・ムーブかましてきやがった。 相原慶太の人生史上最大のモテ期を全力で潰しにきてる。
まぁどちらにせよ本当に覚えていないので、結果は同じだったかもしれない。
「そうですか……」
「柏木、私情を挟むな」
「すみません……」
「ちなみに西上さんは? 」
「私は20代の頃にBANを喰らった」
「バン? 」
「チートでも使ったの? にしがみん 」
「いや……そもそもBAN基準が非常に曖昧だからな。 柏木、進めて」
「はい。 ではそろそろ本題に入らせていただきます。 昨晩ですが、所轄から本庁の我々に、二つの不可解な事件が投げられました」
幽体離脱が絡む事件、という事か。
「お待たせ致しました、マンゴーパフェでございます」
「あ、私です」
水嶋はめちゃくちゃ真剣な表情に変わる。 ただ、追加のパフェが溶けてしまうのでスプーンはずっと稼働していた。
俺はこんな話をファミレスなんかでしていいのだろうか、と気になって周囲を見回してみる。
昼時で混み合い始めた店内。
俺たちの周りの席は四名掛け以上のテーブル席ばかりだが、それらには一人ずつしか座っていない。 卓上にはお冷やすら置かれていなかった。
「ポルターガイスト現象です。 祥雲寺エリアに住む男子高校生が眠っている室内で、物が飛び交い、壁に穴が空き、窓ガラスが粉々に吹き飛びました」
……ん? なんか聞いたことあるような……
あ、これメタナカの件か!
それもそうだ。 たしかに世間的には怪奇現象というか、不自然で不可解な事件に映ったはず。 でもそれを嗅ぎつけるのが早過ぎる。 今朝だぞ、今朝。
「ちなみにこの数分前、前触れかのように隣家のガラスがひとりでに割れています」
えっと……そうだ。 メタナカはあの時、外で小窓のガラスを叩き割った。 その現実への干渉を見て、俺はとてつもない危機感を覚えたのだ。
「当事者の、荒らされた部屋で眠っていた高校生はこの子だ。 見覚えがあるね? 」
西上がスーツの内ポケットから一枚の写真を取り出し、テーブルの上に置いた。
体操着姿で頭にバンダナを巻いた田中くんが、快心の表情で両腕を上げている。 短距離走のゴールテープを切った瞬間を、真正面から捉えた写真だった。
「君たちのクラスメイトだ」
「ぶふぅっ! 」
水嶋の口から噴出した生クリームとマンゴーが、西上の顔面に散布される。 俺の脳内に警報が鳴り響いた。
「コラッ慶太ぁ! すぐに死神さんの目を見て謝りなさいっ! 」
「す、すみませんしたっ! 」
おしぼりで顔を拭く西上。 隣でおろおろしている柏木。 水嶋は「すみませんでした」を目が合うまで連呼するようだ。 それでいい、コイツは刑事だから多分拳銃持ってるからな、怒りのツボに入ったら撃ってくるぞ。
「あぁ、いい、大丈夫だ」
よし、なんとか銃殺刑を回避した。
「おい慶太、なんで吹き出すんだよ? 見慣れた田中ケンだろ」
「い、いや……ガッツポーズしながらゴールしてる田中くんは初見だよ。 初見のケンだよ」
そう言って写真を俺の目の前にスライドさせてくる。
その瞬間に俺も盛大に吹き出した。 『初見のケン』というワードを聞いてから見ると印象が180度変わる。 まんまとやられてしまった。
「ねぇゆーり、ゆーり! 」
水嶋がシャツを引っ張ってくる。
「うるさいな。 なんだよ」
不吉な予感。 何かを閃いた、って表情をしている。
「金曜に謁見した大賢者のタナ・ケンが、絢爛豪華な初見のケンを滋賀県に派遣してきた件」
「はっ? なに? 」
「はい! 私は今、何回『ケン』って言ったでしょう〜? ガハハ」
「ガハハじゃねぇよ。 次に何か閃いたら刑事さんに頭撃ち抜いてもらうからな」
「えぇ……閃いただけで? 」
「閃きを顔に出しただけで」
「あ! でもそうかぁ、二人は拳銃を持ってるんですよね! 刑事だし。 ……見たいなぁ」
「テーブルの下を覗いてみな。 お前に銃口向けてるぞ」
「あら、そう? おちんちんを吹き飛ばしてくれないかしら。 手術代が浮いていいわねぇ」
「んふっ! ……オネェジョークめっちゃ上手いなお前! 」
「サーロインステーキセット、ライス特盛でございます。 大変お待たせしましたぁ〜」
「あっ! はい僕ですっ! 」
「君たち……凄いな」
肝が座っているというか……と続けた西上の呟きは、鉄板の上で喘ぎ声をあげる牛肉にかき消された。




