史上最悪の、バッド・エンドをあなたに。
ファーストインプレッションで俺に「死神」という印象を突き付けてきた男。
げっそりと痩けた頬、貧相な身体に、お世辞にも上等とは言えない皺だらけのスーツ。
ハロウィンメイクでもしてんのかってくらいのエグいクマが目の下に刻まれている。
死神の後ろにはパンツスーツ姿の若い女性が立っていた。 背が高く、目鼻立ちがキリッとした女で、耳が出るくらいのベリーショートが顔の鋭いパーツを際立たせている。 そして、周囲にビリビリと殺気を放っている。
「……あの、お兄さん」
「……ん? 何? 」
水嶋……。 死神に対して亡霊のように音もなく急接近したな。 100人に見せたら99人が「ヤバイ奴ら」って直感して距離を取る空気感だぞこいつら。残りの1人がおめーだ水嶋。
よくもまぁ無警戒に口火を切れるな本当に。
「実は僕、死んだ人の魂が見えるんです」
あ。 そうか! こいつもヤバイ奴だったんだ、失念してたわ。 ヤバイ奴とヤバイ奴の邂逅を何回俺に立ち会わせたら気が済むんだ神は。
「……へぇ、死人の魂がねぇ。 この辺にもいるの? 」
おぉ……さすが死神だ……。 さて、ダッシュで逃げる準備をしつつ、お手並み拝見といきますか。 お前のような低級の死神に大天使ユリエルを扱い切れるかな?
「居ますよ、お兄さんの隣にも」
「どんな奴? 去年死んだじいさんかな? 」
……後ろの女はなんでメモを取ってるのかな?
死神の仕事を取材してる若手ジャーナリスト……しっくりくるな。
「いえ。 歯医者さんの魂ですね。 あの、説明に使う口の模型あるじゃないですか? 歯と歯茎のやつ。 あれをカスタネットみたいにして……カッカッカッカッ! ってやってますね。 お兄さんの耳元で」
その気狂い歯科医はなんの恨みがあってそんな奇行に及ぶんだよ。
「……あぁ、もしかしてネタ? 君ってそういうタイプなんだ」
突っ込んでやれよ、飢えてんだから。
後ろの女が死神の言葉に反応し、手帳を胸ポケットに収めた。 ……変な空気になった。 この状況を打開する言葉が俺の引き出しには入っていない。
「水嶋クン。 彼っていつもこんな感じ? 」
困ったからって平然と俺に振るなよ。
ヤバイ奴同士で広げた汚ねぇ風呂敷を畳ませようとするな。
「まぁ……そうですね。 月曜日に頭を打つと、木曜くらいまではこんな感じです」
「………………」
「………………」
「……さっき見てたら、頭を打ったのは水嶋クンに見えたけどな」
こ、こいつまさか……。 俺がにゃんにゃんビームを発射するところを見ていたのか……? まずい、一気に恥ずかしくなってきた。 一瞬で血が沸いてくるのがわかる、もう顔面が茹で蛸みたいになってるはず。
「いつも気怠そうにしている優羽凛が……あんな切れ味鋭い動きを持ってるとは、流石の僕もたまげたね」
水嶋に追い打ちをかけられる。共感性羞恥を誘発させようとしてくる。 こんな突飛な状況なんだからお前だけは俺の味方でいてくれよ。
「あの……どこから見てたんですか」
「ウン、君が大慌てで相原クンのアパートに飛び込んでいったところからだね」
……ん?
「朝ね、お伺いしようと思って張ってたんだけど。 君がすごい勢いで走ってったの見て、泳がせることにした」
……どういう事だ? 朝から尾行られてたって事か?
「……なぜ尾行を? 」
「そうするべきだと考えたからだね」
「何の権限があって? 」
「国の権限」
……うっそだろおい。
ドラマや映画のお陰で、いつの間にか見慣れていた黒い手帳。 縦に開いたそれには、金色のエンブレムが付いていた。
「警視庁捜査一課、特殊事件捜査第八係の西上です」
『冴えないサラリーマン』に何も足さずニで割ったような死神がそう言った。
後ろの女も警察手帳を開いたが、口は開かない。
「アハハッ! 」
嘘だろ? このタイミングで笑う? 俺の全身の血の気が引いたこのタイミングで?
「みずし……慶太、なんで笑った? 」
「あ、ごめん。 だってこのお兄さん……この風貌で『にしがみ』って……ぶふっ」
え……? 何この人……。 現代の印籠を見せつけられてこのリアクションはヤバイだろ。 たしかに死神が西上っていう安易なネーミングセンスを感じさせる苗字には驚いたけど……閉口しとけよそこは。
……でもやっぱり、水嶋も死神を連想していたのか。
「……どうして私たちを? 」
「顔真っ赤にしたり、蒼白になったり……忙しいね水嶋クン」
警察手帳を見せられた瞬間から、俺は考えていた。
入れ替わった初日……水嶋が生卵の爆弾で襲撃し、その報復をしてきたボンレスハム太郎。 俺はそいつを、水嶋の身体で返り討ちにした。
——もしかしてDQN、死んだ?
あいつの頸動脈を締め上げ、気絶させるに留まっていたつもりでいた。 かなりアドレナリンが出ていたので、やり過ぎてしまっていたかもしれない。
あそこで奴の息の根を止めていたとしたら……裁かれるのは水嶋の身体だ。 まだ人も多い時間だったし、何しろ奴のスマホには水嶋優羽凛の写真が収められている。 死亡する……数分前に——。
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俺と水嶋は、紆余曲折を経て少年院にぶち込まれる事になった。
DQNの息の根を止めた俺の刑期は、水嶋よりも3年長く、そのことに異論はない。 ……茫然自失だった俺に、彼女から一通の手紙が届いた。
【私の身体でワンキルかました慶ちゃんへ】
『入れ替わりの魔法が解けても、解けなくても、一緒になろう。 私と慶ちゃんは同罪だから……犯した罪を分け合って、誰も私たちを知らない田舎町で、慎ましく生きていこうよ。 ずっと、ずっと、待ってる』
俺はその手紙に込められた彼女の思いだけを頼りに、厳しい獄中生活を乗り越えた。
周りの女たちの陰湿なイジメに耐え……模範囚として。
三年後——。
とうとう入れ替わりの魔法が解ける事はなかった。先にシャバへ出ていた水嶋は、ただのホモになっていた。
ずいぶん太った。 髪を短く刈り上げ、ヒゲを生やしている。 俺の顔の面影はほとんどない。 相原慶太というより、新宿二丁目の首領だ。 きっと、隣を歩いている男の趣味に合わせたのだろう。
俺の身体を斜め上にバージョンアップさせた水嶋は、「小早川太一朗」と言う名の元クラスメイトと、手を繋いで街を闊歩していたのだ。 自分の食べているソフトクリームを小早川にも舐めさせ、最高の笑顔を2人で撒き散らしている。
俺はその場で膝から崩れ落ち、泣いた。 降りしきる雨の中、号泣した。
それから俺は「殺人鬼・水嶋優羽凛」として親族や友人から迫害され、老人ばかりの貧しい農村に移住し、ここで生涯を終えることを決意した——。
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「あれ? 水嶋クン、なんで泣いてるの」
「俺を捕まえてください……」
「え? よくわからないなこの二人……おい、柏木」
「はい。 車は公園の西側に回してあります」
「おーい……慶ちゃんどうしたの? 」
水嶋が耳元で囁く。
死神が前を歩き、柏木と呼ばれた女刑事が、俺たちを挟む形で後に続いている。
「グッバイ、そしてグッドラック水嶋……俺の身体を堪能してくれ……世の中もBLGTには寛容になってきてるからさ……」
「何言ってるかわからないけど」
束の間の白昼夢を見た俺は、公園の入り口でハザードを焚いて待機している車を見て、すぐ正気に戻った。
……おかしい! あれが警察の車だとはとても思えない。
あの車は「ジープ」って言うのだろうか。すごく無骨で角ばっていて、山道とかを駆け上がれそうな車だ。 警察というより、自衛隊の方を連想する。
その車の前にはデニムに紺色のシャツというラフな格好をして、小さなショルダーバッグを掛けた男が立っている。 少し体格の良い、短髪の男だった。
「あの…… 」
「どうした? 水嶋クン」
そうだ。 冷静に考えれば信じられない。
こんなヒョロヒョロで、成長期の中学生でもぶっ飛ばせそうな男が刑事? もしかして……なにかの罠か。
「さっきの警察手帳、本物だと証明できますか? 」
「お、警戒心が強いお嬢さんだね。 下手に逃げたり拒否しても無駄だよ? そのうち私とお話をする事になる。 面倒ごとは早く済ませた方がいいだろう」
「あの車には乗りません。 本当の警察であることを証明してください。 通報しますよ」
「通報……別にいいよ? ……君は何か勘違いしているね」
そう言って、死神が水嶋に視線を送った。
俺はすぐにスマホで110番にかける。
「私たちが聞きたいのはね、祥雲寺エリアで起こった不可解な事件についてだ。 君ならこの言葉の意味がわかるだろう? 相原クン、君に聞きたいんだよ」
祥雲寺エリア……?
「……先輩、水嶋は切っていいでしょう。 どうせ何も知りません。 相原さんとの……ただの恋仲です。 くだらない時間を消費しても仕方ありません」
【はい、110番です】
「まぁ、一理あるけどな……どうも引っかかるんだよ。 あの慌てよう、真っ直ぐに二人で中村の家に向かった不自然さ」
【事件ですか? 事故ですか? 】
「あ……事件です。 刑事を名乗る不審な人に攫われそうです」
【現在地を確認できますか? 】
「現在地……。 えっと……」
「あー。 水嶋クン、まどろっこしいから、『特捜111系に繋いで』と言ってみなさい 」
「……特捜……111系に繋いでください」
【担当の者にお繋ぎいたします】
110番に電話して、繋いでくれと言われて繋ぐか普通。 特捜111系が秘密のキーワードなのか?
「あぁ、面倒くさい。 水嶋優羽凛、生意気なガキね。 本来あなたに用がある訳ではないの。 我々が話を聞きたいのは、相原慶太さんよ」
柏木が俺にだけ聞こえるように、そう言った。
【はい、お電話代わりました〜特殊事件捜査係です。 目の前にいる二人はですね、間違いなくウチの者です。 西上と柏木、痩身の頰がこけた男と……短髪の、目が鋭い女です。 はい。 これ以上は申し上げられませんので、直接】
一方的にまくし立てられ、電話が切れた。
「さ、相原さん、行きましょう。 署でなくても構いませんから。 ファミレスでお茶でも飲みながら」
「う〜ん……」
ファミレスに釣られるかとビクッとしたが、水嶋もやはり懐疑的で、俺に「なんて? 」と尋ねてくる。
「間違いなく刑事だってよ」
「貴女。 水嶋優羽凛さん? ……子供は家に帰ってスマホでも弄ってなさい」
この女狐さっきから尋常じゃないプレスかけてくるけど……普段からこのスタイルで仕事してんのかな。 俺の親父が汗水垂らして納めた税金が、コイツの血肉になってると思うと反吐が出そうだ。
「……悪いけど、慶太は何も話しませんよ? 私が居ないと。 祥雲寺エリアで起こった事について聞きたいんでしょ? 」
「……貴女は無関係でしょう? 」
何より水嶋を侮辱されてる気がして腹が立つ。
「無関係でも、話しません。 私が居なきゃ何もできない男です。そいつは」
「ハァ……。 本当に子供なのね、呆れた。 もういいわ。 相原さん、とにかく行きましょう。 さぁ車に乗ってください。 水嶋さんはバスで帰って」
「え? 僕は話しませんよ? 可愛い可愛い優羽凛ちゃんが隣に居ないと、不安で何も話せませんねぇ」
「なっ……! 」
ナイス水嶋! この女に一発カマさないと気が済まねぇわ。
「おい、ちょっと待った。 君たちは祥雲寺エリアでの出来事を共有してるのか? 」
女狐とのバトルに死神が割って入ってくる。
「祥雲寺の若頭、年間駆除記録保持者、使う武器は日本刀。 ぜーんぶ共有してますよ。 彼はいつも私に話してくれます。レムの捌き方のコツをお教えしましょうか? 」
「……驚いた。 本当かい? 相原クン」
「モチです。 祥雲寺の僕は……地上最強最カワの優羽凛ちゃんが支えています」
「昨日起きたことも全て、歩きながらずっと彼に聞いてました。 お姉さん、一生懸命せこせこ尾行してても会話までは聞き取れなかったんですか? 」
「このガキ……! 」
「柏木いい加減にしろ。 丁重に扱え、お前は可愛い女の子に厳しすぎる」
俺たちはその車の後部座席に乗り込んだ。
俺と水嶋の間に死神。 助手席に私服の男。
運転席に乗り込んだ柏木を見て、お前が運転するんかい、という言葉が喉元までせり上がってきたが、我慢する。
しばらく走ったところで、隣に座った死神が口を開く。
「既に別働隊が、有部咲紫苑と柊木藍華、ロバート・コーフィに話を聞きにいっている。 君たちが訪ねた中村真心にもね」
ヒイラギアイカ、ロバート・コーフィ。
前者はアイカ。 ロバート・コーフィは……ボブの本名だろうか? ピンポイントで祥雲寺の隊長格を突いている。
エンジンが吹き上がる音と同時に、ポケットの中でスマホが振動した。 バレないようこっそり開いてみると、シラスからのメッセージだ。
【シラス:刑事さん来ました?(笑) 】
かっこわらい!? あれ……そんな軽いテンションで迎え撃ってもいい感じなのかな?
【きてる なにこれ 】
【色々と尋ねてきますが、適当にあしらってオッケーです。 ただ、入れ替わっている事は看破されない方がいいでしょう。 もっと面倒な事になります】
【よくわからんけどありがとう】
【それと、僕と話した内容はボカしてくれると嬉しいです】
【りょうかい】
待てよ、シラスは……味方だよな。
よくわからなくなってきた。 二人の風貌や柏木の態度で一方的に敵だと認識してしまったが、相手は刑事、つまり国家公務員だ。
柏木も「相原慶太」の存在には腰が低かったし、別に警察署へ連行される訳じゃない。
ファミレスでお茶を飲みながらなんて……相当友好的に事を運ぼうとしてるように思える。
……じゅるり、と唾を啜る音が聞こえた。
「何食べようかな……」
はい、水嶋。 この危機感のなさ。 完全にファミレスで釣られている。
赤信号で車が止まると、運転席に居る柏木が身体を捻って水嶋を見た。
「相原さんはあまりサンドイッチを食べていないようにお見受けしました。 何でも好きな物を召し上がってくださいね」
「ほう……柏木君、経費で落ちるのかね」
「ふふっ! えぇ、落とせますから。 存分に」
柏木は水嶋に頷きかけ、振り返り様に真顔で俺を睨んでから前を向いた。 下手したら舌打ちもしていたかもしれない。
コイツは多分、美少女に親を殺されたか恋人を寝取られたのだろう。 しかしそうだとしても、罪のないただの美少女である俺に対して最初から高圧的だった女だ。 この敵対関係はまだ続く。
ファミレスに着いた瞬間、助手席に座っていた男が車からすぐに飛び出し、後部座席のドアを開ける。 最後に俺が降りる時には紳士的に手を貸してくれた。 おそらくロリコンだ。
「いらっしゃいませ、何名様でしょうか」
「四名です」
そのロリコンは店内に入らず、入り口付近で後ろ手を組んで突っ立っていた。
水嶋は座った瞬間「フウッ! 」と陽気な声を上げてメニューを開く。 全員が席に着き、テーブルにはお冷やが四つ乗った。
「慶ちゃ……優羽凛っ、パフェにお金使わずに済んだねっ! 」
「……そうだな」
あぁ、殴りてぇ……。 三日ぶりくらいに殴りたいと思ったわ。 コイツの頭カチ割って中覗いてみたい。 自分の脳がコンニチワするだけかぁ……もどかしい。
「相原クン」
「えっ、なんですか」
水嶋は忙しなく頭を動かし、死神とメニューを交互に見る。
「……頼んでからにする? 」
その言葉を聞くや否や、死神を見据えたまま呼び鈴を押す。
「お待たせ致しました」
「あ、えっとぉ……チョコレートパフェを」
そこで言葉を区切り、俺の顔を覗いてきた。
3秒見つめて店員に視線を戻す。
「それと、季節限定果肉たっぷりマンゴーパフェで」
「待て待て、私はパフェ要らないよ」
「馬鹿を言わないで。 どっちも僕のだ」
「何でこっちの顔を確認したんだよバカ」
「あ、店員さん、マンゴーの方は食後で」
「本来どっちも食後だけどな」
死神が無表情で手を挙げる。
「あと、ドリンクバーを四つ付けてもらえるかな」
「かしこまりました。 以上でよろしいですか? 」
それが、よろしくないんだよな。
「すみません、俺、霜降りサーロインステーキのライスセット。 ライス特盛で」
「……はい!? ダメだよ太っちゃうだろぉ?! 」
「食欲には勝てないんだよ! 」
「何を言ってるのおじぃちゃん! さっきサンドイッチ食べたでしょ! 」
「……ごめん、あの、君たちってさ」
【入れ替わってる事は看破されない方がいいでしょう。 もっと面倒になります】
シラスのメッセージが頭に浮かぶ。
柏木もお冷のコップを持ったまま硬直していた。
……まずいか? いや、でもそこまで露骨には……。
「ご注文は……」
「あ、それでいい。 お願いします」
「はい。 ありがとうございます。 ごゆっくりどうぞ」
死神は下唇を噛んでいて、何か考えているような素振りに見えた。
「……こういうのは言葉を選んだほうがいいな。 もし違ったら申し訳ないんだけど」
死神が俺の顔を見つめる。
「君の心は男性で」
水嶋に視線を移す。
「君の心は女の子? 」
……そうくるか! ……いや待て、これは結構都合がいいんじゃないか……?
「心と性別のギャップに、違和感を持ってる? 」
「……はい、おっしゃる通りです。 心と肉体のギャップに悩む二人が……出会ってしまったんです」
「そうか……。 交際している訳じゃなかったのか」
水嶋がちらっと俺を見たので、小刻みに頷く。 『ここはその路線で行こう』のサインだ。 ちゃんとやれよ。
「ふふっ。 見破ったのはあなたが初めてよ。 さすが刑事ね……西上さん 」
ちょっと極端すぎるけど良くやった。
【カシャァン! 】
「冷ったっ! おい、何やってんだ柏木……」
お冷のコップをテーブルに落とした柏木は、目を見開き、口をぽかんと開けて水嶋を凝視していた。




