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中村さんちの真心ちゃん。(下)


 テーブルの上に置かれたのは、おとといシラスと一緒に殺したレムのフィギュアだった。


 「……いやいらんわ! 」


 水嶋が手にとって、「そうだこんな形だった」とか「上手いなぁ」とか言いながら、色んな角度から眺めはじめる。 どうも紙粘土でできているらしい。


 「どうしてこんなの作ってるんだよ? 」


 「う〜ん……殺したレムの供養みたいなものだと思っていただければ」


 「あのショーケースはさすがに狂気を感じたぞ」


 視線を部屋の隅に送って口をキュッと結ぶ。 恐縮するようでいて、少しおどけたような、よくわからない表情だ。


 「ありがとうしらすちゃん! 」


 「……嘘だろ。 それ嬉しいか? 」


 「うん。 思い出の品になるでしょう? 」


 「そうか……? まぁ、言われてみれば……」


 シラスは足元をゴソゴソやっている。 ちらっと下を覗いてみると、俺たちにお披露目する品をいくつか準備していたようだ。


 「次はこれですね」


 同じ二冊の本を机の上に立てた。

 【大海を泳ぐ、小さなしらすの退屈な日常。】というタイトルの本だ。 その表紙に使われている写真というのがまた珍妙で、中世ヨーロッパの貴族みたいな大家族が食事をしているテーブルの上で、メイド服を着たシラスが正座をしてお茶を飲んでいる。


 「いらんわっ……いや、それはいるな。 ありがとう、読ませていただきます」


 二人で手にとってしばらく眺める。 俺が水嶋に手渡すと、彼女は大切そうに二冊の本をリュックにしまった。


 「シラス、聞きたかったのは入れ替わりのことと……母ちゃんの件なんだけど」


 「はい、そうですよね」


 シラスは明らかに表情を引き締めて、姿勢を正した。


 「……お母様と僕は幽体で知り合いました。 桃乃さんは案内人だったので、新人の教育係のようなポジションでみんなに親しまれていました」


 「……案内人? 」


 「はい。 幽体離脱は、『誘う側』と『誘われる側』の幽体がいるんです。 案内人は前者です」

 

 シラスは解説を始める。

 なんでも、エリア周辺で卒業者やその地を離れていく幽体が増えてくると、人員を補充するかのように新たな幽体を連れてくる人がいる、との事だった。


 「どうやって連れてくるんだ? 」


 「現実で関わることが条件になっているかもしれません。 例えば僕の場合、案内人と昼間に少しだけお話をしました。その夜に初めての幽体離脱です」


 案内人に現実で接触することが幽体離脱の条件なのか。 俺の場合は母ちゃんがその対象だったということだろう。


 「ねぇ、もしかして慶ちゃんも案内人の力があったんじゃない? 私の事もそうだけど……田中くんのもあれ、幽体離脱みたいなものでしょう? 」


 「そうなのかなぁ。 ……じゃあさっき会った女の子も高座桜ヶ丘西急(コウサクセイキュー)支部の案内人と会ってたってことになるのかね」


 「なんの話です? 」


 シラスがすぐに反応したので、まずは昨晩起きた田中くんとの死闘を思い出しながら話すことにした。

 自分でも驚いたのは、一つ一つの場面(シーン)ははっきりとした映像が頭に浮かぶのに、まるで脳にストッパーがかかっているみたいに上手く言葉に変換できなかったことだ。


 例えば『昨日どんな夢を見た? 』と問われたとして。


 インパクトのあるシーンは思い出せるけど、その場面に至るまでの()()が抜け落ちてしまっているような、そんな感覚と似ている。

 俺の話に耳を傾けながら、シラスはボールペンを手にとって書類の裏にメモ書きをしていた。


 「とても興味深いです。 さっき会った女の子というのは? 」


 道端でレムの絵を書いていた女の子の話をした。 その少女が京都旅行で、『霊夢』を祀っている不思議な神社に行ったことも。


 「その女の子が言っているのは哀楽喜(あいらき)神社の事でしょうね。 正確には祀られているのはレムではなく、レムの駆除を行なっていた天狗です」


 「知ってるんかい 」


 「行ったこともありますよ。 とても良いところです。 近くで川のせせらぎが聴こえて……静謐(せいひつ)な時を過ごせました」


 「しらすちゃんひとりで行ったの? 」


 貰ったレムのフィギュアを左右に振って、水嶋が腹話術のような裏声で聞く。


 「いえ、ひとりではないです。 知り合いの民俗学者と行きました」


 なかなかパワフルな人脈をお持ちのようだ。 しかし考えてみると、「ボクっ娘」ならぬ「ボクおばさん」は民俗学的にも興味深い観察対象なのかもしれない。


 「やっぱりレムとか幽体離脱と関係がある神社なの? 」


 「ええ、間違いないですね。 山間の集落で『奇妙な物の怪が現れる悪夢を見てしまう』という人々の相談を受けた天狗が、自らその悪夢の中へと入って物の怪の撃退法を指南した、という伝承が残っています」


 「天狗……? 」


 「ここで言われている天狗というのは、修験者(しゅげんしゃ)の事を指しているのではないかという説が有力です。 山岳信仰をベースにした宗教の一種で……山に入って厳しい修行をする僧のことですね」


 「えっと、待てよ待てよ。 ようするに……幽体離脱できる大昔の修験者って奴が、レムの捌き方をみんなに伝授したって話? 」


 ——レムを知っている僕たちからすれば、そうなりますね。


 シラスはそう言って、言葉を続ける。


 「当時は異常気象で飢饉(ききん)の真っ只中だったそうです。 集落で相談を受けた天狗は、『災いをもたらす物の怪だけを退治し、有益な物の怪は残すこと。 そうすれば苦難を乗り越えられる』……まぁざっくりですが、そんな感じに説いた。 それから人々は丑三(うしみ)つ時になると夢の中で大きなクスノキの元に集い、物の怪の退治に繰り出したそうです」


 「おぉ……それってもしかして、『羽が生えたレムちゃんだけ殺しなさいよ』って事かなぁ……」


 「みんなで集まってレムを殺しに行く。 やってる事は今と変わらないな」


 「それから程なくして天候が回復し、翌年は大豊作だったそうです。 農作物の収穫と天狗の教えに因果関係があるとは思えませんが、直後に飢饉(ききん)を脱したことで、このエピソードに(はく)がついたのでしょうね。 幽体の集合場所になっていたクスノキの巨木が哀楽喜神社の御神木(ごしんぼく)になっていますよ」


 「面白いな……俄然(がぜん)行きたくなってきた」


 「しらすちゃん、宿は? 近くにいい感じの旅館はないの? 」


 「えっと……少し離れますが、僕が泊まったのは一日3組限定の民宿でした。 お食事がとても美味しいんですよ。 京野菜と川魚が……あの時は鮎の塩焼きが絶品でしたねぇ、思い出すだけで唾液が……」


 「露天は? 部屋に露天風呂はついてないの? 」


 「えーっと……一室だけついてた気がしますね、お高かったので選びませんでしたが。 なんせロケーションが素晴らしいんですよ、部屋の大窓から渓谷が見えるんです。 しなやかにそよぐ木々と、荒々しくも沈黙を守る無骨な岩肌の対比が素晴らしい。 まさに神が描いた芸術ですね」


 「おほぉ……こりゃ決まりだね慶ちゃん。 今すぐ予約してくれる? 」


 「二人ともちょっと待って、今その……映像が直接脳内に投影される系の会話しないでくれる? 」


 「あぁ……僕はお二人と話していると、こう……胸のつかえが取れていくような、喉に絡んだ痰が消え失せてしまうような……そんな不思議な気持ちになります」


 「あーわかったわかった。 話を戻そう」


 「対応が雑になってきましたね慶太さん」


 隣で水嶋がスマホを取り出した。 ちらりと覗くと、『あいらき神社 京都』 で検索をかけている。


 「えっと、では話を戻しますが……桃乃さんとは幽体だけの付き合いでした。 大学に入るまで」


 「あぁ、そうだ。 大学の同期なんだよな、母ちゃんと。 幽体ではどうだったんだ? 」


 「幽体ではプライベートな話は一切しませんでした。 レムの駆除は、そうですね……『深夜に同じゲームで遊んでいた』という感覚が近いです」


 シラスは足元から銀色の缶を持ち上げて、机の上に置いた。 ちょっと高級な煎餅でも入ってそうな正方形の缶で、フタを開けると、大量の封筒がぎっしり詰まっている。


 「桃乃さんとの文通です。 桃乃さんからは女としていろいろなことを学びました。 ……僕は桃乃さんに恋をしていたのだと思います。 最初に渡したラブレター紛いの手紙を律儀に返してくださって、月に二通、交換日記のように三年間続けました」


 「シラスちゃんってレズなの? 」


 「うーん……正確には、元、ですかね。 今は男性が好きです」


 「そういうのって変わるものなんだ……」


 水嶋はスマホに視線を戻す。 なんとなく話は聞いているみたいだ。


 「慶太さん、お読みになりますか? 」


 「いや、いいよ。 これは母ちゃんとシラスの思い出だし」


 「読まれて恥ずかしい事は書いてありませんけど」


 「母ちゃんは恥ずかしいかもしれないだろ。 ……ところでさ、どうして今まで黙ってたんだ? 紫苑さんもだけど、それが一番不気味だったんだよ」


 これまでノータイムで返答してきたシラスが、俺の言葉に少し考えるようなそぶりを見せた。


 「その理由は二つあります。 まず一つは、紫苑さんの方から『桃乃さんの話はしないでくれ』とお願いをされていました」


 「紫苑さんに? 」


 「隠すような真似をして申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げられた。 真意はまだわからないけど、こんな形を取られたらこっちが申し訳ない気分になる。


 「あっ、いや、謝られても困る。 別に責めてるわけじゃないんだ。 本当だよ」


 「いえ。 僕は紫苑さんの話を聞いて、外野で眺めているだけでした。 ゆうりちゃんの登場で間合いを詰めただけの、物見遊山の卑怯な野次馬です」


 「卑下しすぎだろ。 でもどうして紫苑さんはシラスに口止めをしたんだろう」


 「紫苑さんはきっと……彼女なりのやり方で、慶太さんのヒーローになりたかったのだと思います」


 隣を見ると、水嶋はいつになく真剣な表情でシラスを見据えていた。


 「池に足元の小石を投げ込めば物理法則に従って波紋が広がりますが、人の心はそうはいきません。 小さな笹舟を浮かべただけで龍神の怒りを買い、大津波が起きてしまうかもしれない 」


 ——それが怖かったのではないでしょうか、とシラスは言った。


 「紫苑さんは、慶太さんと幽体で関わり続ける事を最優先にしていたように思えます。 要するに、慶太さんが幽体離脱できなくなってしまう要素を徹底的に排除しようとしていた」


 たしかにそれは、本人からも直接言われた気がする。

 俺がもっと早く事実を知っていたらどんな行動を取っただろう? 祥雲寺のメンバーに母ちゃんの事を聞いたりして、感傷に浸ったりもしただろうか? 幽体離脱という現象に疑問を持って、闇雲に詮索していたかもしれない。


 「理由は二つあるって言ってたけど、もう一つは? 」


 「慶太さんと僕は、過去に二度会ったことがあるんですよ。 覚えていませんか? 」


 「……ごめん、全く覚えてない」


 「一度目は35歳くらいの時でしたか、街でバッタリ会いました。 桃乃さんとプライベートでの親交はなくなっていましたけれど、ご挨拶を」


 「全っ然記憶にない……その時の俺って小学生くらいじゃないか? 」


 「はい、弟くんもご一緒でした。 僕はどれだけ頑張っても子供が出来ませんでしたので、桃乃さんがとても羨ましかった」


 声のトーンは変わらないけれど、シラスは微かに目を細めた。 ウィキの情報によると、彼女には二度の離婚経験がある。

 

 「二度目は桃乃さんのお通夜の時です。 僕は慶太さんに話しかけました。 『私の事を覚えていますか? 』って」


 思い出そうとしてみたけどダメだった。

 あの時の事で覚えてるのは、母ちゃんの遺影と無駄に艶のある床だけ。 周囲にいた人たちを、生き物として認識していなかった。


 「話したのか? 俺、なんて答えた? 」


 「『知らねぇよ、話しかけるな』と……」


 「(とが)っててすみませんでしたぁ! 」


 「いえ、僕もひどく軽率でした。 親の死というものに対して人よりもドライなんだと思います。 ただ僕はその時、慶太さんの傷の深さを知り……そのストレートで飾り気のない言葉に痺れてしまったのです」


 「しらすちゃんってMなの? 」


 こいつ性癖が絡みそうな話題ばっかり茶々入れてくる節があるな。


 「う〜ん……どちらかと言えばMなのですが、攻めに定評があるというジレンマを抱えていますね。 まぁ、どちらも楽しいので両刀という事で」


 こいつもブレねぇなぁ。


 「慶太さんは桃乃さんによく似ています。 僕はある種、ファンだったのですね。 現実ではなく、幽体でレムをザクザク殺している慶太さんの。 近くで見ていて、時々垣間見える桃乃さんの面影に胸を躍らせていました。 その距離感で充分だったのです」


 「おとといの夜はさんざんディスられた気がするけどなぁ」

 

 「子供は好きな子を虐めたりちょっかいをかけたりするじゃないですか。 あれと同じですね」


 「いい大人がなに言ってんだよ」


 「夢のような時間でした。 あんなに楽しい幽体離脱は本当に久しぶりで……こうして会いに来てくれて嬉しかったです。 これからもお友達でいてください」


 「もちろんだよ。 こっちからもお願いします。 ……ところでさ、シゲオさんって知ってる? 」


 「シゲオさん? 」


 「昨日さ、シラスにレムの駆除を教えたっていう幽体とたまたま会ったんだよ。 シゲオさん、覚えてないか? 原始人みたいな、顔の濃ゆーいおじさん」


 「それ、本当ですか? どうですかね……居たような、居なかったような……」


 「……まぁそれはいいや。 ずっと気になってたんだけど、シラスの本名はなんて言うんだ? 」


 シラスは3秒くらい瞼を閉じていた。

 もっと長い時間だったかもしれない。 彼女はすっ、と息を吸い、淀みのない瞳を俺に向けた。

 

 「……中村(なかむら)真心(まこ)と申します。 真心(まごころ)と書いて、マコと読みます」


 「そっか。 もっと仲良くなったら、()()()()()()()()も教えてくれるのかな 」


 揺れるカーテンに一度目をやって、中村(なかむら)真心(まこ)は穏やかに微笑んだ。


 「あぁ、もう……。 なんてステキな言い回しなんでしょう……堪りませんね。 また痺れてしまいました」


 これだけヒントを出されたら嫌でも引っかかる。

 今の自分には対応しきれないから、遠回しに伝えてみただけだ。


 中村真心はテーブルに両手をついて、深々と頭を下げた。


 「今後とも仲良くしてやってください。 なにか困ったことがあれば力になります。 僕にできる事なら、なんでも」


 水嶋はキョトンとした間抜け(ヅラ)を俺に向けていた。 締まりのねぇ顔面だな、と率直に思う。


 「……この部屋を誰かに見せたのは初めてなんですよね。 婚姻届を一緒に出した相手にも見せていません」


 「見せてたら婚姻届を出さずに済んだんじゃないか? 」


 「ブラックジョークもいけるんですね、慶太さん」

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異世界転生チーレムギャグ小説も書いております。 『始まりの草原で魔王を手懐けた男。』 ←よかったらこちらも覗いてみてください!
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