中村さんちの真心ちゃん。(上)
「お二人はいつもお揃いの服を着ているんですか? 」
俺たちが立ち上がったとき、ちゃぶ台の上をテキパキと片付けていたシラスが尋ねてきた。
「まさか。 今日は特別だよ」
そう答えると、俺のTシャツにプリントされたキャラクターをじっと見つめてくる。
……本当に綺麗で整った顔立ちだ。 ほとんど化粧もしていなくて、繕った感じのしない自然さ。
幽体の幼いシラスもたしかに可愛らしい顔立ちはしていたけど、そこから『歳をとった』というより、『レベルアップをした』という表現がしっくりくる。
「……可愛いキャラクターですね。 どこで売ってるんですか? 」
か、可愛いキャラクター……? どれだけ醜悪なものに囲まれて生きてきたらそう思えるのだろうか。 プリントされているキャラクターは、かなり好意的に見ても、熱中症にかかって死にかけている不細工なペンギンにしか見えない。
「あ、しらすちゃんわかってる! これ可愛いでしょう? 私のオリジナルキャラクターなんだ」
「ええっ! 自作なのかこれ!? 」
言われてみれば、このTシャツが店頭に並んでいる姿は全く想像ができなかった。
胸の辺りに「憂鬱の薔薇」とか「陰鬱侍ノ魂」とか書いてあれば成金のアメリカ人がギリギリ買ってくれるかもしれないが、それでも年に一枚売れるかどうかだろう。
「プリントTシャツ簡単に作れるからね。 本当は文字を入れるつもりだったんだけど、発注ミスしちゃったの。 家に在庫が50枚くらいある」
「ご、50枚!? とんだ大赤字だな。…… ネットで売ってみたら? 」
「いやぁ、失敗作を売るわけには……」
「僕、欲しいです。 おいくらですか?」と変わり者の日本人女性が聞いた。 需要というのは、思いもよらない所にあるようだ。
「えっ、しらすちゃん買ってくれるの!? 」
「はい。 これを着たら二人の仲間になれる気がします」
「うわぁ、変わってるね。 ……えーっと、会員価格だから……五枚二千円でいいよ」
「強制入会させんなよペテン師が。 というかシラス、そんなに雑巾に困ってるのか? うちの余ってるから五枚千円でいいぞ」
「……この子はなんというキャラクターなんです? 」
俺のノリボケを無視して、今度は水嶋のTシャツを指差した。 水嶋は得意げな顔で「ふふん、ケータローって言うんだよ」と答える。
「けいたろう……」
シラスは俺を見る。 こっち見るな。 水嶋はTシャツの裾を両手で掴んで、自作のキャラクターに視線を落としていた。
「うん、この子はね、相原慶太郎って言うの」
「勝手に弟を増やすな」
「ふふっ。 えっと、ビジュアル的には……鬱病のカワウソとかですかね? 」
「ううん、惜しいけど違う。 ケータローはペンギンだよ。 群れの中でもぶっちぎりに頭が悪いせいで、みんなが餌にしてる格下のお魚さんからもバカにされてるの。 そんで不貞腐れて寝てるペンギン」
「なんか弟をバカにされてる気分になってくるから変えてくれる? その設定」
シラスは「とっても可愛いですよ」と笑って俺の肩を叩く。 気安く触るな。
「……あ、そうだ。 三人で記念写真を撮りませんか? 」
記念になりそうなイベントはまだひとつも起きてないけどな。
「おっ、いいねぇ! お近付きの印にね」
「ゆうりちゃん、まだお庭にペストはいますか? 」
「うんうん。 木陰で舌出してこっちを見てるよ」
シラスはそれを聞いて、「ではお庭で撮りましょう」と庭側の廊下をパタパタと走っていく。 すぐに戻ってきたその手には、一眼レフのデジカメと三脚を持っていた。 水嶋も本格的なセッティングを見てノリノリである。
こうなったら多分止まらないので、大人しく従って庭先で写真を撮ることにした。
「ちゃっちゃと済ませるぞバカども」
先に玄関で靴を履いて庭先に出たけど、肝心の二人は一向に出て来ない。 なにやら部屋の奥でワイワイやっているようだ。
「おーい! 遊びじゃねぇんだぞアホどもぉ! 」
水嶋が顔面にセロテープをベタベタに貼り付けて登場した。目はほとんど線になっているし、鼻は極限まで上を向いている。 口は右上に吊り上がっていて、一番意味がわからないのは、両耳を畳んでガムテープで完全に塞いでいる事だ。
「とぉほ? 」
「どう?って言われても……。 資源の無駄遣いとしか」
「ふぉもひほひ? 」
「いや全然面白くねぇよ? 早く撮るぞ」
「ほ? 」
「だからぁ、全然面白くねぇって。 そんなに見つめられても同じだ……んふっ! ほらぁ、さっさと撮るぞ」
「……??? 」
「耳が塞がれてるからだバカ野郎ぉ! 耳のやつだけは外せよ! 」
俺は物に頼らず、己の表情筋のみで数パターンの変顔を作って撮影に臨む。 シラスは時々カメラを調整し、ずっと楽しそうに笑っていた。
撮影が終わってから、顔面の80%を覆っていたテープ類を力任せにむしり取ると、水嶋は顔面を抑えて芝生の上で打ちひしがれている。
「お二人さぁん! 撮りますよぉ〜」
三脚を片付けようとしていたシラスが一眼レフをこちらに向けていた。
水嶋はすぐに立ち上がり、両手を広げて片足で立つ形の、変なポーズを決める。
「なんだそれ」
「かっこいいでしょ? 」
俺は水嶋に対抗して、仮面ライダーが変身する時のポーズを取ってやった。
「おぉ、素晴らしい写真が撮れました」
「しらすちゃん! 今のやつ、私のスマホに送ってぇ! 」
「了解でぇす! 」
シラスがにっこり笑って、三脚と一眼レフを持ってフェードアウトしていく。
「おい水嶋、あんな写真どうすんだよ。 用途によっては俺に拒否権もあるぞ」
「ん? アイコンにするに決まってるでしょ」
「早速だけど拒否権使っていいか?」
二人で玄関に戻ると、シラスが待っていた。 半身になって、『こちらへ』というポーズを取っている。
余計なイベントが絡んだけど、『お見せしたいもの』が二階にあるという口ぶりだったはず。
人がすれ違えないくらい狭い階段を家主の先導で上っていくと、上りきった先には正面と左手にドアが一枚ずつ。シラスは左側にあるドアを開け、俺たちへ先に入るよう促してくる。
「う〜わぁ! 」
驚きとも、ドン引きとも取れる「う〜わぁ」が、先に入った水嶋から放たれた。 俺はその後を追って部屋に入る。
一目見て率直に、「趣味のいい部屋だな」と思った。 左側の壁いっぱいに天井まで届く本棚があり、小難しそうな本がぎっしり並んでいる。 L字型に据えられた革張りのソファー、木製のローテーブル、そして、窓際にはパソコンが乗ったデスク。 白いレースのカーテンがそよ風に揺られていた。
……きっと仕事をする部屋なのだろう。
パソコンデスクの上には書類が山になっていたり、テーブルには様々なジャンルの本が積まれていて、その多くには何枚もの付箋が挟んであった。
「おい水嶋、何がう〜わぁ、なんだよ。 ……ん? ……う〜わぁ……!」
俺の口から水嶋と同じ「う〜わぁ」が飛び出してしまった。
隣の部屋とは襖で仕切られる構造になっているけど、今はそれが全開になっていて、水嶋の視線はその先に注がれている。
——レムの模型だ。
長方形の部屋、正面の壁際に据えられたガラス張りの大型ラックの中に、レムの模型が大量に並んでいる。 薄暗い部屋に置かれたそれは六段構成で、一段ずつ青白い光でライトアップされていた。
「これは……? 」
「僕が今まで殺しに関わった全てのレムです。 彼らに囲まれて僕は眠ります」
レムの飾られたラックの隣にはベッドがある。 それもそれで変わったベッドで、枕も布団も全てが黒い。 俺は「こんな布団どこで買うんだよ」というツッコミをなんとか飲み込んでいた。年上女性に誘われたこの部屋で、なんでもかんでもツッコミをかます尻軽野郎だと思われるのも癪だ。
「見せたいものって、このレムフィギュア? 」
「えぇ、それもですね」
ラックの中のレム。 下段の方は鼻を垂らした小学生の工作レベルだけど、最上段になると見違えるほどにハイクオリティで、着色やポージングも含めて今にも動き出しそうな躍動感。 特に一段目から上は、急にやる気になったような上達ぶりだ。
「下から飾っていったんだな」
「はい。 殺したレムを時系列に左下から並べています。 漫画の読み方と逆ですね」
シラスはパソコンデスクに座って、パソコンを立ち上げているところだった。 いつのまにか眼鏡を装着している。
「……慶太さん、僕が今、最も恐れているものが何だかわかりますか? 」
「え? ……いや、いまんとこ怖いものなしのイカレ野郎にしか見えないよ。 なにが怖いんだ? 」
「ブルーライトです。 パソコンの光は、あまりにネガティヴ過ぎる」
ブルーライトカットの眼鏡なんだろうな。 ということが分かったところで、ノーリアクションで部屋に視線を戻す。
水嶋は「ほぇー」とか「おー」とか漏らしながら、ラックにへばりつくみたいに上段のレムフィギュアに見入っていた。
次に目に付いたのは、ベッドのちょうど真上にあたる天井だ。 そこには巨大な魔法陣の描かれたポスターが貼ってあった。 目を凝らして見てみると鉛筆くらいの道幅の複雑な迷路になっていて、円の外側にいくつかの矢印が置かれている。
「1時の方向にある矢印からスタートして、8時の方にある4つの出口のうち、いずれかに出れます」
声をかけてきたシラスはパソコンとにらめっこしながら、キーボードの上で指を滑らせている。 まるで俺が今、何を見ているかわかっているみたいだ。
「所々にある、ビルマ文字の入った図形は運勢を示す部屋です。 右側の入り口は4つの出口と、12の部屋に繋がっています」
「どうして天井に? 寝る前にやるのか? 」
「ええ、ベッドメリーと同じですね」
「ベッドメリー? 」
「赤ちゃんのベッドの上に吊るして、メロディが流れながらおもちゃがくるくる回る、あれです」
「あぁ〜……あれか。 ベッドメリーって言うんだ」
「私にとっては同じ機能です、その迷路は」
「……迷路にあやされる42歳か、世も末だな。 どこに売ってんだこんなもん」
「ミャンマーの街角でシルバーアクセサリーを売っていた露天商の老人から買いました」
「もうどこからツッコんでいいかわからないから喋らないでくれるか」
「ちょっと辛辣じゃないですか? 」
俺の隣に移動してきた水嶋が、魔法陣の迷路を見つめている。 口を開けたままアホ面を提げて眺めているので、きっと挑戦しているのだろう。
「よろしければソファーにお掛けください」
振り返ろうとして部屋の一角の違和感に気付く。 沢山の写真が飾られている壁だ。
写真の一枚一枚が装飾の施された高価そうな額に入って、壁に掛けられていた。
——そのすべてが、幼いシラスの写真。
家族や友達と写っているものは一枚もなく、シラスの他に生き物が写っている写真と言えば、ペストを抱きかかえているものがたった一枚だけ。 ど真ん中で笑っているシラスはA4サイズほどの大きさで、普段俺が見ていた幽体の風貌と全く同じだった。
「慶ちゃん? ……うわぁ、どんだけナルシストなのしらすちゃん。 自分大好きでしょ」
「水嶋、ソファに座ろう」
全ての言葉を飲み込んで水嶋の背中を押す。
「待って待って、まだ迷路が……」
「そんなもんに惑わされるな。 ツッコミがいくつあっても足りなくなるぞ」
「あ。 部屋についた。 牛? 馬かな? 」
「ゆうりちゃん早いですね。 道を飛ばしてませんか? 」
「うん。 ちゃんと道を辿ったと……思う」
「その牛の部屋、ビルマ文字でなにが書かれているかわかりますか? 」
「わかるわけないけど……当ててみる。 えっと……ビーフカレー? 」
「カステラじゃ腹が満たなかったみたいだな」
「ふふっ。 その部屋に書かれているのはですね……『相思相愛』、です」
俺と水嶋はソファに腰掛ける。 シラスもパソコンのネガティブな光から離れて対面に座った。 この部屋だとなぜか、仕事の打ち合わせが始まるような気分になってくる。
「よし、まず最初に……ちょっといいかシラス? 」
「どうしました? 」
「情報量が多過ぎるわこの部屋ぁ! 」
憤りを手のひらに乗せて、テーブルに叩きつけてやった。
「聡明なお二人なら処理できるかと」
「都合よく買い被るんじゃないよ! 」
「落ち着いてください。 まずはこれを……お二人に差し上げます」
シラスは足元から、何かを取り出そうとしているようだった。




