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〝試してゴッチン!〟


 俺は水嶋のリュックを背負って保健室に戻った。

 先生への挨拶を済ませ、田中くんに侮蔑(ぶべつ)の視線を送り、その後は女子トイレの個室の中で呆然としていた。 特に便意を催した訳ではない。放課後まで時間を潰す『隠れ家』としての機能が最も高いと踏んだからだ。


 『慶太、お前ネクタイ結ぶのへったくそだよな、教えてやるからちょっと(ほど)いてみな』


 『おい、お前さっきの授業寝てたろ。ノート見してやるよ』


 『慶太の弁当、白米とおかずの比率おかしくね? 俺もう腹一杯だからサンドイッチやろうか?』


 小早川(コバ)は、優しい奴だとは思っていた。

 そもそもカースト上位の人気者でつるむ友達も全然違うのに、やけに俺のような根暗に絡んでくるなぁ、とも思っていた。


 ——ただ、俺を愛しているとは思いもしなかった。


 コバとのささやかな日常が、記憶の中で目まぐるしく色を変えていく。 もう思い出さなくて良い。過去を振り返るな、相原慶太。 精神を蝕まれていくだけだ。


 『体育ダリィなぁ。 ……ん? 今日はなんか良い匂いがするな慶太……。 柔軟剤変えた?』

 

 『おい、乳首立ってんぞ慶太!ハハハッ!』


 生存競争を生き抜いてきた遺伝子に刻まれている防衛本能が、思い出したくないセリフばかりを抽出している……?

 俺の深層心理が、「今すぐに警戒態勢を引け!」と訴えているのか?


 だが、まだ俺が何か勘違いをしている可能性もある。コバがそっちの住人だとしても、俺を選ぶ道理がない。彼のグループにはイケイケの男子が沢山いるんだから。

 ……そうだ。よく考えたらコバと水嶋の間には、俺とは別の『ケイタ』という人物が居るかもしれないじゃないか。今はその可能性にかけて、小早川問題は棚に上げておこう。


 膝の上に置いていた水嶋のリュックを開けた。

 背筋が凍るほど几帳面に整頓されている。これぞ水嶋セッティングだ。その中から適当にノートを引き出して、ペンケースからボールペンを取り出す。


 《帰宅後の流れ》


 冒頭にそのタイトルを付け、今日の俺が帰宅後に予定していた行動を箇条書きする。自宅の簡単な見取り図と、我が家のローカルルールを注釈として添えた。

 色々とバレたら恥ずかしい内情もたくさんある。しかし、そんなことを言っていられない状況でもあるのだ。 先に話しておいて、予防線を張っておこうという気持ちもあった。

 いくつかネットで検索しなくてはならない事や、連絡を入れておきたい人もいたので、ノートをしまってスマホの操作に移行する。


 一区切りついて長い溜息をつくと、終業の鐘が鳴った。後は生徒が()けるのを待って水嶋と落ち合うだけだ。


 比較的使用頻度が少ないだろう、と予測した一階のトイレをチョイスしたからなのか、移動教室帰りの女子が一組。

 それから時間をあけて、体育館に向かう運動部の団体が一度押し寄せてきただけだった。いずれも女子特有の連れションスタイルで、嵐のように訪れてはトイレ内に喧騒を運んでくる。


 俺はその度に目を閉じて軽く耳を塞ぎ、陶芸家のお爺さんがろくろで美しい曲線の壺を生成するシーンを頭に浮かべて、意識を遠ざけた。

 それは女性への心遣いと言うよりも、何かに目覚めてしまいそうになった自我を抑圧した結果だ。


 しばらくすると、吹奏楽部が鳴らす楽器の音や、運動部の規則的な掛け声が断続的に聞こえてきた。

 頃合いを見計らって女子トイレを脱出し、階段を一段飛ばしで駆け上がる。 人気のない廊下を小走りで進む。

 2-Bの教室に辿り着くと、俺はドアに嵌め込まれた窓から室内をそろりと覗いた。


 水嶋が俺の身体で黄昏ている。足を組み、窓枠に腕をかけて校庭を眺めていた。


 「やぁ、遅かったね。水嶋さん」


 「ご満悦の表情だな。楽しかったか?ハンドボールは」


 「まぁ、相原慶太の身体ならこんなもんか、って感じだったかな」


 「なんか腹立つな」


 「僕が試合で、何点取ったと思う?」


 「芸能人のゴルフスコアくらい興味ない」


 水嶋は近くの椅子を引き、手で指し示す。

 『ここへどうぞ』 と言わんばかりにエスコートしている。 俺と水嶋は机を一つ挟んで対面の椅子にそれぞれ腰を下ろした。

 

 「相原くん、まずはお疲れさま」


 「なんで上からなんだよ」


 「どうする? これから」


 「そう、冷静に考えて、俺たちはこのままいくとお互いの家に帰る事になる。家族の前でなるべく自然な芝居を打たなきゃいけない」


 「わたしが名実ともに相原慶太になる為の宿泊研修ね」


 「正常に戻るまでのその場(しの)ぎだよ」


 俺はポケットから折り畳んだノートの一ページを取り出して、机の上に広げた。


 「なぁに?これ」


 「今日の俺の予定表だ」


 水嶋は予定表を手にとって眺めると、丁寧に折り畳んで迅速に返却してきた。


 「心が折れた」


 「早えよ」


 「相原くんって部活も塾も何もない超絶暇人じゃないの!?」


 (ほの)かに侮辱されている気がしたが、水嶋のペースに乗せられる訳にはいかない。


 「互いの家に帰る事になったら、水嶋だって色々と行動の指定とかあるだろう? 」


 「うーん、たしかにそうだけど……というかさ」


 水嶋は再び予定表を開く。


 「すごく気になるんだけど、午前2時〜3時半までの【バイト】って何? 相原くん深夜バイトなんかしてるの?」


 「それはとりあえず聞かないでくれ。どうしても元に戻らなかったら、最後の最後で伝える」


 「ふぅん」


 「それもこれも、元に戻る事が出来ればなんの問題もない訳だ。水嶋、少し協力してくれ」


 頭をぶつけた事が入れ替わりのタイミングだったことを水嶋に確認して、俺は「もう一度同じ状況を作ってみよう」と提案した。つまり、入れ替わった時と全く同じ勢いで頭をぶつけ合えば元に戻るのではないか、という発想である。


 「水嶋、頭を突き出してくれ。九十度のお辞儀をする感じで」


 「……こんな感じ?」


 水嶋は机に手をかけて、こちらに頭頂部を向けた。


 「あの時、結構勢いよくぶつかったからな。ちょっと強めに頭突きする感じになるけど我慢して。舌を噛んじゃうかもしれないから、ちゃんと口を閉じておいてな。いくぞ」


 「うんうん、どっちが先にギブするか勝負だね? バッチコイ」


 ゴツッ!


 静寂に包まれた教室に、鈍い音が鳴った。水嶋は「痛ったぁ!」と叫びながらもヘラヘラと笑っている。


 「ダメだな、何回か立て続けに行くぞ」


 「うん……来て」


 ゴツッ……!ゴツッ……!ゴツッ……!


 「ダメか……水嶋、まだいけるか?」


 「ちょっと痛いけど……平気だよ。あの時はお互いに消しゴムを取りに行って、2人とも勢いがついてたよね。私からもピストンしてみる?」


 「ピストンとか言うな。でも、ちょっとリズミカルに打ってみるか? 十回くらい。 耐えられる?」


 「おっけぃ。 余裕だぜ」


 ゴッゴッゴッゴッゴッゴッ。


 「ふふふ、楽しい。牛になった気分」


 「楽しいわけあるか」


 「三三七拍子でいってみる?」


 「いってたまるか。 ほら、早く頭を突き出せ」


 ゴッゴッゴッゴッゴッ バサッ!


 ……バサッ?


 反射的に音のした方へ顔を向けた。

 教室の入り口で田中くんが立ち竦んでいる。

 いや……。 田中くん!? 嘘だろ!? このバカまだ帰ってなかったのか!?


 田中くんは落とした学生鞄をゆっくりと拾い上げて、胸の前に抱え込んだ。小刻みに顔を横に振っている。


 「……やだ……やだ」


 ……え? 口パクパクしてるけどなんか言っているのか……?

 

 「たっ、田中くん! これはね、違うんだ!ちょっと事情があって……」


 「いやだぁ!!」


 おう、俺だって嫌だよ!


 「みっ、水嶋! 」


 助けを求めて水嶋の方へ向き直ると、両手で顔を覆って下を向いている。

 こっ、この野郎! 恥ずかしがってる場合じゃないだろうよ。 弁明を! 早く弁明を!

 田中くんは首を振りながら後退りしている。俺は彼に向かってゆっくりと間合いを詰めていき、廊下に出た。


 「田中くん、あのさ、落ち着いてくれ。 ちょっと……話をしようよ。 ね?」


 「み、水嶋さん……」


 摺り足で後退する田中くんと、低い姿勢で間合いを詰める俺。静まり返った廊下で、一定の距離を保っている。

 

 「田中くん……? 泣いているのか……?」


 田中くんはブレザーの袖で乱暴に目元を拭った。


 「嫌だ……。 嫌だっ……! 僕は何も見てないぞ、教室では何も起きてなかった。誰もいなかった」


 現実逃避を始めている。手遅れになる前に事情を説明しないと……。 いや、これはもう手遅れなのかもしれない。

 半ば諦めかけたその時、田中くんは目にも止まらぬスピードで回れ右をして俺に背を向ける。

 次の瞬間、彼は絶叫しながら廊下を走り去っていった。


 ——その後ろ姿に思わず見惚れてしまう程、とても美しいフォームだった。


 「誰も追い付けないのよ……。 陸上部の彼にはね」


 水嶋が俺の肩に手を置いて、そう呟く。

 

 俺は廊下にしゃがみ込んで頭を抱え、深い深いため息をついた。

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異世界転生チーレムギャグ小説も書いております。 『始まりの草原で魔王を手懐けた男。』 ←よかったらこちらも覗いてみてください!
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