その怪物、凶暴につき
「逃げろ水嶋ぁ! 」
左半身に衝撃を受けたと思った時には、既に屋外へ放り出されていた。 なんてスピードとパワーだ、左腕の感覚が麻痺してジンジン痺れてる。 しかし、戸惑っている暇なんてない。
再び室内に飛び込むと、水嶋とメタルタナカが正面から対峙していた。
「ミ、ミズ、ミズシマ……サン」
「そ、そうだよ。 水嶋だよっ! 怖くない、怖くないよぉ」
「ミズシマ、サン、コワク、コワクナイ……」
水嶋……? メタルタナカと意思の疎通を図っているのか……?
水嶋の呼びかけに呼応してるのか、メタルタナカは獣みたいに唸りながら、頭を抱えて苦しんでいるようだった。 対話という、俺の頭には絶対に浮かばなかった水嶋ならではの選択肢。
俺はその不思議な光景にある種の畏れを抱き、襟首から侵入した氷が背筋を滑るような、そんな感覚に襲われていた。
——ぞくり。
生唾を嚥下する。 ピンと張り詰めた空気に気圧されそうになる。 意思の疎通? そんな生易しい状況じゃない、これは。
——怪物VS怪物——————。
出会ってしまった二人の怪物の、まさに狂宴である。
「そうよ、怖くなんかない。 あなたは化物なんかじゃないの。 ……あなたは——、心の優しい陸上部の田中くんよ。 人間として暮らしていた美しい日々を思い出して! 」
「タナ、カ……二、ニンゲ、ニンゲン……」
「そう、そうよ! いい? もう一度……タナカ、ニンゲン。 もう一度言ってみて! タ、ナ、カ、ハ、ニ、ン、ゲ、ン」
「タナカ……ハ……ニンゲン……」
「わたしは、たなか」
「ワタシハ……タナカ……」
「こころやさしい」
「ココロ、ヤサシイ……」
「ばけものです」
「バケモノ……デス」
「そう、そうよ……。 争いは、いけないわ」
「アラソイハ……イケナイ」
心なしか、メタナカの表情が柔らかくなっていくように見える。 人語が理解できている、いや、理解しようとしているのか。
「争イハ……いけナイ」
「よし、いいぞ、いいぞ水嶋。 その調子だ……! もうひと押しっ……! 」
メタナカと目が合った。
「アイハラ…… ハ、イケ……ナイ」
「……あれっ!? 俺!? 」
「……あぁん! 慶ちゃんのどマヌケぇ! もう少しだったのにぃ! 」
「ア゛イ゛ヴァ ラ゛ーーー!!」
途切れることなく繰り出される拳が全身を襲ってくる。 左腕で受けた五発目の右フックで嫌な音がした。 ……折れたか? いや、ヒビくらいで済んだはず。 一発でも返して離脱しないと殴り殺される! 水嶋は……?
あ、天井に背中つけてる!ジャパニーズ・ニンジャガールだ!
「とりゃぁー! 」
水嶋のウォーターガンから放たれたピンク色の塗料が、視界を塞ぐ程の豪雨のようにメタナカに降り注ぐ。
「有部咲流・刀舞……」
水嶋が降らせてくれた、桃色の雨を縫うように。
「時雨! 」
メタナカの片腕を落とし、返す刀で首を斬った。
——筈だった。
落ちたのは桃乃介の刀身。
折られた。 ……どうやって? まさか。
——目で追えなかったのか。
……追撃が来る!
桃乃介を再生成。 力押しで勝つのは不可能! 下手に太刀で受ければ折られてしまう。
絶え間ない打撃の勢いを殺すように受け流す。 このスピードに目さえ慣れれば……むしろそこにしか勝機がないが、隙を見て2発打ち込んでみてもまったく歯が立たない。 甲高い音と共に弾かれる。
「け、慶ちゃぁん」
声のする方向から、水嶋が後方にあるベットの側に立っているのがわかる。 メタナカは明らかに、そちらを目掛けて俺を押し込みにかかってる。 2人まとめて殺る気か? まさか大技がある? わからない、しかし通すわけにはいかない。 こんな理性もクソもない怪物が水嶋に近付けば何をするかわからないぞ。
メタナカの攻撃をひたすら捌き、散発的に反撃を入れる!
「水嶋……逃げろ! 」
「えっ! 今ちょうどもう一発撃とうとしてたのに! 」
1秒でも長く粘る。 水嶋が逃げる時間を稼ぐんだ。
「アイハラ……ドケ……アイハラ……ドケェ! 」
「へっ、連れねぇなぁ田中くん……もうちょっと俺と遊ぼうぜ? 」
「慶ちゃんが……主人公モードに入ってる……? 」
これだけ攻撃を当てても弱点の位置を悟らせない。 俺の刀じゃダメージゼロだから、弱点を庇う必要もないってことだ。 それならお手上げだし、もう一つ可能性としては、そもそも弱点がないって線もあり得る。 ……もうどっちみちお手上げだよ!
この現状は「交戦」という名の時間稼ぎでしかなかった。 水嶋は逃げただろうか? なんとなく気配がするので、生暖かく見守ってくれているのだろう。
「あー、水嶋!? 」
声をかけてみる。
「なぁに? 」
あ、やっぱ後ろにいる。 今俺が何してるかちゃんと見えてんのかな? 気の抜けた返事しやがってよぉ。
「一緒に逃げようか」
「愛の逃避行ですか? 隊長」
「なんか悪いな」
「いえ賛成です」
「せーので逃げるか」
「せーので逃げましょう」
「方向は上で」
「了解です」
「俺のタイミングでいくよ」
「お願いします」
全身で突っ込んでメタナカを引き離す。
「はいっ、せーのっ! 」
一斉に部屋から飛び出して、水嶋と上空で向き合った。
「どっ、どうするどうするっ」
「狼狽えるな水嶋ぁ! 一旦建物に避難して作戦会議だっ」
水嶋の背中をぐいぐい押して、一番最初に目に付いたマンションに飛び込んだ。
「あ、おじゃましまぁす! 」
「朝っぱらからすみませぇん! 」
まだ薄暗いリビングでは、若奥様がキッチンで何やら作業をしている。 お弁当作りかな? なんかすみません緊急事態なもんで。
俺は窓際でメタナカのいる方向を気にしつつ、まずは被弾した左腕の確認をした。
「うっ、うわぁ! 何、その色!? 折れてる!? 」
「多分ヒビくらいで済んでる。 動くし大丈夫だ」
「済んでるって……動けばいいって問題じゃないでしょう、あぁ、可哀想、大丈夫? 大丈夫なの?」
「あははっ、水嶋ぁ、顔にピンクの塗料が付いてるよ」
「怖い怖い。 どうでもいいでしょ今そんなこと。 もう、ばかなんだから」
後ろに回った水嶋が俺の肩を揉んだり、肘でグリグリと圧を掛けてくる。 何故かペットボトルの水を生成して飲ませてくれた。口を開けて! と言われたので言われた通りにすると、口の中にマウスピースを放り込まれた。
「せほんほほっほ? 」
「あ、まだ戦わない? 喋る? 喋るなら外して、サウスピース」
「はい鬼は外ぉぉお! 」
俺は口の中の異物を取り外して、全力で外に放り投げた。
「マウスピースな。名前も知らんもんをあっさり生成すんな」
「ねぇねぇ、もしかしてさ……シオンさんたちと殺したレムから抜けた怒りの声が、ボンレスハム太郎じゃなかったって事なの? 」
「さすが物分かりがいいな。 多分、そういう事だと思う。 低くてドスの効いた声だったから、田中くんをイメージできなかった……先入観で、すっかりボン太郎だと……」
「どんな声だったんだっけ? 」
「【あのクソ女と天パー野郎、絶対に殺す。 社会的に抹殺してやる】みたいな感じだったと思う」
「うはぁ。 言われてみるとなんか田中くんっぽい……あの、私たちは物凄い恨み買ってるってことだよね、全然心当たりがないです」
水嶋はその辺りの恋愛事情を知らないのだ。今この場で俺が『田中くんお前のこと好きなんだってよ』なんて言っちゃうのもおかしな話だし、今はうやむやにしておくべきだ。
「それはうん、そのうちわかるし、おれの口からは言えない」
「……まぁ今はいいや。 でもさ、田中くんはもうレムに怒りをヌいてもらっている訳だよね? 今までの説明を前提にしたら、田中くんはスッキリしているんじゃない? どうしてあんなモンスターが生まれてしまったの……?」
「あぁ。 わかっている事実は、何故かレムと田中くんの魂が奇跡の融合を果たしてしまったことだけ……後はさっぱりわからん。 メタナカに進化する前の身体は明らかにレムの質感だった。 水嶋、一部始終を見てたんだよな? どんな感じでメタリックになったんだ? 」
「うん、レムをたくさん食べた田中くんは空を見上げて口を開けたの。 そしたらね、口からドロドロしたシルバーの液体をゴフゴフ吐き始めたんだ。 なんというか、弱ったマーライオンみたいな感じで。 それを全身に浴びて、上半身からコーティングされていった」
「なるほど、想像を遥かに超えたキモさだな。 聞かなきゃ良かった」
「目的は一体なんなの? あれを倒せば私たちは平穏な毎日を取り戻せるの? 」
「そりゃあ、目的は俺を殺……」
その言葉を口にした途端、頭から抜け落ちていた重大な事実に気付いた。 そうだ、なぜこんな簡単なことを……
メタナカはレムと田中くんの融合した姿の進化系だと考えるのが妥当だ。 だとしたらベースは十中八九、彼の幽体ということになる。 そして、幽体はいずれ実体に帰っていく。 ……つまり。
田中くんの姿と意思を持ったレムは、レムの幼生を集め、その中でも負の感情に偏った食事をしている発色の悪い個体を大量に食す事で、体内の黒を強引にブーストさせていたのではないか。 だとしたら……
「そうか……!これは……田中くんを守る闘いなんだ……! 」
「うん! 田中くんを守……え、なんで? 」
「田中くんを守ることで……俺たちを救う闘いだったんだ……! 」
「わからん! どういうこと!? 」
そうだ、俺たちが緊急離脱した時もメタナカ氏はちっとも追ってくる気配がなかった。 部屋での戦闘で俺を押し込みに掛かっていたのは、後方にいた水嶋を襲う為じゃない。 田中くんの実体に近付こうとしてたんだ!
「説明は後だ! あっ奥さん、朝っぱらからおじゃましましたぁ! 」
「おじゃましましたぁ〜ん! 」
全速力で田中家に戻る。水嶋も後ろをついてくる。 刀ではダメージが入らないので、飛びながら木刀を生成した。
——俺の予想が正しければ。
部屋に突入。 そこにはやはり、田中くんの実体に覆い被さっているメタナカ氏が居た。
「メタナカぁ! 」
メタナカの後頭部に全力で打ち込む。 手応えありだ!
ピシ、とメタナカの後頭部にヒビが入る。 しかし同時に、巨大な翼でおもっくそシバかれた。
「あはぁん! 痛ぇなぁこのやろうっ」
体当たりして田中くんから引き剥がす。
思い切り突っ込んで室外に押し出した。
「慶ちゃん! 」
「離れてろ水嶋! 」
「私、どうしたらいい!? ……歌えばいい!? 」
「気が散るからどっかに身を隠して歌っててくれ! 」
「よしっ、歌います! 水嶋優羽凛で……『ちいさな初恋のめろでぃー』」
「話聞いてる!? 」
やっぱり予想通りだ!
メタナカのコーティングがひび割れて崩れた箇所から、「黒」に似た漆黒の闇が覗いていた。




