“繋ぐ男”の生き霊
「25年前まで駆除をやってたって事は……今の祥雲寺のメンバーで、シゲちゃんと被ってる人もいるのかな? しらすちゃんなんか実年齢40代なんでしょう? 」
水嶋がコメカミに人差し指を当てて話を続ける。 その辺りの事実を抽出したところで何がどうなる訳ではない気がしたけど、次々と出る情報に混乱しながらも彼女なりに、気になった点をピックアップして頭の中を整理しているのだろう、そんな気がした。
「あやちゃん、本当におじいちゃんの声が聞こえたの? 」
「うん。 聞こえた」
そんな親子のやりとりを聞いたシゲオさんは、手のひらをこちらに向けて、小声で話し合う俺たちの言葉を遮った。 そして、2人のいるベッドへとさらに近付いていく。
「でもおじいちゃんの声は聞いたことがないよね? 」
「ないけど、おじいちゃんだよって。 じぃじだよってゆったの」
「……そっか。 おじいちゃん、ほかに何か言っていた? 」
「えと……たくさん喋ってた。 『くらうんでぺってぃんぐ』をしたって。 あのね、なんかね、それがとっても悲しそうだったの」
「そっかぁ……くらうんでぺってぃん……ク、クラウンでペッ!? 」
真顔の水嶋がゆっくりと目を伏せる。 僅かな時間差で「ンフフッ」と鼻から漏れる音がした。 シゲオさんはおでこに手を添えて頭を横に振る。 俺は祈るような気持ちで父親のフォローに全てを託した。
「そっか、そうか……。 あぁ、本当に来てるのかもなオヤジ……生き霊って奴なのかな……? 」
「ねぇパパぁ、くらうんでぺてぃんぐってなぁに? 」
「………… 」
父親が長考している。 背を丸め、口元に手を添えている様はさながら歴戦の棋士のようだったが、戦局を覆す奇跡の一手を指しそうな雰囲気は微塵もなかった。 俺にはそのくらい絶望的な盤面に見えた。
「…… あやちゃん、クラウンって言うのはね、英語で『王冠』って意味なんだよ。 王様が頭に被る、キラキラした帽子。 わかる? 」
「うん。 知ってる」
「おじいちゃんが言っていたのはぺってぃんぐじゃなくて、『フィッティング』だよ。 おじいちゃんは舌が短いから、『フィッティング』って上手に言えなかったんだと思うよ」
「ふぃってぃんぐ……ってなに? 」
「試着のこと。 この前、七五三のお洋服を作るときに、試しに何枚も着てみたり、身体の大きさを測ったりしただろう? あれをフィッティングって言うんだ。 つまりおじいちゃんは、天国に被っていく王冠を選んだり、サイズを測ったりしてたんだね」
「……え、違うよパパ。 天国では頭に光の輪っかを着けるんだよぅ」
「でも……おじいちゃんは昔から王様になりたがっていたからね。 神様に、王冠がいいってお願いしたんじゃないかな」
「ふぅん、そうなんだ……あ、あとね、私の名前も聞かれたし、あとあと……」
少女は両手で持っていたカップを枕元の台に乗せると、お爺さんの声を思い出すように瞳をきょろきょろさせて喋り始めた。
「あれ、シゲオさん!? 息子さんって天才かなんかですか? 」
「そんでシゲちゃん! お孫さん『あやちゃん』だってさ、字数しかあってないじゃん! 掠ってもいないよ! 下手したら『あやこ』とかで字数すら外してる可能性あるし」
シゲちゃんは息子の天才的なフォローにご満悦の表情で、何度も大きく頷いていた。 もはや俺たちの声など届いていない様子だ。 生前に味わうことのできなかった身内との一体感を噛みしめていると考えたら、雰囲気をぶち壊してまで口を挟む気にはならない。
「あやちゃん、パパさぁ。 おじいちゃんに酷いことをしちゃったんだ」
「酷いこと? 」
「うん。 おじいちゃんを、いない人みたいに扱ってた。 ずっと無視してきたんだ……パパは本当に馬鹿だった」
……まずい。
「……水嶋、警戒っ! この風向きは確実にお涙頂戴の展開を運んでくるぞっ! ごめん、俺泣いちゃうかもしれない! 」
「待って、慶ちゃん聞いてっ。 この人たち何を飲んでるのかと思ったらホットミルク! 眠れない夜に親子でホットミルク! できる大人っていちいち演出がオシャレだねぇ!? 」
「ウォォイうるせぇぞお前ら! 良いところなのに2人の声が聞こえねぇだろうがバカども! 騒ぐなら外で騒いでこい外でっ ! 」
「ひぃっ、パパァ! 」
「なに、どうしたんだ? 急に」
「なんかおじいちゃんが怒ってるよぉ〜……」
「……アハハ。 大丈夫大丈夫、パパが居るから平気だよ」
シゲオさんの声がちょっと孫娘に届いてしまうというハプニングのせいで、場が混沌としてしまった。 さらに父親は娘の頭を撫でながら『おじいちゃんには病院に帰ってもらおうね』と耳打ちをしてベッドから立ち上がると、合掌してデタラメな念仏を唱え始めた。 お爺ちゃんの生き霊を病院に帰す儀式として適切な処置とは思えなかったけど、娘の気持ちを落ち着かせる手法としては高得点の演技なのかもしれない。
「パパさん実は、シゲちゃんの姿が見えてるんじゃないの? 」
父親は図らずも、浮いているシゲオさんの幽体と自分の身体を半分重ねて拝んでいる。 その光景に流石の水嶋も薄気味の悪さを感じたらしく、俺の腕を抱えるような形で寄り添ってきた。
「よしっ、もう大丈夫! おじいちゃん、どうしてもあやなに会いたかったんだってさ。もう病院に帰ったよ 」
「帰ってねぇよ、馬鹿野郎」
シゲオさんが吐き捨てる。
「かえってねぇよばかやろうだって……パパ」
幼女が眉をひそめる。
「『あやな』じゃねぇかよぅ、コノヤロー」
水嶋が突っ込む。
あやなちゃんはいつの間にかうつらうつらと、瞼にかかる重力と格闘している様子だった。 父親が寄り添って頭を撫でると、その胸の中に顔を埋めて寝息を立て始める。
「あやな。 おじいちゃんがパパとママを叱りに来たんだよな……喧嘩ばっかりしてるから。 そういうことだろう? 」
「……そんなんじゃねぇや、俺は孫娘の顔を最後に一目見に来ただけだ。 ……それに夫婦なんてなぁ、喧嘩してるうちが華なんだよ。 相手にされなくなる前にどんどんやっとけや」
静まり返った部屋にスマホのバイブレーションが低く唸る。 父親が身体を起こし、ポケットからスマホを取り出すと、薄暗い部屋に白い光がぽつりと灯った。
「……慶ちゃん、浮気相手かな? 」
「雰囲気をぶち壊すな」
しばらく画面を眺めて操作すると、スマホを耳に当てる。
「……うん。 ごめん、俺も大人気なかった。 親父の事で少し混乱してたんだ。 熱くなって本当に悪かった。 ……うん、落ち着いたよ。 ちょうど今、寝ついたところ」
「おぉ……? なんだこりゃ、おい! まさかこいつら一階と二階で電話してんのか!? これが新時代の夫婦なのか!? 」
「シゲちゃんうるさいよ! またあやなちゃんが悪霊の声に反応しちゃうでしょうが! 」
「悪霊はあんまりだろ、ゆうりコノヤロウ」
「シゲオさん、これが新時代の夫婦の形ですよ。 ジェネレーションギャップに呑まれないで! 」
父親はスマホを耳に当てて黙り込んでいる。
奥さんが話しているターンなのかもしれない。
「うん……。 あやながさ……『お爺ちゃんが怒ってる』だって。 ……うん、すごい事を言うだろ? 」
そう言って、眠りに落ちた幼女の頭をひと撫でした。
「……前にも話したけど、本当に酷い親父だったんだよ……泥酔した情けない姿や、クズみたいな行動ばかり見て育った。 母さんも毎日のように呪いみたいな恨み言を吐いていたし」
「おい、もしかして俺は家内の呪いで死ぬんじゃねぇのか? 」
シゲオさんがお伺いを立てるみたいに俺たちの方を見たが、俺も水嶋も無視して、次の言葉を待っていた。
「でもおととい……痩せこけて動けなくなった親父の姿を見たら、今まで忘れていた楽しい思い出ばっかり浮かんでくるんだよ……後悔と一緒に」
クラウンでペッティング事件が起こるより前。 幼い頃には、沢山の楽しい思い出もあったのだろう。
「……なんでおめぇが後悔するんだよ馬鹿野郎……。 こっちはいくら悔やんでもあの世には持ってけねぇから、もう開き直ってたんだ! 」
シゲオさんは、肩を震わせて泣いていた。
「おめぇが後悔なんかしてたら……俺が気持ち良く逝けねぇじゃねぇかよぉ……」
若々しかったシゲオさんの幽体が、ゆっくりと老年の姿に変わっていく。 身体は一回り痩せて、頭は白髪になり、顔には年相応の皺が刻まれた。
……俺はそこからシゲオさんの顔が見れなくて、壁にかかったアニメのポスターを眺めていた。 少しでも視線を下げたら、俺も涙が溢れてしまうような気がしたから。
「どうしてあんなに意地張ってたんだろうなぁって。 あの日、結婚式の後……帰り際に『じゃあ、また』って喉元まで出てたんだけど、言わなかった。 言えなかった」
震えた声。 心の後悔をゆっくりと絞り出すみたいに。
「ありがとうも、またねも言わずに親父と別れた……俺は、親父と最後に何を喋ったかも……覚えてないんだ」
「勝手にしんみりするんじゃねぇよ! そんなタマじゃないねぇだろお前は! 『自業自得だクソ親父』くらいの事を言ってみろ! 言え! 」
「……まさかあの親父が……60ちょっとで死ぬなんて思わないだろ……」
「まぁだ死んでねぇっつうんだよ……病院で虫の息だけどな! 意地でもギリギリまで生きてやるぞバカ息子! 」
ふはは、と隣で水嶋が笑った。
右の袖を掴む力が強くなる。
俺は、涙が溢れないように横を向いた。
「だめだ、けいちゃん。 わたし泣いちゃうかもしれない」
な、泣いてるぅー!
すでにボロボロこぼれてるぞ水嶋ぁ!
「……もう泣いてるじゃねぇか」
水嶋の頬を伝う涙を拭ってあげた。
不思議なもので、水嶋の涙を見たら、自分の涙を堪えることができた。
階段を登ってくる足音が徐々に迫ってきて、開かれた扉の向こうに奥さんが現れると、一言も発することなく、肩を震わせて啜り泣いているシゲオさんの脇を通り抜ける。
リビングを崩壊させる程の戦争をしたばかりの夫婦は、娘が眠る薄暗い部屋で、静かに抱き合った。
「行こう、水嶋」
どんなに伝えたくても、どんなに言葉を尽くしても、伝わらない想いはある。
生と死の間には埋まらない溝が長く深く横たわっていて、その溝にすっぽりと嵌ってしまった言葉は永遠にそこから抜け出せなくなってしまう。
どれだけ悔しくても、歯がゆくても関係ない。 生きている人間は、伝わらない想いや後悔にどこかで折り合いをつけて、前に進んでいかなきゃいけないのだ。
「シゲオさん、俺たち行きます」
俺が声をかけると慌てて顔を伏せて、乱暴に両目を擦る。 今さら涙なんて隠しても仕方ないのに、無理やりにんまり笑って明るい表情を作った。 鼻頭が真っ赤で酔っ払いみたいだ。
「いやぁ、みっともねぇ所を見せて悪かったな」
「みっともなくなんかないです。 ここでシゲオさんと出会えて本当に良かったと思います」
「ありがとうな」
「……何がですか? 」
「お前らが現れたとき、最初はめんどくせぇから殺ばしちまおうかと思った。 でも俺の腕じゃお前を殺ばすのは難しいと判断した瞬間から、今までの行いを懺悔しろと神様に言われているような気になってな」
「全然懺悔してなかったけどね」
水嶋が目をぐしぐしと擦りながら返す。
「あぁその通りだな、楽しくなっちまった。 ……お前らの雰囲気に呑まれたんだよ馬鹿野郎」
ガハハ、と大声で笑い、水嶋の肩を平手でバンバン叩いた。
「お前ら歳は幾つだ? 随分仲がいいみたいだが……昼間も繋がりがあるのか」
17歳であること、同じクラスで隣の席だという事実を伝えると、シゲオさんは身体をのけ反らせて驚いた。 少しオーバーリアクションだと感じたけど、30年以上レムの駆除に携わってきて、初めて聞く距離の近さだと言い放つ。
「俺も幽体じゃ付き合いのいい方じゃなかったからな……そういう奴らも中には居たのかもしれないな」
「え、付き合い悪かったんですか? 」
「おぉ、現役時代はレムに夢中だったからな。 俺を根暗だと思ってた奴も多いんじゃねぇか? 俺の部隊の男もそうだった、昼間会った時はまるで別人でなぁ……ほれ、ハンドル握ると豹変する奴がいるだろう? あれと同じだな」
俺や紫苑さんは、幽体でも実体で会っても変わらない。
陽キャの権化みたいなナルセが実は陰鬱な引きこもりだったり、おとなしいシラスが実は巨漢の女子プロレスラーで、強敵をジャンピング・ニーパットで薙ぎ倒したりしているんだろうか? 全く想像がつかない。
「なぁ、ゆうりってのはどんな字を書くんだ」
「優しい羽が凛とする、で優羽凛」
なんでちょっとオシャレな感じで説明したのか、あとで問い詰めてみようと思う。
「りんとする……? あぁ、ほぉ〜……凛々しいのり、か。 ……名は体を表すとはよく言ったもんだ。 柔らかくて、透明感のある名前だな」
シゲオさんは孫の顔を見つめている時と同じ眼差しをしていた。 そして、頭を掻きながら俺に視線を向ける。
「けいたは? 」
「慶事の慶に太いです」
「ほう、親父は警視庁か? 」
「そっちのケイジじゃないですね。 祝い事の方の慶事です」
俺はシゲオさんが耄碌してるだけかと思って大真面目に返答したが、「シゲちゃんジョークに決まってるだろ」と一笑に付された。
ほんの僅かな付き合いだけど、本当に陽気でバイタリティに溢れた、魅力的な人柄だったんだろうな、と感じる。 水嶋の態度を見るに、きっと彼女も同じようなことを考えているだろう。
「 ……俺のシゲオはな、 “繋ぐ男” と書く」
「あ、縁起が良い! ルビはキューピットかな? 」
渾身のボケだったのか、水嶋が顎を上げてドヤ顔を向けてきた。
「ルビはシゲオだろ」
「……あ、でもキューピッドなら “繋ぐ” じゃなくて “結ぶ” かぁ。 結ぶ男……ムスオ? ケツオ? 」
「ムスオかケツオにするくらいならマスオかカツオにするだろうな」
「……何を言ってるのかよくわからねぇけど、お前らいつもそんな感じなのか? 」
「ま、ライフワークになりつつあるからね」
そう言って、水嶋がシゲオさんに笑顔を向けた。 感涙を喫した反動なのか、ボケエンジンを暖機運転し始めたのがわかる。 このペースに乗せられたら最後、場は乱されて修復不能になるだろう。 ここは冷静な立ち回りが要求される。 この先はスルーしていこう。
「シゲオさん、どこの病院から来たんですか? 途中で誰かに会いませんでした? 」
《絹森総合病院》に入っていると聞いて驚いた。 そこは、俺がボンレスハムに襲われた路地裏から歩いて3分もかからない病院だったからだ。
「あ、私も一つ聞きたい事がある! 白州怜紋っていう名前に聞き覚えがない? もしかしたら現役時代に絡んでるのでは? 」
俺も気になっていた部分だ。
色んな意味で、聞かない方が良いのかもしれないと感情がせめぎ合っていたから、水嶋があっさり質問を投げてくれて踏ん切りがついた。
「しらす……れもん……んん、どっかで……」
シゲオさんの視線が宙を泳ぐ。
「あぁ〜、あぁ、思い出した。 まだいるのか? 白州は俺が最後に教えた女の子だ」
俺と水嶋は顔を見合わせた。
「なんにせよ……お前らの名前と顔は、この死にかけの頭にしっかり焼き付けた。 何年先か知らねぇが、あの世に来たらな、俺が贔屓にしてやるよ」
シゲオさんはニヤケながら頭を掻く。
「この恩を返すと約束はできねぇけど、大切に持っていかせてもらうよ。 ありがとうな。 慶太、優羽凛」




