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〝宣戦布告の前衛芸術〟


 おっさんは「ナカヤマ・シゲオ」と名乗り、俺たちの名を尋ねてくる。 2人でフルネームを答えると、今はみんな本名を名乗るのか、と質問されたので、殆どが偽名やハンドルネームだと伝えた。


 「俺の身体はな、病室でぐったり横になってる。 仰々しい呼吸器なんか付けられて、常に意識は朦朧としてるし、目も耳も口も使い物になりゃしねぇ」


 驚くべき事に、シゲオは数日前から入院していて、実体は病室で危篤の状態らしかった。 肉体の中ではほとんど意識がないようで、幽体離脱の感覚を忘れていたせいか、離脱直後は死んだものだと思ったそうだ。


 「おもしれぇんだよ! 導入の夢あんだろ? お前らも見んだろ? 俺ぁよ、家族でバーベキューしてる夢を見たんだ。 川でスイカ冷やしててな? 」


 ——導入の夢は、幽体離脱のカウントダウンのようなものだと認識している。 俺の場合は必ず何かから逃げきる夢を見て、様々な状況で味わう浮遊感と共に肉体から抜け出すのだ。


 「んでよぉ、肉も腹一杯食ってバーベキューも終わりかかってたからな、俺がスイカを取りに行ったんだよ。 そしたらよぉ」

 

 ……にしてもこのおっさん、本当に死の淵でギリギリ踏ん張ってる老人なのか? 太陽のような笑顔だし、テンションが高すぎるだろ。

 いや逆に、死を間近に控えて幽体離脱するとこうなっちゃうものなのか。 しかも25年振り……考えてみたら、死ぬ間際のボーナスステージと言っても過言ではないな。


 「後ろから家族がな、『じぃちゃんスイカなんてどうでもいいから、向こう岸のコンビニでおにぎりを買ってきて! 』って言うんだよ」


 「おにぎり? もうお腹いっぱい食べたのでしょう? 」


 水嶋が飄々と疑問を呈する。 すっかりシゲオさんのテンションに同調し、話に対応しているようだ。


 「おう、俺も急にえれぇこと言うなって思って笑ってたんだが、段々と口調が強くなってくるんだ。 家族一丸で『早く渡れ』『スイカなんてほっとけ』 ときた。 そんでな、息子の嫁が……あぁ、下のリビングに泣いてる女がいたろ? あれの事なんだけどな。 あれがこう言った。 『おばあちゃんがレジ打ってるから早く行ってあげなよ!おじいちゃん』ってな。 そこで俺はハッとなる訳だ」


 水嶋は既に笑っていた。 そう言えば、彼女はどんな導入の夢を見たのだろう、落ち着いたら聞いてみよう。


 「おめぇこれ、もしかして三途の川なんじゃねーか? ってよ。 死んだばーさんが向こう岸でレジ打ちしてっから、とっとと向こうに行って仲良くしてこいよって言ってやがんだあいつら。 わかるだろ? 一生懸命俺を殺そうとしてんのかと思ったらはらわた煮え繰り返ってきてよぉ、 戻って全員引き摺り回して、一人残らず川に流してやったんだよ」


 その後もシゲオさんは軽妙なトークを繰り広げる。 時々水嶋の質問に答えながら、とても楽しそうに喋り続けた。


 なんでもシゲオさんはそこそこ名の知れた陶芸家だそうで、階下のリビングにいるこの家の主は息子夫婦らしい。 ただ、十数年前に彼らの結婚式に出席して以来、一度たりとも会っていないとの事だった。


 この部屋のベッドで眠っている孫娘の名前を水嶋が尋ねたところ、『りな・かな・まな・みな・えな』と複数の名前を挙げ、結局分かったのは『な』で終わる二文字の名前という事だけだった。

 50通り聞けば答えに辿り着くはずだが、シゲオさんの脳の劣化次第では辿り着けない可能性も充分あるし、俺たちはそこまで辛抱強くなかった。


 「どうして息子さんと喧嘩しちゃったの? お孫さんが産まれても会わないなんて、異常じゃない? 」


 「おぉ、喧嘩というより、昔から徹底的に嫌われてたんだな。 ありゃ息子が中学生くらいの時だったか……新車のクラウンで不倫相手とペッティングしてるところを目撃された。 あれが致命傷になったんだべなぁ。 それ以来、すっかり罪人扱いだ」


 こ、このクズぅー! 罪人扱いどころか、誰が聞いてもきっちり裁かれるべき重罪人じゃないか。


 「慶ちゃん、クラウンってなに? 」


 「車の種類だったと思う」


 「ペッティングってなに? 」


 「えっと……会話のやりとりを“キャッチボール”って言ったりするだろ? んで、頭突きの反則を“バッティング”って言うよな。 ……その間にあるのがペッティングだ」


 「全然わからんけど」


 「浮気相手はな、俺が開いてた陶芸教室の生徒だった……当時40くらいの女で、一言でいうとドスケベ女だ。 これがとんでもなく強かなドスケベでな、完全に俺の財布を狙ってた」


 いたいけな女子高生の前で何を饒舌に語り出してんだこの色ボケ爺さん。 とんでもない奴だ、やはりさっき喉を掻っ切っておくべきだったかもしれない。


 「息子がよう、下にいるあれは長男で、ショウジってんだが……ショウジが助手席の向こうから放心状態でこっちを見つめててな。 俺がズボンを上げると同時に後ずさりを始めやがったから、いっそいで飛び出して取っ捕まえて、一万円札握らせたっけか」


 水嶋が大きな溜息をついた。 きっと前後の繋がりから、クラウンでペッティングの意味を察したのだろう。


 「はー、なるほどね、マイカーで不倫相手と乳繰り合ってたって事か……」


 「シゲオさんより昭和感の強い言い回しをするな」


 「……あぁ、鮮明に思い出せるわなぁ。 そのあと息子に、喋ったらどうなるか分かってんべな? つって脅しかけたのもまた、悪手だった」


 「どうなったの? 」


 「即日密告されたよ……そりゃ酷い目にあった! あれだけ愛だのなんだの語ってたドスケベ女は純金のブレスレッド持ってトンズラだ。 ……まぁ俺は、息子を恨んじゃいないけどな」


 飄々と抜かしてるけど、そこで息子さん恨んだら『逆恨み』の例文に採用されるだろう。

 水嶋が「ざまぁねーな」 とほくそ笑む。


 「なぁなぁ、指に糊を付けてよ、白い紙に『死』って漢字を書くとするべ? 」


 シゲオさんは人差し指で、空中に『死』という漢字を書く。 向き合っていた水嶋はその動きを追って、コクリと頷いた。


 「その上から、粉々に破いた別の紙をふりかけたら……紙が糊でひっついて、『死』って文字が浮かび上がるだろ? 」


 「うん、うん」


 「息子はな、俺のやった一万円札(ワイロ)でそれをやった。 チラシの裏に、粉々に破いた一万円札で『死』という文字を浮かび上がらせたんだよ。 あの野郎、夜中のうちにフロントガラスとワイパーの間に挟んでやがった」


 ……前衛芸術!

 まともな感性の中学生から湧く発想じゃないし、万札を粉々にして紙吹雪に変える辺りもバッチリ法に触れてて、相当ロックな感じが出てる。

 水嶋もケラケラと笑った後、「作品から滲み出るメッセージ性の強さに一万円以上の価値がある 」と鬼才の迷作に太鼓判を押した。


 「俺ぁ家族ほっぽらかして、ろくに家にも帰らず自由にやってたからよぉ。 大酒もくらったし、女遊びもした。 母親が苦労してるのを一番近くで見てたのがあいつなんだ」


 空中で胡座をかいたまま、思い出を反芻するように何度も大きく頷いている。 腕を組んで、口の端を僅かに下げた。


 「一万円の価値はわかる歳だ。 欲しいもんもあっただろうし、俺が息子の立場なら肩で風を切りながら豪遊しただろうよ。 でもあいつはそうじゃなかった、『憎い親父への宣戦布告』に使ったんだよ。 あの作品を見て俺は安心したもんだ。 コイツは放っておいてもデカくなる男だ、ってな」


 「お爺さぁん。 自分の悪事を棚に上げるどころか、神棚に上げてますねぇ」


 話は面白いし、階下にいる息子さんの人柄にも興味が湧いたりもする。 でも水嶋の言う通り、自分がやったことに関してはそこまで悪びれる様子もなくて、かなりクズ度数の高い人間に思えた。

 それに『陶芸家』という硬派な響きにストイックなイメージを持っていた俺にとって、じいさんの破天荒で騒がしい人格もなかなかに衝撃的だ。


 「バーさん……俺の家内もやり手だ。 感情的にならずに、まず探偵を雇って、バッチリ証拠を抑えられた。 それでもなぁ、息子のために離婚もしねぇでくれてな。 天国に行ったら何でも言うことを聞いてやらなきゃいけねぇな」


 「天国に行けると思ってるんだ……」


 まったく同意見だったので、「桁外れのポジティブシンキングだよな」と聞こえるように言ってやった。


 「一階にいる息子さん夫婦はどうして喧嘩をしてたの? あれ、喧嘩だよね。 リビングがめちゃくちゃだった」


 水嶋が言うと、シゲオさんは腹の底から絞り出すみたいにため息をついた。


 「 俺が来たとき、ちょうど息子がリモコンでボコボコに殴打されてたからな。 そりゃ見て見ぬ振りよ。 まぁ、俺もいきなりぶっ倒れたからよ。 相続の事やらなんやらでバタバタしてるだろうし、いきり立ってんだろ」


 「ふぅん。 やっぱりサポート外のトラブルだったのだなぁ。 お嫁さんも過激な人なんだね、夫婦は大変だ」


 「おう、大体な、俺は二、三回しか会ったことがねぇけど、あの嫁は相当な食わせもんなんだよ。 ばーさんは気に入ってたけどな。 男勝りだわキャンキャンキャンキャンうるせぇわで……息子とうまくいく訳ねぇと思ってたんだよ俺ぁ……」


 「後悔してますか? 」


 2人が同時に俺を見た。 声のボリュームを間違えてしまったかもしれない。 でも、胸の底から溢れてくる言葉を止められなかった。


 「後悔か……」


 「息子さんと仲違いをしてから関わりを持たなかったこと。 その後悔に……自分が死ぬと分かってから気が付いたんですか? それでここへ? 」


 我ながらクソ生意気な物言いだ。 自分でもうんざりするくらい。

 きっと俺は今、去る者と残される者の話題に敏感になっているんだろう、と思った。


 「……いんや、元気なうちから気付いてたさ」


 何か言い返されると思ったが、シゲオさんは力の抜けた、悲しげな顔をして息を吐いた。 おでこに手を当てて何度か擦ると、ううん、と低く唸る。


 「……歳ばかり食って身体がピンピンしてるとよぉ。 見栄とか、意地とか……そういう気持ちの方にばかり栄養が偏っちまうんだ。 素直な感情はどんどん後回しになって、ずっと奥の方に隠れちまうんだろうなぁ。 ……でもこうして身体にガタが来ると、命を繋ぐのに体力を使う。 くだらねぇ飾りみたいな気持ちにまで栄養が回らなくなるんだろう」


 シゲオさんが俺たちを呼び止めて、話を始めた理由が少しだけ理解できた気がした。

 声が一段低くて(しゃが)れている。 きっとこれがシゲオさんの、フィルターのかかっていない本当の声色なんだろうな、と感じた。


 「……お前の言う通りだ。 俺の幽体離脱はな、きっと地縛霊みてぇなもんなんだ。 俺はここに懺悔をしにきたのかもしれねぇよ。 ……いやぁ、付き合わせて悪かったな。 ありがとうよ、俺のくだらねぇ話を聞いてくれて」


 「きっと息子さんも後悔してると思います」


 「ハッ! あいつはそんなタマじゃねぇよ。 相続の話が纏まって金でも入りゃあ、俺の遺影の前でワインかなんか飲みながらバカ嫁とチークダンスでもしてるだろうよ」


 吐き捨てるように言って、また孫娘の寝顔を間近で覗き込む。 「可愛いもんだなぁ、俺は女の子が出来なかったからなぁ」 と目を細めた。

 

 「……なんだか生前の悪行を、私たちの同情で洗い流そうとしてる感が強いなァ」


 「おい水嶋、ガッツリ芯で捉えようとするな。 もう突っ込むのは野暮だ。 ……それにこの人、まだギリギリでご存命だぞ」


 「おいゆうきちゃんよぉ、これから死ぬんだからちょっとくらい開き直ったってよかんべよ。 最後なんだから気持ちよく昇らせてくれや」


 「なんでもいいけどゆうりな。 ゆ、う、り。 お爺ちゃん面白いし好きだけど、うーん……すごく女の敵っぽいからなぁ」


 シゲオさんが豪快に笑う。

 その笑い声が途切れた瞬間。


 「……誰かいるの? 」


 ベッドの上の少女が、身体を起こして枕を抱えていた。

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