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死が近いです。「走馬灯」のアップデートを今すぐ実行しますか?


 幽体で何度か死んでいると、人生の走馬灯を見なくなる。 おかしな言い回しだけど、死ぬことに慣れてしまうのだ。

 俺も実際、2回死ぬまではそれを見た。 目の前がだんだん暗く、身体が重力に抗えなくなる。 遠のいていく意識の中で『あぁ、これが人の終わりか』と(ちり)のような思考がふわりと浮かんだ瞬間、そこに真っ白なスクリーンが降りてきて、青白い光がストロボのように明滅する。 付いては消える。

 そんな風に絶え間なく生と死を繰り返す光が、いつの間にか過去の映像として映し出される。

 最初は淡い色合いでぼんやりと。 徐々に解像度が上がっていくように、明瞭な映像に変化していく。


 初めて幽体で死んだ時、その映像の殆どは家族の風景だった。

 学校では楽しいこともたくさんあったし、友達だって人並みに居た。 もちろん好きな女の子もいた。 それでも思い出したのは家族の事だけ。

 朝、目が覚めると動悸は激しくなるし、吐き気とか目眩とか手足の痺れとか、肉体があらゆる不調を訴えてきて、全く動けなくなった。 家族は大騒ぎしていたけど、朦朧とする意識の中で『神様はちゃんと見てた、きっと俺を殺しにきたんだな』 なんて思ったのを覚えている。


 「ハハ……ここで終わりかよ」


 レムが口を開けている。 俺は肩まで両手で包まれていて、頭だけが出ている状態。 なんていうかこう、あざとい女子が両手でココア飲む時みたいな雰囲気だ。 俺の首と胴体を切り離して、一撃で仕留めるつもりだろう。 実に幽体を殺し慣れている動き。


 ——久し振りに人生の走馬灯を見た。

 家族の風景と——水嶋優羽凛。


 今まで何度か見た走馬灯とは違う。 そこには水嶋優羽凛との思い出があった。

 ……違う。 それは、『思い出』というにはまだ遠すぎる距離だ。

 彼女を『水嶋優羽凛』と認識してなかった頃。 高校の入学式、愛らしい横顔に目を奪われた。 下校途中、可愛らしく弾むポニーテールを目で追った。 体育の授業ではしゃぐ彼女を教室から眺めた。 友達と笑いながら廊下を歩く彼女を見つめた。 彼女のクラスの前を通る時は少し緊張した。 教室を覗いて姿を探すと、いつもいつも笑っていた。 まだ、名前も知らなかったあの頃。


 ——あの娘の事なんて何も知らないまま、俺の高校生活は平穏に過ぎ去っていく。

 それが当たり前だと思っていたし、それでいい、そうじゃなくてはならないと、自分を疑う事すらしなかった。


 あれから同じクラスになって、隣の席になって。

 果てには入れ替わって、幽体離脱して。

 たくさんの水嶋を知って。

 何なんだ、今日はまったく。

 あぁ……なんか辛いなぁ。


 ——こんなに好きになってしまうなんてなぁ。




 「……んん!? いやいや、何を浸ってんだ俺は! こんなとこで終われるかよぉぉぉお」


 食われるぞ、引くな! 最高速で押せ!

 この身体なら全身がすっぽり収まる筈。

 コイツの両手ごと、喉の奥に突っ込め!


 「ブォエエエェ! 」


 よし! 吐き出してくれた!

 両手の圧が緩む。 桃乃介を振るうには体重が足りない。 短刀の春秋で指の関節部分を打つ!


 「よぉし! 」


 拘束が解けた。 距離を取る。


 「お前なぁ! そもそもあのパック……今川焼きみたいなのぶつけたの俺じゃないからな! 」


 「モキュ? ……モキュウ? 」


 「……ビジュアルと裏腹に鳴き声可愛いな。 人類がギャップに弱いこと知ってんのかこのクソレム 」


 ツッコミつつバックステップ。 レムは俺に落とされた指を再生している。 背を向けたら、視線を切ったら()られる。 桃乃介も封じられている。 息を止めている事に気付いたので、一度大きく息を吸いこんだ。 呼吸を止めるな、最善策を弾き出せ!


 加圧式ウォーターガン【KIT-14】を生成。

 タンクに白いペンキを補充。 銃口を振って広範囲に撃つ。 被弾を避けてレムが逃げる。

 すかさず方向転換して近くのオフィスビルに退避。 背中から室内に飛び込む。

 逃げ込んだ先は、デスクが何列も並ぶフロアだった。 レムから逃げるなんて新人の時以来だ。 ここは建物でレムの視線を切りつつ逃げるのがベター。


 「ハァ、ハァ、あっぶねぇ……死ぬとこだった……ナルセあの野郎! 」


 湧き上がってくる怒りを抑えて、呼吸を整えることに全神経を集中。


 「ミャァーオ」


 ————猫。


 「なんだお前、どこに居たんだよ。 ついてきたのか? ちょっと今は静かにしててくれよ……というか、できれば紫苑さんを呼んできて欲しいんだけど……」


 「ミャミャオ! 」


 「いや、ミャミャオ! じゃなくて。 返事要らないから」


 「ミャミャ〜〜〜オ! 」


 「おういい加減にしろよ? なぁ? 深夜のオフィスビルで盛ってんなよこのド変態が 」


 「モキュキュ〜〜〜ウ? 」


 「ほらみろレム来ちゃっただろうがバカ! なぁ、あいつお前に返事したんだぞ? 責任持てよおい」


 建物を渡り歩いて逃げ切るつもりだったが、この状況でひらけた場所に出たら一瞬で追いつかれる。 ひとまず建物内で逃げよう、上だ。


 「……あぁ、くそっ! お前も来い」


 猫を抱えて飛ぶ。 上の階のフロアに出たが、ここも同じようなオフィス。 先程の階よりも乱雑な配置のデスクに身を隠すと、すぐにレムが追ってきて、特徴的な高声を鳴らした。


 「……よし、いいかニャン吉。 お前は今日からニャン吉で、俺の囮だ。 いいな? その妖艶なボディでレムの欲情を駆り立ててこい、ゴー」


 ニャン吉をデスクの上に乗せる。


 「ミャーォ」


 「モキュ? 」


 ニャン吉はブロック塀の上をお散歩するが如く、優雅な姿勢でデスクの上を闊歩する。 窓際の席で立ち止まり、背中をぐっと反らせて「伸び」をすると、軽快な身のこなしで窓の外へとダイブしていった。 正面にいたレムは無関心でこっちを凝視している。

 なるほどね。 ニャン吉が可愛いだけの役立たずだとわかっただけでも収穫か。


 このビルは周囲と比べると少しだけ背の高いビルだ、屋上から飛び出したら即座に隠れられる場所がない。 この建物周辺をイメージする。 北側一択だ、そっちの方角には同じようなビルや商業施設が立ち並んでいるし、牛丼屋の方向ともそれほどズレはない。

 加圧式ウォーターガンを構える。 構えつつ、レムに背を向けず、今出せる最高速度で外へ飛び出した。


 ——はい、一瞬で詰められた。


 「は、速っ! やっぱ追いつかれるよなぁ 」


 乱射。 一心不乱に銃口を振りながら撃つ。

 あ、ダメだ読まれてた。 ニャン吉ー! ニャン吉フォロー来ーい! あぁダメだ、レムから逃げるなんて経験ないもん。 頑張ったけど上手に逃げられないよ。


 「くっそぉ……スピードも全然出ないしさぁ! ……ん……? 」


 上空の月明かりから影が落ちた。 ウォーターガンを乱射している俺、それを器用に躱しながら距離を詰めてくるレム。 見上げると、和傘を振りかぶる紫苑さんのシルエット。


 「待たせた慶太! あれ、これ慶太? ちっさ! フルモデルチェンジか? 思い切ったな! 」


 「やかましいわ、なんて魔法掛けてくれてるんですか! ……水嶋は? 」


 紫苑さんの赤い和傘が、いとも簡単にレムを真っ二つに切り裂いた。 彼女は飛んできた方角を向いて、おでこに手を当てて眉間に皺を寄せる。 戦闘体勢に入ることを予期していたのか、和服からラフな格好に変わっていた。 タートルネックのニットに薄い色のデニム。 蛍光色のスニーカー。 ビンテージと言うのか、古い加工が施されたキャップを被っている。


 「場所を聞いて私だけすっ飛んできたから、 そろそろ追い付くんじゃないの? 」


 「……ナルセが呼びに来たんですか? 」


 「うん、3分くらい前にご来店した」


 「……は? ご来店? ……あ、牛丼屋に? 自分の店みたいに言うじゃないですか」


 「あいつめっちゃヘラへラ笑いながら、『姉さん、ユーリちゃん! 残念だけどケイタはこのへんでリタイアっすぅ!』って」


 「ちっ、あのヘタレ野郎……」


 「にしてもこんなイキのいいレム久し振りに見たな! そこらの部隊なら即逃げで応援呼ぶレベルじゃないの? シメ甲斐あるね〜、なんかテンション上がってきた。 5分くらいは粘ってくれるかな? 」


 件のレムは颯爽と現れた強者の一撃に戸惑っているようにも見えた。 ゆっくりと再生しながら俺たちから距離を置いて、首を傾げている。

 紫苑さんでも単独ならシメるまで2分は要するだろう。 いや、普段俺に仕事を振ってサボっているので、下手したらもっと掛かるかもしれない。


 「で、この幽体どうなってるんです? 小さくなってコントロールが上手くできないんですよ。どうやったら戻るんですか? 」


 「知らん。 慶太のトラウマスイッチを押した自覚はあるけど、幼児退行スイッチを押したつもりはない」


 「知らんてあんた。 本当は人のトラウマスイッチ勝手に押したところから物申したいんですけどね」


 「トラ〜ウマ♪ スイッチッ♪ 」


 「えっ。 びっくりした、なにふざけてるんですか? 温度差を察してくださいよ。 あ、ほら前。 レム来てますよ」


 紫苑さんは振り向きざまにハイキックを叩き込む。 『よっ! 』なんていう軽い発声と容赦ない威力のギャップが恐ろしい。 レムはガードした腕ごと吹っ飛ばされたが、大きく広げた羽根で空気抵抗を増やして持ち堪えた。


 「久し振りに戦闘モード入りますか! 」


 「頼みますね。 というか、水嶋とあいつ2人っきりですよね? 行かないと」


 「大丈夫だよ、なにかあっても無視して私たちと合流しろって言ってあるから」


 「何かあってもって……あのヘタレが何か起こすんでしょ。 あいつ水嶋ロックオンしてたんだから 」


 「だーいじょうぶだっつの。 あいつはそこまで下衆(ゲス)じゃないよ。 うん、ゲスい男に憧れてるだけで……実際は小心者だから」


 紫苑さんは俺を指差して『君はここに居なさい』と言い放つと、ブリッジの要領で背中をぐにゃりと反らし、レムの右腕を避ける。

 ナルセに関してはゲスい小心者という認識だったけど、俺はまだ幽体で少し絡んだだけだ。 ゲスだと判断するのは早計かもしれないし、紫苑さんは彼とプライベートの親交があるのだろう。 やきもきする気持ちを抑えて、大人しく従うことにした。


 『君の気持ちいいところ教えてよ、ここは? ここはどう? あ、今ビクってしたね? 』


 軟体の美女は久しぶりの戦闘で気が狂ってしまったのか、はたまたシンプルに欲求不満がセリフに現れているのか、AV男優みたいな語彙と台詞回しでレムをひたすらいたぶっていた。


 「紫苑さんて絶対に前世おっさんですよね」


 「なぁ慶太! ここまで見ててどう? 弱点(ツボ)割れた? 」


 「そいつ隠すのうまいですね、不自然な動きが少ない。 そんだけ責めても赤くならないし」


 「雑魚いレムは速攻ブチギレて赤くなるもんなぁ 」


 「あの、水嶋……なんか言ってました? 俺、途中までしか聞いてなかったんですけど……」


 「 あの子も最後まで聞いてくれなかったよ。 “これ以上は口も手も出さないで欲しい” だってさ」


 「へぇ、そっか……」


 水嶋は何を思って、どんな感じで絡んでくるのだろう? そんな疑問が頭に浮かんだが、すぐに打ち消した。 その前にこっちから伝えたいことが山ほどあった。


 「もう大変だったよ。 深夜の牛丼屋に幾千もの薩摩(さつま)揚げが飛び交った」


 幾千は盛り過ぎでしょう、と返すと、紫苑さんはケラケラ笑いながらレムの左目を和傘で突いた。 『あれ、ここじゃないか』と少し驚いた様子で俺の顔を見る。 左目じゃなくて、正確には左のコメカミから少し下。 誤差5センチ程度だからもう二発も入れば確実に弱点を掠める。


 「紫苑さん」


 「ん? 弱点(ツボ)見えた? どこよ? 」


 「本当に感謝してます。 俺も心のどこかで、前に進まなきゃって考えてたんだと思います」


 「……んー? 私はさぁ、二人を見てて、ちょっぴりもどかしかっただけ。 お節介してごめんね」


 彼女は俺を横目に見ながら身を翻し、レムからの反撃をヒラリと躱す。 一瞬で懐へ潜り込むと、言葉のトーンとはかけ離れた勢いで弱点を突く。 更に深く、抉るように傘を突き刺していく。 顔はめっちゃ笑っている。 怖い。

 レムは反撃をしようと両腕を上げてブルブルと震わせたけど、そのまま力尽きてだらりと腕を垂らした後、「ギュギュウ……」と控えめに唸って活動を停止した。


 「最後の攻防(やりとり)、綺麗でしたね。 お疲れ様でした」


 「さすがに時間かかったなぁ。 鈍ってる」


 「紫苑さんの話を聞いて、思い出した事がたくさんあります。 水嶋との会話も、昨日の出来事も、靄がかかっていた部分がある。 いや、自分で靄をかけたのか。 それにしても、どうして」


 「慶太。 ちょっと下、降りようか」


 「え? あぁ、良いですけど」


 俺の質問が終わる前に、紫苑さんがそんな提案を被せてきた。 彼女の表情が突然、キッ、と引き締まったような気がして、自然と素直に従ってしまった。

 ゆっくり下に降りていくと、シメたレムがこじんまりした公園に落下しているのを確認。

 そのロケーションは実に質素で、遊具はブランコと、デザイナーのやっつけ感が滲み出るチープなアスレチックしかない。 それと、ベンチが二つ。


 「子供騙しみたいな遊具だなぁ」


 紫苑さんがつぶやく。


 「まぁ、子供を騙す設備ですからね」


 俺が返すと、「あは、確かに」と微笑した。

 

 「慶太、初めて会った時のこと覚えてるか? 」


 「……えっと、さっき言っていたやつですか? 母ちゃんのお通夜で会ってたっていう」


 「いや、そっちじゃない。 慶太が私を認識した時の話」


 忘れる訳がない。 それは俺が、初めて幽体離脱した夜の事だからだ。

 母ちゃんが死んだ日から、紫苑さんは毎晩相原家に通っていたらしい。 何故ならその頃の相原家には、異常なほど大量のレムが湧いていたから。 祥雲寺エリアの警戒区域になっていた俺たちのアパートを、当時はまだ若頭だった彼女が一任していた、と聞いている。 今日は自殺の起きた団地をボブの部隊が担当したけど、俺が1人で任されていた可能性だって充分にある。 きっとそんな状況だったのだろう。


 「お前が幽体離脱(ぬけた)のは通い始めて3日目。 2日目に私は、寝ている相原家の前で完全体(ハネツキ)(ツブ)した。 その翌日だ。 私はあの日のことを鮮明に覚えている。 今でもよく思い出すよ」


 そう、鮮明に覚えている。

 紫苑さんの幽体が相原家に着く前に、俺は幽体離脱をした。 何がなんだかわからないまま、家族の周囲を不思議な軟体生物が取り囲んでいる場面に出くわしたのだ。 そのうち一体には大きな羽根が生えていて、今にも眠っている親父の頭に噛み付こうとしている所だった。 何もわからなかったけど、意外にもパニックに陥ったりはせず「戦わなきゃ」という感情に支配され、それに従った。


 「あの時、私が助けに入ったけど……実はさ、お前が戦ってるのを1分くらい前から見てたんだよ。 ベランダの窓から」


 「……え? ふふっ、それ本当ですか? どういう事です? なんで観戦してるんですか」


 「初めて幽体離脱した中学生のガキが小さい包丁を生成して、顔面血だらけで、骨折した左腕をブラブラさせて……死にかけながら戦ってた」


 人生で初めて走馬灯を見た瞬間。

 あの日を二度と忘れる事はないだろう。


 「私はそれ見てさ、何を考えたと思う? 」


 「『うわぁキッショ、なんだこのガキ』でしょ? 」


 彼女はひっくり返ったレムを傘でツンツンと突きながら、いつもより数段低いトーンで、『ちがうよ』と囁いた。


 「私はね。 もっと慶太を見ていたい、って思ったんだ」


 「紫苑さんもサイコパスなんですか。 勘弁してくださいよ」


 「……初めてだったんだよ、人が何かをやってるのを見てそんな気持ちになったの。 大道芸人の達者な芸を見てもそんな気持ちにはならなかった」


 「大道芸よりは迫真で緊迫感があったでしょうね」


 痛かったし、苦しかった。 寂しかったし、怖かった。 今となっては懐かしいな、と感じる。 その時の会話を思い出してみた。 俺は意識が朦朧としていて、視野もドーナツの穴から覗いているくらいの範囲しかない。 シュッとした女性が突然目の前に現れて、その後ろ姿がぼんやりとだけ見えた。


 『ば、バケモノは……? お、親父が……』


 あの時紫苑さんは、倒れている俺の横に膝をついて、顔についた血を優しく拭ってくれた。

 全身を襲う悪寒が酷くて、俺は歯をカチカチ鳴らしながら頭を動かして、状況を把握しようと必死だった。


 『そろそろ死にそうだなぁ、慶太くん 』


 『誰だ、あんた……? 』


 『もしよかったらウチでバイトしない? 時給弾むし、お前ならすぐ出来るようになるよ』


 『バイト……? 』


 『……明日また迎えに来る。 強くなるまで、何回でも死ねばいい』


 ——何回でも死ねばいい。 記憶は曖昧だけど、とても澄んだ声で放たれた辛辣な言葉を浴びつつ、わしゃわしゃと頭を撫でられたように思う。


 『今日はもう、ゆっくり眠りなさい』


 そして俺はゆっくりと瞳を閉じて、その直後に死んだのだ。


 「……うーん、あんなバケモノ連れてこられたら、私は黙って白旗を振るしかないわな」


 思い出に浸っていたところで、紫苑さんが沈黙を破ってきた。


 「バケモノ? 白旗? 」


 「まっ、いいわ。 初めて会った日の事を謝りたかったんだ。 ずっと引っかかっててなぁ。 怖かったろ? あの時」


 「怖かったし……でもまぁ、必死でしたね。 実際、頭の中は真っ白でしたよ」


 「これからもドライに、深入りせず、居心地の良い関係でいような」


 話が逸れてしまってよくわからなかった。 ちょっと真面目な話が出来る空気だから昔の事を謝っておこう、くらいの気持ちになったのだろうか? 実際、当時少し放置されていた事実を聞いたところでどうでも良い、みたいな気持ちだった。 それに、あの時死にかけたり、何もわからないまま戦ったのは、その後の幽体人生にとってはとても良い刺激になったと思っている。


 「……はい、切れない縁もありますしね。 これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。 ……あっ! すみませんちょっと席外します! 」


 「あいよ、行ってきな。 あ、慶太! ゆうりちゃんに魔法をかけといてやったからな」


 背中にかけられた言葉の意味はわからなかったが、牛丼屋の方角から2つの人影が近付いてくるのを確認して、瞬発的に飛翔した。

 俺たちを探しているようだけど、向こうはまだ気付いていないようだ。 距離が縮まるにつれ、ナルセへの純然たる殺意が膨れ上がっていく。

 

 「あんのヘタレ野郎……! いけしゃあしゃあと水嶋の隣を飛びやがって……! 」


 水嶋が俺に気付き、接近してきた。


 「あれ……? 慶ちゃん!? 」


 その瞬間、パンッパンに膨れ上がっていたナルセへの殺意が張り裂けた。

 水嶋優羽凛がパジャマから着物にお色直ししていたのだ。 俺の脳はその衝撃に耐えきれず数秒間停止した。

 

 ——なんてこった。

 可愛いとか、似合うとか、そういう凡百の感想を軽々と超越してくる。

 空色の和服。 蓮の花。 金魚も泳いでいた。 浴衣だろうか? 見た瞬間に、夏祭りではしゃぐ水嶋の姿が脳裏に浮かんだ。

 わたあめを幸せそうに頬張る。 口の端に逸れた飴をペロリと舐めて満足げに微笑む。

 ラムネに入ったビー玉をまじまじと眺め、こくりと喉を鳴らし煽る。 具の少ない焼きそばに不満の言葉を漏らしつつ、美味そうに啜る。 片手にはヨーヨーと二匹の金魚がぶら下がっていて、側頭部には変なキャラクターのお面が掛かっている。


 【慶ちゃん早くぅ! こっちこっち! 】


 愛らしい鼻緒の下駄が、カランコロン。

 夏祭りの夜へ束の間のトリップ。

 水嶋の背景に、時空を超えた花火が爆ぜる。


 ドォーン。 パラパラ。 ドドーン。 ドーン。 ザザァ、ドォーン。


 「あぁ、綺麗だなぁ……。 さっきから脳内麻薬(ドーパミン)の分泌が止まらんぞ……」

 

 「おう、ケイタ。 何が止まんねぇって? ちゃんと援軍呼んでやったぞ、よく生きてたなぁ」


  ナルセの飄々とした声で現実に引き戻された。


 「はっ。 ……あぁナルセか、おしっこタンク大丈夫ですか? さっきちょっと漏らしてましたよね? あ、水嶋聞いてよこの人さっき……」


 「はぁ? 何の話だよ!? 死にかけて幻でも見てたんじゃねぇの!? 」


 うわ、今日イチの大声でゴリ押ししてきた。 正気かこいつ、あそこまで赤裸々に漏らしといてシラを切り通すつもりだ。


 「ショタ慶……」


 ……あ? ショタ慶?

 あ、そうだ。 今俺の風貌は10歳くらいの感じでお届けしてるんだ。 ドリ慶からショタ慶へ昇格……いや降格なのか? どっちでもいいわ。


 「……水嶋。 それ、なんていうかすごく似合ってるよ」


 「……あぁ、うん、ありがとう。 ちょっと動きにくいけどね。 シオンさんが出してくれたの」


 「牛丼屋で? 」


 「牛丼屋で」


 「牛丼屋で着替えたの? 」


 「牛丼屋で着替えたの」


 「またとない経験だな」


 「またとない経験だね」


 ……脳死の鸚鵡(おうむ)返し。 なんだ、何が起きた。 やっぱり紫苑さんに俺の話を聞いて同情しているのだろうか。 憐れみで正常に立ち回れなくなってしまったのだろうか。……気まずい。 なんだか心苦しい。

 

 「私、昨日ね、慶ちゃんの家で昔の写真を見たの」


 「え? 本当に? いつの写真? 親父が出してきたの? 」


 「……うん。 間違いないよ、この子は愛想のない顔でファインダーを睨みつけていたショタ慶だ」


 両肩を掴まれる。 なんてこった、もの凄い握力だ。 誤算だった、こんなに握力のポテンシャルが高かったとは。 脱臼の危険性すら匂わせてくる。 あれ、水嶋がまた見たことない表情をしてる。 なんだろう? この表情……恍惚?


 「なんて……なんて尊いの……! 」


 「とおとい? 」


 強引に引き寄せられ、抱き締められた。 小さな水嶋よりもさらに小さな身体。

 またとない経験だな、と思いつつ、その柔らかい感触に身を委ねる事にした。

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異世界転生チーレムギャグ小説も書いております。 『始まりの草原で魔王を手懐けた男。』 ←よかったらこちらも覗いてみてください!
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