“脳の異常” または “恋の病”
「そ、そんな訳ないでしょ! 最近こういう話に興味があるだけ! 陰謀論とか……おもしろいじゃない」
腕を組んで、座っている俺を糸こんにゃくアイで見下ろしている。
「男の子と付き合った途端にすごく影響されて、突然ファッションが変わったり、趣味が変わったりとかする子いるでしょ? 」
「そうなの? 知らないけど……」
「私、ゆうりちゃんは絶対にそのタイプじゃないと思ってた」
ギリギリセーフ! その展開の方が百倍マシだぞ。 この話に適当に合わせてお茶を濁そう。
「あー、たしかに! 最近相原とかいうアホとつるむ機会が多かったから、少し影響されてる部分はあるかもねぇ。 身を引き締めないとね」
「それで、私たちの入れ替わりの話がまた気になっちゃったんだ? それで調べたの? 」
「うん、そんなとこかな。 あのバカとディスカッションしようと思って、入れ替わりについての知見を深めとこうと」
自分の机に向かった優羽菜ちゃんは、椅子の背もたれを抱くように座り、またジトッとした目で俺を見つめてくる。
「実際はなんだったんだろうねぇ、私たちの入れ替わりは。 覚えてないっていうのが気になるよねぇ」
なんとか切り抜けたか……?
このまま話をすり替えて、ダメならベッドダイブして寝よう。
「多分、小さい頃はもっと似てただろうし……他人から頻繁に間違われてたでしょ? それで二人とも賢いから、どちらかがそのイタズラを思いついたのかもしれないね」
「そうかなぁ。 そういう頭が回るタイプじゃなかった気が……そういえば親戚も誰一人見分けが付かなくて、髪留めの色だけ変えてたもんね」
「服を変えた方が分かりやすいのに」
「昔の写真見ても、ほとんど服はお揃いだよねぇ」
親の心理として、顔が同じだと服も同じにしたくなるのだろうか? それは親として楽しんでるのか、会う人を視覚的に楽しませようとするエンターテイナー性なのか、けどなんとなく気持ちはわからなくもない。
「もしかしたら、ママが本当に勘違いしてただけとかね。 その日は髪留めを逆に付けちゃってて、自分で勝手に騙されちゃうっていう」
「……あー! 私、ママが間違える訳ないって先入観があったわぁ。 そうか、それなら当時の私たちはママの勘違いに素直に対応してるだけだから、覚えてなくてもおかしくないかも」
俺が考えていたのは、姉の水嶋が提案してやらせたイタズラ。 妹はそれを覚えていなくて、水嶋も覚えていないフリをしているだけ、というパターン。 俺は実際、この可能性が一番高いのではないかと勘ぐっていた。
「ねぇ、仮にさ。 この二日間、私が相原慶太と入れ替わっていたとしたらどうする? 」
俺が悪戯に言うと、口をあんぐりと開けて、みるみるうちに顔が紅潮していった。 もぎたてのリンゴになった優羽菜ちゃんが背もたれから身体を離して、両手で頬を包む。
「はっ、恥ずかしい! ……めっちゃ恥ずい! この二日間の私を返してほしいっ! 」
かわいい。 そして襲いくる罪悪感。
優羽菜ちゃんはそのまま二段ベッドの一階に目を向ける。
「そんなこと言われたら今日一緒に寝れなくなっちゃうっ」
「うん、一緒に寝なくていいよ今日は」
「何をぅ! 」
再びパソコンに向かい、ディスプレイとスマホと交互に見ながら、水嶋にも連絡してみることにした。
【優羽凛先生、起きてますか? 】
しばらく見ていても既読がつかなかった。
遊び疲れて、もう寝てしまったのだろうか。
俺がいくつか読んだ入れ替わり事例のうち、肝心の『ラスト』はその殆どがざっくりした、投げやりとも言えるオチがついている。
元に戻らずに離れ離れになって以来会ってないとか。
入れ替わりは生前に同性愛者だった悪霊がかけた呪いで、女の髪の毛をお墓にお供えしたら元に戻ったとか。 そりゃもううんざりするような結末だ。
双子の入れ替わりについて考えてみた。
外見が同じなのだから、それこそ元に戻らなくてもいいような気がする。 特に子供の時なら2人の立場はほぼ同じだろうし、まぁこっちの身体でもいいか、という気分になりそうだ。
【双子 入れ替わり】 検索。
全くの他人よりは、なんとなくあり得そうな双子の魂の入れ替わり。 だけどその事例はオカルト系のサイトでは見当たらなかった。きっとわざわざ魂を入れ替えなくても、物理的なトリックとして本人同士が入れ替わっていた方が、創作として面白いからだろう。
双子の入れ替わりはファンタジーというより、ミステリーのトリックとして優秀なのだ。
「なかなか面白いな……」
俺はすでに、ネットに上がっているような情報は全て創作だと決めつけて読んでいた。
「ふぁ〜あ」
優羽菜ちゃんが大きなあくびを一つ。 俺もそれにつられてあくびをした瞬間、手元のスマホが振動した。
【起きてますとも】
水嶋からの返信。
【双子の面白エピソードがあったら今度聞かせてくれ】
【じゃんけんで20回連続あいことか? 】
【もうおもしれぇの出てきたじゃん。 とんでもない確率の低さだろそれ】
【入れ替わり調べてる? 】
【もう心が折れてる】
【私もちょっと調べたけど、嘘くさいのばっかだね。 ゆうなちゃんは起きてる? 】
【起きてるよ。 さっきまで話してたけどウトウトしてる】
【なに話してたの? 】
【んー、色々。 ゆうなちゃん優しいな。 ちょっと抜けてて面白いし、可愛いし】
【さっさと寝ろドブスって言っといて】
【ほぼ同じ顔だけど大丈夫か】
【相原くんも疲れてるんだし、どうしようもないバカやろうなんだから早く寝た方がいいよ】
【やっぱどうしようもないバカだから眠いのかな? そうするわ。 すっごい眠い】
【私、今日は甘えたい気分だからハルくんと一緒に寝ようかな〜】
【普通にぶん殴られると思うぞ】
【しねバカ】
【当たり強いなさっきから。 明日さ、病院行く羽目になるっぽい。 待ち合わせどうする】
【精神科? 】
【いや、脳を精密検査しろってゆうなちゃんが。 悪い、水嶋を演じきれなくてボロ出した俺のせいだ】
【私も行く】
【大丈夫か? ゆうなちゃんは相原慶太を敵対視してる節があるぞ】
【望むところだよ。 おやすみ】
【朝起きたら連絡する、おやすみ】
そこから返事は来なかった。
パソコンから離れて伸びをすると、またあくびが出る。 優羽菜ちゃんは椅子に座ったまま、腕にヨダレを垂らして眠ってしまっていた。
「ゆうなちゃん、ベッドに入った方がいいぞ。 ……というかよく寝れんな、その体勢で」
「んあっ!? へぁ……」
立ち上がり、亡霊みたいにフラフラとしながら一段目のベッドに倒れこんだ。 ウチのアキが寝惚けている動作と瓜二つなのが可笑しくて、声を上げて笑ってしまった。
彼女の身体を動かして布団を掛けてやる。
離れまいと首に腕を回してきたけど、優しく振りほどいて頭を撫でた。
俺はそのまま電気を消して、梯子を登り、二段目に寝転んだ。 身体が重く、この疲労感ならすぐに眠りに落ちてしまう予感がする。
「ゆうりちゃん……? どこ」
「まだ起きてるのか? 上だよ、今日は別々で寝るよ。 ゆうなちゃんの布団いい匂いだね」
しばらく沈黙が続いた。
水嶋が眠る前に包まれている静寂。
今更ながら不思議な気分だ。
「んふふふはははは」
ふんわりした微睡みの時間を切り裂くように、下から不気味な笑い声が上がる。
「あぁん、気持ち悪いよゆうなちゃぁん」
睡眠という浴槽で半身浴をしていたら引っ張り上げられた。 針に糸が通らなかった時の脱力感だ。
「ゆうりちゃんさぁ、本当におかしくなっちゃったのかなぁ」
半分寝ているような声だった。
普段より輪をかけてのっぺりとした、ゆるい声。
「だから、おかしくないって。 ちょっと疲れているだけ」
「心配なんだけどぉ、私ね、きっと大丈夫だろうなって気持ちもあるわけよぉ」
「病院? 私も一応行っときたいとは思ってるよ」
「ただの恋の病であることを祈っておりますよぉ」
恋の病。 優羽菜ちゃんの中では、姉が相原慶太というおかしな男に惹かれている設定になっているんだろう。 水嶋には今まで、そういった浮ついた話はなかったのか。
きっとなかったからこそ、ママと3人でリビング女子バナをしたり、俺がちょいちょい出してしまうボロにも優しく対応してくれてくれるのだ。
「恋の病でおかしくなるようなタマじゃないよ。 最初から結構おかしいんだから」
くすくすと控えめな笑い声が聞こえる。
「ゆうりちゃんてぇ、昔から私になんでも譲ってくれたでしょう? ゆうりちゃんは我慢が出来る子でぇ、私は我慢ができない子って扱いだったよねぇ」
「そうなんだ……」
「でも……もしゆうりちゃんに好きな人が出来て、私も同じ人を好きになったら……きっとそこだけは譲ってくれないんだろーなぁって、そう思うなぁ……私……」
話の後半から、優羽菜ちゃんが睡魔に足を取られて夢の中に引きずり込まれていくのがわかった。
だから、俺は言葉を返さずに、また彼女がこっちに戻ってきてしまわないように、瞳を閉じて自分の呼吸だけに集中することにした。
首から下が機能を停止して、じわじわ暖かくなっていく。 柔らかいベッドと掛け布団に同化していく感覚。 意識が途切れ途切れになって、1秒前に浮かんだ不思議なイメージが、ラムネ菓子みたい溶けていく。
ふわふわして気持ちがいい。
このまま、この感覚に身を委ねて……
あぁ、今日も……おやすみ……