入れ替わりについての考察
見事リベンジを果たした浅野くんは完全に覚醒した。 樫本の隣をずっとキープしたままだったし、冷やかしに入ったお土産売り場で、誰も望まない変なキャラクターのキーホルダーを四つ購入して全員に振る舞うなどの奇行に及んだ。
しかしこれは、今日という日をなんとかして形に残そう、この四人の結束の証として変なキャラクターを奉ろう、という精神なんだろうなぁ。 と考えた途端に微笑ましくなり、今はこのクソほど変なキャラクターも愛嬌があって可愛いのではないかという錯覚に襲われている。
俺も何らかのパフォーマンスを見せないといけないのではと焦ったけど、特に何も思い浮かばないのでやめた。 あのヒーローショーで充分だろう。
「しゃぶしゃぶにしよう、しゃぶしゃぶ! 」
ショッピングモールに向かう最中、樫本が振り返ってスマホを見せてきた。 レストラン街にあるしゃぶしゃぶ店のホームページで、食べ放題のシステムがあるようだ。 多少足が出る金額だったが、それでも食事券を発動すればファミレスよりも安く済みそうだった。
「おぉう、いいねぇ! みんなでしゃぶりつくそう! 」
樫本は小走りで浅野くんの隣に戻っていく。 まったく、浅野くんはどんな告白をしたのだろう? 後で聞いてみよう。 樫本がすっかりメスの顔になっちまったじゃないか。
「水嶋、牛肉タッパーで持ち帰れるかな。 ハルとアキに」
「冗談に聞こえないからやめて。 あと相原くん、太るからお米とお肉は食べないでね」
「もう八方塞がりじゃねぇか」
「人の身体を借りてる自覚を持って行動してよね」
「おい、どの口が言うんだよ。 ちなみにジューシージャーの楽屋でお菓子どか食いしてるからな、既に」
「はぇ!? 嘘でしょ!? 」
「あのな、真面目な話、もう少し太った方がいいと思う。 個人的にはもう少し肉感があった方が……」
「ズリネタになる? 」
「バカヤロウ。 お前覚えたての言葉使いたくてしょうがないだけだろ。 こっからNGワードな、それ」
「えっ。 それ封じられたら相原くんと喋ることなんて何もないよ」
「じゃあ喋らなくて結構だよ」
そこからしゃぶしゃぶ屋さんに着くまでの間、俺が何度話しかけても「私、ズリネタの方を封じられてますので」としか返せない壊れたラジオになった。
レストラン街の食品サンプルを見て、しゃぶしゃぶ一本だった空気が揺らぐ場面もあったけど、結局は樫本の強い希望により予定通りのお店に入る。
食事の途中でジューシージャーの楽屋での人間ドラマを少々の味付けを加えて話したところ、完全に創作扱いされ、オオカミ少女みたいな仕打ちを受ける羽目になった。
水嶋は舞台に上がった時の心境を話していく流れで金玉にダメージを受けた話を始めたので「しゃぶしゃぶ中に金玉の話するなよ」と咎めたところ、「金玉ならセーフ」という意見が過半数を超えて、なぜか逆に俺が責められるという釈然としない展開になって窮地に立たされた。
「なんでこんなに下品でブサイクな奴の味方するの? 浅野くん、サエちゃん。 どうしてこんなに可憐で愛らしい私が責められなくてはならないの」
「ゆうり今日よく喋るなぁ、なんか変だぞぉ。 もう黙って食えよぉ」
「なによ、私と闘ろうっての? 」
「水嶋さん、なんだか今日はずっと全開みたいで新鮮だね。 いつもクールなのに」
「クールだった試しなんかないでしょ。 私の何を見てたらそうなるの! 」
「おいおい……ったく落ち着けよ優羽凛。 俺たちは今シャブ中なんだ。 しゃぶり尽くすことに全集中を注ぎ込め」
「その口を生肉で塞いでやろうか? あ? 」
これ以上は戦っても状況は悪化するばかりだと判断して喋るのをやめた。
俺は一時間半という制限時間をフルに使い、普段食べないしゃぶしゃぶを貪り食った。
自分だけいい思いをしているような気がして申し訳なかったので、少しお金を貯めて、そのうち家族にも振舞ってやろうと自分に言い聞かせながら。
「あー、食った食ったぁ! 」
楽しい食事を終えて駅に向かい、四人で電車に乗った後も話が尽きることはなかった。
車内はほどほどに混んでいて、俺と樫本が座席に座り、その前で男性陣がつり革につかまっている。
今は浅野くんが必死に会話をリードしているけど、近いうちにこの形勢は逆転して樫本が主導権を握ることになるんだろうなぁ、と予感させる雰囲気だ。 それがこの二人の自然な形だろうし、その方がきっとうまくいく気がする。
「じゃあ俺、樫本さんを送っていくから」
「相原、今日は楽しかった! それと、なんていうか、ありがとうなぁ。 ゆうり、帰ったらメッセージ入れるね」
樫本の地元の駅で二人が降りていく。 水嶋は俺の隣に空いたスペースに座ると、次の駅に着く前にコテンと寝てしまった。 俺の肩に頭を乗せて、静かに寝息をたて始める。
あれだけはしゃいだのだから仕方ないだろう。
俺の方も何度かあくびをして眠気と戦う中で、入れ替わりについての新しい発想がちらっと思い浮かんだ。 水嶋が起きる前になんとなく纏まったら、話してみよう。
「水嶋、もう着くぞ」
あと2駅に迫ったところで、水嶋を起こす。
「……ん。 あぇ? サエちゃんたちは……? 」
「さっき二人で見送ったろ」
「あ。 あぁ、そっかぁ……」
寝ぼけているようで、目をくしくし擦り、大きなあくびを一つした。
「……今ね、ここと……ここに……サエちゃんと浅野くんがね、並んで立ってる……夢を見てた……」
半開きの寝ぼけ眼で両手を動かし、夢の登場人物達の位置関係を示している。 俺の肩で寝ていた時も思ったけど、これが水嶋の姿だったら相当パンチの効いた可愛らしさだろうな、と、沈殿していた「元に戻りたい欲」がふわっと舞い上がるのを感じた。
「……ん? ……何笑ってるの」
「あ、いや、なんでもない」
俺の家の最寄駅に着いたので、水嶋を送り届けようと電車を降りた。徒歩だと15分ほどかかるので、その間に明日の打ち合わせをすることにした。
「明日はどうする? 」
「遊ぶ」
即答。
「日曜だけど、なんか予定とかないのか? 」
「うん、絵画教室のアルバイトだったんだけど、休むって連絡しておいた」
「絵画教室? 先生なのか? 」
「まさか。 アシスタントだよ。 雑務、雑務。 相原くんは? お弁当作り以外に役割は? 」
「よかった、こなせる自信が全くないわ」
絵画教室のアシスタントという業務が全くイメージできなかった。 俺はスマホを開いてスケジュールを確認する。
「明日は何もないな。 ハルの試合と、アキのカードゲームの大会が被ってるからどっちかに顔出そうかなって思ってたくらいだな」
「私、野球はさっぱりだからなぁ……アキくんのカードゲーム見にいく? 」
「カードゲームもさっぱりだろ? 大会、大人も出るらしいぞ」
「へぇ! 出てみようかな。 ルール知らんけど」
「本当の意味で大会荒らしになりそうだな」
くだらない話をしながら歩いていく。
スマホにメッセージが入ったので確認すると、親父だった。 もうすぐ家に帰れると返事をする。
「今日は焼きそば作ったらしいから、明日はあれだな、弁当箱に残った焼きそば詰めるだけだ」
「私の腕の見せ所だね」
「アキでも出来るから奮わなくていいぞ」
そうこうしているうちにアパートの前に着いた。 明日の待ち合わせ時間と場所を話し合っていると、反対の道から小さなキャリーバッグを引きずった老人が歩いてくるのが見えた。 アパートの斜向かいに住むお婆さんだ。
「相原さん、相原さん」
「こんばんは、おばあちゃん」
いつものノリで挨拶をしてからハッとした。 慌てて水嶋のケツを叩くと、「こんばんは、おばあちゃん」と声を出してくれた。
「この前もありがとうねぇ。 これ。 おはぎ作ったから、よかったら皆さんで食べてください」
「悪いですねおばあちゃん」
水嶋がすんなり受け取って、タッパーの蓋を開ける。 俺も覗き込んでみると、おはぎが五つ入っていた。 二つはきな粉で、三つが粒あんだ。
「まさか針でも入ってるんじゃないオフッ! 」
よかった、俺の隠しエルボーが間に合った。 おばあちゃんには聞こえなかったようだ。
「彼女さんかねぇ? 可愛らしい子ねぇ。 相原さんにぴったり」
「ありがたきお言葉。 おばあちゃん、帰りも気をつけてくださいね」
「もうそこが家だからねぇ。 それじゃあ、おやすみなさいね」
おばあちゃんはシワだらけの顔を綻ばせて笑うと、ゆっくりとした足取りで家へと帰っていった。
「まさか抱いたの? 」
「お前バカなの? 」
「仲良しなんだ? 」
「いや、たまにスーパーに行く時間が被る事があって。 その時に荷物を持ってあげたりするんだよ」
「仕込んだ? 」
「だから仕込みじゃねぇっつうんだよ。 俺が評価されるのをどうしても認めたくないんだなお前は」
水嶋はしばらくニヤニヤしてから、腕を組んで静止した。 眉間に皺を寄せて何か考えているようだった。
「……うん、相原くん。 心配だから駅まで送っていくよ」
「え。 俺がここまで来た意味は? 」
「相原くんのアパートと駅の間って人気のない道が多いじゃない。 私の身体なんですから、私が守らないと」
「ふぅん。 まぁ、いいけど」
来た道を戻る事になった。 まだ話したいこともあったので丁度良かった。 立ち止まって話すよりも、歩きながら話した方が頭に血が回るし、なんというか、全身のオイルが温まって潤滑になっていくような感じがして好きだ。 それは、水嶋と入れ替わって過ごす間に気付いたことだった。
「俺は今日帰ったらスマホでネットの海に飛び込んで、入れ替わりについて調べてみる。 なにか足がかりになるものがあるかもしれないし」
「そっち方面はお任せしますぅ。 私は今日もアキくんにデンキアンマーして泣かせますかねぇ」
「あまりうるさくすると下に住んでる人から突かれるから気をつけろよ」
「突かれる? 」
「下の階の人が天井を突くんだよ。 棒かなんかで」
よくある事だが一軒家暮らしの水嶋には馴染みがないのだろう。 冗談だと思っているのか、ケタケタと笑っている。
あまり纏まっていなかったけど、電車で思いついた突飛な考えを水嶋に話してみることにした。
「俺さ、さっき水嶋が電車で眠っている時、一つ仮説を立てて考えたんだよ」
「仮説? 」
「うん。 入れ替わりなんて、普通にありえない事だろ? 実はさ、俺たちは入れ替わってなんかいないんじゃないかって」
「ほぇ? んー……どういうこと? 」
「本当は俺は水嶋で、お前は相原慶太なんだ」
「出たでた。 変なこと言いだしたよ……」
呆れたような言葉の割には、顔が綻んでいる。
「俺たちは授業中に頭をぶつけた時に……二人とも一時的に沢山の記憶を失ったんだ。 自分の背景や、日常生活で当たり前にやっていた全ての事がわからなくなった。 そして俺は自分のことを『本当は相原慶太だ』と思い込んで、お前は自分を『本当は水嶋優羽凛だ』と思い込んでるだけなんだよ」
「えっと、本当は入れ替わってなくて、君は見た目のまま水嶋優羽凛ってことか。 それならなんで、相原くんのあらゆる情報を知っているの」
「そう、俺が水嶋優羽凛なら、慶太や相原家の『情報』をこんなに詳しく理解している訳がない。 その前提こそが落とし穴だったんだ。 逆に考えると、俺を相原慶太だと断定する要素はその『情報』だけだろ? 」
「ふむ……つまり…… 」
「水嶋優羽凛は最初から俺の全てを知っていたんだ。 家族構成も、金曜にカレーを作ることも、紫苑さんという唯一の友達がいる事も、スマホの暗証番号も。 それを踏まえた上で、こうして今、相原慶太を演じているだけなんだ。 『その情報を持っているという事実』自体を忘れてしまってる」
「うわぁ怖い怖い怖い。 急にサスペンス要素が押し寄せてきたよ。 うーん、ちょっと待ってよ。 ……うん。 それってお互いがお互いの全てを知らないと成り立たないよね? 」
「そう。 お前は今こうして水嶋優羽凛になりきれるくらい、以前から情報を収集して、頭の中に蓄積させてた」
「家の間取りとか、歯ブラシの位置とか、下着の色や保管場所まで? お互いをストーカーしてたの? 」
「……それでもいいけど、もしかしたら俺たち、本当は昔から付き合ってたんじゃないか……? 」
「……うわぁびっくりした! そうきたかぁ!! 」
「その記憶も一緒に飛んでしまっている。 ……恋人同士で明け透けに会話を重ねてきた中で、互いのパーソナルな情報や生活感の隅々までほぼ正確にトレースできるくらい溜め込んでいた。 それを今、無意識の領域から引っ張り出してきて、互いに相手になりきっているだけなんじゃないか。 大きいものから小さいものまで、記憶喪失の偶然が都合よく何十と重なり合って、入れ替わり現象だと錯覚してるっていう……」
俺の熱弁を聞いて、水嶋は今にも吹き出しそうに口をモゴモゴさせていた。
「ということはだよ、私と相原くんはもうあんな事やこんな事をしてしまっているんだね? だって私、その太ももの内側の付け根に小さなホクロがあるのを知ってるもの」
「……え、そうなの? 」
「ちょっと、こんな所で確認しないで、コラコラ」
天然で確認しようとしたのだけど、水嶋が狼狽えているのが珍しくて面白かった。
「……それ、電車の中で考えてたの? 」
「うん」
「本気で? 」
「うーん、12%くらいの気持ちで」
「半信半疑にも満たない」
「あはは、そうだな。 おもしろかった?」
「……うん、好き。 めちゃくちゃだけど面白い」
「だろ、思考実験みたいな。 なんかそんなことふわっと考えててさ、あれ、おれ病んでんのかなって。 精神科にも行ってみようかなって」
「あはは! 私も行くぅ。 行くとき誘って! 」
「ここまで極端じゃなくても、なんか症例ありそうじゃないか? 事故のショックで記憶が混乱して、人格が混線したりとかって……実際に」
「あったとしてもかなり眉唾物の、オカルトチックな話だねぇ。 ……あ、」
何か思いついたみたいに口を開けて、黒目を斜め上に向ける。 そちら側に電球がピカ、と灯ったみたいな動きだった。
「じゃあこういうのはどう? 朝起きて、相原くんは元に戻ってるの。 そんで、すぐに家を飛び出して私に会いに行く。 戻って良かったなぁ! って……」
「うんうん」
「でも私が家から出てきて、『何言ってんだ水嶋、俺はまだ相原慶太だぞ』って」
「……うわ、怖ぇ! なんだその話! 」
「んはは、 相原くんの言う入れ替わり錯覚論だとあり得るよね。 どっちかが先に自分を取り戻しちゃうっていう」
踏切に差し掛かり、急行電車が轟々と唸りながら通過していく。
あっという間に駅に着いてしまい、体感時間はさっきの半分くらいに感じた。 こうしてずっと楽しい時間を過ごしていたら、歳をとらないまま大人になってしまうんじゃないかという気にさえなってくる。
「じゃあ、水嶋。 また……」
「あ、相原くん。 もう駅に着いちゃったから、アパートまで送ってくれる? 」




