先生!遊園地で嘔吐したら卒業までネタにされますか?
電車の中で挙動不審な水嶋。
まず最初に、俺たちは最後部の車両に乗り込んだ。 そして電車が動き出すと、進行方向に向かって全車両を踏破。 今は二往復目に突入し、俺はその奇行を生暖かく見守っている。
「何してんだよ水嶋」
突っ込まない気でいたが、負けた。
「見ればわかるだろう、痴漢をさがしてるんだよ」
「こんな空いてる電車に発生する生物じゃないだろ」
「甘いぞ優羽凛、悪事の巧妙化というのはだな、ウラをかくのが肝なんだ。 まさかこんな場面で、っていう発想から始まる。 例えば……」
水嶋は座っている老人の前に屈み込み、真新しい革靴を指差した。
「この靴に小型カメラが仕込んであったり」
「バカヤロウ」
強めに頭を叩くと、「なんで? 」みたいな表情で見上げてくる。 おじいちゃんは耳が遠いのか関わり合いたくないのか、地蔵のように微動だにしない。
「すみません、すみません。 この子は不治の病なんです、医者にも匙を投げられたんです。 おらっ! こっち来いっ! 」
襟首を引っ張って立ち上がらせ、そのまま隣の車両へ連行する。
「お前な、トラブルを手繰り寄せようとするなよ」
「起きないなら手繰り寄せる他ないだろう」
「なんの使命感で動いてんだよ。 いいか、お前の奇行は俺たちへの風評被害に直結するんだぞ」
「俺たち? 」
「俺とテコマルだよ」
「アハハハハ」
「笑ってんなよこの野郎」
電車が止まり、凪町駅に到着したことを知らせるアナウンスが流れると、水嶋は思い出したように車外に飛び出し、スタスタと歩き出した。
人が多かったので慌てて追おうと駆け出したけど、フードに付いた耳がとても目立つし、通り過ぎる人が悉く訝しげな顔をしたり、振り返ったりするので、どこを歩いているのかすぐにわかる。 見失うことはなさそうだ。
この凪町にはテーマパークがある。
と言っても、誰もが名を知るような遊園地に比べれば知名度は低く、規模も小さい。 併設するように建った大型のショッピングモールには一度だけ来たことがあるが、テーマパークの方は未経験だ。
着ぐるみの奇人はどうやらそちらの方角に向かっているようだった。 途中で声を掛けてきた小学生を「プライベートだから、悪いね」と躱し、ビルの谷間にある幅の広い歩道橋の上で立ち止まった。
「相原くん、見てよこれ」
見せられたのはSNSの画面。
さっきカフェで撮った女子中学生との写真と、落書きのようなサインがアップされている。
【ぶらぶらしてたら泥ウィザのテコマルに遭遇した〜(*´ω`*) サイン貰いました♪( ´▽`)】
と呟かれている。
「すごいね、本当に似てるんだねぇ」
しかしその下に別アカウントから、【それ偽物ですよ】とコメントが付いていた。
「即バレしてるけどな」
一人で笑っている水嶋に軽蔑の視線を浴びせていると、背中から「ゆうり〜」と聞き覚えのある声がかけられた。 既に「ゆうり」で瞬時に振り向けるレベルまで訓練された俺である。
「珍しいなぁ! ゆうりから誘われるなんて! 」
そこには、水嶋の友人である樫本紗江子が立っていた。
入れ替わって保健室に行った時、心配して様子を見にきてくれたバレー部の元気娘だ。
短めのハーフパンツの下にレギンス。 ボーダーの七分袖カットソー。 大きなリュックを背負っている。 今にも登山を始めそうな格好だと思ったが、そのスポーティさが似合っていてとても可愛らしい。 私服を見たことがなかったので新鮮だった。
「相原も来るんだろー? なんかお邪魔して悪いなぁ、いつ来るん? 連絡取れてる? というか何だよその格好は。 相原の趣味? 」
「樫本……俺はずっとここにいるんだぜ!」
「え……? うわ、どわぁ! なんだお前が相原か! びっくりしたぁ、やばい奴がいるのかと思った」
樫本は爆笑している。 水嶋はサングラスを外して親指を自分に向けている。 俺は樫本の後ろで死んだ魚の目をしている。
会話を続けようとする水嶋の腕を掴み、樫本から5、6メートルくらいの距離をとった。
「あのさ、どういうことだ? これは」
「私の相原慶太襲名披露パーティーと洒落込もうかと」
「遊ぶのか? 遊園地で」
「来たことなかったから、凪町コスモパーク。 通称コスパ」
「……明日は日曜だからまだいいけど、学校が始まったら更なる苦難が待ち受けてるぞ。 遊園地で遊んでる場合じゃ……」
「おぅい! どうしたんだよゆうりぃ! 」
「ごめんちょっとそこでステイ! 今大事な話してるから! 」
樫本を制止して見上げると、フードをめくった水嶋がイヤホンを付けて縦ノリしていた。 髪型はガチガチに固めたオールバックだ。
「てめぇ、そのデベソにどれだけ小道具を仕込んできた! 出せっ、一つ残らず出せっ! 」
強引に身体を弄っていたら、いきなり両手首を掴まれた。 不覚にも力ずくでホールドアップさせられる。
「舐めるなよ小娘。 肉弾戦になればどちらに分があるかは火を見るよりも明らかだ。 軽率なマネは慎むんだな……」
「くっ! 」
こいつ、何かあれば借り物の腕力にモノを言わせて主義主張を貫く気だ! 現代人として御法度の手段だろ、歴史から何を学んだんだこの化け物め!
「じゃあ、相原くんは入れ替わりの根本的な解決方法とか思いついたの? 」
「あ、いや、それは……」
「お互い、家族は意外と寛容だということがわかった。 そこまで怪しまれてない。 だから、今度は友達の反応を見てみよう。 ……これは相原くんの為なんだよ」
「俺のため? 」
「そう、言わばこれは来たる登校に備えて、水嶋優羽凛になりきる練習ってわけさ」
「……ほう」
「例えば、私が樫本紗江子をなんて呼んでるか知らないでしょ? そういうディティールを知りつつ、友達との距離感を……」
「わかった、わかったよ。 じゃあまず、樫本の事はなんて呼んでるんだ? 」
「友人28号」
「27号まで連れてこいよ。 全員ぶっ壊してやるから」
「そう、その調子」
「どの調子だよ」
「あ、もう一人のゲスト来たよ! ほら! ほら! 」
もう一人のゲストは、樫本と同じD組の浅野くんという男だった。 名前も顔も一応知っているけど、話したことは一度もない。
綺麗な直毛で、黒縁のメガネをかけている。 とても真面目で大人しそうな雰囲気があり、スラッとしていて清潔感がある男だ。
「どうも、浅野です。 よろしく」
物腰も表情も、声すらも柔らかくて優しい印象。 特別イケメンと言うほどではないけど、一定層に人気がありそうな佇まい。優男とはこういう人のことを言うのだろう。 しかし心なしか、緊張しているようにも見えた。
「僕は慶太。 相原慶太」
「……相原君って、いつもそんな格好をしているの? 」
「まぁな。 あ、それと……『慶太』 でいいんだぜ」
「浅野君、これは私がやらせたの。 泥沼ウィザーズっていうグループがいてね……」
水嶋の口車にまんまと乗せられた上に、なんだか俺だけが変人扱いされているような気分になったので、二人の間に割って入った。
今日初めて知った泥ウィザとテコマルについて必死こいて説明をしたが、返ってきたのは「本当に仲がいいんだね」という当たり障りのない言葉だけだった。もう少し同情してくれてもいいだろ浅野くん。
テーマパークに向かいつつ、水嶋に張り付いて様子を伺う。
「将棋が好きらしいね」とか「樫本と同じ西中なんだって? 」とか、浅野くんの基本情報を俺に聞かせるようにコミュニケーションを取っていたので、その情報をなるべく拾っておくことにする。
テーマパークへの入場料は、なんと水嶋が四人分を支払うという大盤振る舞いを見せてみんなを沸かせた。 「あざーっす」と俺も乗っておいたけど、後で支払うか、それよりも何か好きなものを奢ってやるのがスマートかもしれない。
「一発目にさ、こう、テンション上がるやつに乗ろう! あれに乗ろう、あれ」
そう言って樫本が指をさしたのは、ここでは観覧車に次いでメインアトラクションを張れそうなジェットコースターだった。 最後の落下で水に飛び込む仕様になっていて、たった今も水飛沫と共に嬌声が上がっている。
「いいねぇ! 一気にテーマパーク気分に持っていけそうだ! 」
水嶋が答えると、樫本は満足そうに口角を上げて、小鼻を膨らませる。 浅野くんは皆の顔を交互に見ながらずっとニコニコしているだけだ。
俺はと言えば徐々にテンションが上がり始めていた。 こんなテーマパークは何年振りだろうか。 複雑に入り組んでそびえ立つ鉄骨や、縦横無地にうねるレールの非日常感が、ジワジワと興奮を湧き上がらせる。
「優羽凛、真顔チャレンジをしよう」
「真顔チャレンジ? 」
列に並んでいると、水嶋が唐突にそんな提案をしてきた。
「このアトラクション、最後の落下時に写真撮影をしてくれるサービスがあるらしい」
水嶋の視線の先に、その説明書きの看板があった。 撮影された写真は、500円でプリントしてくれて、購入できるようだ。
「超無表情で撮る。 表情筋がより動いた方の負けだ」
前に居た二人が振り返ってきて、謎の盛り上がりを見せた。 負けた人は罰ゲームを受けるという提案を樫本がすると、水嶋はニヒルな笑みを浮かべて俺を見る。
この提案に嬉々として乗った。 俺は高所や乗り物系の怖さには強い自信があったからだ。
全員が乗り込み、コースターはゆっくりと動き出す。 数年振りのアトラクションに心が踊る。 最後の山場で無表情にならなくてはいけないので、感情を爆発させておこうと、道中では思い切り弾けることにした。
……なんだこれ、楽しい! 爽快だ!
「……こわい」
一つ目の急降下の直前、水嶋が俺のスカートを破れんばかりの力で握っていた。 そっと顔を覗き込むと、並んでいた時の余裕が嘘のように、真っ青な顔をしている。
「おぉ!? どうしたぁ〜? 相原くん! あれ、怖いのかなぁ〜? その表情じゃ敗北者は相原くんになりそうだねぇ〜? 罰ゲーム考えるのが楽しみだぜ! アハハッ!」
最後の急降下が近づいてくる。 もらった! これは俺の勝ちだ。 この化け物にも怖いものがあったとは……というか、それならどうして自ら勝負をふっかけたのか。 バカだろこいつ。
「こわい」
「そうかそうか〜! 君にも怖いものがあったんだねぇ? かわいいねぇ! 」
「さっき食べたサンドイッチが戻ってきそうで怖い! 」
「うぉいそっちかよ! 酔ったのか!? ちょっと待て! 落ち着け、耐えろ! ここでゲロったら卒業までネタにされるぞ! 」
「……誰が? 」
「あ、俺だ! 俺の名誉のために耐えて、お願い! 」
「……やばい」
「待て待て待て待て待て待てぇい!」
「ムリかも」
「あっ! あだだだだだだ! 何で太ももをつねるんだよ! 離せぇ! 」
「気を紛らわせてるの! 」
「紛らわすなら自分をつねるんだよバカヤロぉ! 」




