女体に打ち勝て! 男の魂!
これは、水嶋優羽凛への復讐である。
あの自由奔放なじゃじゃ馬娘一泡吹かせてやりたいという、純然たる悪意。
ここまでの傾向として、彼女は女性としての「あざとさ」みたいなものに、羞恥に寄った嫌悪感を抱いている。
それは「普段変なTシャツを着てる」という妹の証言にも裏打ちされた事実だと言えるだろう。
自分の身体がその「あざとさ」に該当するファッションで現れたら、どんな気持ちになるか。 きっと恥ずかしくて恥ずかしくて、マンホールの蓋をこじ開けてでも潜り込みたくなるくらいの屈辱に襲われるだろう。
俺は断じて、女の子の身体になった状況を謳歌したいわけじゃない。 森羅万象に誓ってそんなわけじゃない。
「ほぅら、めっちゃ可愛いよゆうりちゃん」
ツインテール。 別名、小悪魔の触角。
「わぁ。 かぁいいよぉ……」
「自分で言うかね。 ほい、ご所望のやつ」
ニーハイソックス。 奇跡のエロス国境線。 黒い布と、白い太ももの国境で、禍々しいエロスがせめぎ合う。
「あぁ、もう。 なんだかエッチだなぁ……」
「だから自分で言う? 」
ニーハイってオシャレに見せるのめっちゃ難しいんだからね、と小言を言いながらも、ゆうなちゃんはとても楽しそうにコーディネートしてくれた。 そのあと床に座らされ、ローテーブルには名称が一つもわからない化粧道具が広げられた。
「できた! ばっちり! 」
「おぉ……」
「ゆうりちゃん、ちゃんとした格好する時はワンピースばっかりなのにねぇ。 この前も勝負するときの服とか言って、可愛いやつ買ってたじゃん」
「ううん、私はこの先の人生で二度と見れないであろう、私だけの水嶋優羽凛になりたいの」
「……よくわからんけどぉ、相原慶太ってこういうのが好きなの?」
「そんなわけないだろ! 怒るぞ! 」
「えぇ……? ご、ごめん」
ここまでしてもらったのに、変な空気になってしまった。
俺ったら、どうして素直になれないのだろう? バカバカバカ。 この興奮を、果ての見えない昂りをこの子に悟られるのが怖いのか?
……解き放たないと。 受け入れて心を開かないと、その先に何があるかなんてわからないじゃない。 違う? 私の中の相原慶太、あなたに聞いてるの。
「ゆうなちゃん、ごめんね。 私は……この先に何が待っているのか知りたい。 長く険しい旅路だけど、この先で微かに見えた小さなキラメキを、この……小さな両手に掴んでみたいんだと思う。 それが、今の私の、ホントのキモチ」
「なにをモゴモゴ言ってるの? 私も支度するから駅まで一緒に行こうね」
こうして、俺とゆうなちゃんは水嶋家を後にした。 ママから駅まで車で送るとのありがたい提案があったけど、ゆうなちゃんが頑なに断り、俺の腕をがっしりと抱えて街に繰り出したのだった。
水嶋の住む高座桜ヶ丘にも、多少は土地勘がある。 最短ルートとは言わないが、駅までの方向や道のりはある程度把握しているつもりだ。
俺を引っ張るゆうなちゃんは、明らかに人通りの多い道に誘導し、遠回りして駅に向かっていた。
俺は一切それを咎めなかった。 双子の姉と腕を組んでお出掛けするのが楽しくて仕方ない様子の妹が、微笑ましかったからだ。
————それにしても。
すれ違う男たちの視線で、この双子が凄まじい戦闘力、女子としてのオーラを放っているのがはっきりとわかる。 単品でもそこらの有象無象など足元に及ばない容姿を誇るのに、同時に2人並んで歩いているのだ。
可愛さに加えて双子というインパクト。 熱視線を送ってくる男たちの何人かはこの後、「すっげぇ可愛い双子を見た」と友達に提供するホットな話題として俺たちを取り上げる事だろう。
「ねぇねぇ、ゆうなちゃんってナンパとかされないの? 」
「されないよ! ゆうりちゃんナンパされるの? ……いやされないでしょ、ちゃんとオシャレしてる私がされないんだもん」
ナンパされたい。 水嶋はナンパされて欲しくないけど、今の俺はナンパされてみたい。
「あ、でもさ。 高一の時、2人で渋谷歩いてたらスカウトされたでしょ? あれ断ってよかったよ。 友達の友達がね……」
水嶋姉妹をスカウトした芸能事務所が、どうもタチの悪い会社だったらしい。 ゆうなちゃんの友達の友達が酷い目にあった話をざっくりと聞かされた。
「私はやってもいいかなって思ったけど、ゆうりちゃんが全然興味なくて良かったなって」
駅に着いたので、改札に入っていくゆうなちゃんに手を振って見送った。
水嶋姉妹にそんな魔の手が忍び寄っていたとは。 これから大学生にでもなれば、もっとその機会も増える気がするし、心配だ。
それにしても……。
駅までの時間をゆうなちゃんと歩けて本当に良かった。 完全に女としての気持ちが仕上がった。 なんならスカウトとかされてみたいし、ナンパとかツーンと冷たくあしらってみたい。
好きな女の子の身体を操るという非日常体験は、楽しさと危うさが表裏一体となって襲ってくる。
——まただ。
目の前を通り過ぎた男が振り返って私を見た。
簡単に言えば、水嶋の太ももを見るな、という感情と、私のふとももを見てごらんなさい、という相反する二つの感情が、渾然一体となって心の闇を覗き込んでくるのだ。
この矛盾をどう処理するかによって、俺の今後の人生が決定付けられると言っても過言ではないだろう。
「キャッ! ごめんなさいっ! 」
「あぁっ、大丈夫ですか、すみません! お怪我はないですか」
「アタタ……やだ私ったら、ぼーっとして……ドジだなぁ、てへへ。 ごめんなさいっ」
ふぅ、あぶないあぶない。 色々と考えながら歩いていたら大柄な紳士にぶつかってしまった。 このひ弱な身体は簡単に弾き飛ばされてしまうから、注意しないと。
待ち合わせまで少し時間があったので、意味もなく駅ビルを散策することにした。
セレクトショップのショーウィンドウに展示されている女性物のマネキンを眺めていて、私は愕然とした。 窓ガラスに映る自分の姿勢が異常に悪いことに気付いたからだ。
何度か行ったり来たりして、ガラスに映った歩行姿勢を確認してみる。 これはなかなかに酷い。 背中は曲がっているし、首は前に出ているし、とてつもなく不恰好だった。これでは周囲の有象無象や凡夫どもに、美少女としての示しがつかない。
軌道修正する為にまた何度か往復し、腰に手を当ててポーズもとってみた。 修正完了、これで完璧と言えるだろう。
スマホのインカメラで前髪を確認していると、水嶋からメッセージが入った。
【ゆうり:少し遅れそう! たこやき広場で待ってて】
【たこやき広場?】
【西口にある、まぁるい石像? みたいなやつが置いてある広場だよ】
【あぁ、あれってたこ焼きなのか?】
【知らんけど、丸いといったらたこやきか火星でしょ】
指示通りに西口へ戻る。 ゆうなちゃんと歩いていた際に、この丸い石像は視界に入っていたので、すぐに見つけることができた。 長方形の台座の上に綺麗な球体が乗っているだけの、存在価値は修験者くらいしか見出せないであろうシンプルなモニュメントだ。
さて、いよいよ水嶋のリアクションが楽しみで仕方ない。 羞恥心にキリキリと締め上げられた奴の表情を早く見たいものだ。
俺は自然と、駅から歩いてくる人々の中に水嶋の姿を探していた。
「あぁ、そうか、俺を探すんだ」
ふふっ、と息が漏れたとき、一際目立つ仮装をした男が目に付いた。
チープな着ぐるみというのか、上下が繋がったツナギのような服で、全身が真っ黄色。 お腹の部分には巨大なデベソが付いている。 頭に被ったフードにはおにぎりのような三角形の耳がぴょこんと並んで立っており、晴天だというのに青っぽいビニール傘を差して、サングラスもかけている。
どっかのイベントにでも参加するのだろうか、としばらく目で追っていたら、俺だった。
「おはよう優羽凛。 どうだ? 似合ってるだろう? 」
「おう、おはよう相原。 サイコーに似合ってるよ。 ボコボコにして磔にしたいくらいだ」
まぁいい。 逆にここまで振り切ってくれると、最初に俺が感じたように「あぁ、そういうイベントに出る人なんだな」という認識をしてもらえるだろう。 中途半端に奇抜さを狙ったファッションとかされるよりは良心的なのかもしれない。
「見てくれよ、このデベソ。 かわいいだろ? 」
「全っ然可愛くねぇ。 デカすぎて邪魔だろ、それ」
「ハッハー、可愛いだけだと思ったら大間違いだぞ。 このデベソは実用性にも優れているんだ」
「可愛くねぇって聞こえなかったか? 」
「実はこちらのデベソ……」
水嶋はそう言って、デベソの付け根を探るように弄りだしす。 すると、ジィッ、と、ジッパーを開けるような音がした。
「メロンパン入れになってまぁす」
デベソがウェストポーチになっているようだ。
開いたデベソからコンビニのメロンパンが顔を覗かせている。
「そんな事より水嶋さんよぉ、どうだ? 俺の格好は。 あざといだろ? どうだ? この太ももの露出は。 恥ずかしいだろ? ん? 」
さっき服屋のショーウィンドウで仕上げたポーズを披露する。 足をクロスさせ、唇に手を当て、上目遣いで水嶋を見つめてやった。
「おぉ〜、仕上がってるねぇ。 可愛い、可愛い。 目に見えるようだよ」
「は? なにが? 」
「練習量」
俺はポーズを解いた。
「うん! 鏡の前で女の子の練習をしてる君がありありと目に浮かぶよ! その様子だと、結構テンション上がってたみたいだな? ……おや、どうした? 顔が真っ赤じゃないか! すみません! この中にお医者さ…… 」
「うるせぇよバカ! 変人! 」
「ハハッ! 語彙が死んだな、ファッション対決は私の勝ちだ」
バカの大声のせいで注目を集めてしまっている。 早々に離脱しないと動画を撮られて拡散されてしまう。 水嶋を放置して早歩きで改札へ向かった。
「おぉい! まだ電車には乗らないぞー! おい、ちょ待てよぉ優羽凛ぃ! 怒るなよぉ」
ちらと振り返ると、そこには女走りで駆け寄ってくる変態の姿が。
「おい、傘を閉じろ! サングラスを外せ! そんでお前、わざと女走りしてるだろ、やめろ! 」
「え、女走りだった? それは無意識だったな……。 私は鏡で確認とかしてないから」
「いちいち煽ってくんな! いいか、俺の身体を奪った挙句、尊厳までも奪うんじゃない。 人の身体を借りてる自覚を持てよ! 」
「そんな……私が乗っ取ったみたいな言い方しないでよ! わたしだって……」
「あ……ご、ごめん。 つい……。 えっと、その格好は許す、うん、ちょっと面白いよ。 だけど、奇行を上乗せしてくるのは勘弁してくれ。 女走りとか……」
「だって私……! 心は……心は女の子なんだもんっ!! 仕方ないじゃない! 」
道行く人々が一斉に俺たちを見た。
「だぁから声がでけぇっつうんだよバカヤロウ! みんな見てるじゃねぇか、ほら行くぞ! おい泣いてるフリすんな! 」
水嶋は駅とは反対側、バスロータリーを挟んだ先にある商店街に向かってとぼとぼと歩いていく。 俺はそのすぐ後ろを歩いた。 通り過ぎる人たちは高確率で振り返ったし、ジャージを着た中高生にスマホを向けられる場面もあった。 恥ずかしいことこの上ない。
「なぁ、どこ行くんだよ」
「待ち合わせまで時間があるから、ここでお茶でもしていこう」
「待ち合わせ? 」
迷いなく前を歩いていた水嶋が振り返った。
「ねぇ、相原くんってそういう格好が好みなの? 」
「かっ、勘違いしないでよねっ! 俺はただ、お前に一矢報いようと、絶対しないような格好がしたかっただけで……」
「その格好……たとえ知り合いに見られても、優羽菜ちゃんと勘違いされるだけだしねぇ」
「……あぁ、そっか。 それは全然頭になかったな……なるほどねぇ」
「あとで私と同じの買いに行く? ペアルック」
「それをやったら本当の負けな気がする」
屈辱を噛み締めつつ、再び歩き出した水嶋の後を追った。