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おはよう、狂った素晴らしい世界

 

 朝が来た。 わざとらしい鳥のさえずりが一日の始まりを嘆いている。

 目が覚めても全身が鉛のように重く、ベッドから身体を起こすことが出来なかった。

 しばらくそのまま突っ伏していると、徐々に意識だけが解凍されて、昨日からの流れと現在の状況が思い起こされていく。

  幽体離脱していた時の出来事は、夢を見ていたみたいに断片的にしか取り戻せなかった。

 どろどろと垂れ流しになる思考を一度堰き止めて二度寝の態勢に入ると、半開きになった口からよだれが垂れ流しになっている事に気付いて飛び起きた。


 「やっべぇ! 水嶋の布団だこれ! ごめ、ごめん! 」


 「んぉ……? うるさいよぉ、ゆうりちゃぁん……」


 隣に居るのはゆうなちゃん。 水嶋の、双子の妹だ。


 「あ、そうか。 水嶋の唾液だし、ノーカンだな」


 「なに言ってるんだよぅ、寝ぼけてんのかぁ……? 」


 すっぴん、寝起き。 言わばノーガードで、攻める気ゼロの状態のはず。 アイドルでもしんどい筈の無防備な姿でこの可愛らしさ……奇跡か?

 妹でこれなんだから、鏡を見たらそれ以上の奇跡が待っているのだ。

 はだけた布団の下から現れた妹の膨らみを凝視しつつ、まずは手探りでスマホを探す。

 なかなか見つからず、これは並び立つゆうな山の山頂や谷間にまで救助活動の手を伸ばすべきか、と思案していると、奇しくも枕の下から救出された。

 スマホを開いてメッセージアプリを立ち上げる。 そして、未読が溜まった水嶋とのトークルームをタップした。


 【おはよう】05:42


 【まだ起きないか? 】05:44


 【弁当作りを余儀なくされた】05:48


 【しゃもじが半分焼失した】06:16


 【冷凍のグラタンってチンすればいいの?】06:35


 【グラタンが爆発するのって仕様?】06:41


 そうだ、弁当だ。 今日は親父とハルの分の弁当を用意しなくてはいけなかった。 水嶋には荷が重いだろうし、買い弁にしてもらうよう頼むのをすっかり忘れていたのだ。

 ……そして、想像以上の大惨事になっている。 今はもう、親父もハルも家を出ているはず。 犠牲がしゃもじとグラタンだけで済んでいるといいけど……

 

 弟のハルからもメッセージが入っていたので、トークルームを開く。


 【ハル:兄貴どこ行った?】


 ここで着信が二件入っている。


 【しゃもじ溶けてるしフライパンの中にある消し炭みたいなの何】


 【レンジの中でグラタン弾けてるんだが】


 【いい歳して誘拐でもされたのか】


 【遅刻しそうなんで行きます】


 水嶋のやろう、台所を崩壊させて逃げたな。

 続いて、親父からのメッセージを開いた。


 【今日もゆうりちゃんと遊ぶなら言ってくれれば良かったのに】


 【財務担当して貰ってるけど、たまには横領していいんだぞ】


 【ゆうりちゃんにご馳走してやれよ〜】

 

 2人に謝罪のメッセージを打つ。 身に覚えのない罪を償う理不尽さに憤りを感じながら。 そして、張本人の水嶋へメッセージを飛ばした。


 【慶太:今どこを逃走中? 】


 【ゆうり:いい夢見れたか? 】


 待ち構えていたように迅速な返信。


 【夢はな。 寝起きは最悪だ】


 【しゃもじ弁償するね】


 【結構だ】


 【実は弁当箱もひとつオシャカにした】


 【は? どうやったらオシャカになるんだ】


 【二辺が熱で溶けた】


 【台所で火炎放射器でも使ったのか】


 二辺が熱で溶けた。 弁当箱の二辺が熱で溶ける状況がイメージできない。


 【今手元にあるけど、斬新な皿に見えなくもない】


 写真が送られてきた。 二辺が溶けて芸術的なフォルムになった弁当箱と、それを持ってピースしている笑顔の自撮りである。もはやこの程度では驚かなくなっている自分が怖い。


 【で、どこにいるんだよ】


 【カーテンを開けてみな】


 「うっそだろおい」


 俺は思わず声を漏らしていた。 カーテンを開くと同時に、ティロン、と新着メッセージの音。 見える範囲に水嶋の姿はない。


 【見えないでしょ?】


 【うん】


 【高速で反復横跳びしてるからね】


 【わかったわかった】


 【残像すら追いつけないスピードで】


 スマホを叩き折りたい衝動を抑え、ベッドの上で伸びをしているゆうなちゃんに微笑みかけた。

 2人で一階に降りると、キッチンに立つママが今日の予定を尋ねてくる。 ゆうなちゃんは男2人と女1人の名前を挙げ、どうやら原宿にお買い物に行くらしい。 ダブルデートというやつだろう、リア充この上ない休日の過ごし方と言える。


 「ゆうりはー? 」


 「あ、私は友達と……」


 「どこに行くの? 」


 「えっと、まだ決まってないから後で連絡を入れます」


 ママが朝ごはんを食べるか聞いてくる。 ゆうなちゃんはテレビをつけてソファに座ると、大きなあくびをひとつかまして「私はお昼いっぱい食べるからぁ」と気の抜けた声で答えた。 ママはそれを受けて、ゆうりも外で食べるのかな、と問いかけてくる。

 腹はそこまで減ってなかった。 しかし、水嶋家の朝食を食べてみたい欲求が止められない。 俺にとって、誰かが用意した朝食を食べる時点で新鮮な経験なのだ。


 「食べたいな……食べます」


 「ハムエッグでいい? 」


 「はい、なんでもいいです! お願いします! 」


 母と妹がケラケラと笑う。 一応テーブルについてみたものの、キッチンで作業を始めたママの姿を見ていると、居ても立っても居られない気持ちになる。

 ゆうなちゃんがキッチンへ入っていって牛乳を注いでいる光景を眺めていると、彼女は俺の前にコップを差し出した。


 「えっ、なに? 俺に? 」


 「おれ? 」


 「わ、ワタクシめに? 」


 「あれ、要らなかった? 」


 「いる、いる! ありがとう! 」


 牛乳を煽る。


 「あ、これいいやつ? いいやつだ! 」


 一口含んだだけで分かるほどに、相原家御用達の牛乳よりも濃厚だ。

 基本的に貧乏人は全てが薄い。 財布の薄さがあらゆるものに波及し、生活を取り巻く全てのものが薄くなってしまう。 せめて人情くらいは厚くありたいものだ。


 「まだ寝惚けてるのゆうりちゃぁん、サンタさんになってるぞぉ」


 濃厚な牛乳でトリップしてたら口元を指されてハッとなった。 慌てて口を拭う。


 「あぁ……パジャマで拭いてぇ……」


 ゆうなちゃんは呆れた顔でソファエリアへ戻っていく。

 冷静にならないといけない。 俺は今、水嶋優羽凛なのだ。 濃厚な牛乳も、可愛い妹も綺麗なママも、これから出てくるであろう「ハムエッグ」も、全てが日常で、当たり前の風景。 私はゆうり、私はゆうり、私はゆうり。


 「ねぇってば、ゆうり」


 「はいっ! わたしはゆうり! 」


 ママと妹から、再び笑いが起こる。 朝っぱらからエンターテイナーとしての性質を遺憾なく発揮する姉に、妹の笑いが止まらなくなったようだ。 ママの方は数秒笑った後、突然真顔になり、眉をひそめた。


 「ゆうり、本当に熱でもあるんじゃない? 体温計出しとくからね」


 目の前に朝食が展開される。

 ザラついた表面のマフィンに、レタス、スクランブルエッグ、厚めのハム。幸せのスライスチーズがひょっこり顔を覗かせている。

 水嶋家では「ハムエッグでいい? 」なんてライトなノリでこんなにも手の込んだ朝食が出されるのか。 何一つ動くことなく、餌を待つ雛鳥のようにピーピー言ってただけで、こんな褒美をいただいていいものなのか。


 「どうした? ゆうり」


 「ハムエッグって、このお洒落なサンドイッチの隠語なんですか?」


 「何よ今更。 たしかに、よそでハムエッグって言ったら、これではないけど」


 「いただきます……」


 瞬く間に全てを平らげ、幸せの余韻を牛乳で流しこむ。 せり上がってくるゲップを最小限に抑え、悟られぬようテーブルの下に放つ。


 「ごちそうさまでしたぁ……」


 俺の頬には一筋の涙が伝っていた。


 「お粗末さ……えぇ……? 」


 人間を堕落に誘う食洗機という悪魔に食器を託し、両手を合わせた。 「ママ、いつもありがとう」と感謝の意を述べ、頭を下げる。

 ソファーの方を覗くと、ゆうなちゃんが居なくなっていた。

 廊下に出てみたら洗面所から水の音がしたので、顔でも洗っているのだろう。 俺はスマホを片手に玄関へ向かい、サンダルを履いて外に出た。 そして、水嶋に電話をかける。


 【もしもーし】


 「おはよう水嶋」


 【うむ、おはよう。 遅かったな】


 「今どこにいるんだ? 」


 電話越しに、背後の喧騒を感じる。


 【あー、ちょっと出てる】


 しゃもじと弁当箱を買いに出ているのかもしれない。


 「悪かったな、弁当のこと伝えてなくて」


 【まぁ……まだ花嫁修行中だからね。 これから出来るようになるから……その、寝ぼけてたし……ポテンシャルは高いんだよ、本当に】


 「わかったわかった、で、今日どうする」


 【10時半に駅は? 】


 スマホを耳から離して確認。 まだ一時間以上ある、余裕で間に合うだろう。


 「了解」


 電話を切った。 弁当箱やしゃもじはどうでもいいが、水嶋が自分の状況を当たり前だと思って平和ボケしているのなら説教してやらなくてはいけない。

 家に戻り、まっすぐ洗面所に向かう。 ゆうなちゃんはシャワーを浴びているようだった。


 「ゆうなちゃぁん! 」


 「なぁにー? 」


 ドアを開けて、ひょっこりと顔だけを出した。 髪が濡れていて、異常に色っぽい。 朝から刺激が強すぎるので斜め上の戸棚に焦点を合わせる。


 「私って普段、どんな服着てるっけ? 」


 「はい? 」


 「今日だけ、とびっきり可愛い服を着たいの。 ひらっひらでふりっふりでテロッテロのやつ」


 「えっ! いつも変なTシャツのゆうりちゃんが!? 」


 「出来ればお化粧と、髪もセットして欲しい」


 「えぇ……? めんどくさいよぉ、気合入ってるのはわかったけど、メイクくらい自分でやりなよぉ……」


 「お小遣いあげるから」


 ゆうなちゃんはニヤリと笑って、白い歯を見せた。


 「かしこまりました、姫」


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異世界転生チーレムギャグ小説も書いております。 『始まりの草原で魔王を手懐けた男。』 ←よかったらこちらも覗いてみてください!
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