加圧式ウォーターガンによる「顔射」も辞書に載らない
俺が先頭を飛行し、水嶋とシラスが楽しそうに喋りながら後に続く。時折笑い声が聞こえてくるが、小さな声なので話の内容まではわからない。ただ、相原慶太の存在を無視して楽しんでいることはわかる。
「隊長っ!」
「ん、何?」
「ねぇねぇ隊長ってば」
「だから、なに?」
後方から水嶋が声を掛けてきたので、前を向いたままそれに応じた。多分、彼女は先ほど俺が手渡した加圧式ウォーターガン【KIT-14】をこちらに構えているのだろう。 声を掛けられる直前に、ポンプ内を加圧する『シュコシュコ』という間抜けな音がしていたのを聞き逃さなかった。
「慶ちゃん、なんでこっち向かないの?」
「振り返ったら顔射するつもりだろ? その手には乗らない」
「ガンシャ? ガンシャって何? しらすちゃん、ガンシャって何?」
幽体離脱してからというもの、覚醒した水嶋は随所で下ネタを織り交ぜてくる。 そのせいで感覚が狂っているのか、自分の口から驚きのナチュラルさで「顔射」という表現が飛び出してしまった。
失態を犯したと思ったが、見方を変えれば「顔射」を立て続けに三度も言わせる男が今後、彼女の人生に登場する事はないだろう。 そういった意味で俺は唯一無二の特別な存在になる気がするので、「功を奏した」と言えなくもない。いや、そうやって開き直るしかない。
「顔に射出する、と書いて顔射です……慶太さんはきっと、振り返ったら水鉄砲を顔に打ってくると思っているんですね……」
あどけない顔して顔射を的確に説明してきたな。猛者かこいつ。
「それにしてもこの場面で敢えて使う必要はありません。 顔にかける、と言えばいいですからね。 顔射というエロ寄りの単語に対してゆうりちゃんがどんな反応を見せるのか試したのではないでしょうか? 歪んだ性癖に基づく実験的な試みと言えるかもしれません」
はい。解説のシラスさん、ご丁寧にありがとうございます。本当何者だよお前、本気で張り倒すぞ? さっきウォーターガンを手渡した件の暗喩的な下ネタが無意識に尾を引いただけだってんだよマセガキが。揚げ足を取るどころか丁寧に掬い上げやがって。
「へぇ……なるほど。 ガンシャって辞書とかにも載ってる?正規の単語なの?」
「いえ、おそらく載っていませんね…… 性器の言葉……というと分かりづらいですかね。 つまりはエッチな業界の造語です」
水嶋は「はー、解説ありがとう。しらす姉さん」とため息を吐くように呟いて、腕を組んだまま直立の体勢で接近してくる。 俺の肩に手を掛けると、顔を斜めにして眉間に皺を寄せた。ドラマとかでチンピラが脅しをかける時のアクションだ。
「おうおう、隊長さんよぉ? 生娘には理解の及ばないセクハラワードで斬り込んでくるとはあんたも落ちたもんだなぁ。えぇ?」
「いやごめんて。 俺が悪かったよ、すみませんでした。 ついつい出ちゃったんだよ」
「下ネタで安易に笑いを取りに行く行為は嫌いだ。知性を感じないから後に何も残らない……そう言ってたの誰でしたっけ?」
「……え?なにそれ、初めて聞いたけど……俺そんなこと言ってないぞ」
「本物の笑いには、微かな知性が紛れ込んでいて、人はその知性に無意識下である種の感動を覚える、とか言ってたよね」
「……? 言ってないけど……」
「あぁ、ごめん思い出した。 公園で犬の散歩してたおばちゃんが言ってたんだ」
「犬連れたおばちゃんと何の話してんだよ。 そのおばちゃん紹介してくれよ」
「とにかく! ここからは下ネタ禁止ね。 慶ちゃんには【エローカード】を1枚出します。 3枚で退場になりますから気をつけてください」
「では判定はワタクシ、白洲が担当致します。慶太さん、悪質な下ネタだと判断した場合【ドエローカード】で一発退場もありますよ」
こうしてバカ2人による下ネタ禁止令が発令された。どうも腑に落ちなかったので、水嶋がここまでに発言した下ネタを指摘すると、『慶ちゃんの下ネタが度を越していたから法整備しただけで、自分が発言したマイルドで上品な下ネタは全く次元の違う問題だ』と謎の主張を展開した。
「ほ、包茎とか……下のコンプレックスを直接的に突くのは倫理的にもどうなのかなぁ? 水嶋さん?」
「包茎は別に、コンプレックスにならないでしょう?」
「はい?」
「私にとっては『爪が長い』と指摘するのと同義だからね? 爪が長いと言われてコンプ刺激される人が……フフッ……いますかね?」
「……うん、爪が長いって指摘は『余ってるから切れ』って解釈するよな。 あのさ、一手間加えて弱点を殴ってくるのやめて? 一瞬納得しかけたぞ」
水嶋は下を向いて肩を震わせていた。
「笑い堪えてんじゃないよ水嶋ぁ! 謝って。 オイこら!こっち向け!」
「……慶太さんって包茎なんですか……? 真性? 仮性? それ次第です」
「シラス、お前はいつ頭打ったんだよ。 思考回路ショートしてんのか? なんだ『それ次第』って。 貞操観念疑うわ」
「でもメジャー級を自負するだけあって慶ちゃんのってかなり大きいんじゃないかな。 学校のトイレで見たとき、うわっ!って声出ちゃったもん」
「おい生娘。それ以上喋ったらドエローカードで一発退場だぞ」
下ネタ判定員のシラスは「学校のトイレで……なんてハイレベルな」と顔を赤らめていた。ダメだこいつ。
俺は既に諦めていた。この2人には勝てそうにない。このまま応戦を続ければ知識だけ肥大した童貞の粗が出てしまうだろう。犬の散歩中に女子高生と仲良くなって、笑いについての持論を語るくらいの戦闘力がないと太刀打ち出来ない。
気持ちを切り替えて、再び前進する。
「2人は既にそういう仲なんですね……」
「違うよ、しらすちゃん。今日ね、トイレとお風呂で慶ちゃんの下半身を見ざるを得ない状況に陥っただけなの」
「どういう状況なんですかそれ」
あぁ、後ろでめっちゃ笑ってるわ2人とも。楽しそうで何よりだよ。
「シラスってこんなに喋る子だったんだな」と後ろを見ながら呟くと、「慶太さんがこんなに楽しそうなのも初めて見ますよ?」と返された。
「僕、慶太さんが楽しそうですっごく嬉しいんです……いつもは難しい顔をして、仕事一筋の頑固職人って感じですから。 最近はレム殺しをプログラムされた人造人間なんじゃないかと疑い始めていた所なんです」
「現実でも慶ちゃんは陰気で無口だからねぇ。でも昼休みに屋上で話してるとね、本当の相原慶太を独占してる感じがして嬉しいんだぁ。 2人きりになると、ビックリするくらい喋ってくれる。最近は私の話相手をするようにプログラムされた人造人間なんじゃないかと疑い始めてたところだよ」
「お二人は本当に仲が良いのですね。ゆうりちゃんが幽体離脱してくれて良かったです」
シラスがどんな立場から物を言っているのかよくわからないし、非常に不愉快な表現があったので突っ込もうかと思ったが、ニッコリと笑ったシラスの表情と水嶋の言葉が俺の声帯に歯止めを掛けた。
しばらく進んでいると、水嶋が突然「うわぁ、すっごい綺麗だねぇ!」と声を上げた。
これは、夜景や夜空を見て出たセリフではない。 眼下に連なる【鵜野ヶ丘団地】に、虹色の光を放つレムの幼生が群がっているのだ。
「ホタルみたいだねぇ、虹色のホタル。あぁ、綺麗だなぁ……」
その声を聴いて、急に水嶋の顔が見たくなったのでちらりと振り返ってみる。 彼女はウットリした表情で片手を頬に当てていた。『ちくしょう、可愛いんだよなぁ』と思わず見惚れていたらウォーターガンで顔射された。 白塗りになった俺の顔を見て、2人はケタケタと笑っている。
「……フハハハ! バカ殿みたいですね」
「バカ殿ってなに?」
「あれ、ゆうりちゃん知らないですか? ジェネレーションギャップですかね」
「シラス、ここは索敵入れてるのかな? 人形走らせた?」
俺は2人の会話に割り込んで、シラスに尋ねる。
「僕は走らせてないですけど……この団地は警戒区域なのでボブの部隊がベタ付きで入ってます」
「ボブがベタ付き? 珍しいな。 じゃあ大丈夫か」
「なんの話をしてるの君たち。 警戒区域って何?」
「えっとですね……この鵜野ヶ丘団地で昨日の夜……」
俺は素早く、2人の間に身体を入れる。
「俺たちは、その日レムが群がりそうな場所をある程度予測出来るんだ。 まぁ天気予報みたいなもんだな」
シラスの言葉を遮って水嶋の質問に答える。
実はこの鵜野ヶ丘団地では、昨日の深夜に飛び降り自殺があった。
団地のような集合住宅には只でさえレムが集まりやすい上に、今回の自殺のように住人の不安を煽るような出来事や事件が起こると、『感情の揺らぎ』を嗅ぎ付けた個体が押し寄せてくる傾向がある。そういった情報を紫苑さんが事前に仕入れ、警戒区域としてアナウンスするのだ。
「レムちゃん予報士がいるんだね?」
「うん、そんなとこだな」
シラスからの視線を感じる。どうして俺がその情報を隠そうとしたのか疑問に思っているのだろう。
答えはシンプルで、水嶋がこの光景を「綺麗だ」と評価し、感動していたから。その感情に、「人の死」を絡めたくなかった。
「人形を走らせる、っていうのは? この人形の事?」
水嶋はシラスが抱えている人形の頭を人差し指で突いた。
「そうです。僕は戦ったり捌いたりするのがあまり上手くないので、この子を使ってレムを見つけるんです」
そう言いながら人形を水嶋の肩に座らせると、人形はすくっと立ち上がり、彼女の頭を何度か撫でる。
「おろっ! 動いたっ!?」
「サジちゃん、真下の一軒家をお願いします」
『サジ』と呼ばれた人形は右手を上げて姿勢を正すと、勢いをつけて肩から飛び降りる。水嶋は「うぉ!」と声を漏らし、落ちて行くサジを目で追った。 サジはまるで飛び込みの選手みたいに身体を回転させて、最後は手の先から一軒家の瓦屋根を通過して、見えなくなった。
「すごいっ!かわいいなぁ!」
「僕たちは無闇に民家に入るわけにはいかないので、こうしてレムを発見するプログラムを走らせるんです」
すぐにサジが戻ってくる。行きは飛び込み選手だったが、帰りはスーパーマンスタイルだ。サジはシラスの頭に着地すると、ポケットから白い旗を取り出して左右に振った。
「ゆうりちゃん、旗は何色ですか?」
「白い旗を振ってる!」
「じゃあ異常なしですね。羽根つきや、それに近いレムを確認すると黒い旗を振ります」
俺はふと視線を送った団地に釘付けになった。建ち並ぶマンションの中央付近、街路樹の傍から羽根つきがふらりと出て来るのを捉えていたからだ。
周囲と比較すると、大きさは駐車してあるファミリーカーと変わらない。かなりの大物だ。その後をつける2つの人影も確認した。ボブの部隊の誰かだろう。
「どしたの慶ちゃん」
「団地にファミリーカーサイズの羽根つきが出てる。ボブの部隊が追ってるから問題ないと思うけど……」
「ファミリーカーサイズって闘牛にも適用できないサイズ感だけど大丈夫? あと『ボブ』ってあだ名だよね?まさか陽気な黒人とか出てこないよね? 」
「……どうします? ボブなら大丈夫だと思いますけど……一応寄って行きますか? 慶太さん」
シラスの言葉に、俺は無言で頷いた。
レム駆除者としてのスイッチが入った、と言ってもいいだろう。
「ねぇ慶ちゃん、心の準備が必要だから予備知識ちょうだい。 ボブってどんな人なの?」
「陽気な黒人だよ」




