幽体離脱まで、あと30分
水嶋は「鍵が見つかれば開けてもいい」と言った。ゆうなちゃんの話を信じるなら、この閉ざされた引き出しの中にあるのは「好きな男の絵」
自分の都合でそんな解釈をしているが、その絵の男が水嶋の好きな人であるかはわからないし、ただ単に男子高校生の姿を描く練習をしていただけかもしれない。そもそも水嶋が絵を描くというのが、俺にはイマイチピンとこなかった。
鍵のついた引き出し。女の子の秘密。
それを暴くために、血眼になって鍵を探すような無様な男か?俺は。
いいや、そんな男には成り下がりたくない。
「ゆうなちゃん、針金的なものある?」
「針金?何するの?」
「ピッキング」
ピッキング技術という名の鍵で開けるなら問題はない。だって、「見つかれば開けていい」なんて挑戦状を叩きつけられて、男が黙っていられる訳がないじゃないか。
鍵は絶対に見つからない。何故なら部屋にはないから。ならば俺は、ピッキングという新たな才能を見つけて水嶋の挑戦状を受諾する。
「鍵、無くしたのぉ?」
「ねぇ、針金のようなものある?」
「私は持ってないし、持ってても貸さないかなぁ」
「ないかな? 針金のようなもの、針金のようなもの……」
「いや、鍵が見つかってからでいいよぉ!急いでないから!」
針金のようなものを求めて彷徨う中、ふと本棚に目が止まった。本棚には硬派な小説から4コマ漫画まで、そのジャンルは多岐に渡り、統一性がない。
最上段には、短いカーテンが掛かっている。両端に渡したつっぱり棒に引っ掛けるだけの簡易なものだが、『何が隠れているのだろう』という好奇心をくすぐるには充分過ぎる程だった。
俺は、そっとカーテンを開けてみる事にした。
……色とりどりの背表紙と、平仮名の羅列。
なんとなく、見覚えのあるタイトルもいくつか並んでいた。
「絵本……?」
「新作お待ちしてますよぉ、ゆうり先生」
いつの間にか、ゆうなちゃんが背後に迫っていた。
「新作……」
ゆうなちゃんは水嶋の机から何かを手にとって、俺に差し出してくる。
……やけに年季の入ったスケッチブックだ。
「相原くんのことは一旦忘れてさぁ。いつものように、ファンタジーに火を付けようぜ」
そのスケッチブックを開いた瞬間、「おぉ」と思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
描かれていたのは、ほのぼのとしたイラストだ。動物がモチーフになったキャラクターと、幼い少年の様々な表情が数ページに渡って描かれていた。
風景もある。煉瓦造りの家、風車、大草原の向こうに連なる山脈。
そのどれもが、まるで絵本やアニメの世界のような優しいタッチで描かれている。
詳しくはないが、水彩画と言うのだろうか? 紙に滲む淡い色彩が、優しい絵柄を引き立てているように思えた。
「上手い」と言うよりも、シンプルで丁寧な印象を受けた。とても温かみのある絵だ。
「夢中すぎてパパは心配してるみたいだけどさぁ。私は大好きだよぉ、ゆうりちゃんの絵本」
次々にページをめくる。
写実的な絵も散見されたが、洋風の庭園や町並み、喫茶店の内装などの風景のみで、リアルな人間は一切描かれていなかった。
なんだかノスタルジィを感じさせるような、味わいのある作風であることは確かだ。
……水嶋にこんな趣味があったとは。
俺は言いようのない感動に浸っていた。
目の前に水嶋が居たら「美術部のエースにならないか?」と、一線を退いた指導者の如く言い放つだろう。
「これは二人の本棚?」
俺は本棚に視線を戻し、湧き上がってきた疑問を妹にぶつける。
「記憶喪失なのぉ?」
最上段の絵本スペースは水嶋のもので間違いなさそうだが、それ以外の棚に統一性がなさ過ぎる。性格が全く違うように、読み物の趣味もまた、正反対だったりするのだろう。
背表紙を眺めて、気になった文庫本を引き抜く。
【日常は殺人鬼とともに。】
ーーーーーーーーーー
交通事故により父を亡くし、心に闇を抱えながら過ごしていた13歳の美紗子。
そんな美紗子の元に、母を慕う「新しいお父さん」がやってくる。
不器用ながらも明るく、懸命に打ち解けようとする「新しいお父さん」の姿に胸打たれ、次第に心を開いていく美紗子だったが……
『美紗子ちゃん、ちょっといい? 死体の解体を手伝ってほしいんだ』
その男は、連続猟奇殺人事件の犯人だった。
生と死、妄想と現実。壊れていく日常と感情。美紗子がその先で見たものとは。
現代サイコホラー小説の金字塔。
ーーーーーーーーーー
……うわぁ……『その先で見たものとは』じゃねぇよ。美紗子ちゃんには最初から最後まで絶望しか用意されてないだろ、これ。
この悪趣味な感じは絶対ゆうなちゃんだわ、とにかく明るい水嶋はこんなもの読まないはず。
「これはゆうなちゃんのだよね?」
「違うよぉ。 あ、それゆうりちゃんにオススメされたけど怖くて読めなかったやつだ」
……本当に、この世界観を1ミリたりとも絵の方に反映させないで欲しいわ。
でも水嶋はクリエイターだから。絵本作家になるんだから。光を描くには闇を知らないといけないんだろうな、うん。
図鑑コーナーのような一画がある。
水嶋の新情報が入ったお陰で、それが作画の資料だという発想がすぐに出た。懐かしさを感じ、動物図鑑を手に取ってパラパラとめくってみる。
アルマジロのページに付箋が貼られていて、「ふふんっ」と鼻から息が漏れた。写真で見ると案外グロテスクな動物なんだな。
ゆうなちゃんが随分と静かになったので視線を送ると、何やら重厚な表装のファイルを、にやにやしながらめくっている。
「それ、なに?」
「みずしまゆうり先生の最新作じゃんよぉ」
図鑑を本棚に戻す。
奥まで差し込んだ時、微かに金属音がした。
もう一度図鑑を取り出し、棚の奥を覗き込む。
フックにかかった、小さなカギが見えた。
心拍数が急上昇していく。
……これが、『神引き』か!
ゆうなちゃんがこちらを見ていない事を確認して、素早く鍵を手に取り、パジャマの胸ポケットにしまいこんだ。
そのまま平然を装って、ゆうなちゃんに近づいていく。
「最新作?」
「私はこれ、好きだよぉ。ゆうりちゃんはあんまりみたいだけど」
「読みたい」
「オチどうするのぉ? 私も一緒に考えるぅ」
ゆうなちゃんはファイルを持ったまま、ベッドに寝転んで枕元のスタンドライトを灯すと、壁際に身体を寄せて作ったスペースを何度か叩いた。『隣においで』の動作に胸をときめかせつつ、「お邪魔させていただきます」と丁寧に挨拶を入れてからベッドへ突入した。
「あるまじろうがゆるくてすごく可愛いんだよねぇ」
兜をかぶったアルマジロのキャラクター。ズレた兜と、脱げかけた鎧。気怠そうな表情と丸みを帯びたフォルムがとても可愛らしい。それは、クレヨンで描かれたような絵だった。
【あるまじろうのだいぼうけん】
というタイトルがつけられていた。
1ページ目を開くと、地中の部屋であくびをしている、あるまじろうの絵。
地上では動物や人間のキャラクターが行き交い、賑わっている様子だ。
『あるまじろう には、 おしごとが ありません。 まい日 まい日、ほらあなの ねどこ で、 ねてばかり。』
俺は奇しくもこの、無駄にハイクオリティな絵本に魅入られてしまった。ポケットに隠した鍵や、ゆうなちゃんの事など御構い無しに、食い入るようにページを捲った。
仕事をしない怠け者達に業を煮やした王様が、あるまじろうを含む数名の怠け者をお城に召集する。
王様は彼らに、【冒険者】という役職を与え、旅に出る事を命じた。
未開の地を開拓し、少しでも国を発展させるような発見をしたら目の飛び出るような褒美をやろう、と。
怠け者達は意気揚々と国を飛び出していったが、臆病なあるまじろうはその場で丸くなってしまった。
『ふふっ、あるまじろう、働け働けぇ』
臆病者に激怒した王様が、丸くなったあるまじろうを城の窓から放り投げる。
そのまま転がり続け、着いたのは深い森の奥。魔物や猛獣に襲われるが、その度に丸くなって身を守る。退屈しのぎに放り投げられ、八つ当たりで蹴飛ばされ、どこまでもゴロゴロと転がっていく。
『流され系主人公の極みだなぁおい』
あるまじろうは、巨大な怪鳥に攫われて空を旅することになった。
丸くなったあるまじろうが硬すぎて、雛鳥の餌にはならないと察した怪鳥は、高度1000メートルからあるまじろうを廃棄した。
『アッ、あるまじろう……!!』
激流の川に落下し、丸まったまま川を下ると、溺れている少女がいた。
少女は川上から流れてきたあるまじろうにしがみついて、一命を取り留める。
命を助けられた少女は、知らない国のお姫様さまだった。お姫様はお礼がしたいとお城に招待するが、あるまじろうは照れくさくなって丸くなり、坂道を転がっていく。
『正気かよ、あるまじろう……!』
お腹が減って、丸くなる力すらもなくなったあるまじろうは仰向けになって行き倒れる。澄み切った青空を見つめながら、「もう一度、あのお姫様に会いたかったなぁ」と呟いた。
……物語は、ここで止まっていた。
「あれっ、なにこの悲壮感!会えるよね?もう一度会えるんだよね? ねぇゆうなちゃん……ん?」
隣でゆうなちゃんが、すやすやと寝息を立てていた。
気持ち良さそうな寝顔見ていると、疲労感が全身にどっ、とのし掛かってくる。俺はぐるりと身体を反転させて、仰向けになってから目を瞑った。
……今日は色んなことがあったな。
俺の知らない「水嶋優羽凛」が怒涛の勢いで押し寄せてきて、そのどれもがエネルギッシュで、キラキラしていて、眩しいくらいだった。
あ、メッセージ入れなきゃ……寝ちゃってるかな?水嶋。
俺は今まで自分の気持ちを絶対に悟られないようにしてきたな。
主張はせず、干渉もせず、決して深入りはしない。それを無意識に実践してた。
これは多分、防衛本能だろうなぁ。
くだらない会話で笑い合っているだけの、平凡な幸せが崩れてしまいそうで恐かったんだよ。
鍵……あ、そうだ。引き出しの鍵が胸ポケットに入ってる。
今は水嶋の事をもっと知りたいと思っている。
主張したいし、干渉したい。深いところまでぐんぐん潜っていきたい。
入れ替わった彼女の目線からではなく……自分自身の……身体で……。
……あれ? 意識が飛んだり跳ねたりしてる。何を考えていたんだっけ? 何を考えればいいんだっけ?メッセージ、メッセージ送らないと。
あ、やばい……これダメだわ……疲れ切った脳髄と身体を……『睡魔さん』が……人肌くらいの絶妙な暖かさで、包みこんできてるわ……きもちぃ……。




