水嶋優羽凛の常軌を逸した対応
この状況はなんだ!?
俺の隣には相原慶太が座っていて、水嶋優羽凛の席に俺が座っている。まさか、水嶋と心が入れ替わったのか?
両手を眺めてみる。細くて綺麗な指。うん、これは間違いなく水嶋の手だ。
机の下を覗いてみる。スカートから白い柔肌の脚がすらりと伸びている。
うん、妄想の中で何度もお世話になっている脚だ。
いやいや違う、今そんな事はどうでもいい。
俺は頭を抱えて髪をかき回した。もはやさっきの田中くん状態に入りかけている。
髪がすごく長い。いつも綺麗だなぁと感心している髪が今、頭の上に乗っている。
俺は、後頭部で留まっている髪留めを外してみようと思い至った。触感の良いものを撫でて心を落ち着かせようという、精神からの指令かもしれない。
俺は髪留めを外し、両サイドの髪を顔の前まで持ってくる。
食べれる距離に髪があるぞ!なんだこれ!未経験の長髪!水嶋はいい匂いがするな、とは思っていたけどその発信源はコイツだったのか!
花のような、甘い蜜のような、なんとも言えない甘美な芳香が脳髄をダイレクトに揺さぶってくる!
それにしても綺麗だなぁ。艶がすごい。ツヤッツヤだ。ていうか、なんだこのサラサラ感。
本当に猫の毛みたい。ちょっと齧ってみようかしら?
パクッ!
うん、いい香り!
【ベチィン! 】
横から平手が飛んできて、俺の頬を打った。
清々しい音が教室に響き渡ると、クラスのほぼ全員がこちらを振り返った。
頬を叩かれて正気に戻った俺は、先程までの異常な行動を振り返って猛省した。水嶋、おもむろに髪を頬張ってごめんな。びっくりしただろ? 俺自身もびっくりしてる。
隣を見ると、据わった目で相原慶太がこちらを睨んでいた。
俺は綺麗に整頓された机の上に置いてあるウサギ型のメモに視線を落とす。
【私は田中くんが気にな】
それを見た瞬間、心臓の鼓動が急加速した。さっきまでのやりとりはここで止まっている。
そのページは破ってくしゃくしゃに丸めてブレザーのポケットに突っ込んだ。
俺は新しいページにペンを走らせる。
【お前水嶋だよな?俺の体に入ってる?】
どうしてもそう考えてしまうが、相手がなんのアクションも起こさないのは不自然過ぎる。しかしあの平手打ちは、「水嶋の身体に俺の精神が乗っている」事を理解した上での攻撃に思えた。
とにかくシンプルに、直球の質問を投げてみたのだ。
すると、メモはすぐさま返ってきた。
【俺の名前は相原慶太。17歳の平凡な男子高校生だ】
ライトノベルの書き出しみたいな文章が返ってきた。ご丁寧にルビまで振られている。
これは相当に非凡な状況だ。
俺の心は水嶋に乗り移っている。頭をぶつけた拍子に入れ替わったのだろうか。
だとしても、水嶋のリアクションがおかしすぎる。何を涼しい顔で授業受けてんだこいつ。いや、もともとちょっとおかしいやつだったけれど、全く動じずに相原慶太を演じるのはぶっ飛び過ぎだろう。
……もしかして、俺に乗り移っているのは水嶋の意識ではなく、他の誰かなのか?
だとしたら水嶋さん、あなたの心は何処に行ってしまったんですか? 訳がわからない!
相原慶太の机の上が、「水嶋セッティング」に変わっていた。そして本人はペンケースの中を高速で整頓している。
……こいつ水嶋だわ。
俺に入ってるの絶対に水嶋だ。
間違いない。 入れ替わりだ。 というかメモの返答、絶対おかしいからな。
それにしてもこの状況はどこで誰に診て貰えばいいのだろうか。こういう症例は過去に例があるのか? 誰に診てもらっても最終的には精神科医に行き着く予感がする。どうしたらいいのだろう。俺の混乱は限界を迎えようとしていた。
その時。
「先生っ!」
高らかに言いながら相原慶太が起立した。
水嶋ぁ……! それ俺の身体だからな? 絶対変なことすんなよ。というか、人の身体で宣言なしに勝手な行動とるもんじゃないと思うよ。 まずは俺に許可を取るのが筋ってもんだろこのイカレ野郎め。
「んー?どうした相原」先生が応える。
「水嶋さんの体調が悪そうです。 僕が保健室に連れて行きます」
教室がどよめく。当たり前だ、俺はそんなに正義感に溢れた紳士的な発言などした事がない。「僕」とか言ってるし。
「うわ、相原が水嶋を口説く為に紳士キャラ作ってる!キモっ」とかみんなに思われている、確実に。
先生がこちらに近づいてくる。
「水嶋、大丈夫か? 確かに顔が真っ青だな。保健室に行ってきなさい。 相原、付き添ってあげてくれるか」
「もちろんです。僕は……保健委員なので」
え? 俺、保健委員だっけ? あぁそうだ俺は保健委員だ。……いや良く知ってたなこいつ!他人の委員活動なんか興味ないだろ普通。 あとそんなしょーもない事でドヤ顔すんな!
手段に問題があるものの、水嶋は2人きりで喋れる状況に持っていこうとしているのだろう。
俺が席を立つと、「大丈夫か?水嶋氏 」と水嶋が顔を覗き込んできた。 迫真の心配顔はやめろ。
「ヒュー、熱いねぇ」
「やだ、相原くんカックイイー」
斎藤と小早川がさっそく茶化してきた。 教室はざわめいている。指笛を吹きあげる悪質な輩まで出現する始末だ。
みんなもっと気を遣ってくれ。水嶋さん具合悪いんだよ?
女子の数人が「ゆうり、大丈夫?」的な言葉をかけてきた。どう答えていいか焦った俺は、「心配は無用だ」という時代劇さながらの返答をしてしまった。水嶋の女子との絡みなど的確に演じられる訳がない。まぁ、女子たちが笑っていたのでセーフだろう。
保健室の先生には手も足も出ないであろう超弩級の爆弾を抱えながら、俺と水嶋は教室を後にした。