水嶋家へようこそ!
「ゆうりが門限破ってまで会う男の子ってどんな子なの? 相原君だっけ?彼氏なのだよね?もしかしてさっき告白されたとか? ねぇねぇ教えて。ムキムキ系?シュッとした感じ? 年下?同級生? あ、それ突き抜けて大学生?大学生は要警戒だよゆうり」
俺が着席したダイニングテーブルの上に、ナポリタンスパゲティとサラダ、コーンスープが配置されている。
その向こうからマシンガントークを炸裂させているのは水嶋の母親。隣には妹のゆうなちゃんが座っている。これから取り調べが行われるようだ。
罪状は、門限破り。
ナポリタンの皿の下にはランチョンマットが敷いてあるし、木の柄がついたフォークとスプーンが綺麗に並んでいる。洒落てんなぁおい。こんな洒落た取り調べは、相原慶太容疑者にとって異次元の領域だ。
「ママ、そんなに一気に質問しちゃダメだよぉ。ゆっくり攻めていかないとぉ。ゆうりちゃん、ママったらねぇ……」
ゆうなちゃん曰く、水嶋から「門限を破る事になる、男の子と一緒にいる」という連絡を受けたママは盛大に歓喜したそうだ。
門限を破った事など一度もなく、家に帰れば大人しく机に向かっているばかりの水嶋を見て、それが逆に心配になっていたらしい。
これまでの事がどこまで母親に伝わっているか、という心配はあるけど、大説教を受けるものだと思っていたので少しだけ拍子抜けした。
「ママさぁ、ゆうりって実は女の子が好きなのかなぁって思ってたから。ゆうなは男の子の話をたくさんするけど、あなたの口から一切そんな話出ないじゃない?」
「ふふん、私は知ってましたよぉ。ゆうりちゃんがこっそり高校の男子の絵を描いてるの見ちゃったもぉん」
心に余裕が生まれた俺は目の前の女性に見とれていた。
水嶋のママは引くほど美人だ。とてもロリ双子を高校生まで育て上げた母親だとは思えない。普通に考えて40は越えているはずだがとても若々しく、柔らかくウェーブした髪が艶やかだ。彫りの深い北欧人のようなタイプの美形で、日本人的な童顔の娘たちにはあまり似ていないので、このロリ双子は親父似なのかもしれない。
一方妹は、俺じゃなきゃ見逃しちゃうレベルで水嶋と顔がほぼ同じだが、口調と声のトーンが全く違う。ただし、これもド素人からすれば【声までそっくりだねぇ】などと無知を晒すであろう誤差である。
俺は水嶋のプロだ、もう既に別個体としての認識が明確になっていた。
例えば「悪いおじさん」が、全裸の水嶋姉妹の毛髪と眉毛を全剃りにして、パーティションの向こうでシャッフルする。そしておもむろに2人の水嶋を目の前に並べて、
【さて、どっちがゆうりちゃんでしょう。外したらお前も全剃りな】
なんて凶悪な問題を出されたら、素人の玉袋は間違いなく縮み上がってしまうだろう。
しかしプロである俺は、そんな状況に陥ったとしても、うろたえる事はない。
ノータイムで正解を導き出して水嶋優羽凛の手を握り、
【俺を全剃りにしたいなら、15mは後退させるべきだったな】
とクールな捨て台詞を吐きつつ、全剃りされた2人の水嶋にさりげなくカツラを被せてやるだろう。
ふむ、さしずめ俺は『水嶋ソムリエ』と言ったところか。
「ゆうりちゃん、ぼーっとしちゃって可愛いなぁ。ねぇ教えてよぉ、相原くんてかっこいいの?」
ゆうなちゃんが俺の顔を覗き込んできた。 この2人は、水嶋家の日常に突如舞い降りてきた「相原慶太」という人物を掘り下げていく腹積もりらしい。
それほど普段の水嶋は男性の話をしないのだろうか? だとしたら彼女たちにとっても、この状況は非日常なのかもしれない。
「えっと……相原慶太の顔はかっこ良くないです。平均を下回ると思います」
「じゃあ、頭がいいとか?」
ママが顔傾けて尋ねてくる。
あ?なんだ?顔が悪かったら頭が良くないといけない決まりでもあんのか? 顔の悪さを頭脳で相殺しろってか? 無茶を言うな、今の成績で大満足してる不細工な俺に失礼だろ。
「頭もさほど……成績は中の中です」
「じゃあ、運動かな?何かスポーツやってたり?」
「あの、特に際立って輝ける分野はないです。身体能力も平均的で、帰宅部ですし」
「じゃあ、すんごい優しくて性格がいいんだ」
「あー……性格も全然よくないですね」
「ふぅん。総合するとだいぶ平均を下回る男だけど大丈夫なの?」
俺は気付かれないよう小さくため息をついて、麦茶の注がれたコップに手を伸ばした。一気飲みである。
「えぇっ!なんで泣いてるのゆうり!ごめんごめん!ゆうりにしかわからない良さがあるんだよね!?」
「よ、良さなんてないんですぅ……魅力のカケラもない薄っぺらい男ですぅ……そもそもぉ……彼氏とかぁ、そういうんじゃないですしぃ……!」
「そういうんじゃないって……まさか今日、相原に変な事でもされたんじゃないの……? 正直に言って!」
「断じて違います、変な事だけはしない男です……欲望に負けない自制心はありまぁす……それだけが取り柄の男です……」
ゆうなちゃんがハンカチを差し出してくれた。それを受け取って涙を拭う。 なんだか若干腹が立っていたので、この綺麗なハンカチで思いっきり鼻でもかんだろか、という復讐心が脳裏をよぎった。
「片思いなの? 振られちゃったの? よしよし、ゆうりちゃんはダメ男好きだったかぁ……大丈夫だよぉ、私がいい人紹介するよぉ」
ゆうなちゃんから多少のビッチ感が漂ってくるのは否めないが、この子はいい子だ。
号泣している姉の頭をナチュラルに撫でられるあたりに天然の女子力の高さを感じる。
水嶋にもこの女子力が備わっていたら、今の10倍はモテるだろう。それはそれで嫌だけど。
「相原はゆうりの恋心を利用してこんな時間まで付きあわせたのか! 変な事されそうになったらすぐに言いなよゆうり!」
一方のママは相原慶太に激昂していた。
水嶋家のガールズトークに舞い降りた相原慶太という男の存在は、あっという間に奈落の底に落とされた。
歯痒い思いは胸に積もっていくが、水嶋が悪者になってしまうよりはマシだと自分を慰めるしかない。
「ゆうりちゃん、今日大好きなナポリタンで良かったねぇ。たくさん食べて気分変えよぉ」
「うん……」
少しだけ驚いた。何を隠そう、俺もナポリタンが大好物なのだ。こんな場面に水嶋との共通点が転がっていて、仄暗い心の奥から嬉しい気持ちがせり上がってくるのを感じた。
さて、水嶋家のナポリタンはいかほどか、実食だ。フォークで麺を掬い、豪快に啜る。
うん、美味い!
「ざる蕎麦かぁい……」
ゆうなちゃんの呟きに顔を上げると、2人から軽蔑の視線を向けられていた。
え?ナポリタンはセーフだろ?啜っちゃいけないラインはペペロンチーノからだろ?
水嶋家ちょっと厳しくないか?これ俺が間違ってるの?
フォークを皿に置き、口に入ったナポリタンを飲み込む。軽く一度咳払いをする。
「えっと……冷やし中華って啜るよね?」
「啜るよ」
ママが即答した。
「……五目焼きそば、啜るよね?」
「啜るね」
ゆうなちゃんが即答。
「ナポリタ」
「啜らないよ」
食い気味にハモった!怖えよ!なんだこいつらのマジな目!漠然と啜っちゃいけないのはペペロンチーノからっていうライン引いてたけど、やっぱり俺が間違ってるのかな。やばいなぁ、育ちの悪さ出ちゃった。
「ちょっとごめん」
机の下でスマホを操作し、水嶋にメッセージを送った。
【ナポリタンを啜って食べる男をどう思う?】
ゆうり:【ナポリタン啜り男だ!って思う】
おう、ダメだ話にならないわ。
「すみませんでした、勢い余ってしまって」
一言詫びを入れて、今度は丁寧にフォークで絡げ、スプーンで抑えながら口に運んだ。
なんだかなぁ、最高に美味しいんだけど、その美味さが2割くらい落ちる気がするわ。今度、機会があったら『ナポリタン啜りのススメ』というタイトルの小冊子でも作ってポストに入れておこう。
サラダまで全て平らげて食器を下げようとした時、玄関を解錠する音がした。
「あ、パパ帰ってきちゃった! ゆうり、今度また恋バナ聞かせてね」
水嶋父の帰還により、相原慶太を蔑む結果になるだけの恋バナが終了したらしい。その安堵感と、父との接見に対する緊張感が綯い交ぜになった複雑な気持ちになった。
ゆうなちゃんは相原家の3倍はある巨大なテレビをつけると、革張りのソファーに腰を下ろした。
「まだ起きてたのか」
父親が紺色のジャケットを片手に掛けて、リビングに入ってくる。酒を飲んできたのだろう、仄かに顔が赤らんでいた。
けれどその表情は明瞭で、父の威厳というのか、厳格なオーラが漂っているように思える。この豪邸や美人ママを見て既に察していたが、相当なエリートである事が窺いしれる風貌だ。
ゆうなちゃんがリモコンを操作しながら「おかえりなさぁい」と声を上げたので、後に続く事にする。
「お、おかえりなさい」
「……おう、ただい……えっ!」
「えっ!」
父親が俺を見て、口をあんぐり開けていた。なんでだろう? なんか付いてる?おかえりって言っただけだぞ。
「ママ……? ゆうりちゃんが、おかえりって……」
なに呆然としてんだよパパァ!おかえりくらい言えるわ、ゆうりちゃん舐めんな。
赤ん坊が「パパ」って初めて言った時のリアクションじゃないのか?それ。
なんだよ、ゆうりちゃんをなんだと思ってんだ?ボタン押さなきゃ喋らない人形かなんかだと思ってんのか?
……? 待ておかしいぞ、ママも妹も無言で俺を凝視している。
「どしたの……ゆうり」
だから、帰ってきたパパにおかえりって言ったんだよ。
「ゆうりちゃんはねぇ、今日いろんな事があってぇ、きっとハイになってるんだねぇ。この勢いで仲直りしちゃお!」
……なるほどそういうことか、妹よ。
水嶋とパパは不仲だったのか。ゆうりちゃんがパパに「おかえり」を言ったら唖然としてしまうほど険悪な仲だったのか。知らなかった俺が悪かったな。
いや、言わなかった水嶋が悪いな。
「ゆ、ゆうり。まだ制服か……。パパ、先にシャワー浴びてもいいか?」
「うん、どうぞどうぞ」
パパがリビングを出て行くと、ママが俺の頭を撫でてくれた。
ゆうなちゃんは音を極限まで抑えたソフトタッチな拍手をしている。
「どっちも意地っ張りだから、引っ込みがつかなくなってたのにね。ゆうり偉いぞ」
『ただいま』には『おかえり』。
俺はただ、当たり前の流れに身を委ねただけで、褒められるような謂れは全くない。
仲違いの理由は聞かないことにしようと、なんとなく心に決めた。身内で『ただいま、おかえり』を捨ててしまう程の情熱的なバトルなんて俺には理解出来ないだろうし、それを聞いたところで的外れな意見しか言えないだろうな、という予感がしたからだ。
スマホを取り出して水嶋へメッセージを打つ。
【「おかえり」言っちゃったけど。何があったか知らないけど、パパと仲良くしろよな】
ゆうり:【ありがとう。私のヒーロー】




