〝エミリーとヘレナは同じ夢を見た〟
「飲酒運転という犯罪をご存知ですか? 私はその辺の社会倫理から監視しなくちゃいけないんですか?」
「いやぁ……ゆうりちゃんみたいな爆弾娘を相手にしてたら、酒飲んでた記憶も吹っ飛んじゃってさぁ」
「私くらいの小さな爆弾で吹っ飛ぶほど薄っぺらい法律違反じゃないんですよ、飲酒運転は」
ハザードを焚いて路肩に停まったミニクーパーの前で、女子大生が男子高校生にお説教されている光景がそこにあった。 男子高校生は10円玉を手の中で遊ばせていて、『返答次第じゃお前の愛車に10円傷を付けるぞ』という意思表示をしているようだ。
「ねぇ、相原くんもすごく自然に『送迎あざっす』みたいな空気出してたけど、常習犯なのかな?」
「……水嶋だって、車庫のシャッター上がって紫苑さんがハンドル切るまで『うわぁ、かわいい車』とか言ってたじゃん」
「うぇ!? 口答えすんのか、会員No.2! 自分の事は棚に上げて正論に反論か? 斜に構えてんじゃねーぞ? お? ここは匿名掲示板じゃねーんだぞコラァ!」
変態妄想倶楽部の監視員である水嶋は、随分と苛立っているようだ。 完全に自分の事を棚に上げて、法律に沿った正義を振りかざしている。
「酔拳」状態を早い段階で抜けていた紫苑さんの言い分はわかる。 俺も水嶋という破壊力の高い小型爆弾の巻き添えを食っていたからだ。
結局、紫苑さんがタクシーを呼んで、それを待つ事になった。 7〜8分で到着するようだ。 俺たちは道路端の縁石に三人並んで座って、行き交う車を眺めていた。
「慶太ぁ、これからゆうりちゃんの家に行くんだろ?こんな可愛い娘の身体操れるとか最高だな。エロい事し放題じゃん」
「何言ってるんですか、それどころじゃないですよ」
「それどころじゃないってどういうこと? 相原くん、多少は興味持ってもらわないと女として自信なくすよ」
「いや、興味はもちろんあるよ。 ビンビンだ。 今は勃つものがないけどな。 ただ、俺は正攻法で女性の身体と向き合いたいんだよ。 入れ替わりみたいなチートで楽しんだところで、残るのは虚しさだけだろ? だから俺は、水嶋の裸体には目を瞑る。 目を背けた方が男が上がる現実ってのもあるもんだ」
「慶ちゃんかっこいい」
「慶太お前、童貞の星だな」
大型トラックが轟音と地響きを唸らせながら、通り過ぎて行く。 紫苑さんは道路に脚を投げ出して電子タバコを吸っている。水嶋はスカートを履いている時のクセが抜けないのか、脚をくの字に折り曲げて座っていた。
俺は水嶋に膝をペシッと叩かれてから、完全に大股開きで座っていた事に気付いた。 今はスカートを履いた美少女である自覚をしっかり持たないといけない。
「私が男と入れ替わったら真っ先にエロ路線に走るけどなぁ……慶太はマジでそう考えて、本当に自制を効かせそうだから凄いわ。童貞界の最終皇帝だよ。ゆうりちゃん、入れ替わったのが慶太でよかったと思うよ、私は」
そう言って紫苑さんが水嶋の肩に手を置くと、『そんな事は最初からわかってます』と突っぱねて、その手を払った。
俺の思いは的確に伝わっているだろうか? この真摯な姿勢が、水嶋に示した最大の愛情表現だということを理解してくれているだろうか?
田中くんを始め、俺以外にも水嶋を好きな人がいる事を知っている。 そいつらをこんなズルで出し抜いて欲望を満たしたところで、誰が報われるというのか。
水嶋の気持ちを無視したエロ行為に、なんの意味があるのか。
俺はもう逃げない。
ファイティングポーズをとると決めたのだ。
他の男たちや、水嶋に。
そして、自分自身の気持ちに。
正々堂々と向き合って、水嶋を落としたい。
合意の上で、通じ合った心で……おっぱいや太もも、つまり下着の内側をまさぐりたい。
「慶太はさ、何かを欲しがったり、欲を出すのがちょっと恥ずかしい事だと思ってる節があるよな? だからスカしてる感じに見える。 普通の男子高校生なんて欲望の塊が全力疾走してるようなものなのにさ」
「相原くんの事を知った気になって分析しないでください」
「えぇ? だって私、慶太のことならなんでも知ってるもん。 人の観察と分析は人間関係を楽しむ為の重要なファクターじゃん」
「……なんでも知ってる? 笑わせないでよぉ。 そんな浅い人間観察とか、子供も騙せないようなファンタジーで楽しんでるから友達いないんじゃないですかぁ?」
「はぁ? いるわ! 友達いっぱいいるわ! そんな浅い分析でぼっち認定するのやめてよゆうりちゃん!」
「どうでもいいけどタクシー代くださいよシオンさん。 お金持ちなんでしょう」
楽しそうだ。
水嶋が自分の身体で紫苑さんとじゃれあってたら微笑ましいだろうなぁ。 ちっちゃくて可愛いアイドルみたいな女の子と、モデル体型の綺麗なお姉さんが乳繰り合うとかさぁ。それ最早ファンタジーだろ!
そんな現実が目の前に迫ってるのかぁ、早く元に戻って変態妄想倶楽部の活動したいなぁ!
「それにしても紫苑さん! すんなり入れ替わりを信じてくれてよかったですよ!」
俺が意気揚々と横槍を入れると、じゃれ合っていた紫苑さんと水嶋が同時に振り向いた。
「うん、まぁ……お前が芝居をしてるって考えるより、本当に入れ替わっている方がよっぽど現実味があるからな」
「ですよね。 俺って普段、割とクールで口数少ないですもんね」
「クールっていうか陰気だしな」
「ねぇ、クールな相原くんって童貞なの?」
水嶋が真顔で爆弾を放り投げてきた。
陰気な俺に同級生の女の子がそんなこと聞いてくる日がくるとは思わなかった。
「さ……さぁねぇ? ご、ご想像にお任せするかなぁ!? 」
「童貞だね、よかった」
「こいつは童貞だよ。 安心しな、ゆうりちゃん」
俺と水嶋は心が入れ替わった事に慣れてきている。いや、慣れたというより、錯乱し始めたと言った方がいいだろうか。 普段は絶対に話さないような事を、まるで「昨日何食べた?」「ハンバーグ食べたわ」くらいのテンションでやりとりするようになっている。
「はぁ、いつ戻るのかなぁ……早く戻りたいなぁ……」
「明日には戻るよ」
俺の心から溢れ出た呟きに、紫苑さんが即答した。
「え?」
「魂の入れ替わりは、実際にある。 エミリーとヘレナの話しただろ? あれはオチ以外、本当の話だよ」
真面目な顔だ。『魔女の家』で〝エミリーとヘレナ〟の話を始めた時と同じ顔だった。
隣の水嶋も紫苑さんの方を向いて固まっていた。
「あの話の、本当のオチを教えてやろうか?」
きっとまたおかしなオチを付けるのだろう。水嶋も鼻で笑いながら、俺の肩に肘を掛けてきた。『こいつの漫談を聞いてやろうぜ』というスタンスだ。
「どうぞどうぞ、タクシーが来るまでの暇つぶしにいいですね」
俺がそう言うと、紫苑さんが電子タバコをケースに仕舞いながら、俺と水嶋に身体を向ける。
「エミリーとヘレナは同じ夢を見た」
紫苑さんが語り出すと、水嶋は「んふっ!」と吹き出して、既に笑っている。魔女の家で話を聞いた時はブチ切れていたが、彼女も実は〝エミリーとヘレナ〟の話にハマっていたのだろうか?
「深夜、病室で眠りについた2人の少女は、同じ夢を見た。それは、ベットの上で寝ている身体から抜け出して、夜の広大な麦畑の上をふわふわと飛び回りながら『花の髪飾り』を交換する夢だ」
けたたましい排気音を轟かせながら、大型のバイクが目の前を通り過ぎていった。紫苑さんは一呼吸置いて、騒音が遠ざかるのを待ってから言葉を続ける。
「2人はその夢の中で髪飾りを交換すると、互いの肉体が寝ている病院まで帰っていった。約20マイルの距離を、他愛もない会話をしながらふわふわと浮遊して帰ったそうだ」
「ふむふむ、20マイルというと」
「30kmくらいかな? 歩きじゃ無理だね」
俺の疑問に水嶋が答えてくれた。紫苑さんはゆっくりと頷いて、話を続ける。
「病院に着いた二人は、『おやすみ、エミリー』『おやすみ、ヘレナ』と言葉を交わして、病室で寝ている自分自身の身体に戻っていった」
そのタイミングでタクシーが滑り込んできた。後部座席のドアが開いたので、俺と水嶋は立ち上がってタクシーへ向かおうとしたが、紫苑さんは座ったままだ。
「オチは?」
水嶋が振り返って問う。
「二人が目を覚ました時、エミリーはエミリーで、ヘレナはヘレナだった」
紫苑さんが答える。
「まーたオチなしか」
俺と水嶋はタクシーに乗り込んだ。
運転手さんに行き先を告げると、ゆっくりとドアが閉まる。
縁石に座っていた紫苑さんが立ち上がってこちらへ歩み寄って来たので、俺は窓を開けて「色々とありがとうございました」と声をかけた。
「good night.いい夢を」
耳元で囁いた紫苑さんを置いて、タクシーは静かに走り出した。




