『変態妄想秘密倶楽部の監視員』
項垂れている水嶋の頭頂部へ語りかけるように、紫苑さんが追撃の言葉を浴びせている。
「神に誓って慶太から金を巻き上げたり、怪しい商売の片棒を担がせようなんて考えてないからね。警察に突き出してもくれても構わないよ?私からはなーんにも出てこないし、慶太と私は雇用関係で、それ以上でも以下でもない。……な?慶太」
「ハイ、ソウデス」
話を円滑に進めるために、心を無にして相槌を打つ。俺は基本的に口下手だし、余計な雑音は紫苑さんの進行を妨害した上、水嶋を混乱させてしまうだけだと思ったからだ。
「さっきゆうりちゃん良いこと言ったね、『漫画研究会』だっけ? うん、そう思ってくれていいよ。 私と慶太は同じ世界観を共有して、内輪で楽しんでいるだけ。 人に迷惑を掛けている訳ではないし、むしろ人類に仇なす敵を駆除しようっていうピュアな正義感で動いているんだから。 後ろめたいことは何もないのさ」
水嶋は話の途中で顔を上げて、終わるまでじっと睨みつけていた。 対する紫苑さんは全く動じない。 飄々と、淡々と、それはまるで狡猾な詐欺師のような語り口で言葉を紡いでいた。
「ピュアにも限度ってものがあると思うんですよ。相原くんは本当に幽体離脱出来ると思っているの?」
「オモッテイルヨ」
あれ、本当に流れに身を任せて大丈夫か?
俺は紫苑さんの語るファンタジーを信じ込んでる残念な子として水嶋の目に映っている訳だから、彼女が懸念していた「相原慶太が大人に騙されてる」っていう構図にぴったりハマる結果になっていて、振り出しに戻っているような気がした。
「可哀想な人……」
あれ、めちゃくちゃ哀れんでる。 なんだその顔は!
でも、そりゃそうだよな、『狡猾な詐欺師』には騙されてなかったけど『女子大生の狂人』と一緒になってファンタジーの世界に肩までどっぷり浸かってるんだから。
というか俺の顔ってこんなに哀れみに満ちた表情作れるんだ、かつて稼働したことのない表情筋が躍動してるな。
「……言ってくれれば、私がもっと面白い世界を作ってあげたのに」
「ん?」
水嶋は顳顬に指を当てて何やら考えている様子だった。
対面している紫苑さんはソファーの上に胡座をかいて紅茶を啜りながら、俺にウインクを飛ばしてきた。随分と上機嫌なお姉さんである。
「……私、仲間に入ります」
それは迷いのない、はっきりとした声だった。
「ん? なんて?」
「私もあなた達の【変態妄想秘密倶楽部】に入部します。幽体離脱を勉強して、謎の生物を駆逐します」
いや待て待て、そう来る?
俺が言葉を失っていると、紫苑さんが勢いよくテーブルに身を乗り出してくる。俺は反射的に身を引いた。
「……本当に?うわぁ、嬉しい! ゆうりちゃんって部活とかやってる?普段忙しい? 」
いや待て待て、そう来る?
『変態妄想秘密倶楽部』とか完全に貶しに掛かってきてますよ。 変態ってあなたの事ですよ紫苑さん。 あ、待てよ? 俺の事でもあるのか。現会員2名が両方変態なのだから致し方ないか。
「この人ぐいぐい来るな。 私は部活やってませんし、普段も特に忙しくもありません」
「よしよし!じゃあさ、週に2回くらいこの家で会議しようか!慶太と三人で! 天気のいい日はテラスで紅茶飲みながらさぁ。夏になったら海とかプールとか……あ、バーベキューも行こうよぉ」
あら、いいですね! と言わざるを得ない。
なんて素敵なアイディアなのだろう、想像しただけで俺の心に住む小さな慶太が踊り狂っている。
俺は棚ボタで水嶋をスムーズに誘う為の口実を手に入れてしまったのか? 学校以外で水嶋と戯れる年間パスポートを手にしてしまったのか? あぁ、我が『変態妄想倶楽部』とその代表、有部咲 紫苑バンザイ。
……もしかして紫苑さんは、こうなるように誘導してくれたのだろうか?
まさかな、そうだとしたら本当に狡猾な詐欺師だ。
「よぉし!『変態戦隊・妄想秘密倶楽部』の発足だ!」
なんか余計なもん付いてきたぞ、早速クラブ名を脚色しやがって。変態戦隊だぁ? 踏むな、韻を踏むな。
……ったく、浮かれやがってよぉ!紫苑お姉さぁん!ッフゥ!
「私は遊びで入る訳ではありません!ガチです」
踊り狂っていた心の中の小さな慶太が、真顔でスッと静止した。
「ガチ……」
「ガチの監視員です。変態監視員・水嶋優羽凛です」
その肩書きだと変態を監視するのか、変態が監視するのか判断できないな。少なくともプールの監視員は任せられない。
「もちろん幽体離脱を始めとするお二人の世界観はお勉強させて貰います。ただし!同時にシオンさん、あなたが相原くんに悪さをしないか監視させていただきます。いいですか?」
「いいよいいよ。 ガンガン監視して。そして記録して。心に刻み込んで」
なんだこの人、本当に変態なのか?イマイチ狙いがわからないぞ。紫苑さんは何を企んでいる?
そんなに水嶋を気に入ったのだろうか? それならわざわざ俺を使わなくても、普通に仲良くなれるだろう。
現に、たった今も俺は紅茶の件で省かれてる。三人で一緒にいたら絶対に俺が余るだろ。あ、それ怖いな。
「相原くん!」
「ふぁいっ!」
「戦えって?」
「ごめん、急に振られて噛んじゃって」
「相原くんは、私が不在時の『変態妄想秘密倶楽部』での活動を包み隠さず報告する事。いいですか?」
「はいっ!」
「ねぇねぇゆうりちゃん、連絡先教えてよ」
混乱している俺を尻目に、二人は連絡先を交換しているようだった。
俺は水嶋が手を付けなかった紅茶へ手を伸ばし、一口煽って、干からびた喉を湿らせる。
とにかく、僅かでもここに来た収穫はあった気がする。
俺の悪手に端を発し、水嶋の暴走で『魔女の家』を訪れた。 俺が詐欺被害に遭っているという彼女の疑念が完全に晴れた訳ではないが、ひとまず俺と紫苑さんは妄想に取り憑かれた二人の変態として処理された。
水嶋の加入により監視下に置かれた俺は『変態妄想秘密倶楽部』という巨大な看板を背負う羽目になったが、それと同時に学校外で水嶋と戯れる口実を手に入れた。俺と水嶋はこれをきっかけに、今以上に仲良くなれるかもしれない。
「正直私、結構呆れてるからね。相原くん、ゆっくりでいいから一歩ずつ現実と向き合っていこう」
本当にこれでよかったのだろうか? 仲良くなる、というよりも「介護」とか「治療」という言葉の方がしっくりくる気がするけれど。
さらに言えば、表面をなんとか取り繕ってホッとしているが、肝心の問題は何一つ進展していないのだ。これっぽっちも解決には向かっていない。そもそもなんだよ変態妄想秘密倶楽部って、遊びじゃねぇんだぞちくしょう。
「車で送ってやるよ。2人とも今日は帰らないとまずいんだろ?」
俺は紫苑さんの言葉に頷いた。隣の水嶋は俺をじっと見つめて、深い深い溜息をつく。
『魔女の家』を出た後も、入れ替わりの魔法が解ける様子はなかった。




