〝エミリーとヘレナ〟
お香を消して座り直した紫苑さんは、「詐欺師だぁ?」と怪訝な表情で言い返した。
「入れ替わりなんてどうでもいいんです。そんな事を聞きにきたのではありません。 何が幽体離脱ですか! そんな子供騙しで相原慶太は騙せても、私は騙せません」
「水嶋、落ち着いて。 今その話は……紫苑さん何か知っているみたいだから話を聞いてみよう?な?」
今にも飛びかかりそうな雰囲気だ。眉間に皺をよせて真っ直ぐに紫苑さんを見据えている。
「あぁ、カルト宗教とか、怪しいセミナーかなんかだと思ってるのか」
紫苑さんがひと口酒を煽ると、水嶋は威勢良く立ち上がり、ドスドスと大きな足音を立てながらキッチンの方へ向かった。 途中で『秘技・ダイニングテーブル返し』でも繰り出すのではないかと心配になったが、換気扇のスイッチを荒々しく押して稼働させてから戻ってきた。 よほどお香の匂いが嫌いなのだろう。
「じゃあまずは話して貰いましょうかね、入れ替わりについて、詐欺師の見解を」
「お前らの話を信じるなら、その高圧的な態度は隣の……えっと、ゆうりちゃんのものなんだよな?」
「そういう事です」 俺は即答した。
「OK、顔が慶太だから殴りたくなるけど、ゆうりちゃんなら許せるわ」
「紫苑さん、何か知ってるんですか? 入れ替わりについて」
「うん、じゃあ話そうかね。 質問は話が終わってから頼むな」
俺と水嶋は同じタイミングで身体を屈めて、前傾姿勢を取った。紫苑さんの話に聞き入る体勢だ。
それを見た彼女はグラスを置くと「ふぅ、」と一息吐いて、真剣な顔で語り始めた。
「1982年の10月、アメリカのカンザス州北西部に位置するカリメアという小さな農村に〝エミリーとヘレナ〟という仲睦まじい二人の少女がいた。彼女たちは何をするにも一緒で、毎日のように手を繋いで歩いていた。二人の親密さは近隣の人々にも評判で、みんなその光景を微笑ましく見ていた」
酔いが覚めたのだろうか? 紫苑さんはいつになく真剣な表情で、とても滑らかな発声だった。
「その日二人は、『土手に生えた草花で髪飾りを作って、交換しよう』という計画を立てて、花を摘みに行った。ところが前日の雨でぬかるんでいた土手に足を取られたヘレナが、咄嗟にエミリーの腕を掴んでしまって巻き添いにしてしまった。 二人は土手から転げ落ちて……意識を失った」
入れ替わりというのは、実例がある現象なのかもしれない。だとすれば紫苑さんはそれを知った上で、俺たちに起きた入れ替わりを観察していたのだろう。
水嶋は足を組んで、ふてぶてしい姿勢をとりながらも真剣な目つきで、続く言葉を待っている。
「エミリーが目覚めたのは、病院のベッドの上だった。そして、窓に映る自分の顔を見て愕然とした。そこに映っていたのが親友のヘレナだったからだ」
「……入れ替わったんですね……? そのあと、2人はどうなったんですか? そこが重要です」
「焦るな慶太。 当然、〝入れ替わった〟と言う二人の主張は一時的な精神錯乱と見做されて、カウンセリングを受ける事になった。繊細なエミリーは精神的な混乱からみるみるうちに口数が減って、食事にも一切手を付けなかった。一方、ヘレナは正反対。心身は実に明るく健康でエミリーと話がしたい、と強く主張する程だった。ヘレナはポジティブというか、割と楽観的な性質の子だったみたいだな」
水嶋と目が合った。おそらくこの話は、繊細なエミリーが俺で、明るく前向きなヘレナが水嶋、と置き換えられるだろう。 問題はここからだ、彼女たちがどんな結末を迎えたか。
「接見を許されると、ヘレナは心神喪失状態だったエミリーの病室まで出向いて、開口一番こう言った」
『エミリー、私たち入れ替わっちゃったみたいだけど、どうせならこの状況を楽しみましょうよ!元に戻った時には、本当の家族より固い絆で結ばれているはずよ!』
立ち上がった紫苑さんは、大げさな身振り手振りでヘレナを演じる。
「あ、明るいなぁ。 水嶋系統ですね、非日常を楽しむ感じの」
「そして、茫然自失のエミリーはこう答えたの」
『楽しめる訳ないじゃない!!こんな醜い姿じゃ、廊下も歩けないわ!!』
「ってね」
紫苑さんがアメリカのコメディアンみたいに両手を広げて首を竦めている。目を見開いて、口をへの字に歪ませていた。
「ふふっ」
やばい、笑っちまった。
「……バカにしやがって」
待って水嶋。ごめん、俺から謝るから。
「紫苑さん、続きがあるんでしょ? ね? ちょっとふざけたくなっただけでしょう? その二人がどうなったかが俺たちの命運を分けるっていう流れじゃないですか」
「即興にしてはいい出来だろ?」
「さすがは詐欺師、と言ったところですね」
意外にも、水嶋は落ち着いた声色で返してから、ひとつ咳払いをした。
「謎は全て解けました」
大丈夫か水嶋? 俺の脳みそは溶けかかってるぞ。
紫苑さんは入れ替わりについて受け入れてはくれたけども、結局は何も知らなかった。
そもそも俺が、紫苑さんなら何かわかるかもしれない、という淡い期待を抱いたのが大間違いだった。
「シオンさん? 今あなたが酔っているのは、お酒のせいではないですね?」
「へ?お酒だし、酔いも覚めつつあるよ」
「さっきまで焚いていたお香には、幻覚作用や高揚作用、あるいは何かしらの、精神面に影響を与えるような効果があるのでは? 違法な薬物を用いて霊的現象の擬似体験を味わせる手法は洗脳の初手として非常に有効だと聞いたことがあります」
「んふっ!」
何かぶっ飛んだ仮説を饒舌に喋り出した。 半分くらい頭に入って来なかったけど、紫苑姉さんが吹き出してしまっています、水嶋さん!
「相原くんを洗脳した時もおそらく、お香が焚かれていたのでしょう。そもそも貴女のようなズボラでふしだらな人間がお香というガーリーな趣味嗜好を持っているとは思えない。あれは洗脳のアイテムです」
ちょっと言い過ぎじゃないか? それに、あのお香は俺が紫苑さんに頼まれて買ってきたものだ。もちろんその時の手間賃はいただいている。あくまで紫苑さんは俺の雇用主なのだ。
「ゆうりちゃん、お姉さんちょっと傷付いたよ。人を見かけで判断するなって教わらなかった?」
「それに水嶋、あのお香は俺が……」
「相原くんは黙ってて」
水嶋は部屋をゆっくりと歩きながら、天井や床を始め、置かれているインテリアなどを見廻している。出窓の枠に人差し指を滑らせると、そのまま口元に運んで、ふっ、と息を吹きかけた。 掃除のチェックに目を光らせる姑の動きである。
「ここには、誰とお住まいですか? ご家族は?」
「家族は地方にいるよ。大学に入って上京したからね。ここで一人暮らししてる」
「はいダウト。よくもまぁいけしゃあしゃあと滑稽な嘘を吐けるものですね。この大きな家に学生風情が一人暮らし? ハハッ! 笑止千万!」
「まぁ、金持ちだからね。 車もあるよ。全部親名義だけどさ」
「全ては繋がりました」
あれ、全て繋がっちゃいました?
水嶋そろそろ『祖父の名に懸けて』とか言い出すんじゃないか? 大人しく聞いてる紫苑さんもなかなかだけど、ちょっと面白くなって泳がしてる俺も相当に性格悪いな。
「極め付けは今もこの部屋に流れているモダンジャズ……誰の影響でしょうね? あなたがジャズを嗜むような人だとは思えない。 さらには……完璧に整理整頓されたキッチン。そして埃一つ落ちていないフローリング。今あなたの目の前にあるテーブルの惨状を見れば一目瞭然です、あなたは料理などしないし、整理整頓や掃除が出来るような人間ではありません」
「仮説の土台が9割方偏見で成り立ってるけど大丈夫かい? ゆうりちゃん」
「導き出される答えは一つ。 あなたは、詐欺グループ主犯格の愛人といった所でしょう。貴女はここに詐欺集団のトップと住んでいる。違いますか?」
水嶋が近づいていく。
あらぬ疑いをかけられた紫苑さんは、ソファの上で膝を抱えてグラスを傾けていた。 どことなく楽しげな表情に見えるのは気のせいだろうか?
「モダンジャズを好み、几帳面で綺麗好き、そして料理が趣味の狡猾な男性詐欺師! 貴女はその男の片腕として生活を共にしながら……相原くんのような純粋な青年を誘惑して……騙して……う、うぅ」
肩が震えていた。俯いて、髪の毛を握りしめている。
「水嶋? ど、どうした? 大丈夫か?」
「だって……じょ、女子大生のお姉さんが……一軒家で一人暮らしとか……年頃の男の子は、すごい食いつきそうな設定だし……うぅ……」
ぐずっ、と鼻をすすり、腕で目を抑えながら嗚咽を漏らしている。もしかして……な、泣いてる……?
「うぅ……うえぇぇん」
「ちょっと!もうこの話はやめにしよう!やめ!俺たち帰ります! 紫苑さんすみません!」
「なんで相原くんが謝るの!? 謝るのはお前だバカシオン! クズ! 悔しかったら私の事も騙してみなさいよぉ! 幽体離脱とか訳のわからない事言ってさぁ! 平凡で鈍感な相原くんのようにはいかないぞ!やれるもんならやってみなよぉ!」
溢れ出る涙を拭おうともせずに、水嶋は叫び続けた。
「どうせあなた、相原くんの弱みにつけ込んだんでしょう!お母さんを亡くした相原くんの寂しさを利用して、騙したんだ!そうに決まってる!警察に突き出してやる!」
「慶太お前、本当に幸せ者だな」
立ち上がった紫苑さんが俺を見下ろしていた。
胸がキリキリと締め付けられる思いがした。
この気持ちはなんだろう?
ジェットコースターのように高速でスライドしていく風景に、感情の整理が追いつかない。俺は、呆然と立ち尽くす事しかできなかった。
「わかったよ、ゆうりちゃん。お望み通りに、これから君を騙してみせよう」
そう言って紫苑さんは、散乱したテーブルの上を片付け始めた。




