お寺に巣食う魔女は酔拳の使い手
「今の電話だれ? もしかして一人芝居? 幽体離脱とか言ってたけど、その設定まだ引っ張るの?」
「紫苑さんっていう、公園で話したバイトの雇い主」
「しおん? 」
通話した紫苑さんは半ギレだった。そして明らかに酒を飲んでいるであろう事が、その辛辣なレスポンスから汲み取れた。 普段の彼女は初めて喋る相手に対して、たとえそれがどんな無礼な輩だとしても、頭ごなしに罵倒をしてくるような常識のない人間ではない。
……ただし酒に酔うと人が変わる。
紫苑さんは心に二つの人格を格納していて、アルコールを摂取する事で普段は心の隅に隠れている人格が出動してしまうのだ。俺は彼女のそんな状態を「酔拳」と呼んでいる。
「ご、ごめん。早く帰ろう」
「本気で言ってるの? 」
紫苑さんは最近『酒を週六に抑えてる』と話していた。何故よりによって今日、こんなに重大な事件が起こった日に酩酊しているのか。
……いやするか。週六飲んでるんだもん、ほぼ隙がないわ。
電話を折り返すべきか? でも、まともに話せる気がしない。女子高生の声で「慶太です」と言った瞬間に切られるのは目に見えている。
「相原くん、最近なにか高額なものを売りつけられたりしてない?」
水嶋が眉を顰めて顔を寄せてきた。 俺はハッと我に返る。
「え、誰に?」
「シオンとか、その取り巻きに」
「紫苑さんに? ……そんなのないよ」
「シオンって男? 女? 歳はいくつ?」
「女だよ。 初めて会った時、紫苑さん大学一年だった、かな……? 今は23、4か……」
「……行ってくる」
「え? 」
「さっき公園で、相原くんがお寺の住所渡してくれたじゃない? そこに住んでるの?」
「……生身で絶対に会わないほうがいいよ、今お酒飲んでるみたいで凄く攻撃的だったし、何より水嶋とは水と油の関係な気がする」
「さっきは会いに行けって言ったでしょ」
「だからそれは、幽体離脱しちゃった時の話で……」
「幽体離脱ねぇ……。 ハハッ! それ、霊感商法の類だよ。 相原くんみたいな『ザ・平凡人間』の心の隙間に突飛な世界観を植えつけてから利用する悪質な詐欺だと思う。 私が暴いてくるから任せて」
水嶋は何やら盛大な勘違いをしているようだ。目がもう本気中の本気である。「酔拳」状態の紫苑さんに水嶋を会わせたらストリートファイトでも始まるのではないか。
俺の身体を操っている水嶋は、
『この肉体を持ってすれば23〜4の女など一撃で沈められる』
などと驕っているかもしれないが、紫苑さんは色んな意味で突き抜けた女だ。 いとも簡単に関節を決められて涙を飲むのはお前だぞ、水嶋。
「そういう詐欺的なものじゃないから大丈夫だよ、現に俺は紫苑さん関係で出費した事はないし。 むしろバイト代を貰ってる立場だ」
「あのね、騙されてる人間はみんなそう思ってるんだよ。 詐欺だと悟らせない事がシオンの仕事なんだから」
水嶋は紫苑さんの連絡先と、祥雲寺の住所が書かれている紙を取り出してしばらく眺めると、身を翻して自転車に跨り、俺の方を見ながら荷台をバシバシと叩いて「はい、乗った乗った!」と叫んだ。
「なぁ、水嶋ぁ。紫苑さんに会いに行くのだけはやめてくれよ? 本当に。 親父もハルも心配しているみたいだし」
俺は指し示された荷台に飛び乗った。自分の身体なら窮屈に感じたかもしれないが、今操っている小さな身体は、自転車の荷台に丁度いい塩梅だ。
「バイト代は餌付けだね! 自分たちが作った虚構の世界観に善良な若者をどっぷり浸からせる為の。 そのうち桁の違うお金を巻き上げられるよ」
水嶋はゆっくりとUターンする。
「おい、なんで戻るんだよ」
渾身の一漕ぎで、自転車は急加速する。
俺は後方に掛かる加速度に堪えきれず、大きく身体を仰け反らせてバランスを崩した。 反射的に前で立ち漕ぎをしている水嶋の身体に手を伸ばす。
なんとか捕まって体勢を整えたのは良かったが、不幸にも掴んだのはヨレヨレのスウェットだった。
「水嶋ぁ!ちょっ、ストップ、ズボン! ズボンが下がっちゃった!」
ボクサーパンツを曝け出しながら、自転車の荷台に女子高生を乗せて夜の街を駆ける青年か……シュールだな。いやこれ署まで連行されるわ。 かく言う俺のスカートも風圧に負けて完全にめくれ上がっているので、対等の変態性だ。
「うはぁ! 男子の筋力だと手足の様に自転車を操れる! きんもちいぃ!」
「きもちいぃ! じゃねぇよ! この状況できもちいぃ!は一番ヤバイって、早くズボンをあげろぉ!」
俺はタイミングを計りつつ、太もも辺りまでずり下がったスウェットを両手でしっかりと掴んだ。
「オラァ!」
勢いよく引き上げて、惨劇を回避した。
まだ人気の少ない道路だったのが幸いし、サラリーマン二人とOLに見られただけの軽傷で済んだ。通報まではされないだろう。それにしても本当に危ないところだった、軽度の露出狂が人通りの多い商店街に合流する前に食い止める事が出来た。
「水嶋! お前、紫苑さんのとこに向かってるだろ!」
商店街に入ると、急ブレーキがかかる。
俺は水嶋の背中に頭から突っ込んだ。
顔を上げると、彼女はぜぇぜぇと肩で息をしながら自転車を降りたので、俺もそれに倣う。
「だめだ疲れた」と呟きながら、何故か建物と建物の間、人が一人やっと通れるくらいの隙間に自転車を押し込んでいる。
「おい、何してんだ?」
一丁上がり、と言わんばかりに手を叩きながら出てくると、交通量の多い大通りの路肩へ走って行って、「ヘイタクシー!」と大声を上げた。
「……自由か!」
「相原くんも一緒に行くんだよ、シオンの所へ。 私がズバッと解決してあげるから」
……紫苑さんに相談をするなら、二人一緒の方が説得力はある。 それは確かだ。 俺単体ではただの狂人だと思われそうだし、水嶋一人ではストリートファイトが始まってしまう。
「こんな時間だけど……親御さんから連絡きてないか?」
「鬼電が来てる」
「……だろ? じゃあ帰ろう。水嶋の家族も心配してる」
「私は相原くんを心配してる。 それに今日帰りが遅くなっても怒られるのは相原くんだし」
「信頼を失うのは水嶋だけどな」
「いつも品行方正に過ごしてるから、一日くらい平気だって」
水嶋は道路の先を眺めながら、タクシーが通るのを待っているようだった。 ここで俺が無理やり説得して帰っても、水嶋は面白がって家には帰らず、紫苑さんの元に向かうだろう。
俺が蒔いてしまった種は、水嶋の心に根を張って着実に成長を続けている。 もう腹をくくるしかない。
俺たちはタクシーに乗って行き先を告げる。
10分ほど車に揺られている間、打ち合わせをした。 打ち合わせというより、俺が一方的に指示を出す形になってしまったけど。
『喧嘩腰にならないように、まずは入れ替わりの説明をして紫苑さんの意見を聞く』
ざっくり要約すると、俺の伝えたかったことはこれだけだ。特に、水嶋が疑っている霊感商法などのきな臭い話はひとまず封印しておいてくれ、と念を押しておいた。その間水嶋は、俺の熱弁に対して適当に相槌を打ちながら母親とメッセージのやりとりをしていた。
俺と水嶋はタクシーを降り、「祥雲寺」というお寺の脇に佇む古びた洋館の前に立つ。所々塗装が剥げた藍色の外壁と、建物の半分を覆う蔦。俺はこの家を初めて見たとき、「お化け屋敷」という言葉が浮かんだのを思い出していた。
「ここに住んでいるの? シオン」
「うん」
「魔女の家みたい」
「じゃあチャイム鳴らすから声かけてな。慶太です、って言えば出て来ると思うから。うまくやってくれ」
俺は〝魔女の家〟のインターホンを押す。
【はぁい。ピザですか?ヘルスですかぁ? デリバリーは頼んでませんけど】
明るい魔女の言葉に、水嶋が固まっていた。




