給食費を盗む奴の気持ちとバイトの交通費を騙し取る奴の気持ち
高架下の駐輪場前。
怒涛の展開に疲れ果てていた俺は、金網のフェンスの前にしゃがみ込み、背を預けて大きく息を吐いた。
「自転車が停めてあるから」と言った水嶋の先導でここへ向かう道中、俺はフランスパンの逆襲から救世主コバの登場までをざっくりと説明したが、彼女は特に驚いた様子もなく、「今日の相原くんは悪運が強いなぁ」と笑っていた。
カラカラと音を立てながら自転車を引いてきた水嶋は、スタンドを足で弾いて駐車すると、俺のすぐ隣に立った。 ギシ、とフェンスが軋む音がする。
「ヨースケ君っていうコバの友達を紹介された。 元に戻って絡む機会があったら仲良くしてやってくれ。あと、コバが水嶋に謝ってたよ。『あの時はカッとなってごめん』って」
「あー……そっか。うん、なんて返してくれた?」
「ぜーんぜん! 私こそごめん! また月曜日に、学校で!」
俺はコバと別れる際に見せた「お芝居」をそのまま披露してやった。水嶋は目を丸くして俺を見据えると、「んふっ」と鼻から息を漏らして「ありがとう」と返してきた。
街灯の灯りがぽつりぽつりと局所的に狭い範囲を照らしているだけで、周囲は薄暗い。すぐ近くに住宅街が迫っていて、商業的な煌々とした明かりは皆無だった。
人通りは少なかったけど、時々前を通る駐輪場の利用者がほぼ例外なく訝しげな視線を俺たちに向けた。
先ほどスマホを凝視しながら歩いていたOLに関しては、こっちに気付いて顔を上げた瞬間に、ハイヒールを「カツッ!」と鳴らして立ち止まるほど驚愕していた。
この暗い通りで、フェンスに背を凭れながらヒソヒソと喋るサングラスを掛けた二人組は、なかなかのインパクトがあるのだろう。
「なぁ水嶋、どんなテレビの撮影してたんだ? 」
「あぁ、んー。 なんだろうね、あれ。 蛍光色のジャンパー着たお兄さんがマイク持って、若い人に片っ端からインタビューしてたよ」
「どんなインタビュー?」
「今、熱中してることはありますか? って」
「なんて答えたの?」
「アルマジロの研究です、って」
「トリッキーな返しだなぁ」
「えへへ」
「褒めてねぇよ」
「インタビュアーが食い付いてきたから、これでもかってくらい陽気にアルマジロの生態について解説してやったよ」
「ふぅん」
まぁ、全国ネットでアルマジロについて陽気に語られるくらいならいいか。
……あれ。 俺の感覚、麻痺してないかこれ。
俺の身体でアルマジロについて陽気に語られる事で起こり得る弊害について、全く考えようともしないで許容しちゃったけど。……本当に大丈夫か?
「……なんでアルマジロ?」
「私つい最近、アルマジロについて徹底的に調べ上げたから」
「そっかぁ。もうここまできたら何を言われても驚かないわ」
「徹夜で」
「てっ! 徹夜で!?」
徹夜でアルマジロの生態を調べなくてはならない切迫した状況ってあるか? それともアルマジロって時間を忘れて熱中してしまうほど面白いのか? ……いや、アルマジロに関する知的好奇心は揺さぶられてるけど、釣られちゃだめだ。
よく考えろ。仮にそれがオンエアされて、SNSなんかでクラス中に拡散された日には……あれ?どうなる? 何か弊害あるか? ……まずいぞ、羞恥心とか自尊心とかそういう感情が、頭の潰れたネジみたいにバカになってる。
「ほ、放送はいつなんだろうな」
「さぁ……学校で突然アルマジロについて質問されたら、『あぁ、昨日放送されたんだな』って思って貰えれば」
「思ってからじゃ遅いんだよな」
「いいじゃない、アルマジロ博士。 一躍脚光を浴びるかもよ。しっくりきたらその道に進んじゃいなよ」
水嶋はクイッ、と中指でサングラスを持ち上げた。
「おう、最初は助け舟出してくれよな? アルマジロについては今のところ『防御力が高い』ってくらいの知識しかないからさ」
俺も同じ動作で、サングラスの位置を調整する。
「うんうん、監修は任せて。 でも変なあだ名とか付けられそうだね」
「孤高のアルマジラー・ケイタとか?」
「耐え忍ぶタイプの格闘家につけられた蔑称っぽい」
「ンハハハハハ!」
俺たちの笑い声は、高架下によく響いた。
電車が轟々と呻きながら疾走していく振動を感じる。俺は、組んだ腕の上におでこを置いて俯いた。
「相原君、泣いてる?」
「泣いてねーよ!」
俺は泣いていた。
水嶋のような精神力が欲しい。 翳りのない、揺るがぬ一本の芯が欲しい……! こいつもはやサイコパスだろ。 ギリギリまで踏ん張って寄せてみたけど全っ然心の方が追いついて来ないよ。
「相原君が限界を超えて開き直ったのかと思った」
「ごめん、生半可な気持ちで乗っちゃって。はぁ……」
サングラスを取って涙を拭う。
スマホを確認すると、時刻は22時に迫っていて、弟のハルからメッセージが入っていた。
【よろしくやってんのか? 親父は察してやれとか言ってるけど、ちょっと心配だから返信求む】
【ごめん、全然大丈夫。今日は悪かった、埋め合わせは必ずする。帰ってからもハイテンションかもしれないから、その時は頼む】
素早く打ち込んで、水嶋に向き直る。
「水嶋、時間がやばいよな。そろそろ行こう」
「ううん、もうちょっと一緒に居たい」
水嶋は落ちていたビールの空き缶を足で転がしている。俺の目にはそれが、空き缶が腹部を圧迫されて悲痛な呻き声を上げているように見えた。
「家に帰りたくないか? 親父もハルも大丈夫そうだ、ちゃんと受け入れてくれる」
「そういう事じゃない」
「あ、不良がまだ居るかもしれないしな……あいつらめちゃくちゃ殺気立ってたし。 じゃあタクシーを使えばいいよ」
財布を取り出し、震える手で一万円札を抜き出した。
俺の財布には諭吉が二人ほど涼しい顔で佇んでいるが、これは相原家の生活費だ。 指が震えてしまうのも仕方がない。「給食費が盗まれる」という使い古されたテンプレートがあるけど、 今まさに「給食費を盗んだ奴」の気持ちをトレースして罪悪感に苛まれている。
「ゴチです」
俺の指先で震えていた諭吉があっけなく水嶋に攫われた。
「ゴチですじゃねーよ、お釣りは返せよ」
「タクシー使わなかったら牛丼30杯くらい食べれそう」
「わんこそば感覚かよバケモノめ。 タクシーの領収書を提出してもらうからな」
「自転車でバイトに行って、交通費を騙し取る学生の気持ちがわかる」
「俺は給食費を盗む奴の気持ちを理解したところだよ」
水嶋が自転車を引いて歩き出したので、後に続いた。
これから向かうのは水嶋家だ。俺はそこで水嶋優羽凛になりきって、一夜を過ごさなくてはならない。 やるべき事は至ってシンプルで、
「ご飯を食べる」「お風呂に入る」「寝る」
それだけだ。細かいことはポケットに入っている予定表に記されているので、逐一それをチェックしながら行動すればいい。
「水嶋、イレギュラーな事が起きたら連絡入れるからな。スマホは片時も離さず持っていてくれ」
「あいよー」
水嶋が自分のスマホから手帳型のケースを外して、俺に差し出してきた。
「これ付けといた方がいいんじゃない?」
「あぁ、そうか。 怪しまれたら面倒だもんな」
それを受け取って、スマホを取り出して試してみたが、機種が違うので嵌らなかった。 手帳型のケースだし、上手く使って衝立の役割を果たしてくれれば良いか。
そんな事を考えながらポケットに戻そうとした瞬間、スマホが掌の中で振動した。
慌てて画面を確認すると、【有部咲 紫苑】からの着信が表示されている。
「ねぇねぇ相原くん、幽体離脱と深夜バイトの話はいいの?」
水嶋は笑っている。きっと俺が水嶋を困らせる為に盛ったジョークの類だと思っているのだろう。
今、着信が入っている「有部咲 紫苑」こそ、俺の幽体離脱後の雇い主だ。
水嶋の家で「水嶋優羽凛」を演じながら、眠る。それだけならそこそこ上手くやれる自信がある。ただ、問題はその後なのだ。
俺は即座に通話アイコンをタッチして、スマホを耳に当てた。
「はい、慶太です。 紫苑さん、メッセージ見てくれましたよね?」
『誰だお前、もしかして慶太の彼女? あの童貞小僧に彼女が居たとはな。小賢しい芝居はいいから早く慶太に代われ』
「いや、だから入れ替わってるんですよ。声は女の子ですけど慶太です。紫苑さんなら何かわかるんじゃないかと思って打ち明けてるんですけど……」
『慶太に協力してるお前も相当なバカだな』
「違うんですって、本当に俺は慶太なんです。昼間にメッセージを飛ばしましたけど、入れ替わっちゃったんです。隣の水嶋さんと! 」
『バイトをサボる口実に、男女入れ替わりとかいうC級コメディみたいなゴミ設定振りかざしてくるんじゃねぇよって慶太に伝えとけ。 女まで引き込んで風呂敷広げてるけど全然面白くないからな』
「いや……だからぁ、本当に入れ替わってて……幽体離脱出来るかわからなくて……」
『今日来なかったら減給だってことも伝えといてな。 あと慶太に協力してるお前、絶対ブスだろ』
……電話が切れた。




