「生卵を投げたのが慶太だとしっくり来ない」
「お前まだ慶太のスマホ持ってたのか? その財布も慶太のじゃん」
心を乱されていたので、さも当然かのように「相原慶太のアイテム」を使用するという凡ミスを犯してしまった。スマホどころか俺の財布まで判断できるコバの観察眼に軽度のホラーを感じたが、ここは上手く言い逃れるしかない。
「う、うん!このスマホと財布を返そうと思って、公園で相原くんと落ち合ったんだけど……」
「絡んできてた女が『お前の彼氏が生卵投げてきた』って絶叫してたけど、その彼氏って慶太の事だったの?」
その場凌ぎの短絡的な嘘は身を滅ぼす。
自ら「相原慶太と公園で会っていた」と口を滑らせてしまった。 目の前の男に相原慶太の名前を出す事は、鯉の泳ぐ池に食パンを千切って投げ込むようなものだ。 早速食い付いてきている。
まだ不良に絡まれていた事に関しては、知らぬ存ぜぬで貫き通す事ができるだろう。
しかし俺はあえて、事情を話した。
コバに対して相原慶太の奇行を話すことで、幻滅してもらおう、という打算も僅かにあった。
二人でベンチに座っていたら不良集団が絡んできた事、サッカーボールを後頭部にぶつけられた事、それに怒った相原慶太が生卵爆撃を決行した事。 駅のホームに向かうエスカレーターを昇りながら、早口で説明した。
「慶太がそんな事したの? ボールぶつけられたくらいで?」
「うん、心の病なんじゃないかな」
「お前の後頭部にボールがぶつかったなら百歩譲ってわかるよ。慶太だって好きな女に危害加えられたらブチ切れるかもしれない」
おうおう、コバさんよ。ものっ凄いナチュラルに俺が水嶋の事好きだって前提を滑り込ませてきたな。 普段からそのトーンで水嶋と喋ってるのか?
俺が密かに胸に抱いていた想いは筒抜けだったのですか? 俺の恋心はフリー素材かよ。
「生卵投げたのがお前ならしっくりくるんだけどな」
はい、水嶋さーん。 この人あなたをナチュラルに過激派認定してますよぉ!
「そんで? 慶太はゆーり置いて逃げちゃったの?」
「親指立てて、してやったり!みたいな顔して逃げてった」
「何から何まで慶太らしからぬ行動だなぁ」
電車がホームに着いたので、コバに続いて乗り込んだ。車内は非常に混雑している。身体を捩って、隙間に潜り込ませる必要があった。
扉が閉まると、コバが俺の腕をぐいっと引っ張って、身体の前に作ったスペースに誘ってくれた。
——こ、これは……!
乙女の憧れの一つである、イケメンによる壁ドンスタイルだ。 コバの男前な顔が、かつてない距離感とアングルで迫っている。彼の首筋に浮かぶ血管、微動する喉仏が何故だか艶めかしく見えてきた。
あれ……? やだ……アタシ、ドキドキしてる?
俺は両手で頬をピシャリと挟み込み、慌てて我に返った。 そして思い切り頬を抓る。 まずいぞ、このままでは目覚めてしまう。複雑に性が混線しているので、何に目覚めるのかはわからない。 ただ、何かに目覚めてしまう予感があった。
「もしかして、向こうで慶太が待ってたり?」
「うん。高座桜ヶ丘の改札で待ってるって」
「そっか、駅から近いんだっけ? お前の家」
「う、うん」
「じゃあ、俺はここまででいいな。慶太にバトンタッチするよ」
彼はどこか儚げな、悲哀に満ちた表情をした。
「こ、こばぁ……」
……『こ、こばぁ……』じゃねぇだろ俺。
コバの色気に持っていかれて感情移入しちゃったよ。
たしかにこれから水嶋と慶太くんが会うって知って潔く引くとなれば、コバとしてはこんな表情になるかもしれないけども……こいつはそもそもヨースケとかいう違う男に乗り換える気満々マンじゃねーか。
それともあれか? 叶わない恋に打ちひしがれて自暴自棄になって、あーもう手当たり次第抱かれちゃえ!みたいなシーズンが到来中なのかな?
待て待て、落ち着け、深入りするな。一番深入りしちゃいけない精神領域だぞ。
「ったく……ゆーり、そんな顔すんなって」
そう言ってコバは、俺の頭に手を置いた。
あれ? 今、彼、アタシの頭をポンって……
やだぁ、なんだかとてもキュンとしちゃった。
『「キュン」てなんだよ、なんの擬音だよ。少女漫画のヒロインはもれなく心臓疾患でも抱えてんのか?』
なんて、斜に構えてた今までの自分が恥ずかしい。だって今、「キュン」を実感しちゃったんだもん。経験しちゃったんだもん。アタシ、「キュン」を否定できない身体にされちゃった……。
「おいゆーり!どうした? 気分悪いのか?」
あれ? 気分悪そうに見えた? 今「キュン」としてたはずなんだけど。 しかし危なかった……今のは確実に「乙女」に片足突っ込んでたわ。二度と戻れなくなる所だった。
……というか、なんだっけ? この『壁ドン』と双璧を成す、イケメン男子のあざとい所作。
『頭ポンっ』だからアタポン?アタポンだっけ? このアタポン女子目線だと破壊力半端じゃないな。コバのように自然と出来たら水嶋もキュンとしてくれるのだろうか?
それにしても。あの無駄のない熟練した動き……コバ、さてはアタポン初心者じゃないな。さっきのアタポンは一朝一夕で成せる型じゃなかった。
日頃からアタポンを一撃必殺の武器として懐に隠しながら生きる者のアタポンだった。
……まさか水嶋にも何回かやってんじゃねぇだろうな、おい。 なんか腹立ってきたわ、このクソイケメン野郎。
そうこうしているうちに目的の駅に着き、改札へ向かった。 コバが途中で立ち止まって、後方から「ゆーり」と声を掛けてくる。
「あのさ……。 俺が前に慶太のことを相談した時の話だけど……あの時はカッとなってごめんな。 ずっとそれが言いたかった」
俺の知らない、水嶋とコバの話だろう。どんな反応をすれば良いかわからない。俺は次の言葉を待った。
「昼間、学校でもさ、まずは謝りたかったんだけど……謝れなくて。今言えてスッキリした」
コバと水嶋は、喧嘩をしていたのかもしれない。
なんでもはっきり物を言って一刀両断してしまう水嶋の事だから、コバのことを怒らせてしまったのかなぁ。
「ぜーんぜん! 私こそごめん! また、月曜日に学校で!」
上手に、水嶋らしく振る舞えただろうか?
自分の言葉に間違いはないだろうか? 俺と水嶋が元に戻ったら、コバにはいつも通りに、変わらずに接してほしいと思った。
コバは照れ臭そうにはにかみながら、「またなゆーり!うまくやれよ!」と言って、来た方向とは逆のホームへ向かって歩いて行く。
「ありがとうコバ! 本当に助かった! ヨウスケくんによろしく!」
コバはこちらを一度振り返ると、大きく手を振って去って行った。俺はその背中が見えなくなるまで見届けてから、急いで改札へと向かう。
ちゃんと自分の身体で、コバの口からヨウスケくんとのノロケ話を聞けるような関係になりたいもんだ。 そんなことを考えながら改札を出た。
改札口が見渡せる位置まで歩き、水嶋の姿を探す。 キョロキョロと忙しなく視線を動かしていると、突然肩を叩かれたので、咄嗟にファイティングポーズを取って振り返る。
……そこにはサングラスをかけた男がいた。
ボサボサの頭に赤いリボンをつけ、ヨレヨレのスウェットにパーカー姿。手にはビニール袋をぶら下げている。
「なんだよ、それ」
「変装だよ」
「変態にしか見えねぇよ」
「サングラスとリボン以外は相原くんの自前だけど」
「サングラスとリボンを足し算した事で変態っぽさが掛け算されてんだよ」
「……さぁて、行きますかっ」
「そのリボンは何なんだ。 頼むからそれだけは外してくれ」
「外せないよ。『心は女の子ですよ』っていう主張をこのリボンに注ぎ込んでいるんだから」
水嶋はビニール袋からお揃いのサングラスを取り出して、笑顔を浮かべながら俺に差し出してきた。




