小早川太一朗と〝ヨウスケくん〟
コバが「ちょっと話していきます」と声をかけると、屈強な男たちはコバに代わる代わる挨拶をしながら東口改札の中に入っていった。
「男には気をつけるんだよ」などと、含みのあるウィットに富んだ言葉を俺に対して放つ人もいた。
コバの隣には、一人だけ立ち去ろうとせずにポカンとしている男が残っている。
「後で追いかけるから、行ってて。 連絡する」
コバがその男に言うと、彼は口角をキュッと結んで、ゆっくりと首を横に振った。
屈強な男たちに比べると、随分と華奢で、大人しそうな色白の優男だ。
俺が彼の存在に全く気がつかなかったのは、強烈なパンチの効いた集団の中にいたので、脳が彼らの仲間だと認識しなかったのかもしれない。
力の抜けた眼の上では緩くウエーブした髪が波のように跳ねている。こういう髪型を無造作ヘアーと呼ぶのだろうか?
「紹介してほしいな」と、その優男が真面目な顔で言った。
紹介!? 水嶋を気に入ったのか……?
田中くんもそうだけど、水嶋がアタックされてるのをこの目線から見るのは心を亀甲縛りされてる気持ちになるからやめてほしいんだよな。
「……ったく、恥ずかしいな」
なんでお前が恥ずかしいんだよ、コバこの野郎。
唐突に紹介してほしいとか言われて、嬉しいやら恥ずかしいやら、繊細な乙女の気分に晒されてるのはこっちの方だぞ。どう考えて……も……いや、待てよ。
「彼はヨウスケ。大学二年で、最近一番仲良くしてる人だ。友達以上、まだ恋人未満」
ヨウスケと呼ばれた優男は只でさえ細い、切れ長の目がなくなるほどに顔を綻ばせて、コバの肩を軽く叩いた。
……いやそっちかーい!
『お友達に私の事紹介して! 俺のものだって主張して!』
の方の紹介かい。 ……そうだよな。先ほどの面々とはちょっとばかし毛色が違うけれど、俺が流れを正確に捉えてたらこの展開の方が自然だ。
まぁなんでもいいけど、ヨウスケさんはコバからちょっと離れた方がいいんじゃないかな? 照れ隠しに肩を叩いた勢いでそのまま恋人繋ぎでも繰り出しそうな距離感でくっついてるけども。ほら、清涼生もたくさん通る訳だから。
「優羽凛ちゃんでしょう? 話はよく聞いてるよ。よろしくね、お友達になろう? 太一朗の高校での話も聞きたいし」
小早川を下の名前で呼んでる人初めて見た!……というか、こ、この差し出された手は掴んでいいのか……? 水嶋に確認が必要な案件なのでは……?
水嶋はコバから恋愛相談を受けている。つまりはコバの愛するどこぞの「ケイタくん」という存在について知っているという事だ。
その水嶋の前に今「ヨウスケくん」というコバの恋人候補が現れた。
水嶋が仮にヨウスケくんと仲良くなってしまったら、「ヨウスケくん」と「ケイタくん」と「コバくん」の悪夢みたいな愛憎劇を眺める事になるのでは?
そしてその「ケイタくん」が相原慶太である可能性が92%くらいの確率で突きつけられている現状!
さらに「慶太くん」は水嶋が大好きで、今はその水嶋さんの身体をコックピットから不器用なりに操作している惨状。
……誰か人物相関図をくれぇ!
入れ替わりやジェンダーの壁を越えた奇想天外な心模様を、わかりやすく人物相関図に起こして改札の上にぶら下がってる電光掲示板に映し出してくれぇ!
ゆっくりと深呼吸。 玩具箱をひっくり返したような脳内の荒れ模様を、俺は最早、俯瞰していた。 どうしようもないパニックの行き着く先は、悟りの境地なのだ。 きっと偉大な先人たちも、こんな八方塞がりのパニックの中で
『もうなんでもいいか、なるようにしかならないし!(笑)』
と半ば匙を投げるように悟りというものを開いたのだろう。
俺は「よろしくぅ!ヨウスケくん!」と彼の手を握り返し、とびきりの笑顔を見せてやった。空いた手で親指まで立てるサービス精神だ。
すると意外にもヨウスケくんは、グイグイと主張してくる様子もなく、ニッコリと微笑んだ。 それからコバに向かって「じゃあ、後で!連絡待ってるね」と言い残して立ち去っていった。
「悪いな、ゆーり」
「いえいえ、全然。助けてくれてありがとう」
「なんていうか、慶太っぽいだろ」
「え?」
コバは照れ臭そうに髪の毛を弄りながら、「慶太っぽい」と言った。思わず聞き返してしまったが、何が俺っぽいんだ? 何の話だろう。
「ヨウスケ、雰囲気が慶太に似てるだろ? あー、なんか見られたのくっそ恥ずかしい」
えっ。 あんまり気にした事なかったけど、俺ってヨウスケくんみたいな空気出してるのか?
少なくとも俺は、「友達に私を紹介してよ!」みたいな自己主張を剥き出しにした事はないぞ。
「性格は全然違うけどさ。なんだかもさっとしてて、ひょろっとしてて、顔に生気がなくて」
あぁなんだぁ、外見の事か。
……いやいや、全部ギリギリ悪口じゃねぇかおい。
もさっとしてるのは髪の事なのか? 散髪代ケチってんだよ。貧乏なんだよ、相原家はな。
ひょろっとしてんのは大して食ってねーからだよ、親父や弟たちが爆食いしてるの見てれば腹一杯になるから別にいいんだよ。
顔に生気がないのは母ちゃんに似たからだよ、死んじまってるしな。
……やかましいわ。心の中でブラックジョーク言わせんな。
「どうした? 怖い顔して。 あ、俺の尻の軽さに怒ってんのか? 慶太がダメなら他の男で遊ぶのか、みたいな?」
そんな事はどうでもいい、イケメンの貞操観念とかそこまで期待してないし興味もない。むしろ俺にとってはありがたいくらいだ。
それに俺はまだ2%くらい残されている「ケイタくん全くの別人説」を捨てたわけじゃない。
「私、行かないと。人を待たせているから」
「送ってやるよ。高座桜ヶ丘だろ?」
「いやいや、いいよ!ヨウスケくんも待ってると思うし!」
その駅には、水嶋が待っている。
『コバ』『ケイタくん』『水嶋』
この三人が鉢合わせする状況など、電車の『ガタンゴトン』が絶望への前奏曲に昇華してしまう。
現に今、少し想像しただけで全身を掻きむしりたい衝動に襲われた。
「大丈夫だよ。今日はヨウスケの家に泊まる予定だからさ、夜は長いんだ。 お前がなぜかヤンキーに絡まれてた話も聞きたいし」
そう言ってコバはケラケラと笑った。
コバが寄りかかっている壁に貼られた発泡酒の広告の中で、綺麗な女優も一緒に笑っていた。
陽気だよなぁ、世間は右も左も陽気だよ、人の気も知らないでさぁ。
「夜は長い」じゃねぇよこの野郎! そっちはお楽しみの夜かもしれないけどな、こっちはもう見えない糸に雁字搦めにされて、どこから手を付けていいかわからないお祭り状態なんだよ。 助けられておいてこんな事を言うのもあれだけど、これ以上厄介ごとを運んで来ないで欲しい。
俺はブレザーのポケットからスマホを取り出して、確認した。 水嶋から着信が三件入っている。メッセージの通知が来ていたので、アプリを立ち上げる。
ゆうり:【高座桜ヶ丘の駅前でテレビのロケ?やってる(笑)】
ゆうり:【インタビューされたからめちゃくちゃ陽気に答えといた(笑)】
俺はコバを置いて無言で歩き出し、改札機にSuicaの入った財布を叩きつけた。
自動改札は残高不足の俺を咎め、一瞬にして行方を阻んできた。
「んぁああああああ!!」
「ゆーりどうしたんだよ!」
「世界が俺を拒むんだよぉぉぉ!」
俺は溢れ出る涙を堪えながら、コバの肩を借りてSuicaをチャージした。




