〝愛と退屈と終わらない戦争〟
座っている俺たちのすぐ側には、並んだベンチを囲うように、腰ほどの高さのコンクリート壁が立ち上がっている。さっきからその壁に、サッカーボールが猛烈な勢いで何度も叩き込まれていた。
不良がたむろしている方角から、サッカー日本代表の試合で耳にする聞き慣れたコールが聞こえてくる。
「うぉい!」
すらっとした体型で、長髪に青いジャージ。いかにもサッカー部崩れです、といった風貌の男が放ったシュートが、水嶋の座っているベンチの背凭れに直撃した。
「あっ、すんませーん。ちょっと気合い入っちゃって」
長髪青ジャージがおちゃらけた口調で言いながら、弾かれたボールを拾いに来る。
「確実に俺たちを威嚇しているな」
「夜の公園でイチャイチャしてるカップルの前で全力のシュートを打ち続けたらどんな反応するだろう、みたいな企画が上がったのかな」
「イチャイチャはしてないけどな」
ロン毛青ジャージの隣では、ピチピチのスキニージーンズを履いた肥満体型の男が醜い薄ら笑いを浮かべながら立っている。
「そんな事よりさっきの話だけど……」
「スティックパンとフランスパンだね」
「は?」
「スティックパンの方は異常に海外のサッカー事情に詳しくて、フランスパンの方は週四でアブラマシマシの豚骨ラーメン食べてるね」
目の前で遊び始めた二人の分析結果が出たらしい。
「……フランスパンの方、ズボン凄くないか?めっちゃ鬱血してそうだ」
「デブは膝への負担が凄いから、サポーター的な役割もあるんじゃない」
相手は不良だ、せいぜい小声で小馬鹿にして鬱憤を晴らすのが関の山である。物理的に戦えば瞬殺されてしまうからだ。
笑いを堪えていると、日本代表の応援コールが段々と近付いてくるがわかった。
「や、やばそうだ。不良が押し寄せてくる。やっぱり移動しよう」
俺と水嶋は立ち上がり、近付いてくる集団とは逆方向の出口に向かって歩き出した。
「イチャイチャしてんじゃねぇよ!おらぁっ!」
「おぶっ!」
水嶋の後頭部に、サッカーボールがクリーンヒットした。水嶋は膝から崩れ落ち、両手を地面につく。
後方からは押し殺したような笑い声と、「本当に当たっちゃった!ヤバイヤバイ!」というスティックパンらしき声が聞こえた。
「相原くん……私の顔、再従兄弟がプレイした福笑いみたいになってない?」
「だ、大丈夫だ。顔のパーツは正常に配置されてる」
水嶋はゆっくり立ち上がると、首を2、3度振った。ゴリッ、ゴリッ、と鈍い音が鳴る。
ボールをぶつけられたのが俺の身体だからなのか、不思議と怒りが湧いてこない。水嶋の身体にぶつけられたら我を忘れて怒り狂ってしまうかもしれないけど、そんなに痛そうには見えないし、結果的には俺の頭にボールが当たっただけだからなぁ。
面倒な事になる前に立ち去るのが得策だ。
「……あのスティックパン、殺してやる」
「……え?」
「三親等まで洗い出して追い込む。一族を根絶やしにしてやる」
水嶋のバイオレンスが大気圏を飛び出している。
後遺症が残ったとしても俺の脳みそだから気にするな、怒りを鎮めて欲しい。
「すみません!大丈夫っすかぁ?」
スティックパンが声をかけてきたので、俺は水嶋の肩をポン、と叩いて振り向いた。
「大丈夫です、大丈夫です」
水嶋の背中を押して、公園を後にする。
公園を大回りして駅に向かって歩いていると、「相原くん、悔しくないの?」と水嶋が瞳を潤ませながら俺に迫ってきた。
「うーん、なにより水嶋の身体に当たらなくて良かったよ。ああいう奴らはさ、誰かを生け贄にして楽しむのが大好きだからなぁ。今回はたまたま俺たちが犠牲になっただけで……俺たちだって少なからずそういう嗜好を持ってるだろ」
「どういう事、それ」
「俺や水嶋だってフランスパンの風貌を小馬鹿にして笑っていただろ、あいつらは夜の公園に来たカップルをネタにして笑ってただけで……」
「私たちはフランスパンに直接『やーいフランスパン』って言ってバカにした訳じゃないよ、フランスパンの話を内輪で楽しんでいただけでしょう? スティックパンに関しては飛び道具まで使って実害を与えてきたんだよ」
焼きあがったパンが渋滞して内容が全然頭に入ってこないなぁ。
「そもそも俺が筋骨隆々で、耳が餃子みたいになってればあいつらもからかってこなかっただろうな。なんかごめん。でも今はほら、そんなことよりも考えなきゃいけない事がたくさんあるから」
水嶋は俺を無視して、歩く速度をぐんぐん上げていく。歩幅の差も大きいので、俺は小走りで後を追う形になった。
すると彼女は何故か、脇目も振らずにスーパーへ入っていった。家族に買い物でも頼まれていたのだろうか? ……スマホで時間とメッセージを確認しつつ、スーパーの入り口で帰りを待つ。
「おまたせ」
水嶋はレジ袋をぶら下げている。
「何買ったの?」
「手榴弾」
「このスーパー、武器商人が経営してんの?」
無言で来た道を戻っていく水嶋の後を追う。
「どこ行くんだよ!そっち公園だぞ!なにするつもりだ水嶋!」
「忘れられない夜にしてやるんだよ……! 」
……なんかハードボイルドな事言ってる!
公園の階段に差し掛かると、手に下げたレジ袋を降ろして、その中をゴソゴソと弄っているようだ。
接近して覗き込むと、パックに入った生卵の封を開けている。
「何してるんだ……?」
「20個買った。ハンドボールのお陰で球を投げる感覚は掴んでるからね。半分は当てるさ」
不良たちの笑い声が聞こえる。おそらくまた、ブランコの周辺に集まってだべっているのだろう。
必死で止めようとする俺を振り切って、彼女は二段飛ばしで階段を上りきった。
「しゃおらぁ!」
……嘘だろおい。
水嶋が叫び声を上げると同時に、片手に持った生卵を不良の溜まっているブランコ周辺に投げつけた。
パキャッ!と小気味のいい音が鳴ると、不良たちが静まり返る。
「えっ?」「何なに?」という、戸惑いの声が聞こえてきた。
「おらぁっ! 暇なんだろ!? 楽しませてやるから美味しくいただけよボンクラどもぉっ!」
水嶋は般若のような表情で、ビニール袋から生卵を取り出しては投げつけている。不良たちの怒号と、それに混じって女の悲鳴も上がっていた。
いやほんと、何やってるのこのじゃじゃ馬娘! 俺にはもう扱いきれない! 腕ごと手綱を持っていかれる!
「はっ、走れ水嶋ぁ!捕まったら確実に殺されるぞっ!」
俺たちは全力で階段を駆け下り、駅に向かって走りだした。水嶋はいとも簡単に俺を追い抜いていく。
それどころか、追い抜きざまにこちらを振り返り、したり顔で親指を立てていた。
「相原くん!改札出たところで待ってる!」
「親指立てんなコラァ!」
「待てゴラァ!ぶっ殺すぞオラァ!」
スティックパンが迫って来ている、ヤバイ。
先程見せられた、あの右足から繰り出されるボレーシュートのノリでローキックでも喰らおうものなら水嶋の足はチューペットの如くポッキリいかれてしまうだろう。
後方から彼らのバイクと思われる、けたたましいマフラー音が響いていた。
俺は地の利を生かして路地裏に入り、マンションの敷地内で息を潜める。
どうしてくれんだこの状況。ボールを後頭部にぶつけられたくらいで報復に生卵爆撃するか?
そりゃ世の中から戦争がなくならない訳だよ。
……水嶋が心配だ。無事だろうか?
俺は周囲を警戒しつつ、再び駅へと向かった。




