平凡な男の、非凡な世界への誘い〜地元のヤンキーを添えて〜
食事を終えると、俺と水嶋は2人で台所に並んだ。俺が皿を洗って水嶋が拭く、というフォーメーションである。
親父はテーブルで俺たちの姿を眺めながら、週に一度のビールに舌鼓を打ちつつ、ヘラヘラとニヤついている。
練習試合を翌日に控えたハルは、その隣でグローブの手入れをしている。
アキは明日デパートで開催されるカードゲームの大会に出場するらしく、テーブルにカードを並べて難しい顔をしている。
以上が、来客の女子高生が皿を洗っている状況に疑問すら抱かない相原家の異常者達だ。
俺は片付けを終え、帰り支度を始める。
その間に親父が感謝の句を述べてきたので、笑顔で対応した。
「本当に突然お邪魔してしまって……ご迷惑をお掛けしました」
玄関先に親父、ハル、アキの三人が集まっている。
「もう帰っちゃうんだねぇ、ゆーりちゃん。お父さんさみしい」
「ご馳走さまです。また来てくださいね」
「ゆーりご馳走さま! またね!」
俺はペコリとお辞儀をして、いつもより小さな革靴に足を滑り込ませる。
「おい、慶太!ゆーりちゃん帰るぞぉ。送ってあげないのか?」
親父が声をかけると、奥の部屋から「ちっ!しゃーねぇなぁ」と苛立ちを孕んだ声が返ってきた。
おい、送り届ける事を渋れる立場じゃねーぞこの野郎。
……しれっと部屋着に着替えてやがる。こいつこのまま俺の家で寛ぐつもりだったのか?
俺と水嶋はアパートを出て、人気のない夜道を駅に向かって歩き出した。
「ねぇ慶ちゃん、どうだった? 私の演技」
「自分の胸に手を当てて聞いてみな」
「慶ちゃん家、楽しいなぁ」
水嶋は胸に手を当てて、天を仰いでいる。
「……それと、慶ちゃんて」
「え、ダメ?」
全然ダメじゃない。むしろ元に戻ってからもそう呼んでほしい。
「あー!慶ちゃん赤くなってるぅ!」
水嶋は俺の前に回り込み、人差し指をこちらに向けながら、非常に乙女チックなモーションで声を上げた。 ただ、顔は男だ。俺の顔だ。
80年代後半のラブコメを踏襲したガチのオネェにしか見えない。
「なぁ、水嶋。 俺が水嶋家に帰った時の縛りはないのか? きっちりやる。絶対に守るからなんでも言ってくれ」
「だから、妹とお風呂に入らないでほしいだけ。他は別に……何も守らなくていいよ。信用してる」
一つ夢を失ったが、そこまで言うなら仕方ない。おれが弟たちを愛しているように、水嶋の妹愛も本物なのだ。
それにしても、水嶋は俺の事を人畜無害な聖人だとでも思っているのだろうか?
例えば風呂上がりに全裸で家を飛び出して、駅前で全身全霊のヒップホップダンスを踊るだけで、俺は水嶋優羽凛の人生を終わらせる事が出来る。 もっと警戒するべきだろう。
「何も守らなくて良いって……なんかあるだろ?見られたら嫌なものとか、やられたら困ることとか」
「……相原くん、何か後ろめたいことがあるのかい? そんな真摯な姿勢を見せつけられると、勘繰ってしまうね」
す、するどい。
確かに俺は、全裸でヒップホップダンスを踊る気なんてさらさらないし、約束は絶対に守る。水嶋の裸体だってなるべく見ないようにするし、おっぱいを揉んだりなんかしない。
いや、ちょっとは揉んでみるかもしれないけど、最低限のマナーは守るつもりだ。彼女の部屋に電動マッサージ器が置いてあっても正しい用法を守るくらいに。
「私はこんなに入れ替わった状況を楽しんで、相原くんを困らせているのに。 このやろう!みたいな復讐心は芽生えないの?」
そんな気持ちは全くなかった。 それ以上に、これからの展開への心配事が山積みだった。
……腹を決めるしかない。最悪の状況になった時の為に「バイト」と書いて厄介ごとを匂わせておいたのは俺自身だ。
「いや、実は……俺は今の自分以上に、水嶋をめちゃくちゃ困らせてしまうかもしれないんだ」
「なに?」
「ちょっとそこの公園で話さないか?」
「いいけど、うちに向かいながら喋ればいいんじゃないの」
「あまり他人に聞かれたくない」
俺と水嶋が駅前公園の階段を上っていくと、途中で大きな笑い声が聞こえた。
嫌な予感は的中して、ブランコの周辺に数人がたむろしているのが見える。
暗くてよくわからなかったが、彼らの側には無駄に刺々しいシルエットのバイクが乗り付けてあったので、おそらく不良と呼ばれる人種だろう。
公園の前にバイクを停めるのは善人。公園の中まで乗り入れて来るのは不良、と相場が決まっている。
「フゥー!」
不良の奇声が公園に響く。ちらりと視線を向けると、彼らもこちらを見ていた。
「ヤバイかな、ここ」
俺は目を合わせないように前方を見据えながら、小さな声で呟いた。
「今の私なら殺れる気がする」
「おい、相原慶太の肉体を過信するな」
不良から死角になる位置のベンチに腰を下ろして、まずはスマホを確認した。時刻は19時54分。
隣に座った水嶋もスマホを取り出して操作している。
「まだ平気か?時間」
「うん、大丈夫。 ママの追撃もなし」
水嶋は、互いの心が入れ替わった事をすんなり受け入れた。受け入れるどころか楽しんでいるのだ。
きっと俺がこれから話すことも、すんなり受け入れてくれるだろう。
「相原くん、困らせるってバイトの事でしょう? 予定表に書いてあった深夜バイト。私、割となんでも普通にこなせると思うよ。なんのバイトなの?」
やはり水嶋は勘付いていた。
「……害獣駆除なんだ」
「が、害獣駆除?鼠とか?」
「いや、鼠なんて可愛いもんじゃない」
今日初めて、水嶋が操る俺自身の戸惑う顔を見た気がした。
当たり前だ。流石に水嶋でも、同級生が深夜に害獣駆除をしていると聞いたら驚くだろう。
というより、害獣駆除というワードを出すのが早すぎた。俺自身も思考の整理が出来ていない。
水嶋は目を丸くして俺の言葉を待っている。
「まず、俺たちはこれからお互いの家で寝ることになる訳だけど……俺には昔から、睡眠中の癖があるんだ」
「睡眠中の癖? 寝相が悪いとか? 夢遊病的な?」
「いや、俺には深夜の幽体離脱癖がある」
【アハハハハハハ!】
遠くから不良達が大笑いする声が届いた。ふざけるな不良ども、こちとら大真面目に語ってるのにコント番組のSEみたいなタイミングで笑うなよ。
「幽体離脱って、おねしょの隠語?」
「下半身が緩い訳じゃない。魂が緩いんだ」
「相原くん、心療内科まだ開いてるかな?」
水嶋は俺のおでこに手を当てて、「熱はないね」と言った。
「水嶋、俺の目を見てくれ。大真面目だ」
「目を見てくれって言われても、私の目だからなぁ、それ。ふざけてるようにしか見えないや」
「水嶋の日頃の行いのツケを俺が払うことになるとはな。じゃあ目は見なくていい、話を聞いてくれ」
「はいはい、私を困らせようとしてるんでしょ。乗ってあげるから話してごらんよ? ん?」
……心の入れ替わりをすんなり受け入れた水嶋でも、そういう反応になるよな。
入れ替わりは実際に起きて、今まさに体験していることだ。まだ身に降りかかっていない「幽体離脱」を信用できない気持ちはわかる。
「正直、この入れ替わった状態でどうなるかはわからない。でも、万が一、睡眠中に幽体離脱しても驚かないでくれ」
「……ふむふむ、で?」
俺はポケットから一枚の紙を取り出して、水嶋に渡した。
「なに?これ」
「バイト先の、俺の雇い主の連絡先と住所だ。電話には出なかったけど、入れ替わりの事情はメッセージを送っておいた。既読がついているから見てくれてはいると思う」
「こ、怖っ。なんなの? やけに手が込んでる」
「正直に言うと、今夜は寝ないで欲しいんだ」
「寝なければ幽体離脱しないから?」
「そう、それがベスト。でも、寝落ちして幽体離脱してしまったら、この住所に真っ直ぐ向かってくれ。祥雲寺というお寺だ」
「何か宗教的なやつやってるの? 洗脳されてるんじゃないの相原くん」
「相原慶太の身体だから幽体離脱するのか、相原慶太の心だから幽体離脱するのか、それがわからないんだ」
水嶋は笑っている。俺は大真面目だ。
冗談だと思われていたとしても構わない、そうなってしまった時の為に情報を叩き込んでおかないといけない。
「もしも前者のパターンだったら最悪だ。俺の身体に入っている水嶋の心が幽体離脱してしまった時の為に、どうしても言っておかなきゃならなかった。俺が水嶋の身体で幽体離脱して、水嶋は俺の身体でぐっすり眠るっていうのが本当のベストなんだけどな」
「自分で何を言ってるかわからなくならないの? 私、もう何がなんだかわからないけど。その設定、ずっと考えてたの?」
ダメだ、 完全に俺が復讐してると思ってる!
俺が水嶋を困らせる為に幽体離脱設定を練り上げたと思っている!
その時、ブランコの周辺でたむろしていた不良が2人、奇声をあげながら走り寄ってきた。
片方は足元でボールを転がしている。華麗なドリブルだ、サッカー部をドロップアウトして行き場をなくしたタイプの不良なのかもしれない。
その2人は俺たちの前で、これ見よがしにボールと戯れ始めた。 ブランコの方向から、大きな笑い声が聞こえてくる。
なんだかビンビンに嫌な予感がするぞ。
神様と不良はいつだって、俺の味方はしてくれないものだ。




