水嶋優羽凛の〝選球眼〟
具材を煮込みながら灰汁を取る作業を進めている間、後方からはずっと水嶋の歌声が聴こえていた。
近頃よく耳にする、「せんこう花火」という曲だ。
あまり詳しくないので曲名以外の固有名詞はわからないが、有名な男女のミュージシャンがコラボしている曲で、映画の主題歌になっているらしい。
朝のニュースでも特集が組まれていたし、CMもしょっちゅう流れている。 キャッチーで印象に残るメロディだ。
水嶋は、その曲の男性パートを繰り返し歌いながらヘラヘラと笑っている。……低い声が出るのが新鮮で楽しいのだろうか? 俺が普段、家の中で熱唱することはあり得ないのでやめてほしい。
俺は一つ咳払いをして、小さな声で「あ〜」と裏声を出してみた。出してみただけだ、興味本位だった。
水嶋の歌声に合わせて人差し指でシンクを優しく叩き、リズムを刻む。刻んでみただけだ、他意はない。
……いやぁ正直、女性パートに割り込みたい衝動が止まることを知らないっすわ。 完全に俺の中の「女性シンガー」が産声をあげてますわ!
なんていうか、水嶋の歌声にも「さぁ入ってこいよ、ハモろうぜ?」みたいな意思が込められてるよ。絶対ハモる箇所だけこっち向いて歌ってるもんなあの人。
うん、水嶋の家に帰ったら歌ってみよう。巨乳の妹とお風呂でハモっちゃったりなんかして? うわぁ想像するだけで夢みたい。そんなもんまさに夢のコラボじゃないか!
「ただいまぁ、疲れたぁ」
作業着姿の親父が玄関で靴を脱いでいる。
「あ、おかえり親父」
……やばい、やっちまった。
他人の家でカレー作ってる女子高生が初対面の家主に「おかえり親父」ってどんなシュールさだろう。
「おう、腹減ったぁ……え? う、うぇえ!?」
親父が聞いたことのない声を出しながら、鳩がカウンターの左フックを食らったような顔をしている。 水嶋、ヘルプ!助けてくれ!
「父さん、おかえりなさい。 ごらん、彼女は新しい家族だよ」
カウンターが入ってフラフラの親父にトドメを差しに行くんじゃないよ。 親父の顔を見ろ、ホラー映画で山場を迎えた主人公みたいになってるじゃないか。
「あの、私、水嶋優羽凛と申します。初めまして……。 慶太くんの友達で……えっと、美味しいカレーを彼に教わったので、今日は作らせていただきたく馳せ参じました」
喋りをどう締めくくれば良いか、話しながらも迷っていたけど、「馳せ参じました」って。 むしろよくその言葉が出て来たな俺。
「さ、左様でございますか」
親父も寄せてきた。
「兄貴ぃ!洗濯物取り込んだー?」
風呂の用意を済ませたハルが、洗面所から出てきて全員の顔を見回した。
「あ、親父おかえり。あれ!?まだ干しっぱなしじゃねーか兄貴! 何してたんだよ!」
「おう、歌を唄いながら本棚を整理してたのさ。 皆よく聞いてくれ、3巻は2巻と4巻の間にしまうものだ。6巻の次にしまうものじゃない」
「ダメだこのポンコツ。 親父、風呂いいぞ。洗濯物出しちゃってくれ」
弟にポンコツ呼ばわりされるこの屈辱!キッツイよぉ、言われてるのは俺じゃないのに俺にダメージ入るんだからさ、水嶋さん頼みますよ本当に。
「ゆーりさん。兄貴、下校中に変なキノコとか拾い食いしてなかった? 」
ハルが俺の方を向いて、問いかけてくる。おそらく、大喜利的なものを仕掛けてきているのだろう。
「変なキノコを手に取っていたら私が止めた筈です。目にも留まらぬスピードで食べられたら止めようがないですけど」
無難に返しておく。
「じゃあゆーりさんの目を盗んで変なキノコを食べたんだな」
というかこいつ、もう水嶋という存在に対応してやがる……なんて奴だ。 何年も野球でチームプレーしてる奴はコミュ力が違いますねぇ……!
ハルは野球に熱中するあまり、勉強は怠っているみたいだが、本当に有能な弟。俺の自慢の弟だ。とても誇らしく思っている。
そのハルは俊敏な動きで洗濯物を取り込みに行った。 親父は状況を理解できない様子で、首を傾げながら風呂へ向かう。
「早くも風呂イベント?」
「いや、親父は外仕事だから真っ先に入る。出てきたらメシだ。カレーも丁度いい頃合いだと思う」
「なるほど。ねぇ、今度相原くんのカレーを教えてくれない?」
「ん? 【突撃!隣のビューティ☆レモンちゃん】さんのやつとほぼ同じだよ」
「【キューティー☆レモンちゃん】さんな? ほぼ一緒、でしょう? 完璧に同じやつを教えてほしい」
「まぁいいけど……そういうのは食べてみてから言うもんじゃないのか」
「いいの、味の問題じゃないから」
じゃあどういう問題だよ、と突っ込みそうになったが、部屋に積まれた大量の洗濯物が目に入る。
ハルに悪いので、俺は会話を切ってそちらに向かった。
「手伝います、ハルくん」
「いいですよゆーりさん、今日のポンコツアニキに代わって料理もしてもらったし。ほんと兄貴どうしちゃったのって感じっすよ。 まぁ座って休んでてください。カレーもウチで食べていくでしょう?」
ったくこの紳士め!この辺の地域に住んでる坊主頭の中で1番モテるんじゃないか我が弟は。
健康的な小麦色に日焼けしてて、体格も嫌味にならない程度にガッチリしている。親父に似て目鼻立もくっきりしていて精悍だし、野球部では4番サードのレギュラーだ。
俺は黙ってその場に座り、洗濯物を畳む作業を手伝った。
「いやぁ、ゆーりさん。兄貴にはもったいないなぁ」
ちらりとハルの顔を覗く。
こ、このクソエロガッパ……水嶋の足を見ている……?
洗濯物を畳む動作で狡猾にカモフラージュしながらも、俺が愛してやまないふとももにチラチラと視線を送っている……! 姑息な猿め!
『野球以外には目もくれず、雑念や色欲を打ち消して邁進します』
そんな野球への忠誠を示す為に頭を丸めたんじゃないのか? お前の坊主頭は飾りなのか? それすらもカモフラージュだって言うのか? 性欲まで4番サードってかこのゲス野郎!
「何処に惹かれたんですか? いや、兄貴をバカにしてる訳ではないよ。 なんていうか兄貴の魅力って、同級生の女の子にはわからないというか、ウケない気がするんだよね」
そもそもの前提から違っているが、水嶋自身が恋人同士という設定を序盤から振り翳していた以上、それを貫いた方が円滑に進むように思えた。正直に言うと、悪い気もしなかった。
「そう!その通り!さすが相原家の次男!」
適当に答えておこうと思ったその時、隣室でアキとカードゲームをしていた水嶋が割って入ってきた。
「同世代の女子が相原慶太の魅力に気付くのは、もう少し先になるだろうね。今の時点で彼の魅力に気付いているのは、人の気持ちに敏感で感受性の豊かなゲイか、ここに居る優羽凛くらいだろう」
ひっかかる発言はあったが今は置いておこう。
本音かはわからないし、この状況をうまく乗り切る為の適当な発言かもしれない。
けれど、水嶋に一人の人間として正面から褒められる事はとても嬉しくて、なんだか照れ臭かった。




