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【祝】第101話〝起承『転』転転結〟


 「んー? 慶ちゃんどしたー? 」


 浴室から間の抜けたあいつの声が聞こえてくる。 正確に言えば、俺の声で、あいつの言葉が聞こえてくる。 俺は二十二万円の入った封筒を机の端に寄せ、声のする方に向かった。身体が強張って、ワックスがかけられた床で滑ってしまいそうになる。 握った拳に力が入った。


 どうして、すぐに気付かなかったのだろう?

 答えは簡単だ。 押し寄せてくる非日常に、頭が、心が、魂が麻痺していた。


 「水嶋」


 水嶋は脱衣所の壁に嵌め込まれているパネルから、浴室の照明を調整しているようだった。 その浴室では、相原家の風呂の五倍はあろうかという大きさの浴槽に、だばだばとお湯が注がれている。


 「んー? どしたぁ? ……あれ」


 「そこに座ってくれ」


 「え……? ど、どうしたの? 急に怖い顔して……」

 

 「そこに座りなさいっ! 」


 「なんなの、急に。 座りなさいって……」


 「座りなさいッ!! 」


 「はっ、はいっ! 」


 素直だ。やはり水嶋は、本気には本気で応えてくれる。こっちが本気だ、ということをしっかり察して受け止めてくれる。

 目の前で全裸の俺が、俺の顔色を窺うように眉を潜めて正座する。 そしてバスタオルに手を伸ばし、下半身を覆った。


 「……俺が何を言いたいか、わかるよな? 」


 「えっ……と……。 わ、わかんない」


 「本当にわからないなら、水嶋優羽凛は本当のバカだ」


 「え? 」


 「お前はバカだな。 どうしようもないバカだ」


 「は? ……だって本当にわからんもん。 バカバカって何回も言わないでよ」


 「バカだ」


 口を尖らせた水嶋の瞳に、鈍い反抗の光が灯った。


 「……ハァ? 慶ちゃんは人のことバカだなんて言えるほど賢いんですか? ねぇ、あなたも大層なバカですよねぇー!? 」


 「少なくともお前よりは賢いし、まともだよ」


 「……わけわかんない。 陰キャのくせに……。 そういう高圧的なのはやめたほうがいいと思うなぁ。 どういう目線でモノ言ってるか知らないけどさぁ! 」


 水嶋が立ち上がった。 下半身を覆っていたタオルが落ちる。 鬼のような形相で、俺の顔を覗き込むように睨み付けてくる。


 「お前に怒る権利はないんだよ」


 「なんなの!? 言いたいことがあるならハッキリ言いなよォ! 」


 「どうしてパイパンなんだよーーーッ! 」


 俺は絶叫した。

 水嶋はその声量に押されたのか、一歩後退した。

 言葉にした瞬間、堰き止めていた怒りが雪崩のように押し寄せてくる。


 「ぱい……ぱん? 」


 「どうしてパイパンなのかって聞いてるんだ! バカじゃねぇっていうなら答えてみろよ……! あぁ!? どうして俺の身体がパイパンなのかをよぉ! 」


 「ご、ごめん、ごめん、わからない! まず落ち着いて! ……ぱ、パイパンって何? 」


 「お前……。 嘘だろ? 正式名称も知らずにその行為に及んだのか……?」


 「なんなのぱいぱんって! 」


 「陰毛全剃り! 陰毛全剃りの事だよッ! 〝陰毛全剃り〟と書いて〝パイパン〟と読ませるんだこの世間知らずのポンコツ処女が! 」


 「あ。 あぁ……。 これの事か」


 水嶋は不毛地帯と化した下半身をじっと見つめ、ポリポリと頭を掻いている。

 信じられない。 『()()()()()()()()()』。軽すぎる。 あまりに軽い。


 「なんで剃った。 答えろ」


 「えー、最初はハサミで。 短く刈ってからは三枚刃のカミソリで剃り上げた」


 「……この流れで俺が全剃りの〝手法〟を聞いてると思ったのか? 」


 「どうしてそんなに怒ってるの? さっぱりしてあげたのに」


 「おい、慎重に言葉を選べよ? 銃口を向けられてると思え。 何故剃った」


 「うーん、最初は、あぁ邪魔くせぇな! と思って、ハサミでカットしてて。 なんか止まらなくなっちゃって……。 しゃらくせぇっ! って気分になって、カミソリで一気に」


 「邪魔くせぇだの、しゃらくせぇだの、なぁ、そんなに軽い気持ちで他人様の陰毛を剃り上げたのか……? 」


 「ごめんて」


 「嘘でもいい。 嘘でもいいから正当な理由があったと言ってくれよ。 せめて……やむに止まれない、正当な……」


 「引火して」


 「……は? 」


 「遊んでたら引火しちゃって……。 焼け野原になったから、証拠隠滅に……」


 「嘘でも本当でも笑えねぇよ……」


 からっぽだ。

 心にぽっかり穴が開いて、中に詰まっていた思い出とか、風情とか、情緒とか、そう言った柔らかい質感の気体が瞬く間に抜けて萎んでしまう錯覚に陥った。

 このからっぽになった心に何を詰めればいいのだろう? そんな風に躊躇っている間に、心の穴へ怒りがだくだくと流れ込んでいく。


 「あの、ごめん、そんなに大事なものだった? 別に誰に見せるわけでもないし、すぐに生えてくるだろうし……。 すっごい絶望感が滲み出てるけど、私には——」


 「月に一回、相原家はみんなでスーパー銭湯に行く。 俺の数少ない楽しみの一つだ」


 「あ、そうか。 大衆浴場は入れないね。 おちんちんの毛がないって、タトゥー入れてるようなもんだもんね。 ……それはまぁ、残念だけどさ。 ほら、すぐ生えてくるからっ! 」


 「いつからだ」


 「初日の夜……。 ふふっ」


 「……え? もしかしていま思い出し笑いしたのか? 二度と微笑むことの出来ない顔面にしてやろうか? 拳で」


 「あれ? でも待って。 下の毛がないと銭湯に入れないなんてルールはないよね? というかむしろ、無い方が清潔だよね? 」


 遊園地に行ったときも。

 二人で夕暮れの観覧車に乗ったときも。

 夜の帰り道を理由もなく往復したときも。

 公園でサンドウィッチを食べたときも。

 変わり者の友達や、謎の刑事さん達と手に汗握る駆け引きをしたときも。

 笑い合った時間も、語り合った時間も、互いの思いに気付いた瞬間も——。


 「お前はずっと、パイパンだったのか——。 」


 「まって、え、なんで!? こんな事で泣かないでよ! そんなにショックなこと!? ただ一時的におちんちんの毛を失っただけだよ!? 」


 「自分にとって大切なものは、他人から見たらゴミだったりする。 残酷だけど、それが人間の価値観なんだよな。 あぁ……。 そう教えてくれたのは誰だったっけなぁ」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 喋りながら、思い出していた。 あれはまだ小学校低学年の頃の話だ。

 通っていた小学校のそばに、親父がしきりに「絶滅危惧種」と表現していた、小さな駄菓子屋があった。

 ただの民家にしか見えない店の奥には、ちょっと目を離した隙に死んでしまいそうなお婆さんが座っていて、欲しい駄菓子を持って行くと、値段だけを吐き捨てるように呟いてくる。


 「これと、きなこ棒ください」


 「百円ね」


 俺が一番好きだったのは、きなこ棒と呼ばれる駄菓子だった。 麻雀牌くらいの大きさの砂糖菓子が爪楊枝に刺さっている駄菓子で、適度に水分を飛ばした餡子のような食感と、きなこと砂糖の絶妙な風味がたまらなく好きだった。


 「これ、本当にあたり入ってるの?」


 俺は駄菓子屋のお婆ちゃんの前できなこ棒を食べ、爪楊枝を掲げながら尋ねた。

 砂糖菓子が刺さっている爪楊枝には、稀に先端が赤く着色された『当たり』があって、それをお婆さんに渡すと、きなこ棒をもう一本貰えるシステムがあったのだ。


 「そのうち当たるよ」


 俺は一度も当てたことがなかった。 滅多に来ない駄菓子屋で、きなこ棒のくじに挑戦できるのは一回だけ。 百円玉を握りしめてお菓子をチョイスしていく中で、『きなこ棒を複数買う』という選択肢はなく、出来る限り多くの種類を楽しみたいというのが俺の心情だったからだ。


 「——このお店、なくなっちゃうからね」


 ある日、百円分の駄菓子を卓上に置いた俺に、お婆さんはそう言った。 悲しそうでもなく、寂しそうでもなく。 合計金額を吐き捨てるみたいに、お店を畳むことを教えてくれた。


 「どうして?」


 「お婆ちゃん、もうたくさん働いたから、休みたくなっちゃってね」


 「……そうなんだ。 あ、きなこ棒も」


 「百円ね」


 ショックだった。 百円という限られた金額の中で、時間をかけて駄菓子を選んでいた高揚感。 きなこ棒を口に入れてから爪楊枝の色を確認するまでの緊張感。

あの艶かしくキラキラした時間たちが、人生から弾き出されてしまった、という寂しさでいっぱいになった。 もう二度と戻ってこない、取り戻せないもの、という予感を幼いながらに受信してしまったのだと思う。


 (これが最後のきなこ棒になるかもしれない)


 お婆ちゃんの差し出した厚紙の箱から、一番手前のきなこ棒を選んで取り上げる。


 (頼む、あたってくれぇ!)


 ……やっぱり、当たらなかった。

 口の中に甘味が広がり、きなこの風味と落胆の息が鼻から抜ける。

 

 「だめかぁ」


 「はい、当たりね」


 「……え? 」


 「そのうち当たると言っただろ」


 お婆さんは俺の手から爪楊枝を取り上げると、箱の中のきなこ棒を一本つまんで差し出してきた。


 「当たってない。 爪楊枝の先っぽ、赤くなかったよ」


 「秘密にしていたけどね、先っぽが赤いのだけが当たりじゃないんだよ」


 「……そうなの? 」


 「あぁ。 今のは当たりだった」


 「……いいの? 」


 「いいもなにも、当たったんだから、もうおまえさんのだよ 」


 受け取ったきなこ棒を食べた。

 一日に二つ食べたのはそれが初めてだった。 当たり外れの事など考えず、ただただ無心で二つ目のきなこ棒を口に入れる。

 すると、ゆっくりと引き抜いた爪楊枝の先が、赤く染まっていた。


 「……あっ!? 当たったぁっ! 」


 「あら運がいい。 おまえさん昨日、何か良いことをしなかったかい? きっと今日は神様がついてくれてんだね」


 お婆ちゃんは今まで見たこともないくらいに顔を皺くちゃにして、三つ目のきなこ棒を差し出してくる。

 俺は初めて出た当たりを見て、踊り出したくなるくらい胸が弾んでいた。 先端を赤く塗っただけの爪楊枝が、この駄菓子屋の中で一番価値があるものみたいに思えた。

 

 「ほら、取りな。 また当たるかもしれないよ」


 「もう大丈夫」


 「……何が 」


 「一つ当たったから、もう大丈夫」


 「二つ当たったら二つ貰えるんだよ」


 「ううん、いらない」


 「なんだ。歯でも痛くなったか」


 「きなこ棒じゃなくて、この当たり棒を持って帰る」


 「ただの爪楊枝だよ」


 「お婆ちゃん、今までありがとう。 とっても楽しかった。 元気でね」


 自分の口から出た言葉に驚いた。 なんだか身の丈に合わない、大人びた言葉を口にしてしまったような気がしたのだ。

 お婆ちゃんは急に黙りこくってしまって、また今まで見たことのない表情で固まっていた。 俺はその時、なぜだかお婆ちゃんに怒られるような気がして、目を合わせられないまま『またね』と呟いて踵を返した。


 「元気でなぁ」


 その声に振り返ると、お婆ちゃんは片手で口元を覆い、もう片方の手を振っていた。 俺は怒られなかったことにホッとして、爪楊枝を握りしめた拳を力の限り振り返した。

 それから家に帰ってすぐ、消しゴムのカスで作ったねりけしの台座に当たりの爪楊枝を突き刺し、勉強机の上に飾った。 その様はまるで、選ばれた者にしか抜くことのできない聖剣エクスカリバーのようだった。

 

 「——慶太ごめん、ほんとごめん。 ゴミかと思って……」


 次の日、学校から帰ると捨てられていた。

 何かの拍子で床に落ちていたらしい。

 消しゴムのカスで作ったねりけしが転がっていて、そこに爪楊枝が刺さっていた。 俺にとっては駄菓子屋の思い出でありお婆ちゃんとの絆でも、母ちゃんから見れば、ゴミにゴミが刺さっているという認識しかできなかったのだろう。

 当時の俺は怒り狂った。 大粒の涙をボロボロ流しながら絶叫した。 当時も実は、理屈ではわかっていた。 母ちゃんから見れば、俺の聖剣エクスカリバーは、ゴミが刺さったゴミにしか見えなかった、という事実は痛いほど理解できていた。しかし、それでも譲れない何かがあった。

 

 俺と共に歩み、成長を共にしてきた陰毛。

 辛い時も、悲しい時も、一番近くで見守ってくれていた陰毛。 俺が俺自身になるためにすくすくと育ってくれた陰毛。 俺にとって大切な陰毛は、水嶋にとってはモジャッとしてるだけの不潔なゴミだった。 それだけのこと。


 ——あの時同じだ。 頭では理解できても、怒りの感情を止めることができない。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 「慶ちゃん? ねぇ慶ちゃん、棒立ちで目を閉じながら涙流すのやめて」


 「わりぃな、水嶋……! 頭では分かってる、ただな、俺はお前を許すことができそうにない……」


 「ちょ、そんな下唇噛んだら千切れちゃうって! 私の下唇だよそれ! うっわぁ血! ちょっと血が出てるじゃんよ! 」


 「水嶋……! 離れろ……! 離れてくれっ! 俺はお前を殺したくないんだ……! 」


 「わ、わかったわかった! ごめん、この通り、申し訳ありませんでしたっ! お願い気を鎮めて、もう二度としない! 」


 「ウォォォォ……! 」


 「ウォー、じゃなくて! わかった、なんなら私の毛も全部剃っていいから! パっ、パンパイ? にしていいから! ねっ! 」


 「俺は自然のままが好きなんだよッ! 」


 「あ、そうなんすか……。 覚えときます……」


 「風呂だけは入らせてやる。 上がったらここを出るぞ」


 「ええっ!? なんで!? せっかく入ったんだからゆっくりして行こうよ! いくら払ったと思ってるの!? 」


 「じゃあ一人でここに居ればいい。 俺は帰らせてもらう。 しばらくお前の顔は見たくない」


 「怒りのスイッチが変なところに付いてた……」


 俺は脱衣所を出て、荒々しく戸を閉めた。

 金が置いてあるテーブルに向かい、封筒の重みを確かめる。心を鎮めるためにまた諭吉を数える事にした。


 「——二十一、二十二……と。 フゥー、よし。 一、二、三、四、五……」


 四回目を数え終え、五回目に差し掛かった瞬間、机の上のスマホが震えた。 紫苑さんだな、と直感して画面を見たけど、表示されていたのは【アイカ☆】だった。 連絡先を交換した覚えはないが、ついさっき紫苑さんが開設した祥雲寺メンバーのトークルームから発信してきたのだろう。


 「……なんだ? スルーでいいな」


 祥雲寺エリアでレム駆除の部隊長をしている女子高生のアイカ。 本名は柊木(ヒイラギ)藍華(アイカ)、紫苑さんが家庭教師を担当している、ということが発覚したが、それ以外のプライベートな情報はほとんど何も知らない。

 奴は外見や喋り方的にはギャル(幽体でしか見たことはないが)なので、イキり陰キャの俺に電話でもかけてからかってやろう、くらいのノリだろう。


 「七……八、九、十、十一……あれ? 今は紫苑さんが家庭教師に来てるって言ってたような……。 終わったのか」


 風呂の方から水嶋の歌声が聞こえてくる。 明らかにドアを全開にしている音量だ。

 アイカからの呼び出しを二回無視して、一分も立たないうちに三度目の振動が始まった時、急に嫌な予感に襲われて、慌ててスマホを手に取った。


 「もしもし」


 【け、け、け、ケイタくん】


 「どうした? なんかあった? 」


 【あ、あれ。 だれ? 】


 そうだ、今の俺は水嶋の声なんだ。


 「今、慶太ちょっと外してて。 なんかありました? 」


 【ケ、ケイタクンを、よ、お呼びです】


 「誰が。 紫苑さん? 」


 【ぴ、ぴぴ、ぴ】


 「いや本当にどうした……? 何があった? 誰が呼んでるって? 」


 【ぴ、ぴ、ぴすとる、ぴすとる、ピストルを、お持ちの、方】


 ピストルを、お持ちの方?


 【おい、代わってくれ。 ……あっもしもーし、相原慶太くんですかー? ちょっと会いたいんだけど、今どこー?】

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異世界転生チーレムギャグ小説も書いております。 『始まりの草原で魔王を手懐けた男。』 ←よかったらこちらも覗いてみてください!
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