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『ログインボーナスのコンドーム』


 買い物カートを駐車場の隅っこに放置して、俺たちは異世界へのゲートをくぐった。

 ロビーの中央には巨大な南国風の観葉植物が、天井に迫る勢いで葉を広げている。その周りを囲むように、商品らしき様々な小物がディスプレイされていた。

 シャンプーのようなボトルの中に奇妙な色の砂が入っていたり、得体の知れない棒切れが数本入った包みがあったりする。 それらの商品に共通する特徴は、パッケージに日本語が一文字も書かれていない、という点だ。


 「慶ちゃん……。 予想外の光景だよ」


 水嶋は商品に歩み寄り、謎の箱を手に取って呟いた。 俺もまったく同じ感想を抱いたので、水嶋とは色違いの箱を手にとって肩を寄せる。


 「ここは本当にラブホテルなのか? ラブホってもっとジメジメしてて男女の生々しい欲望が滞留してる、すえた匂いの立ち込めた泥沼空間じゃないのか? なんだこのアロマティックな芳香漂うオシャレ空間は」


 「ちょっと早口すぎて聞き取れないんだけど」


 「おいフロントに人がいるぞ……? みんなセックスしに来るってのに、まずはアイツとコミニュケーション取らないと部屋に辿り着けないのか? 無人の自販機みたいなフロントでボタン押したらコロッと鍵が出てくるプライバシー保護システムじゃないのか!? 」


 「んあぁっ! うっさいなもう! ……ここって値段も高いからそこらのラブホとはコンセプトが違うのかな。 とりあえず舐められないように、ここの商品何個か買っとく? 」


 「バッカ野郎。 このバカ野郎っ! 入り口にこれ見よがしに並んでる商品を即買いだと? こんな罠に引っ掛かってみろ、童貞処女コンビだと一発でバレるぞ。 いいか水嶋、もう〝選別〟は始まってるんだ」


 「その焦りようを見られたら選別終わりそうだけど」


 水嶋は横目で俺を見て、大きく一度頷くと、商品の置かれている棚を回り込んでフロントに向かった。 あまりに滑らかで堂々とした歩みに戸惑いつつ後を追っていく。 本当にコイツは肝が座っているなぁと感心したけど、俺の身体を使ってるから捨て身で動けるだけだな。 冷静に考えればこの女は最初から今までずっとそのスタンスだ。


 「あー、さっき予約の電話をした相原ッスぅ……」


 ……なるほど、気怠そうな感じで攻めるのか。たしかにそれなら初心者には見えないかもしれない。 いや、しかし、これは……。


 「お待ちしておりました。 相原様でございますね。 はい、スウィートプリンセスルーム、デイユースのご予約で承っておりますので——」


 そこから水嶋とフロントに立っている男性の会話が続くも、まったく頭に入ってこない。 二人の声が耳から入ってきても、言葉が脳に届く前に蒸発して跡形もなく消えてしまう。 顔面が熱い。 脳味噌が沸騰しているのだ。


 「……ん? おい、どうした慶子。 顔が真っ赤だぞ? ったく……。 処女じゃあるめぇし。 なんてな! ガハハッ! 」


 恥ずかしくてたまらない。 今俺たちはじっと見られている。『真昼間から恥ずかしげもなく交尾をおっぱじめる若い男女』として、フロントの向こうにいる男に見られている。


 「おい慶子、聞いているのか? 先払いらしい……じゃなくて、いつもの通り先払いだぞ。 オラ金出せ」


 「あ……あ……。 」


 どうしてだろう……声が出ない。


 「おい慶子ぉ……! どうしたんだよ一体。 ほら、はやく金を出せよ。 お前がさっきヒョロガリのおっさんから巻き上げた金をよォ」


 「う、あぅ……」


 「あぅ〜、じゃねぇだろ。 アニメキャラかお前は。 早く金を出せ! そろそろ張り倒すぞ」


 フロントにがっつり聞かれている。

 このまま水嶋を自由に喋らせていたら通報されてしまうのに、あまりの恥ずかしさに声が出ない。


 「んだよヒヨってやがんのかこのチキン野郎! ホラさっきの封筒出せっ! あっ、抵抗すんじゃねぇこのっ! おらぁっ! 」


 水嶋は俺のケツポッケから強引に封筒を抜き出した。 俺はあまりの恥ずかしさから、しゃがみ込む以外の選択を取れなかった。 両手で顔を覆い、顔面の熱を少しでも掌の方へ逃がそうと試みる。


 「ワリィすね、この女いつもこうなんスよ〜。 ハハハッ! じゃあこれ、二万円……お釣りは要らないッスから」


 「……いやお釣りはいるだろバカ! 」


 金が絡んでやっと声が出た。 俺が貧乏だからじゃない、資本主義に支配された悲しい現代人の習性だろう。

 水嶋はヒュウ、と短い口笛を鳴らすと、やれば出来んじゃん、と言わんばかりの表情で肩を小突いてきた。 カウンターでボディブローを入れようとしたが、肘で巧みにガードされる。


 「よし、やっと温まってきたみたいだな慶子。 さぁて、この続きは503号室だ。 ショータイムの始まりだぜぇ! 」


 503号室の鍵を掲げて踵を返した水嶋の背中に全力の右ストレートを叩き込む。


 「うぐぅっ! 」


 俺はカウンターに向き直って丁寧にお辞儀をし、『もう大丈夫です』とよくわからない宣言をしてカウンターの兄ちゃんのご機嫌を伺った。 苦笑いしていたので、通報される事はなさそうだ。


 「どうして殴るの? 私かなり上手にラブホ慣れした男を演じられたと思うけど」


 「もう喋るな。 この手を血に染めたくない」


 エレベーターの中で他のカップルと鉢合わせたら地獄だな、という懸念は無事杞憂に終わり、俺と水嶋はついにラストダンジョンの扉へと手をかけた。


 「おぉ……。 すごい! きれい! 」


 本当に綺麗だ。 扉を開けた先の短い廊下は、天井の照明を鏡写しにするほど光沢がある。 右手にクローゼットらしき扉、左手には洗面所やトイレに繋がるであろう扉。 水嶋はそちらの扉を勢いよく開けて中を覗き込んだ。


 「いやっほぅ! 慶ちゃん見て、鏡でっかーい! 洗面所がおしゃれ! 」


 「落ち着け水嶋! ……ここはラブホだ。 どんなにおしゃれでも、機能性が高くても、あらゆるスペースが戦場としての歴史を持つ」


 「……はい? 戦場って? 」


 「例えばお前が驚いたデカい鏡とお洒落な洗面台。 売れ線のAVの中でもな、こういう洗面台の淵に女優が手をかけて、後ろから男がこう……ハンディカメラを持ちながら腰を振って、鏡越しに女優の顔を撮るっていう手法が散見される。 あとはシンプルに座らせて、前からこう……。 とにかく家の風呂や洗面所とは異質のエネルギーを感じないか? この503号室に存在するあらゆるギミックは、毎日のようにエロと直結して、肉体と肉体、魂と魂がぶつかり合う戦場になっているんだ」


 「無料エロ動画で蓄積させた知識を遺憾なく発揮してくるじゃん」

 

 「驚くのはここからだ! いいか、俺は、俺はな……。 この洗面台を見たことがある気がするんだ……! 正確に思い出すことは出来ないんだけど、確かにここで、名も知らぬ男と女が全裸で魂をぶつけ合っていた記憶……。 あれは素人モノか……!? 」


 「ねぇ、どうでもいいけどエッチな動画見るのは浮気にカウントされるんだからね 」

 

 「いや正直、その作品のタイトルも女優の顔も思い出せないけど、図らずも聖地巡礼になってるって事だよな……? これもまた巡り合わせってやつなのか」


 「耳にピンクローターでも詰まってんのかコラァーッ! 」


 そこから水嶋は室内にある一通りの設備に目を輝かせ、嬌声を上げ続けた。 俺は一歩引いた位置からそれを眺めていたけど、水嶋が天蓋付きのベッドに飛び込んだ瞬間にリミッターが外れ、後を追うように同じベッドへとダイブした。

 二人で広いベッドに寝転がる。 水嶋は枕の上にあるスペースをゴソゴソ探って、小さな四角いパッケージを眼前に掲げた。


 「見てみて慶ちゃぁん! コンドーム! 無料配布のコンドームだよぉ! はぁ〜初めて見たぁ。 これがいわゆる……。 ログインボーナスのコンドームかあ 」


 「なんでソシャゲに引っ掛けてんだよ」


 「これ着けたことある? 」


 「あるわけないだろ、こちとら童貞だぞ」


 実はある。 うまく着けられなくて一つ無駄にした経験までセットである。

 練習でつけた事があるという事実がこの怪物(モンスター)にとってどれだけの餌になってしまうか、直感で嗅ぎ取った結果の嘘だ。


 「へぇ〜……。 ちょっと着けてみようかなぁ。 練習で」


 「お前が練習する必要はないだろ」


 「……ねぇ、これってさ。 自分でつけるものなの? 男の人が、こう……デュエルの途中で、『ちょっとタイム、装着するわ』みたいな? 」


 「デュエルって言うな。 ……でもまぁ、もうちょっとスマートに装着するんじゃないか。 なんつうかこう……片手でスッ、みたいな」


 「……ふぅん」


 「女性が着けてほしいと思った時には、もう着け終わってる、みたいな」


 「……そうなんだ。 こっちが着けてあげるものかと思ってた」


 「………………。」


 「………………。」


 「ま、まぁ……。 そんな思想があってもいいんじゃないか」


 「なんで半笑いなの? 」


 俺はベッドから上半身を起こして例の封筒を取り出した。 改めて手に取ってみると、やっぱり分厚い。 ベッドサイドには一対のソファと小さなテーブルがある。


 「よし。 諭吉達よ、点呼を始めるぞ……! こっちが精神を持っていかれないように注意しないとな」


 封筒をテーブルに置いた時。

 突然、背後から殺気を感じた。

 違う。感じた時には、抱きしめられていた。


 「けっ! 慶子ぉっ……! 」


 「え? ……ふへぇっ! うっ、うわぁあぁああ! 」


 生物としての防衛本能が発動し、俺はテーブルから飛び退いた。……水嶋から視線を切らず、壁を背にして臨戦態勢に入る。

 

 「どうして俺の耳を甘噛みした……? 」

 

 「わっ、わからないっ……! なんか……オスとしての本能? が勝手にっ」


 「それ以上動くな水嶋っ! 俺に……この身体に指一本でも触れてみろ……。 このリモコンで殴打するぞ! 」


 水嶋は自分の両手を数秒見つめると、何故か天井を仰ぎ、ふふっ、と声を漏らした。


 「……ふっ、ハハ。 ハハハ! 」


 「……何がおかしい! 」


 「そんな細いリモコンで僕を倒せるとでも? 力士でも無理だろう」


 「……おい近づくな! お前な、よく考えろ! たとえ俺の身体で男としての性欲がムラッと湧き上がってきたとしても、今襲おうとしてる相手は誰だ!? このビジュアルをよく見ろ! 水嶋優羽凛だぞ!? お前自身なんだぞ! 」


 ——あ、犯される。

 水嶋の不気味な半笑いを見て直感した。  


 「くっ、来るなァァァア! 」


 水嶋の上半身が視界から消えた刹那。

 タックル、下半身、というワードが脳内に灯る。 考えるよりも早く、手に持ったリモコンを獣の頸動脈に突き立てるイメージを展開。 その電気信号が脳髄から全身へと駆け巡り、指令を受けた筋肉が躍動する。


 「っしゃおらぁ! 」


 リモコンを振り下ろした先に。

 ——水嶋の姿はなかった。

 まさか……上か!?

 とっさに上を見る。居ない。


 「頼む……。 慶ちゃん、エッチなことをさせてくれぇ……。 さきっぽだけ、さきっぽだけだからぁ……! 」

 

 下だった。

 ——タックル? 否、土下座である。

 しかし驚くべきは、俺が水嶋を見失っていた一瞬でズボンを脱ぎ捨て、パンツ一丁になっている事だ。


 「……おもしろくないぞ」


 「笑わせにかかってる訳じゃない」


 「……ちょっと冷静になれよ。 普通に考えておかしいだろ」


 「私はただの好奇心で言ってる訳じゃないんだよ慶ちゃん。 ……ったく、そっちこそ冷静になったらどう?」


 ……え? 何コイツ。 やばくねぇか頭。

 土下座してさきっぽだけとか狂った事言ってた奴がなんでちょっと喧嘩腰でマウント取りに来てるんだろう。


 「……おう、じゃあ冷静に話してくれよ。 まずは『さきっぽだけ』とかいう謎の発言について」


 「さきっぽだけというのは、さきっぽだけおちんちんを入れさせてくれ、という意味で言ったんだよ。 そして『さきっぽだけ』といいつつ、なし崩し的にさきっぽだけじゃ終わらない展開に持っていく打算が込められた言葉でもある」


 「冷静に話してくれてありがとよ。 今すぐ俺の視界から消えな」

 

 「違う! これはね、私一人の問題じゃないというか……。 私が個人的に気持ちよくなりたい訳じゃないんだよ 」


 「女の俺を強引に気持ちよくさせてネコ的な快楽を忘れられなくさせてやろうって魂胆か? 俺が男に戻ってもネコの快感を思い出して悶えてしまう身体に調教しようって事だろ。 このゲス野郎が」


 「違うよ。 そんなこと思ってない。 慶ちゃんがホモと化したらコバに取られちゃうし……」


 「『ホモと化す』なんて、ホモをバケモノ扱いするのはやめろよ! 大体お前は、自分の身体とエロい行為をするのに抵抗とか感じないのか? 」


 「もちろん感じるよ。 けれどこれはね、消去法で決まったの。 私の性交相手をさえちゃんにやらせる訳にはいかないでしょう? シオンとかいう絶好の淫乱女がいるにはいるけど、あいつは絶対やだ。 慶ちゃんの身体でエロい事するには、自分の身体を犠牲にするしかないし、それが最善の選択なんだよ」


 「お前は男の身体でセックスする事を誰かに強要されてんのか? 俺を犯す前に訴訟しろよ」


 「もう! なんでわかってくれないの? めんどくさいなぁ……」


 「あ? めんどくさいのはどっちだよ。 俺はリーダーとして諭吉の点呼を取らなきゃいけないからおとなしく寝てろ、いいな? 」


 俺は改めてソファに座り、茶封筒をテーブルに置き、両手を合わせて礼をした。

 茶封筒から札束を取り出したタイミングで耳に息を吹きかけられたので、ノールックでみぞおちあたりに裏拳を打ち込んでおく。背後の怪物は「ぐぉお」と怪物らしい呻き声を上げてベッドへ倒れ込んだようだった。


 「一人、二人、三人、四人……」


 テーブルに真顔の諭吉が並んでいく。

 六人並べた時、俺は気付いた。これは十万円どころでは無い。

 

 「慶ちゃぁ〜ん、いくらあったのー? 十万どころじゃなかったでしょ」


 二十二人の諭吉。

 実に四十四の知性的な瞳が、卓上から俺をじっと見つめていた。


 「水嶋ぁ。 今日は朝まで踊ろうかぁ」


 「えっと、にじゅうに……か。 三万円くらい崩してるもんね。 やっぱりかぁ、二十五万も入ってたんだ。 警察って本当にバカだね。 慶ちゃんなんか二、三万チラつかせれば余裕で堕とせるのに」


 「……ぐすっ、ひぐっ! ……うぅ……。 おれ、おれ生きててよかったよぉ……。 水嶋ぁ……」


 「きっと天国のお母さんも泣いてるよ」


 「……よし、欲しいものを一つずつ、冷静に箇条書きしていこう……。 夢じゃないよな、これ夢じゃないよな? 」


 「ねぇ慶ちゃん、私も三万円出すからエッチさせてよ」


 「三万……? いや、お前の母ちゃんを泣かす訳にはいかないからな」

 

 そうだブレるな。万札から崩した分を合わせると、現時点で二十三万とちょっとある。 親父が背負った借金の今月の返済分を引いて、弟たちに好きなものを買ってやり、全員で寿司か肉を食いに行ってもお釣りが来る。


 「半分くらいは残しておいてよねぇ。 贅沢なデートするんだから」


 「贅沢なデートって? 」


 「映画館で仮眠とか? 」


 「……贅沢だなぁ」


 「ま、いいや。 さてとぉ。 お風呂でも入るかぁ! 一緒に入る? 」

 

 「後で入る。 今はこの二十二人の諭吉と、まっさらな心で見つめ合っていたい」


 振り返ると、すでに水嶋は全裸だった。 ベッドの上で片手を腰に当て、顎を引き、西洋の彫刻みたいにポーズを決め込んでいる。


 「……さっさと行ってこいよ」


 水嶋は何故か舌打ちをすると、ベッドから飛び降りて風呂へ向かった。

 俺は改めて諭吉と二十二対一になり、目を瞑って拝んだ後、一枚ずつカウントしながら丁寧に重ねていった。 風呂場の方から歌声と水の音が漏れてくる。


 「十一、十二、十三、十四……」


 金はいい。 金を数える、という行為はどうしようもなく下品でいやらしい心地よさがある。

 首から上が放熱していく感覚。

 天使が優雅に羽ばたき、抜け落ちた一本の羽が水面に落ちるように、心がすっ、と落ち着いていく。

 

 ——パシャン。


 凪いだ水面に石が投げ込まれた。

 波紋が広がり、浮かんでいた天使の羽が揺さぶられる。 ……頭の隅に引っ掛かった違和感。 この感覚は一体なんだろう。

 

 ——何かが足りない?

 ——俺から、何かが抜け落ちている?


 「み、水嶋ァーッ! 」

 

 その違和感の正体に気付いた瞬間、俺は大声で叫んでいた。

 

明日、次話投稿します。

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異世界転生チーレムギャグ小説も書いております。 『始まりの草原で魔王を手懐けた男。』 ←よかったらこちらも覗いてみてください!
― 新着の感想 ―
[良い点] 祝・100話目 そんな100話ですが 二人は初ラブホで漫才という通常運転(?) 締めにシリアスを醸し出してたが 言い出したの慶ちゃんだしなーと そんな二人の物語が大好きです これからも楽…
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