相原家へようこそ!
買い物を済ませてスーパーから出てくると、小学校低学年くらいの男の子達がベンチを跨いで向かい合い、カードゲームに興じていた。
水嶋は片方の男の子の後ろに立って、手札を覗き込みながら何やら指示を出しているようだ。
「うるさいなぁ、誰だよお前! ルール知らないくせに口出すなよ!」
「えー!? だってこのカードのモンスターすごい強そうじゃん! 相手が出してる気持ち悪いピエロみたいなやつなんて小指で殺せそう! 早く出しなよ! ほら、ほうらっ、早くぅ! 」
子供に怒られている。そしてそれに対抗してもみ合っている。
水嶋は俺に気付いて駆け寄ってくると、「すまん、ちょいと熱くなっちまった」と言って小学生たちを睨みつけた。 「死ね」「どっか行けキモいんだよ」等のストレートな罵声を浴びせられている。
「ルール知らないくせに口出すなよ」
「だってあの子バカなんだもん、強そうなカード出さないんだよ」
「おい素人は口を慎め。 小学生なりに勝負の駆け引きってもんがあるんだよ。……あと、俺の身体で何やってもいいと思うなよ?」
「へいへい、ほれ。予定表書きましたよ」
俺は差し出された紙を開いた。
◇
出されたご飯を食べる!
お風呂に入る!
勉強する(フリでも可)
寝る!
◇
メガネを掛けたうさぎのキャラクターが指示棒のような物を持って「ビシィ!」とやっている可愛らしいイラストが添えてあった。
「舐めてんのかオイ」
「だって本当の事ですから。本題は裏ですよ裏」
裏面には家の間取りと、簡単な部屋のスケッチが描かれていた。無駄に絵がうまい。
二人で相原家のアパートに向かいながら、俺は水嶋の説明を受ける事になった。
基本的には二階にある妹と共有の部屋に籠っていればいいらしい。予定表の裏面には、水嶋専用のタンスや勉強机、使うシャンプーや歯ブラシの色まで事細かに記されている。
「私は相原くんの姿で帰るわけにはいかないからね。ちょっとした騒ぎになっちゃう」
ちょっとした騒ぎはウチでも起きるだろうな。
「うっはぁ、めちゃくちゃ楽しみだなぁ、相原くんの家に泊まるの! 弟と遊びたい! お父さんとお酒とか飲んでみたい」
水嶋の尋常じゃない精神力はどこから湧いて出てくるんだろう? 絶対脳に異常あるだろこいつ。
こちとら不安で頭がおかしくなりそうなのに、水嶋はどこまでこのテンションを保つつもりなのだろうか。
「相原くんの弟って、名前なんていうの?」
「中学生の次男が春人で、小学生の三男が秋仁。ハルとアキって呼んでる」
「相原くんだけ季節外れの仲間外れだね」
「夏も冬も嫌いだから慶太で良かったよ」
「相原くんはどの季節が好きなの?」
「梅雨」
「あーっ、ぽいぽい。 相原くんっぽい」
水嶋は飛び跳ねるように隣を歩いている。水嶋家が生んだ怪物は、昂ぶる感情を内に秘めておく事ができないのだろうか。
「相原くん、ちょっと何か質問して」
「え? 質問? どういうこと」
「私、投げられた全ての質問に相原慶太っぽく答えられると思う」
おかしな提案をしてきたと訝しんだが、意外とこれからの展開においては重要な要素になるかもしれない。 ここまで俺も絡んでくる人達に対して「水嶋っぽい」返答が出来なくて戸惑った状況もあったし、割と理に適った予行練習になりそうだ。
「よし、じゃあ……。 好きな食べ物は?」
「バッタを甘辛く煮たやつ」
「……最近、何か楽しいことあった?」
「楽しい、という感情がわからない」
「普段何してるの?」
「星の数を数えてる」
「……弟が二人いるよね? 名前はなんて言うの?」
「次郎と三郎」
「おい一郎、まさかお前のようなとんでもない人格が現れるとはな。 この話はもうやめにしよう」
「一郎? 僕は慶太。 相原慶太。 好きな季節は梅雨だ」
そうこうしているうちに、アパートに到着した。
「ボロアパートだね、梅雨太くん」
「誰が梅雨太だ。あと見たままの感想を口に出して許されるのは小学生までな」
俺は水嶋の持っている自分の学生鞄から家の鍵を取り出す。家の中でドタドタと玄関に向かってくる足音が聞こえた。
ドアを開けると、三男のアキが玄関先に待ち構えていた。
「慶ちゃん遅かった!もう五時だ……よ……?」
アキは水嶋の姿を見て、開いた口が塞がらない様子だ。
「ハルー!遅くなってごめんなぁ!元気だったかぁ!?」
水嶋、そいつはアキの方だ。
「俺のガールフレンドを連れてきたぞ! 優羽凛お姉さんだ! この子はカレーを作るのがすごく上手なんだよ、今日は優羽凛ちゃんが作ってくれるからな!」
「……慶ちゃんのカレーが食べたい」
完全に警戒している。 当然だ、俺が誰かを家に連れてくるのは中学生以来で、アキは小学校にすら上がっていなかった気がする。
「ふふん、今はそう思ってればいい。 この優羽凛ちゃんは、慶ちゃんと全く同じカレーが作れる程の料理上手だ」
「本当?」
アキが上目遣いで俺を見つめている。
「本当だよ。慶ちゃんに教えてもらって完璧に作れるようになった。頑張って作るから、お姉さんのカレー食べてくれる?」
「……うん」
「じゃあハ……アキ! 優羽凛ちゃんがカレー作ってる間に遊ぼう!何する? あ、宿題やった? 見てやるぞ!」
名前を間違えた自覚があって安心した。
アキは小学三年生。こう言ってはなんだが、多少兄貴のテンションがおかしくても、ある程度の誤魔化しが効く年齢だ。
水嶋に質問攻めを受けているアキを尻目に、俺はすぐさま台所でカレー作りに取り掛かる。
後方から聞こえてくる会話は殆ど水嶋の一方的な喋りに近かったが、一応、成り立ってはいるようだった。
しかし、俺がテキパキと野菜の下拵えを進めていると、話し声が散発的になり、とうとうテレビの音声しか聞こえなくなった。 ……背後に水嶋の気配を感じる。
「アキ、宿題終わってる?」
トマトの湯剥きをしながら、小さな声で尋ねる。
「終わってるってさ」
力の抜けた弱々しい声が返ってきた。
「遊んでやってよ。 俺、普段あまり構ってやれないから」
「アニメ見るってさ。 完全にシカト決め込まれてますわ」
振り返ると、背後で水嶋が亡霊のように突っ立っていた。がっくりと肩を落とし、悲しげな表情を浮かべている。
「アニメ見始めると外界が遮断されるからな、アキは」
玄関のドアが開く音、続いて「うぃー! ただいまぁ!」という、元気な声が響いた。 次男のハルだ。
「おっかえりぃ!ハルぅ!」
「えっ! あ、うん、ただいま……」
戸惑っている。かつてない異様なテンションの兄に迎え入れられたハルが、戸惑いを隠しきれずに狼狽している。
「えぇ!? だれ!? なにこれ! だれ!?」
その先に見えた自宅の台所で手際よくカレー作りに勤しむ女子高生に動揺している。
「ハル、聞いてくれ! 今日はな! 彼女を連れてきたんだ。 我が家のカレーを完コピした女、水嶋優羽凛ちゃんだ」
すごいな水嶋よぉ。 ハルと初対面だろう? どうしてそんなに自信満々で相原慶太を演じられるんだ? もしかして普段から練習してたのか? だとしたら一度俺に披露してくれた方が良かったな、残念ながら一ミリも俺っぽくないんだよ。
「あ、こんばんは。 わたくし水嶋優羽凛です。 今日はどうぞよろしくお願いします」
うまく喋れない。ここは住み慣れた我が家で、相手は実の弟なのに。
「あ、どうも……相原春人です……」
「ハル、皆に俺の彼女を紹介したいんだ。今日は優羽凛ちゃんのカレーを食べてみてくれるか?」
「ウソォ。 兄貴、彼女いたの? ……そんな話一度も……」
「兄弟とは言え、隠し事の一つや二つはあるだろう? 今日はその一つを、思い切って皆に打ち明けようと思ったんだ。 いつかは話さなきゃいけない事だしな。 アハハ! ハルも気になる女の子がいたら積極的に……」
俺はハルに見られないように、水嶋の脇腹に人差し指を突き立てる。「ひゃぁん!」という気色の悪い声を上げてこちらを振り返ってきた。
【女を連れてきてカレーを作らせてる時点で程々に異常なんだ、これ以上無駄に喋らないでくれ】
精一杯、眉間に皺を寄せて目で伝えると、水嶋はこくん、と頷いた。
「いや、何もカレー作らせなくてもいいんじゃ……ていうか、彼女の前ではそんなテンションになっちゃうのか? なんかキモいからやめた方がいいぞ兄貴」
ほらみろ、ハルくん思いっきり引いてるだろ? これだけド直球で苦言を呈されたら流石の水嶋さんでも芝居に修正が必要だってわかるよな?
「はぁ……いいかハル。人は愛を知る事で、一つ上のステージに上がるのさ」
いいから降りてこい。
「危ない薬でもやってんのか兄貴」
薬物使用を疑われてるじゃないか。
テレビに見入っていたアキがこちらを向いて「ハル兄おかえり。 ……怖かった」と呟いた。




