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隠者ヴァイ  作者: 周詞エッダ
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第二章 王グヴァン

第三節 ディクスンの憂鬱


異民族は長い間、実りを追って大陸を移動していく暮らしをしてきた。

春を追って大陸を移動する彼らはかつては春追いの民とも呼ばれ、広い大陸の森林を転々と移動していたのである。

だが、村々の人口が増え、田畑の開墾が行われるにつれ、森林は減少し、誰のものでもない実りも少なくなっていった。十分な収穫にありつけなくなった春追いの民はやがて所有者のいる領地にも足を踏み入れるようになり、次第に厄介な存在と見なされるようになっていった。

一番の転機となったのは、大陸を襲った日照りである。

どこまで行っても実りの森に辿り着くことができず、異民族は春追いの民から近隣の村落を襲う略奪集団へと姿を変えることとなった。

ディクスンは今でも夢に見る。

がりがりに痩せ、下腹ばかり膨れた女が髪を振り乱し、若い男の喉を掻き切り、その手に握られた小麦を生のまま貪り食う光景を。

その女は彼の母親だった。貪る小麦を口に頬ばったまま、彼女は死んでしまった。

人とは思えない幽鬼のような形相だったが、しかし、それは紛うことなく人だった。食べるものも食べられず、深更の冷気に眠ることも適わぬ旅路は人の姿を容易に変えてしまうことをディクスンは物心ついた時から知っていた。

死にたくない。

彼はずっとそう思って生きてきた。

死にたくないから俺は生きているのだ。

死の恐怖は彼の生きる理由だった。

だが、そんな理由を口にすれば、大人たちは眉をひそめ、ディクスンのことを怯懦きょうだだといさめた。

死にたくないから生きるのでは駄目なのだろうか。

「そんな臆病な理由で生きることを時は決して許さない」

母よりも生き永らえた祖父の弔いの席で、酔っぱらった大叔父からそうなじられたことがある。

俺は怯懦だ。

そんなことは知っている。

だが、それが何だというのだ。

理不尽な死を賜るくせに、それを恐れることの何が時は気に入らないのか。

俺は怯懦かもしれないが、生まれついての性は変えられないではないか。

俺を批判する資格がいったい誰にあるというのか。

恐怖はやがて激しい怒りとなり、敵対する者へと向けられた。

彼を詰って恥をかかせた大叔父は弔い日の翌朝に湖で溺死した。それが彼の初めての復讐だった。

ディクスンを脅かすもの。

それはもう一つある。

ゴグルである。

春を追うことをやめ、略奪を目的に移動するようになった異民族はもう一度姿を変える。先の頭目を殺して新たに民族を率いることになったゴグルは略奪品がない村落でも住民を殺戮するよう命じた。

これまでも抵抗されれば容赦なく命を奪ってはきたが、ゴグルの命令はそれとは質が違った。略奪のための殺戮ではなく、殺戮そのものが目的となったのである。

「大陸を統べるのだ」

とゴグルは言ったが、統べるために殺す意味がディクスンにはよく理解できなかった。

奪う物もないのに襲えば反撃されてこちらの命が危うくなるだけである。

それも理不尽ではないか。

生きるためには奪える物だけを奪った方がよいはずだ。

だが、そのことを口にした時、ゴグルはディクスンを怯懦と罵り、公衆の面前で横っ面を思い切り殴りつけたのだった。

だが、主が怒るのは怯懦だからではない、とディクスンは思っている。彼が望むのは彼のために命を惜しまぬ者だ。だから恐怖で支配しようとするのだ。命すら捨てよと。

己が敗者として死なないためにディクスンはゴグルの恐怖の支配に従っている。だが、彼がディクスンの命を危うくするのであれば、その時は考えなければならないだろう。


命を惜しむディクスンをゴグルが嫌っていることは知っていたが、それでもゴグルはことあることにディクスンを呼びつけた。ゴグルにはディクスンは必要なのである。

理由はわかっている。

車を扱える者はそう多くはいないからである。

ゴグルは生来短気で、過ちを犯した者を決して許さなかった。些細なことでも士気に関わるとして殺しては見せしめにしてきた。彼にとっては配下の過ちは集団を鍛える好機なのである。ゴグルは配下の過ちを見つけることに熱心だったし、時には過ちへと導くことさえあった。

結局、それは贄なのである。

時へ贄を捧げることで、彼は異民族を自分の権勢を誇る最強の道具に仕立てあげることに執心していた。

それに車も船も定員は決まっている。

席をてがうのは使える者だけでいい。

だが、何を基準に使えるか否かを決めるのか。

時にしてもゴグルにしても、その基準がディクスンには見えなかった。そのことが彼を神経症になるほどに追いつめている。

ゴグルの気紛れの懲罰は見境がなかった。ゆえに気付けば車を扱える部下がディクスンだけになっているのである。それは今のところディクスンが生き延びる方向に働いている。少なくとも彼の目に見える有用性は車を扱えることであり、車を扱える者が他に現れれば、次にほふられるのは自分だという自覚は常にあった。

ムジークを殺したのもそのためである。

あいつは俺にそのことを誇るべきではなかったのだ。

俺は死にたくない。

そのために人を殺す俺を時は裁くだろうか。


「ディクスン」

ゴグルが呼ぶ。

「はい」

従順な声でディクスンは応える。

今日も主は篝火の前に座っている。何度その頭を燃え盛る火の中に突っ込んでやろうと思ったことか。だが、ゴグルは彼よりも体躯が大きい。腕力で敵うはずはなかった。

「ゴルヴァを知っているか」

弓の弦を張りながらゴグルが聞いた。

「ガリアスの東にある町でしょうか」

「そうだ」

ゴグルは頷く。

「そこの隠者は車を作れるそうだ。そろそろ新しいのがほしい」

連れてこい、と主は言った。

「はい、直ちに」

と答えながら、これは、とディクスンは思った。


夕暮れ時を待って、ディクスンは一人車を駆って離脱する。

見つかっても先遣隊として行ったといえば咎められやしない。ゴグルが重視するのは結果だけであることをディクスンは知っていた。

ゴルヴァはガリアスからさほど遠くない小さな町だ。ガリアス攻略の際にともに焼け落ちたとしても不思議はない。幸い、この方面を任されたのはディクスンで、その報告を疑う者はないはずだった。

俺が死なないために邪魔する者は死ななければならない。

ディクスンはそう信じている。その理屈が理不尽であることに彼は気づいていなかった。



夜通し車を走らせて、空が白む頃に彼はゴルヴァの町に着いた。

彼はいていた。もう少し冷静ならば焼き討ちをするなら深更まで待つべきだということに気づいたかもしれない。だが、彼は常に激情の中にあって、それは彼の成功をことごとく妨げた。

一人で町全体を相手にするつもりは端からなかった。

ディクスンは早々に火を熾すべく、草むらにしゃがみ込む。河原には朽ちて黄色くなったくさむらが広がっている。ひとたび火がつけば勝手に燃え広がるだろう。彼は激しく火打石を打ち付ける。だが、どうしたことか、どうしても火はつかなかった。

火花が散るたびに風が吹いては彼の努力を打ち消すのである。

ふと気配に気づく。

慌てて顔をあげると、いつからそこにいたのか、すぐ目の前に真っ白い獣が鼻を鳴らしていた。首元には赤い首輪。その後ろには灰色の毛並みの獣が一匹。いや、二匹、三匹。みるみるうちにその数は増えていく。四つ足の尖った顔をした獣。その目元は覆面をしたように黒い毛で覆われている。ウーヴだ。

いつのまにかディクスンはウーヴの群れに囲まれていた。背筋に寒気が走る。

食われる、と思った。

いや、待て。

ここは隠者の町ではないか。

隠者は深更にウーヴに化けるというではないか。

そう自分に言い聞かせると少しだけ冷静を取り戻す。そしてウーヴ達の足元に影がないことに気づく。

「隠者なのか?」

ディクスンは震える声で呟いた。

「そのとおり」

すぐ目の前で人の声がした。白いウーヴが後ろ足で立ち上がる。かと思うと、その姿はたちまち人の姿に変わった。黒い髪、青い瞳。背の高い男。赤い首輪と見えたのは首元にかけられた繊月刀の赤い鞘だった。

「焼き討ちとは穏やかじゃないな」

男はそう言いながら、羽織っていた白いマントをばさりと肩から落とすと、繊月刀をすらりと抜き放つ。

それを合図のように回りを取り囲んでいたウーヴは一人、また一人と人へと姿を変えて立ちはだかる。毛並みと見えたのはマントで、やはり首輪のように繊月刀を首にかけている。

ディクスンは恐怖した。

うわあっと大声をあげたかと思うと、やにわに腰の刀を抜いていきなり相手に切りかかる。男の繊月刀がこれを止める。どちらも鋼であったため、嘎、と剣火が散った。

「異民族だな」

青い瞳の男が問うた。ディクスンは答えない。

「見たことがある」

青い瞳が三日月になった。笑っているのだ。ディクスンは目を大きく見開いた。

何者かを知られれば、やがてゴグルの耳に入るやもしれぬ。口を封じなければならない。ディクスンはいったん切り結んだ太刀を今度は大きく振りかぶる。だが、その隙をついて黒髪の男の右手が小ぶりの繊月刀を鞘走らせた。

しまった。胴を薙ぐ刃先をディクスンは後ろへ飛びのき、辛うじて交わしたが、男はすぐに間合いを詰め、今度は大ぶりの刀で撃ちかかる。それを弾けば今度は左から襲われる。

これはいけないと思った。

これはとても勝てる相手ではない。

怯懦に取り憑かれ、ディクスンは大きく後ろへ飛びのいたかと思うと、態勢を崩しながらも踏みとどまり、脱兎の如く逃げ出した。

「追うか」

「いやいい」

その場に居合わせた隠者達は逃げ去る襲撃者をそのまま見送った。

「一人なのは妙だが」

灰色のウーヴの男が口火を切る。

「ここに来たということは、すでに場所は知られているのだろう」

「車を扱える者がほしいだろうからな」

「いずれ仲間を引き連れて戻ってくるだろう。それまでに引き払おう」

「承知」

黒髪の男は二振りの繊月刀をくるりと回し、一振りずつ丁寧に鞘に納めた。

「ヴァイ」

と灰色のウーヴの男が言う。黒髪の男はヴァイである。

「車は一台使ってくれ。隠れ里で落ち合おう」

「恩に着る」

ヴァイは白いマントを拾うと、

「イズミ」

同行者の名を呼んだ。

街道沿いにある一軒家からおそるおそるイズミが顔を出す。

「もう大丈夫だ」

と言いながら、白いマントを彼女の肩にかけてやる。

「行こう」

二人は車を駆って上流へと走り出した。


ディクスンはゴグルに報告することもできず、昼時を待ってもう一度ゴルヴァの町に舞い戻った。

だが、すでに町はもぬけの殻で、家という家を探して回ったが、誰ひとり見つけられなかった。せめて車の部品なりとも戦利品として持ち帰りたかったが、部品はおろか、設計図も材料となる木材の破片すら落ちてはいなかった。

テーブルの上にはまだ温かいスープが残され、ベッドの上には柔らかいリネンが起き抜けのままに置き去りにされている。今にも人が戻ってきそうな佇まいにディクスンは途方に暮れる。夕暮れ時まで待ってみたが、誰一人戻ることはなく、それどころか、家は何十年も打ち捨てられたかのような廃墟と化していた。全ての家を周ってみたが、いずれも同じであった。先ほど訪れた時に感じられた生活感は煙のように消え失せ、黴臭い空き家が立ち並んでいるだけだった。何が起きたのかディクスンには理解できず、彼は異民族が野営しているガハラに戻るしかなかった。



ガリアスの手引きによってゴルヴァの隠者達は異民族の襲撃を逃れ、ガリアス達の隠れ里へと居を移した。この時、里の再建を条件にガリアスとグヴァンに車を提供する密約が成立したことを異民族たちはまだ知らなかった。


(つづく)


更新がどうも遅くてすみません;;

もうちょっとペース上げたいです;;

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